弐「死別と、そして」

皆無かいなくん――ッ!!」


 光り輝く弾丸――天使弾ヱンジェルバレットの弾雨によって頭部をずたずたにされ、脳漿を飛び散らせた青年・皆無かいなの姿を見て、千代子ちよこは悲鳴を上げる。


 皆無かいなの体が、倒れる。


嗚呼ああ、嗚呼ぁ……ッ!!」


 千代子は皆無かいなの体にすがりつく……。


皆無かいなくん……私の許嫁……」





























「――そいつから離れろッ!!」


 そのとき、少女のような声が千代子の耳に飛び込んできた。


「…………え?」


 千代子が顔を上げると同時、視界が探照灯たんしょうとうで照らされる。

 逆光の中から、軍服姿の小柄な少年が駆け寄ってくる。

 その少年が皆無かいな亡骸なきがらに南部式を向けて、





ッ!!」





「グギャァァアァアァォォォオオオオオォオオオオオッ!!」


 突如として皆無かいなの亡骸が起き上がり、獣のような咆哮とともに千代子に飛び掛かってきた!

 亡骸の喉からどす黒い液体が――質量をすら感じさせるほど濃密なヱ―テルが溢れ出てきて、千代子の口の中に入り込もうとする!


「【AMEN】ッ!!」


 少年の、鈴の鳴るような声。

 と同時、光り輝く銃弾がヱ―テルを霧散させる。


「マダダ! マダダァアアァアァアアアアアアッ!!」


 皆無かいなの亡骸だったはずのモノが、叫んだ。

 その腕が、脚が膨張していく。

 肋骨服がはじけ飛び、中から腸が、臓物が個々の生き物のように這い出してくる。


「処女ノ血肉ゥゥゥウウウウウウウゥウウッ!!」


「お前、ええっと、少尉! さっさとそいつから離れろ!!」


 千代子もそうしたい。

 が、腰が抜けてしまって動けない。


 バケモノがにわかに光り輝き、そして、


「喰ワセロォォオオォオオォォォオオオオオッ!!」


 ――爆発した!


「きゃぁあああッ!!」


 どす黒い炎に包まれ、千代子は目を閉じる。





 ……………………





 …………





 ……





 今度こそ、死んだ、と思った。


「…………うっ」


 だが、背中の激痛のおかげで、まだ生きているのだと千代子は自覚する。

 目を開くと、少年が千代子に覆いかぶさっていた。

 その小柄な背中が防護結界の光を帯びつつも、チリチリと焼け焦げている。

 ――かばってれたのだ!


