なつさがし

ノミン

なつさがし

 夏休みはついこの間始まったばかりだとハルは思っていたが、もう明日には学校が始まるのをカレンダーを見て知った。静かな昼下がり、一人カレンダーの前で立ち尽くしてしまう。ハルは、夏休みが始まる前は、この休みが一年と同じくらい長いものなのだと思っていた。それが自分の思い違いだったとようやく気が付いた。宿題は、母に言われて終わらせていたが、手間のかかるのがまだ一つだけ残っていた。

 ハルは今日のうちに、「自由研究」の宿題を完成させなければならなかった。社会科の教科書よりも大きい用紙を埋めなければならない。ハルは今の今まで、すっかりその課題のことを忘れていた。担任の大谷先生の怖い怒り顔を想像して、ハルはいよいよ顔を青くする。

「やらないと、やらないと!」

 ハルは家を飛び出し、幼馴染のキョウの家にやってきた。走って一分足らずの距離だが、その一分さえも長く感じ、ハルは全力疾走だった。ハルがインターホンを鳴らしたあと、玄関から出てきたキョウは、急に走ったせいで余計に息を切らせて疲れているハルの姿を見ると、驚いたやら面白いやらで笑ってしまった。

「どうしたの?」

 キョウは、ハルに尋ねた。

「自由研究、何にした?」

 呼吸の合間から、ハルが言った。

 キョウはとりわけ優等生というわけではなく、ハルのように運動が得意なタイプでもない。男の子の中に混ざって全力で鬼ごっこをするような子もいるが、キョウは、そういう女の子でもなかった。しかしこういうとき、一番親身になってくれるのはキョウだとハルは知っていた。

「自由研究?」

 キョウは目を丸くして、ハルに聞き返した。

「ハル君、まだやってないの?」

「さっき思い出したんだ」

「えー」

 キョウは驚いて声を上げる。自由研究は一番時間がかかりそうだったので、キョウはしっかり予定を立てて、夏休みの中頃にはそれを終わらせていた。

「何やった?」

「私は、チーズケーキ作ったよ」

「チーズケーキ……」

 チーズケーキと言われて、ハルはすぐにそれを頭の中に思い浮かべられなかった。ケーキというと、誕生日やクリスマスで食べるスポンジケーキで、他のケーキは良く知らなかった。

「お菓子とかケーキとか、結構多いよ」

「うーん……」

 ハルは考え込んでしまった。確かに料理なら、お母さんに手伝ってもらって、きっと今日のうちに作ることができる。材料、レシピを書いていって、絵を添える。最後に作ってみた感想とまとめを書いて出来上がり。完成図が、ぱっとハルの頭の中に出来上がる。しかしその完成図は、すぐにぼんやりと霧のように霞んで、消えていった。

「でも、料理はなぁ……」

 どうせ自由研究をやるなら、もっと違うものが良いとハルは思った。特に興味のない料理を無理やりやるのは、楽しそうじゃない。

「男の子だと、虫とかかな。やってる子結構いるみたいだよ」

「あぁ、虫か!」

 今日も朝から、張り裂けそうな声で叫んでいるセミも虫だし、たまに遭遇しては、やたら追いかけてくるスズメバチやミツバチも虫だ。セミやハチはともかくとして、虫なら面白そうだとハルは思った。

「でも今からだとちょっと大変だよね」

「でも、虫がいいな。うん、虫にしよう」

 ハルはこれまで、カブトムシやクワガタ、カマキリなどを自分で捕まえて飼っていたことがあった。友達とセミやバッタを捕まえる遊びでは、いつも一番多く捕まえることができた。虫なら、先生やクラスメイトをあっと驚かせるような、珍しい研究をできるかもしれないとハルは思ったのだ。

「今から?」

「うん、今から、探しに行く」

「一人で?」

「うーん……」

 一人で、と聞かれると、どことなく寂しい気もした。でも事ここにいたっては一人でやるしかないだろうと、勇敢な気持ちも湧いてくるハルだった。

「手伝おうか?」

「え?」

 キョウがそんな提案をするとは考えてもいなかったので、ハルは驚いた。キョウは、虫は苦手じゃなかったろうか。

「大丈夫なの?」

「うん、いいよ。ちょっと待ってて――」

 それからしばらくすると、動きやすそうな半そで短パン姿でキョウが出てきた。すっかり焼けた小麦色のハルは、キョウの肌の白さが不思議でならなかった。二人は、一度ハルの家に行き、虫かごと虫取り網を持って、自転車で大公園に行くことにした。大公園は、名前の通り、地元では一番大きな公園である。

