第21話

 迷宮と自然地形を隔てるのは、ふたつの有無だと、テンランは理解している。


 ひとつは、特質エネルギー包含岩石――魔石。

 この地に戦乱と繁栄をもたらした、炎や水などの力を内に秘めた不思議な鉱石である。


 そしてもうひとつは、魔物。


「テンラン、後ろから7匹来てるよー」


 瘴気が溢れる、紫の洞窟を歩く二人を、襲い掛かる機会をはかりながら追いかける獣がいた。

 ただれた皮膚。露出した筋組織。

 腐敗した肉と毒のある爪牙を持ったオオカミ。


腐乱ふらんウルフ、か」


 魔石が放出する魔力が満ちた迷宮内部、隔離された環境で独自進化を遂げた種族の総じて魔物と呼ぶ。

 彼らの強さの源は魔力だ。

 一般に魔力は迷宮の深度に比例して濃くなるので、強い魔物ほど奥深くに生息する。


 二人がいるのは地下1階。

 瘴気の迷宮カースト最底辺の魔物だ。


 だがしかし。

 テンランの表情は苦虫を嚙み潰したようだった。


(やれるのか、本当に俺は成長したのか?)


 思い返すのはアクドウにパーティを追放された日。

 手も足も出せなかった。


 ちらりと隣を見れば、肌白い少女が雪のような髪をぴょこぴょこ揺らしている。


 もしも彼が危険に陥ったら、プレセアは必ず助けてくれるだろう。

 だが、それで本当にいいのかと疑問がよぎる。


 いざとなれば助けてもらえると甘えていないか。

 ピンチになる度に助けを求めるつもりか。

 世界中の迷宮の謎を解き明かす夢は、そんな態度で叶えられるほど甘いものなのか。


 答えは出ていた、とっくに。


「プレセア」


 緊張から速まりそうになる足を、接近に気づいたとオオカミに悟られないよう、一定の歩幅と速度で徹底する。


「なあに?」

「最初だけでいい。手出し無用で、お願いできねえか?」


 予感があった。

 ここで逃げたら、一生逃げたままだと。

 凍り付いた時間の針を進めるべきは今なんだ。

 心の弱さに打ち勝つべきは今なんだ、と。


「これは……俺の問題なんだ」


 プレセアはテンランが降ってくる前を知らない。

 かつては仲間がいたことも、信じた友に裏切られたことも。

 それでも、彼が大きな壁にぶつかっていて、乗り越えようと必死になっているのは分かった。


 だから、おちゃらけた顔をひっこめて、

「うん。わかったよ」

 と、答えた。


 その、すぐ後に、

「ま、取り越し苦労だと思うけどねー、あはは」

 カラカラと笑った。


 テンランはプレセアの言葉の真意がわからなかったが、今は背後の敵をどう対処するかが最優先だった。


(1匹だけでも厳しかったオオカミが、7匹。レベルが上がり、ステータスが上昇したといっても苦戦は必至だろう……だけど!)


 左手で刀の鍔を押し出しいつでも抜刀できるように備え、右手は【石戸いわと】を発動する準備をする。


 ひたひたと迫りくるオオカミの群れ。

 間合いに入った瞬間が勝負の瞬間だ。


 あと、3歩。


 薄汚い殺気を頼りに距離を測る。


 あと2歩。


 狙うは短期決着。

 囲われる前のせん滅だ。


 1――


(証明するんだ、いつまでも無力なままの俺じゃないって、今、この場で!)


 背後で殺気が爆発した。

 群れの先頭に立つオオカミが、一足で攻めに転じられる間合いに入ったとみて跳び出した。


 ことを、オオカミは刹那のうちに後悔した。


(……え?)


 気づいたときには抜刀が終わっていた。

 空を切ったかと思うほどあっけない手ごたえ。

 触覚の誤りを訂正するのは、切り口から吹き出る血の赤黒い色と鉄臭い匂いだ。


 倒した、と認識するより早く、続く斬撃が腐乱ウルフを追加で2体切り殺した。


 状況が理解できなかったのはテンランだけではない。先鋒に続くはずだったオオカミたちも、予想外の反撃に二の足を踏んでいる。


 テンランはちらと剣を見た。

 抜き身の刀身に、べっとり、魔物の血がまとわりついている。


(いける)


 半身をひねり、刃を体に隠した。

 刃渡りの情報が隠され、腐乱ウルフたちの警戒レベルが一段釣り上げられる。

 さきの切りあいから間合いを予想するほかない。


 だから、テンランは間合いの外から一閃した。


「【血振ちぶり】」


 刀に付着した魔物の血が飛ぶ斬撃に変化した。

 攻勢の機をうかがっていた腐乱ウルフは回避行動がわずかに遅れる。

 こと戦闘において、致命的なほどに。


 短く鈍い悲鳴が洞窟内に反響した。

 テンランが放った【血振ちぶり】が、呆然と立ち尽くすオオカミの鼻っ柱を引き裂いた。


 格付けはすでに決した。

 テンランには、腐乱ウルフの呼気も、感情の機微も読み取れる。


 前回とはまったく逆の盤面。

 腐乱ウルフがいかに猛ろうと、隔絶した力量差は覆しようがない。


「ググッ、ギュラリュルゥゥゥゥウウアアア‼」


 それでも、腐乱ウルフに敵前逃亡の文字は無い。

 怯えを打ち捨てるように吠え、眼前の強敵、テンランへと爪牙を向ける。


 そしてもちろん、死んだ。


 テンランの足元には、魔物の死体が転がっている。


 手を見ると、わずかに震えている。


「にひひ、おつかれテンラン! ズバババーンって感じだったねー。すっごくかっこよかったよー!」

「プレセア、本当にこれを、俺が?」

「うんっ! それが、今のテンランの力だよ!」


 テンランは胸を掌握し、瞳を閉じた。

 肩が上下に揺れ、長い息を吐き出す。


「これが、今の俺」


 足踏みしているだけでは無かった。

 夢に向かって確かに前進していた。

 疑念が晴れる、決定的な一戦。

 テンランは探索者として飛躍的に成長した。


 プレセアを見る。

 彼女は優しく微笑んでいる。


「おーし、自信ついたァ! 行くぜプレセア、この瘴気にまみれた迷宮を踏破するぞ!」

「あいあいさー!」


 テンランたちは迷宮の奥底を目指す。

 確かな成長の実感を伴いながら。

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