「き、キミ! 大丈夫!?」


「けふっ……ぷはぁっ」


 何とも可愛らしい咳とともに、少年が顔を上げる。

 少年の頭から軍帽が落ちる。


「き、キミは――――……あっ」


 少年の顔を至近距離で見つめ、千代子は束の間、呼吸を忘れた。





「――――皆無かいなくんッ!?」





 ザンギリ頭、二重まぶたの大きな目、すっと通った鼻筋。

 彫りが深めの、日本人離れした容姿。

 まるで西洋人形のような、中性的な美貌。

 見慣れた顔だった。

 親が勝手に決めた許嫁なんてとうとんじながらも、顔があまりにも可愛らしくて好みで、ずっと手放せずにいた写真と、まったく同じ。


 阿ノ玖多羅あのくたら皆無かいな

 三つ年下の許嫁が、そこにいた。


 皆無かいなが自分に覆いかぶさっている。

 が、千代子はほとんど重さを感じない。

 それもそのはずで、皆無かいなは千代子よりも頭一つ分は背が低い。

 小さい――そう、全体的に小さいのだ。

 十三歳の、子供の体。


 千代子が先ほどまで見ていたあの『皆無かいな』は、千代子の妄想。

 異人商人をり殺し、その体を乗っ取った悪魔デビルが、千代子の脳内から拾い上げた理想の男性の姿を幻術で魅せていたのだろう。


「お前、新兵か? ったく、手の掛かる――」


 そんな子供の皆無かいなが起き上がろうとして、何気なく手をついたその先にあったのが、





 ――ふにゅっ





「「……あっ」」


 千代子の自慢の、乳房である。


「「…………」」


 束の間、二人して無言で見つめ合う。

 が、皆無かいながみるみるうちに真っ赤になって、


「!? !? !? うわぁ~~~~ッ!?」


 少女のような悲鳴とともに飛び起きた。


「――――……」


 千代子は何だかニマニマしてしまう。

『親が勝手に決めた』と言いながら、内心ではひそかにずっと楽しみにしていた許嫁との邂逅かいこう

 ついに出逢えた許嫁が斯様かようにも可愛らしくて、千代子は嬉しくなる。

 しかも、皆無かいなの様子を見るに、皆無かいなはこちらに女を感じてれているらしい。


「~~~~ッ!!」


 ――胸が高鳴った。

 心臓が、ぎゅっとなる。

 今までは写真を眺めるだけだったが、実際に目の前で動き、言葉を発する皆無かいなを見ていると、何だか胸が苦しくなってくる。


(こんなにも可愛らしい生き物が許嫁だなんて!)


 同時に、自分が年下趣味であるらしいことを否応なく自覚させられ、白目を剥きたくなる千代子であった。


「き、貴官、名は!?」


 帽子をかぶり直した皆無かいなが、こちらの乳房を揉んだことをごまかそうとしているのか、そっぽを向いて尋ねてくる。


壱文字いちもんじ千代子であります」


 千代子は、微笑ましい。


「所属は?」


「第ゼロ師団しだん・第七旅団りょだん・第十三連隊・第八速成大隊・第五中隊・第十三小隊であります」


「速成大隊――あぁあのヒヨっ子たちの寄せ集め部隊か。いや、訓練期間中のヒヨっ子が実戦投入されるハメになったんは璃々栖リリス所為せいでもあるわけやから、僕が悪し様に言うべきではない、か。――さて、壱文字少尉」


 調子を取り戻したらしい皆無かいなが、これ見よがしにため息をついてみせ、


「貴官なぁ、あの悪魔デビルに喰い殺されるところやってんで?」


「え!? あ、あぁぁ……ッ!!」


 言われて千代子は思い出す。

 頭部を吹き飛ばされた悪魔デビルの、喉の奥からせり上がってきた真っ黒なヱ―テル。

 自分に口付けしようとしてきた『皆無デビル』――。

 自分は、間違いなく死ぬところだったのだ!


「しかも、悪魔デビルにまんまと騙されて、智天使ケルビムス四方十字結界・シールを破壊してれちゃってまぁ」


「あああッ!?」


 千代子はようやく全てを理解した。

 理解して、自分がしでかしてしまったことの責任の重さに青くなる。

 自分は、悪魔デビルを閉じ込めていた結界を破り、悪魔デビルを外に解き放ってしまったのだ!


「で、でも、私だって必死で!」


 少尉たる自分が雲の上の存在たる少佐相手に口答えなど、万死に値する。

 が、相手が年下かつ許嫁ということで、ついつい甘えが出てしまう千代子である。


「悪魔結界を破らなきゃ、半屍鬼グールに喰い殺されちゃうところだったんですよ!?」


半屍鬼グールねぇ」


 皆無かいなが顎で屋敷の入り口の方を示す。


壱文字いちもんじ少尉!」


 見れば、半屍鬼グール化したはずの大尉が屋敷から出てきたところであった。


「貴様、正気に戻ったんだろうな!?」


「た、大尉殿!? あわ、あわわ……」


 大尉に南部式の銃口を向けられ、慌てて両手を上げる千代子である。


 さらに続々と、屋敷の中から紫色のストールを付けた第七旅団員たちが出てくる。

 大尉も彼らも、半屍鬼グール化などしていない。


「さんざん人の防疫能力を疑っておきながら、自分はあっさりと悪魔デビルの精神汚染魔術に侵されおって!」


 そう。

 半屍鬼グールなど、最初からいなかったのだ。

 いや、最初に大尉と自分を襲った三人の使用人は半屍鬼グールだったのだろう。

 だが、その後に自分が半屍鬼グールだと思い込んでいたのは全員――大尉も含めて――れっきとした人間だったのだ!