 大公園に着き、二人は売店脇の自転車置き場に自転車を並べて置いた。ひとまず木陰のベンチで一休みする。夏の日差しの中、キョウもハルも、すでに一仕事終えたかのような汗をかいていた。キョウは持ってきた水筒でスポーツドリンクを飲んだ。その時になってハルは、そういえば飲み物を持って来れば良かったと後悔した。しかしキョウの方は、そもそもハルの分も考えて大きな水筒を持ってきていたので、ハルの心配には及ばなかった。

「はい」

 水筒の蓋コップにスポドリを注ぎ、キョウはそれをハルに渡す。ハルは大人しくコップを受け取って、顔を隠すようにちまちまと喉を潤した。キョウはそんな恥ずかしがる様子のハルを見てくすくす笑った。

「何捕まえるの?」

「うーん……」

 ハルは首をかしげて考えた。ありふれた虫じゃあつまらない。特に目当ての虫がいるわけではないが、どうせなら、今まであまり見たことのない虫が良い。

「何か探してみよう」

 休んだ後、二人はいよいよ、虫探しのために公園を歩き始めた。舗装された遊歩道から離れ、林の中に足を踏み入れる。アリ、干からびたミミズ、バッタ。

「これ何、これ何!」

 キョウが騒ぐのでハルは振り返った。キョウが指さした先には、巨大なバッタがいた。キョウは、身震いしている。そのバッタの大きさは、キョウやハルの掌の大きさをはるかに超えていた。

「ショウリョウバッタかな」

「これ、バッタなの?」

「うん。バッタは、いろいろいるんだよ」

 そう言って、ハルは近くにいた違う種類のバッタを捕まえてキョウに見せた。ショウリョウバッタのようなやせた顔のバッタではなく、エラの張った顔に、がっしりした体つきのバッタである。

「クルマバッタだよ」

 いかつい四角顔、ギチギチと音を鳴らしている。

 キョウは、バッタにそんなにたくさんの種類があることを知らなかった。

「珍しいの?」

「ううん」

 ハルは首を振った。クルマバッタも、ショウリョウバッタも、ありふれたバッタだ。キョウの見つけたショウリョウバッタは、その大きさでは珍しいかもしれないが、そこまで珍しいわけでもない。

「自由研究、バッタじゃダメなの?」

 キョウはハルにたずねた。

「うーん、あんまり珍しくないからなぁ」

 珍しいの探してたら日が暮れちゃうよ、とキョウは思ったが、もう少し虫探しをしたかったので、その言葉は飲み込んだ。ハルは、手に持っていたクルマバッタを放り投げて逃がした。クルマバッタはばたばた、ギチギチと音を鳴らして木々の陰に飛んで行った。ジャンボサイズのショウリョウバッタも、原っぱの方にぴょこぴょこ跳んで行った。

 バッタを見送ってから、キョウはハルに質問した。

「カブトムシとかがいい?」

「カブトムシは、たぶんすぐ見つけられるよ」

「ええ!」

「見てみたい?」

「うん、見たい!」

 キョウにとって、カブトムシは昆虫の王様で、滅多にお目にかかれない珍しい虫だった。カブトムシがいると皆大騒ぎするから、そんな簡単に見つけられる虫ではないのだと思っていた。ところが――。

「本当にいたっ!」

 公園の隅、農家の敷地と隣接したその場所に、カブトムシはあっさり転がっていた。立派なツノを持ったオスのカブトムシと、大きなメスのカブトムシが、落ちたトマトを抱きしめるようにして、その赤い果肉を貪っている。他にも近くには、カナブンやカミキリムシが、トマトをかじっていた。

