第2話:借金取りの親玉は貴族のご令嬢
「お、お嬢……どうしてここに!?」
「ご苦労様でした。ここから先の彼の相手は私がしますので安心して休んでください」
そう言いながら微笑むのは俺とそう歳の変わらない女の子。その手には純白の長剣が握られている。
「初めまして。私はティアリス・ユレイナスと申します。以後、お見知りおきを」
光を浴びて仄かに輝く、美しい白銀の柳髪。宝石のように透き通った美しい碧眼。くっきりとした目鼻立ちに意志の強さを感じさせる秀麗な眉目。誰もが心奪われる妖精のような端整な容姿は生まれながらの高貴な血を感じさせた。
「ユレイナス……まさかあんたが借金取りの親玉か?」
「えぇ、そうです。私はあなたの師匠、〝龍傑の英雄〟ヴァンベール・ルーラーにお金を貸したユレイナスの者です」
確かに俺の師匠の名前はヴァンベール・ルーラーだが〝龍傑の英雄〟なんてカッコいい二つ名で呼ばれるような人ではない。
「さて、早速で申し訳ありませんがあの人が残した借金を返済していただきましょうか。お代はあなたの剣と魔術で支払っていただきます!」
「あんた、何を言って───ッ!?」
言っている意味が理解出来ず俺が聞き返そうとするよりも早く、瞳に激情の炎を宿したティアリスが剣を振り下ろしてきた。華奢な身体から放たれたとは思えない重く鋭い一撃に思わず眉間にしわが寄る。
「フフッ。いい反応です。長年ヴァンベールさんに鍛えられただけのことはありますね」
「……お嬢様っていうのは随分物騒な生き物なんだな。いきなり斬りかかって来てなにがしたいんだ?」
一合、二合、三合。鋼が激突して火花が散る。目まぐるしい剣戟の隙間を縫って俺はユレイナスのお嬢様に言葉を投げる。
「私はあなたと戦ってみたかったんですよ。借金の取り立てはそのついでです」
「……はい?」
何を言っているんだこのお嬢様は。そんな俺の怪訝な気配に気付いたのかティアリスは口元に笑みを浮かべながらこう言った。
「なにせルクス君は十六年前に訪れたこの国の危機を、たった一人で救った英雄の絶技を受け継いだ唯一無二の存在ですからね」
「……それならあんたがさっき使った技は何だ? あれは紛れもなく〝アストライア流戦技〟だった」
「アストライア流戦技。世界を覆う闇を払い、人々に降りかかるあらゆる脅威を斬り払う護国救世の活人剣、でしたか?」
「それを知っているってことはやっぱり……」
「その疑問を解消したければ私と戦ってください。私に勝てたら色々説明してあげましょう。あっ、ついでに借金の件は無かったことにしてあげます」
距離を取り、剣を正眼に構え直しながら不敵な笑みを浮かべるティアリス。聞きたいことは山ほど出来た。
「フフッ。やる気になっていただけたようで何よりです。ちなみにもし私が勝ったらあなたの持っているその剣───ユレイナス家の家宝を回収させていただきます」
物語に登場する戦女神が如く静謐かつ荘厳な雰囲気すら漂う立ち姿。彼女が相応の実力者であることは間違いない。
俺は小さく息を吐きながら集中を深めて剣を構える。ユレイナス家の家宝というのは気になるが、師匠から貰った剣をみすみす取られるわけにはいかない。
瞬きすら許されない張りつめた緊張と重たい沈黙が流れ、突き刺すようなプレッシャーがピリピリと肌を焦がす。師匠と真剣勝負(本気の殺し合い)をした時以来の感覚に思わず口角が吊り上がる。これでは人のことを言えないな。
一秒が永遠にすら感じられる中、最初に動いたのはティアリスだった。
「───ハァッ!」
烈火の気合とともに鋭い踏み込みで間合いを詰めてきた。速い。俺は内心で舌を巻きながら目にも止まらぬ速度で振り下ろされた白剣を最小限の動作で回避する。
だがティアリスは反撃させまいと瞬時に手首を返して逆袈裟に払ってくる。それを俺は大きく飛び退いてかわすが───
「アストライア流戦技《
風切り音が鳴ること三度。鋼鉄の鎧すら容易く切り裂く真空の刃がティアリスの剣から放たれる。着地を狙ってくるとは本当に顔に似合わないことをする。タイミング的に回避は困難。なら俺が取る選択肢は一つ。
「アストライア流戦技《
目には目を、風には風を。剣を薙いで生み出した風塊で以て風刃を吹き飛ばして無力化する。驚愕してわずかに動きが止まった隙に反撃に転ずる。
「火炎よ、弾丸となり、乱れ爆ぜろ。《イグニス・バレットフレア》」
無数の火球を生み出し、それらを全てほぼ同時に射出する。意趣返しの意味を込めて迎撃するしかない魔術で攻撃したが果たしてどう出るか。
「───ッツ!」
ドッッガァァアアアアンッ───!!