 全ては、逆転していたのだ!





 味方だと思っていた『皆無デビル』こそが敵で、敵だと思い込まされていた悪魔祓師グールたちこそが味方だった。

 半屍鬼グールたちが拳銃や十字独鈷杵とっこしょを使い、組織的かつ知性的な動きをするのは当然の話であった。

 そして、あれほどの半屍鬼グールの大軍に囲まれても自分が無傷だったのは、きっと第七旅団員たちがこちらに銃弾が当たらないように配慮してれたからなのだろう。


「あぁぁ……私は、何てことを」


 千代子は頭を抱える。

 思い返せば、おかしな点はいくつもあった。


 いつの間にか気にならなくなっていたニセ皆無かいなの悪臭――あれは、武器商の姿をしていた悪魔デビルが放っていた腐臭そのものではないか。


『【偉大なる狩人よ・あまねく動物を従えし偉大なる公爵馬羅鳩バルバトスよ・臣にその目を貸したもう――鷹の目クレアヴォイアンス】』


皆無デビル』の詠唱を聞いたときの違和感。

 第七旅団の悪魔祓師ヱクソシストたちは徹底した合理主義者であり、悪霊デーモン悪魔デビルはらうためなら当の悪魔デビルが司る魔術すら使う。


 だから、『皆無デビル』が悪魔公爵馬羅鳩バルバトスの魔術を使うこと自体に矛盾はない。

 ないが、一体全体何処どこの世界に、自分のことを憎き悪魔デビルの『家臣』と呼び、悪魔デビルに対して尊敬語を使う悪魔祓師ヱクソシストがいるというのだろうか?


 いないのだ。

 アレを詠唱した『皆無かいな』は、悪魔デビルだったのだ。

 下級悪魔デビルが上級悪魔デビルに対して然るべき言葉遣いをした、というわけである。


皆無デビル』の額にあった十字架の焼き印。

 あれは、他ならぬ千代子自身が南部式を投げつけたときにできた傷だったのだ。

 手元にある南部式は、他ならぬ千代子の物だ。

 渡された南部式拳銃のゼロインの距離が同じだったのも、当然のこと。


『詠唱しながら聞け。最後のは屋敷の南端にある』


 袋小路に追い詰められたとき、『皆無デビル』はくいのことを十字架と言った。

 きっと、悪魔祓師ヱクソシストたちに追い込まれ、焦って本当のことを口にしてしまったのだろう。


 ――そう、庭の端に見えるアレは杭ではなく、十字架だ。

 禍々しく見えたのは、悪魔デビルの精神汚染魔術によるものだろう。

 杭のように見えていたのも魔術によるものか。

 少なくとも今、探照灯に照らし出されている十字架は、ちゃんと十字架の形をしている。

 そして、十字架の上部に意匠されている獅子しし、牛、ワシ、人の顔といえば、


智天使ケルビム! ――天使位階二位に列せられる、四面よんめん四翼よんよくの天使!!)


 自分は、悪魔結界に閉じ込められているとばかり思っていた。

 が、思い返してみれば、半屍鬼グール――だと思い込んでいた悪魔祓師ヱクソシストたち――は結界を、窓を乗り越えてきていた。


(――あッ!)


 千代子は今さらながらに気付く。

 自分が『外に出られない』という『皆無デビル』の言葉を妄信し、自ら窓ガラスに触れることすらしていなかったことに!