「えぇ、すごい!」

 キョウはしゃがんで、トマトに群がる甲虫たちを、しげしげと観察した。カブトムシは木の幹にいるものとばかり思っていたのだ。クラスの男の子たちでカブトムシ狩りの話をしているのを聞いても、夜どこそこの木に樹液をしかけたとか、木の窪にゼリーを入れておこうとか、そういうことを言っていた。誰も、トマトの話なんてしていなかった。

「カブトムシ、いるんだ……」

「クワガタの方が珍しいよ。あっ、でもそれ、クワガタだね」

 ハルが指さした先には、トマトから転がり落ちてあたふたしている、親指大の小さな平たいクワガタがいた。

「すごぉい。ハル君、知ってたの?」

「うん」

 ハルは頷いた。実は、木の幹を探すより、畑に落っこちたトマトやリンゴや柿の実を探した方が、カブトムシは見つかる。それを知ったのは偶然だったが、ハルはそのことを、他人にはもう教えまいと心に誓っていた。去年の夏、カブトムシのいる畑のことを友達に教えると、その翌日から、カブトムシがほしい男子が畑に殺到し、そのうち何人かが、捕まえたカブトムシに残酷な仕打ちをしたのだ。その経験から、ハルはカブトムシのことを秘密にしていた。キョウに教えたのは、キョウなら、そういう酷いことはしないだろうと思ったからだった。

 しかし、念のためにハルはキョウに言った。

「――でも、内緒ね」

「うん!」

 キョウははっきりハルに返事をした。虫の苦手なキョウだったが、甲虫なら大丈夫だった。カブトムシやカナブンのつるつるした甲羅を触る。甲虫たちは、キョウに触られていることなど気にも留めず、一心不乱にトマトの果汁を啜っている。

 しばらく甲虫たちを観察したあとで、ハルは立ち上がった。

「じゃあ、行こう」

「え、捕まえないの?」

 キョウは立ち上がったハルを見上げながら言った。

「うん」

「でも、これ自由研究になるよ! こんなにたくさん!」

 確かに、それはそうかもしれないと、ハルも思っていた。カブトムシも、こんなにたくさんというのは、皆からすれば珍しい。カミキリムシなんかも、実はカブトムシを探すよりも苦労する。けれど、このことを自由研究にしてしまったら、カブトムシの秘密が皆にバレてしまう。それだけはハルは避けたかった。

「別のにしよう」

 ハルはそう言うと、すたすたと公園の敷地に戻っていった。キョウは、後ろ髪を引かれる思いをしながら、ハルの後について歩いた。林から遊歩道に戻って、ベンチで一休みする。

「あ、カナヘビだ!」

 ベンチの下、コンクリートで日光浴をしていたカナヘビをハルが目ざとく見つけ、追いかける。キョウは立ち上がり、目を白黒させて、ハルとカナヘビの戦いを見守った。カナヘビは素早く、ハルの機敏さをもってしても、捕まえることはできなかった。カナヘビの行ってしまったベンチに、二人は今度こそゆっくり、腰を下ろした。

「何捕まえるか決めた? あのカナヘビ? は?」

「虫じゃないからなぁ」

「虫じゃなくてもいいんじゃない?」

「虫がいいよ」

 頑なになってきたハルだったが、キョウはそれをたしなめようとは思わなかった。日が暮れるまで、まだ時間はある。それなのに、ここで捕まえるものを決めてしまったら勿体ない。捕まえるものが決まらないことは、ハルとその宿題にとっては不都合なことだったが、キョウにとってはむしろ良いことだった。

 休んだ後は、今度は林ではなく、原っぱを探すことにした。キャッチボールやサッカー、フリスビーをしている人たちが、広い原っぱの区画にぽつんぽつんと散在している。

 草原地帯には、とにかくバッタがたくさんいた。歩けばぴょこぴょこと、数匹のバッタが飛び出してくる。

「え、これ何!?」

 足元に目を凝らしていたキョウが、奇妙な生き物を見つけた。蜘蛛のような、しかし蜘蛛にしてはやたら足が長く、体型としてはバッタに近い、白茶色をした虫。触角が長く、後ろ足は太い。

「あぁ、これ、カマドウマだよ!」

「カマドウマ!?」

 キョウはオウム返しに、その奇妙な響きを口にした。バッタとコオロギのハーフ、またはバッタと蜘蛛のハーフ、なんともいえない不思議な形をしている。そのうえ名前まで。

 カマドウマは、ぴょこぴょことハルの足元を超え、股をくぐった。ハルはカマドウマを踏まないように振り向いてしゃがみこんだ。二人でじっとカマドウマを観察する。――と、その時だった。