「お嬢――――――――!!」
静かな戦場に轟音が響き渡り、舞い上がる爆炎が昼間のように周囲を明るく照らす。リーダーの男が焦燥に駆られて叫ぶ中、俺は一切の油断なく相手の次の一手に身構える。この程度で終わるはずがない。
「───見かけによらず容赦がないんですね」
背後から聞こえてくる涼しげな声。あの爆撃を完璧に回避しただけでなく俺が一瞬見失うほどの速度で移動して後ろを取られた。再び内心で舌を巻きながら殺気の籠もった必殺の一撃を振り向きざまに受け止めて俺も軽口を返す。
「それはこっちのセリフだ。というかただの決闘なのに殺意が高すぎじゃないか?」
「申し訳ありません。でもやっぱりあの人が唯一弟子と認めたあなたに嫉妬せずにはいられませんでした」
「……あんた、師匠とはどういう関係なんだ?」
「フフッ。それはこの戦いが終わったら教えてあげますよ」
そう言ってからティアリスは自ら飛び退いて距離を取り、仕切り直すように剣を正眼に構える。次は本気の一撃が来る。身体中から立ち昇る威圧がそう物語っていた。
「いいだろう。それじゃそろそろ……決着をつけようか」
剣を腰の鞘に戻しながら左足を後ろに引いて半身の姿勢を取る。俺の狙いは至極単純。ティアリスを上回る速度で必殺の一撃を叩き込む。
再び流れる沈黙。一瞬が永遠にまで引き延ばされる感覚の中、先に動いたのは今回もティアリスだった。
「アストライア流戦技《
一足飛びで間合いを詰めながら灼熱の大嵐が渦巻く純白の剣を振り下ろすティアリス。直撃すれば俺の身体は灰すら残さず消え失せるであろう必殺の一撃を前にして、俺の口角は思わず吊り上がる。
「───!?」
「アストライア流戦技───秘技《
自身の身体を雷と化し、紙一重でティアリスの一撃を神速でかわすと同時に背後に回って抜刀。純黒の刃を無防備な首筋に添える形で寸止めする。いくら決闘といっても新雪のように綺麗な彼女の肌に傷をつけるわけにはいかない。
「俺の勝ちってことでいいよな、お嬢様?」
「えぇ、もちろん。この決闘は私の負けです。それにしても今のがアストライア流戦技の秘技ですか。やっぱりあなたは特別ですね」
ティアリスは自嘲しながら剣を鞘に戻して両手を上げる。彼女の身体から威圧感が消え失せ、くるりと回ってこちらを向いた時には花が咲くような可憐な笑みを浮かべていた。
「それではルクス君、約束通り色々教えてあげましょう。ですがその前に───」
パチンッ、と指を鳴らすと周囲の空間にヒビが入ってガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。その音が止むと派手に暴れた形跡は何処にもなく、周囲一帯は何事もなかったかのように静寂を取り戻していた。
「なるほど……ド派手に魔術をぶっ放していたのは結界を張っていたからか。まったく気づかなかったよ。一体いつから?」
「そうですね……あえて言えば初めからでしょうか? そうじゃなかったらこんな街中で魔術なんて使ったりしませんよ」
つまり追手の皆さんが魔術を使う前から周囲一帯を現実から隔離する結界を構築されていたというわけか。
「ついでに教えると俺達の役目は最初からお嬢が用意した結界のあるこの場所にお前を連れてくることだったってわけだ。闇雲に鬼ごっこをしていたわけじゃ無かったってことさ」
「そういうことです。まぁ結界を張ったとはいえあんなに派手な花火を打ち上げるとは思いませんでしたけどね」
口元に手を当てて優雅に微笑むティアリスと、そりゃないぜと嘆きながら肩をすくめるリーダーの男。その部下達も一様に苦笑いをしている。
「さて、ルクス君。そろそろ移動しましょうか。シルエラさん、こちらに来ていただけますか?」
「お呼びでしょうか、お嬢様」
ティアリスが虚空に向かって呼びかけると瞬時にメイド服の女性がどこからともなく現れた。
「シルエラさん、馬車の手配をお願いできますか?」
「ご安心ください、お嬢様。すでに馬車の手配は済ませておりますのでまもなく到着するかと思います」
そう報告した直後、馬が嘶く声とともにガタガタと派手な音を立てながら何かがこちらに近づいて来ている気配がした。
「相変わらず手際がいいですね。それじゃ行きましょうか。セルブスさん、今日はありがとうございました。面倒な仕事を押し付けてしまって申し訳ありませんでした」
「いいってことですよ、お嬢。俺達はあなたの頼みならたとえ火の中水の中、何処へだって行くだけです」
そうですよ、水臭いこと言わないでくださいお嬢! とセルブス何某の言葉に元気よく同調する部下の皆さん。歳が離れている割には随分と慕われているんだな。そんなやり取りを眺めていたら馬車が到着した。
「さぁ、ルクス君。馬車に乗ってください。積もる話はこの中で」
「ちょっと待ってくれ。場所を変えるのも馬車に乗るのも構わないけど、何処に連れて行くつもりだ? まさかあんたの家とか言わないよな?」
「フフッ、察しがいいですね。その通りですよ。これから向かうのはユレイナスのお屋敷、つまり私の家です」
キラッと星が煌めくようなウィンクをするティアリス。その笑顔が不覚にも可愛いと思ってしまったのは致し方ないことだと自分に言い聞かせながら馬車に乗った。
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