(な、何てこと……)


「ほら、戦闘中や。ちゃんと立ちぃ」


 皆無かいな――正真正銘の人間・皆無かいな少佐が手を差し伸べてれる。


「す、すみません」


 自分より背の低い相手に引っ張り起こされて、千代子は何だか変な心地になる。


「――って、戦闘中!? あの悪魔デビルは自爆したんじゃ!?」


「まだ、生きとる」


 皆無かいなの両目が赤いヱ―テル光を帯びている。


「気配は感じるから、そう遠くには行っとらんはず――見ぃつけた!」


 皆無かいなが南部式を放り捨て、虚空から長大な小銃――試製参拾伍さんじゅうご年式村田自動小銃改を取り出す。


(こ、【虚空庫】を無詠唱でッ!?)


 千代子は目を剥く。

 自分が死に瀕してようやく実現した奇跡を、この少年は鼻歌交じりにやってみせたのだ。

 千代子の驚愕は、さらに続く。


「ナルホド。馬羅バルばと悪魔遺物アーティファクトに風見鶏、か。洒落が利いとる――何とも人間の関心アストラルを集めそうな取り合わせやなァ!」


 皆無かいなが握る村田銃が、みるみるうちに真っ白な輝きを放ち始めたからだ。

 探照灯の明かりの中でもなお分かる、直視できないほどのヱ―テル光。

 皆無かいなが屋敷の屋根の上――風見鶏に銃口を向けて、


「【AMEN】!」


 撃った。

 途端、

 太陽、と見まごうばかりの巨大な光を帯びた弾丸が飛び出し、風見鶏に殺到する!


(な、な、な――ッ!? 祈りの言葉もなしに、なんて威力ッ!?)


 が、悪魔デビルは、


(――無傷!?)


 風見鶏の前に光り輝く盾が現れ、皆無かいなによる奇跡のような一撃をあっさりと弾いてしまった。


「脆弱な悪魔祓師ヱクソシストめが」


 風見鶏がみるみるうちに大きくなっていき、腕が生え、脚が伸び、鳥頭を持った人間のような姿になる。


「そんな脆弱な攻撃が効くとでも?」


 悪魔デビルが鳥の口を歪めて嘲笑する。

 その手には、異人商人が持っていたマスケット銃――悪魔遺物アーティファクトが握られている。


「そうかい。ほんなら――【二面二臂のアグニ・十二天の一・炎の化身たる火天かてんよ】」


 皆無かいなの前に火天の曼陀羅まんだらと、


「【神に似たる者・大天使聖ミカヱルよ・清き炎で悪しき魔を祓い給え】」


 生命樹セフィロトが立ち現われる。


(【神使火撃ミカヱル・ショット】ぉ~~~~ッ!?)


 千代子は仰天する。

 一発撃つだけでも五年は寿命が縮むという、秘中の秘術。

 第七旅団全体の中でも使い手が数えられるほどしかいない究極の攻撃神術を、皆無かいなが使い始めたからだ。


 庭に展開する第七旅団員たちも、一斉に慌てふためき始める。

 が、『こんな幼い子供が【神使火撃ミカヱル・ショット】を!?』とか『そんなのを使ったら寿命が縮んでしまう!』という千代子の驚き方とは、どうも異なる。


「総員、十字独鈷杵とっこしょ全力展開ッ!!」


 隊長らしき中佐が叫んでいる。


智天使ケルビムス四方十字結界・シール班、修復まだか!? ええい、簡易展開でいいから急げ急げ急げッ!!」


 そんな隊員たちの恐慌などお構いなしに、


「【AMEN】ッ!!」


 皆無かいなが、村田銃の引き金を引いた。

 同時、視界を覆い尽くすほどの巨大な火の玉が銃口から飛び出す!