 カマドウマが消えた。

 二人は驚いて息をのんだ。

 カマドウマは消えたのではなかった。草に擬態して待ち構えていた、大きな緑のカマキリが、まんまと捕らえたのだ。一瞬前まで自由の身だったカマドウマは、今やそのギザギザした伸縮自在の鎌に捕まえられ、締め付けられて、身動きさえも難しそうだ。

 またハルとキョウも、カマドウマと同じように、身動きが取れなくなっていた。二人は、カマキリとカマドウマから目が離せなかった。息を殺し、言葉を発することもできない。カマキリの狩りのすごさ、格好良さ、カマドウマへの同情、そしてこの小さな野原の一角で起こった大自然の摂理と、その奇跡の瞬間に立ち会えたことへの感動。それらの感情が二人の心に、大波のように押し寄せ、打ち付けていた。

 ついに動かなくなったカマドウマ。カマキリは、その逆三角形の頂点にあたる小さな口でむしゃむしゃ腹から喰っている。しかしカマキリはカマドウマを喰いながらも、その目はじっと周囲を見据え、警戒を怠っていない。ハルもキョウも、その目に射すくめられている気分だった。

 やがて、カマドウマの足の一部だけを残して奇麗に獲物を平らげたオオカマキリは、のそのそと、草の森の中に去っていった。

「いたたた」

 ハルは、自分の足がしびれているのに気づいて、立ち上がり、ぴょんよん飛び跳ねた。キョウもそれは同じで、足先を交互にとんとんと、軽く地面に突き付けた。そうして二人は、いつの間にか日が暮れかけているのに気づいた。

「虫、探さなきゃ!」

 ハルは、飛び跳ねながら言った。

 二人は草原を走り回り、それから雑木林に入った。しかしどういうわけか、探そうとすればするほど、虫は見つからなかった。さっきまで当たり前のように現れていたバッタたちも、今はほとんど姿を見せない。セミでさえ心なしか、大人しくなってきている。

「もう、蚊でいっか!」

 ハルは、腕に止まった蚊を叩きながら、大きな声で言った。

「え、蚊!?」

 キョウも声を上げる。

 雑木林から再び原っぱに戻り、今度は反対側の原っぱを目指す。あてはないが、ハルもキョウも、じっと考えているよりは、今は走りたかった。原っぱと雑木林の堺目に、昔使われていた蒸気機関車が展示されている。その汽車を一周して虫を探し、そのまま、こんもり盛り上がった小山を上った。小山には、昔使われていたアスレチックが、今は風雨にさらされて腐りかけのまま放置されている。人の気配もなく、セミの声も遠くからかすかに聞こえてくるのみである。

「いないなぁ」

 へとへとに疲れて、ハルはアスレチックの残骸に突っ伏した。朝礼台のような、その元アスレチックは、二人が寄りかかるにはちょうど良い高さだった。キョウはハルの隣に、腕を置きアスレチックに体を預けた。そうして顔を上げたキョウは、ハルの突っ伏するその先に、何かよくわからないが、何かの虫がいるのに気づいた。

「ハル君、あれは?」

 キョウに左の二の腕を叩かれて、ハルは顔を上げた。キョウの指さした先を見て、「あぁ!」と声を上げる。キョウはぱっと見、それがショウリョウバッタかと思った。しかし、それにしてはフォルムが違う。色は緑だが、全体的に細すぎる。

「ナナフシだ!」

 それはまさに、ナナフシだった。カマキリのような鎌も、バッタのような強靭な後ろ足も持っていない。細い木の枝に針金のような細長い脚をつけ足したような生き物。それが、アスレチックの台の上で、風に揺れている。

「こんなの初めて見た。ハル君、これはどう?」

「うん、ナナフシは珍しいよ。あんまり見ないもん」

 二人はじっと、ナナフシを観察した。

 最初は風に揺れているのだと思っていたが、じっと見ていくと、どうやらそうではないことに二人は気が付いた。ナナフシは、自分でゆらゆら動いているのだ。そのゆらゆらの動きはだんだん大きくなっていく。