「効カヌわァ!!」


 悪魔デビルが吠えた。

 悪魔デビルが構えるマスケット銃から、どす黒い炎の塊が射出され、皆無かいなの【神使火撃ミカヱル・ショット】を迎え撃つ!

 赤と黒の炎が激突する。





 ごう、という音とともに、空が揺れた。





 まず最初に、強烈な熱波が地上に降り注いできた。

 庭の樹木に炎の花が咲き、草花が一瞬で灰となる。

 中佐の指示通りに十字独鈷杵とっこしょの【物理防護結界アンチマテリアルバリア】を展開したおかげで、千代子は九死に一生を得た。

 だが、続いて猛烈な風が空に向かって吹き上がり、


「きゃぁぁああ~~~~ッ!?」


 体が巻き上げられそうになる!


「つくづく手が掛かるやっちゃなぁ」


 そんな千代子の足首を皆無かいながつかむ。


「ぷげっ!?」


 暴風が収まり、千代子は顔面から落下する。


「ううぅ……」


 鼻っ面を抑えながら起き上がると、周囲の旅団員たちは器用にも【物理防護結界アンチマテリアルバリア】を地面にめり込ませ、体が浮き上がるのを防いでいた。


(慣れてる……? この異常事態に!? ――そうだ、あの悪魔デビルは!? あんな攻撃を喰らったらさすがに――)


 屋根の上を見上げ、千代子は目を疑う。

 悪魔デビルが五体満足で立っていたからだ。


「ははハァッ! さすがは馬羅鳩バルバトス様の猟銃だッ!!」


 悪魔デビルがマスケット銃を構える。

 銃口に、再びすさまじい量のヱ―テル反応。


「対象を丁種ていしゅ悪魔デビルからへい種――いや、おつ悪魔デビルに再認定」


 皆無かいなが虚空からもう一丁の村田銃を引きずり出しながら、獰猛に微笑む。


「全力でやらせていただいても構いませんね、中佐殿?」


「狙うなら空にするんだぞ!? あんなものを撃ち込まれたら、屋敷どころか土地ごとなくなってしまう!」


 中佐が泣きそうになりながら皆無かいなたしなめている。

 見れば屋敷は、結界で守られているにも関わらず黒焦げだ。

 結界の境界面から外の世界は火の海になるのを免れているが、このバケモノ――皆無かいな少佐が全力で暴れたとしたら、果たして無事で済むのだろうか。


「善処します」


 言ったそばから、皆無かいなが構える二丁の村田の銃口に【神使火撃ミカヱル・ショット】の生命樹セフィロト曼陀羅まんだらが展開される。


(む、無詠唱で!?)


 千代子は驚くが、いい加減、驚くこと自体がばかばかしくなってきている。

 見上げれば、敵悪魔デビルの方もまた、マスケットの銃口にどす黒いヱ―テル光を湛えつつある。


「【AMEN】ッ!!」


「人間風情がァァアアアッ!!」


 そうして、地獄の射撃戦が幕を開けた。





 ドッカン

   バッコン





 千代子たちの頭上で、致死量の花火が咲き乱れる。

 何発も、何発も。


 八発式の村田の弾が切れれば、皆無かいなはその銃を天高く放り上げる。

 もう一丁の方で射撃を持続させながら虚空に手を突っ込み、取り出した弾倉を降ってきた村田に空中で差し替える。


 途切れることのない射撃。

 その一発々々が【神使火撃ミカヱル・ショット】。


(じゅ、寿命……)


 一発で五年縮むと言われている奥義を、すでに数十発。

 つまりこの少年の――士官学校時代で『ヱ―テルお化け』と言われた千代子をして心胆しんたんさむからしめるようなバケモノのヱ―テル総量は、【神使火撃ミカヱル・ショット】の数発や数十発で尽きる程度のものではない、ということだ。


(けど、それに対抗し得る悪魔デビルの方も――)


 バケモノだ。

 バケモノ同士の饗宴きょうえん、狂宴だ。


(何……? この……何……?)


 生家や士官学校で学んできた常識をごっそりと覆され、卒倒しそうになる千代子である。


「あはァッ! 雑魚悪魔デビル風情が、頭が高い!」


 皆無かいなが悪魔的にわらう。

 ふと、皆無かいなの展開する生命樹セフィロト曼陀羅まんだらの色が変わった。


(あれは――【追尾風撃ラファヱル・ショット】!?)


 千代子が使える最強の術式、曲がる弾丸だ。


「【AMEN】、【AMEN】、【AMEN】」


 皆無かいなが数発の【追尾風撃ラファヱル・ショット】を空に打ち上げる。

 ヱ―テル光の翼を帯びた弾丸が、ひどくゆっくりと舞い上がる。

 そして、


「よっと」


「えええええええええええッ!?」


 皆無かいなが、銃弾を階段にして夜空に駆け上がった!


「出た! 少佐殿の曲芸!」

「いつ見てもすげぇな!」


 自身を結界しつついくさを見守る隊員たちの口から、感嘆の声。


 皆無かいなが弾道を思うさま操りつつ、屋根の上の悪魔デビルに肉薄する!


「【AMEN】ッ! 【AMEN】ッ!!」


悪魔祓師ヱクソシストォォオオオッ!!」


 二枚の翼で空に舞い上がる悪魔デビルと、銃弾を足場にして縦横無尽に空を駆ける皆無かいな


 悪魔デビルはマスケット銃を触媒にしつつも、実弾ではなくヱ―テルを直接射出している。

 弾を込める動作が不要な分、連射速度は速い。

 が、悪魔デビルの銃は一丁。


 対する皆無かいなは二丁だ。

 自身の背丈よりもなお長大な退魔銃を杖か何かのように軽々と振り回している。


 じょじょに皆無かいなが射撃力で圧倒するようになっていき、やがて皆無かいな悪魔デビルを追い回すような展開になる。


「行けッ! そこだ!」

「当たれ! あああ、惜しい!」


 第七旅団員たちの、のんきな声援。


「あ、あのっ、加勢しないのですか!?」


 千代子はやきもきして、近くにいた尉官に尋ねる。


「ん?」


 尉官が首を傾げ、隣の同僚と笑い合ってから、


「できると思うか、新兵?」


「あ、ええと……」





 ドッカン

   バッコン


   ドッカン

     バッコン


     ドッカン

       バッコン





「俺たちが下手に加勢したら、少佐殿の邪魔になる。アレは特別だよ。あんないくさができるのは、皆無かいな少佐殿だけだ」


「そうそう。俺たちにできるのは、自分の身を守りつつ祈ることだけさ」


「祈る、でありますか?」


 もう一人の尉官の言葉に、千代子は首を傾げる。


「そう。神ならぬ悪魔に。我らが女神・璃々栖リリス様と、その眷属けんぞく皆無かいな少佐殿に」


「リリス……?」


 何やら初めて聞く単語が出てきた。

 いや、『リリス』とは広くユダヤ教・基督キリスト教圏で恐れられている女悪魔の名前だが、


「それが、女神???」


 そのとき、


「【AMEN】ッ!!」


「ギャァアアアアッ!!」


 頭上で、ひときわ大きな火炎の花が咲いた。

 見れば、敵悪魔デビルが片腕を吹き飛ばされている!


皆無かいなくん!)


 今や皆無かいなが、至近距離で村田の銃口を悪魔デビルの眉間に突きつけている。

 これならば――


(勝てるッ!)