「踊ってるみたい」

 キョウは、ナナフシの動きに思わず笑ってしまった。ノリノリで左右に体を振っている。ハルもつられて笑いだす。ナナフシは、二人の笑い声を歓声と勘違いしたのか、さらにその動きはキレを増していった。そのナナフシの反応に、二人はさらに声を上げて笑いあった。

 ナナフシはずうっと、ダンスを踊っている。

 ひとしきり笑いあった二人は、顔を見合わせた。キョウは、目に涙を浮かべている。

「これで決まり?」

 キョウがハルに尋ねる。

 このナナフシにしよう、とハルも心に決めていた。ナナフシは、これまでもほとんど見たことがない。きっと珍しい虫に違いなかった。それにこの面白い踊り。こんな踊りを踊るナナフシは、さらに珍しいはずだ。

 ハルは、ナナフシを捕まえようと手を伸ばした。

 ナナフシは、左右にずんずん、揺れている。

 ハルは不意に、虫かごの中にいるナナフシの姿を想像した。プラスチックケースの中で、じっと外を見つめるナナフシ。かごの中では踊ることもなく、そのうち、虫の短い寿命が来て、冬を超えずに死んでしまう。ケースの中で、ひっそりと、落ちた枝のようになって。

 その映像がイナズマのようにハルの脳裏をよぎり、ハルはぴたりと手を止めた。

 ナナフシを捕まえれば、珍しい自由研究が作れるだろう。捕まえたナナフシがかごの中で踊らなかったとしても、踊ったことにして書いてしまえばいい。自由研究は完成する。でも、本当にそれでいいのだろうか。

 溌剌と踊るナナフシをハルは見つめる。

 もう夕方で、これから別の虫を探すことはきっとできない。自由研究をしなかったら、大谷先生に怒られる。皆の前で、恥ずかしい思いをすることになる。

「ハル君、捕まえないの?」

 キョウは、心配そうにハルにたずねた。ハルの伸ばした指の先には、ナナフシが踊っている。

 やがてハルは、伸ばした腕を静かにひっこめた。

「虫はいいや」

「ええ!」

 ハルの突然の宣言に、キョウは驚きの声を上げた。

「ナナフシ、珍しいんでしょ?」

「うん。でも――」

 ハルとキョウは、示し合わせたわけでもなく、同時にまた、ナナフシを見た。ふんわりゆらゆら踊るナナフシ。ナナフシを見つめるハルの眼差しを見て、キョウは、ハルが虫の自由研究を諦めた理由が、何となくわかったような気がした。

「料理なら、手伝ってあげるよ」

 キョウが言った。ハルは曖昧な苦笑いを浮かべた。

 日が沈む。

 二人はナナフシに別れを告げ、小山を降りていった。ナナフシは両手を引き上げて、ゆらゆら揺れた。二人は一瞬振り返り、ナナフシの「さようなら」の仕草に、手を振ってこたえた。

 夏の終わりの長い一日が、日暮れとともに終わりを告げる。

 虫かごを自転車に入れて、ハルとキョウは公園を出る。

 巨大なショウリョウバッタ、トマトとカブトムシ、すばしっこいカナヘビ、そしてカマドウマとカマキリ、互いにゆっくり自転車をこぎながら、今日の感動を伝えあった。

「でもハル君、本当に良かったの?」

 帰り道、キョウが気遣うように、ハルにきいた。

「いいんだ」

 ハルは、自分に言い聞かせるように答えた。

 そう言い切ってしまうと、ハルは自分でも驚くほど、気持ちが楽になっていくのを感じた。先生にも怒られるだろうし、宿題忘れを皆にもからかわれるだろう。でもそれが、今は全然嫌じゃない。そんなことは、小さいことのように思えてきた。

「あのナナフシ、可愛かったね」

「うん」

 キョウの言葉に、ハルは満足げに頷く。

 これから二人は、それぞれの家で、門限を破った咎で怒られるのを知っていた。もうあたりは、すっかり暗い。それでも、それさえも二人は、面白く感じていた。別れ際、二人はナナフシの真似をして、ゆらゆらと手を振りあった。

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