「これでお仕舞いや! ――【AMEN】ッ!!」


 だが。

 銃口から出てきたのは、光も炎もまとっていない、ただの銃弾だった。

 銃弾は悪魔デビルに傷一つつけられない。


「「…………あれ?」」


 皆無かいなと千代子の疑問符が、重なった。

 と同時、皆無かいなの足場になっていた翼付きの銃弾たちが力を失い、落下し始めた。

 当然、皆無かいなも落ちてくる。


「あああッ! 少佐殿が燃料切れだ!」

まずい拙い拙い!」


 慌て始める周囲の旅団員たち。


「我らで時間を稼ぐぞ!」


 隊長の中佐が号令を掛ける。


「対空戦闘用意ッ! 十字独鈷杵とっこしょ全力展開ッ!!」


 誰も、皆無かいなを助けに行こうとしない。


「わぁぁぁああ!? 皆無かいなくんッ!?」


 千代子は大慌てで皆無かいなの落下地点にまで走り、


「ふんんんんッ!!」


 皆無かいなを抱き留めた。

 また、肩が外れるかと思った。


「助けは無用やで、新兵」


 皆無かいなが千代子の腕の中から飛び降りて、


「お~い、璃々栖リリス


 明後日の方向に呼び掛けた。


「ヱ―テルないなってしもた! 頼むわ」













「あはァッ! まったく、手の掛かる下僕じゃのぅ」













 びっくりするほどつややかで、何とも言えず可愛らしい声。

 いつの間にか――本当にいつの間にか、千代子の背後に金髪の少女が立っていた。

 身長は千代子と同じくらい……一五〇サンチと一六〇サンチの間くらいか。

 西洋風の容姿は芸術作品のように整っていて、その瞳は真っ赤に輝いている。

 容姿は人間そっくりだが、耳がやや尖っており、そして人間にはあり得ない、二本のツノが生えている。

 和装をしたそのナニカは、


「ほれ、顎を上げよ」


 顎を上げた皆無かいなの唇へ、かぶりつくような接吻をした。


「!? !? !?」


 突如、目の前で始まった許嫁と知らない女の痴態に、呼吸を忘れる千代子。

 皆無かいなのどが何度か鳴り、


「っぷはぁッ! も、もういい! これ以上は酔う!」


 口を離した二人の間に唾液の橋が架かる。

 その橋がまとう光は――


(ヱ―テル光……?)


「軟弱な下僕じゃ。こ~んなみみっちい量のヱ―テルだけで音を上げるとは! よもやとの口付けを欲するあまりに、わざと小出しにさせておるのではあるまいな?」


「ちゃ、ちゃうわけぇ!」


ほうけはそなたの方じゃ。ほれ、来るぞ」


 異人女性が顎で示した方を見やれば、


「処女ノ血肉ゥゥウウウウウッ!!」


 悪魔デビルが旅団員たちによる天使弾ヱンジェルバレットを跳ね退けながら、こちらに吶喊とっかんしてくるところだった。

 こちら――千代子じぶんに向かって!


「ヒッ――」


 慌てて十字独鈷杵とっこしょを掲げるが、結界は悪魔デビルの腕のひと振りで砕かれてしまう。


「きゃあッ!」


「お前の相手は、僕やで」


 皆無かいなが割って入ってきて、悪魔デビルを殴った。

 たったそれだけのことで、悪魔デビルの腕が弾け飛ぶ!


「ギャァアアッ!? 貴様、ソの力はまサか――ッ!?」


 悪魔デビルが羽ばたき、空へ逃げ出そうとする。

 すかさず皆無かいなが村田銃を構えるが、


皆無かいなよ、愛しき我が子よ」


 異人の少女が言った。

 少女の顔に張り付いているのは、何とも嗜虐的な――そう、『悪魔的な』と表現するのがぴったりな笑顔。


「悪魔なら――の眷属なら、悪魔らしく戦え」


「はぁ……分かったって」


 いつの間にか、皆無かいなの頭に二本のねじれたツノが生えており、また背中からは蝙蝠コウモリのような翼が生えている。

 皆無かいながその翼で羽ばたき、悪魔デビルを追う。

 あっという間に追いついた。


「逃げんなや」


 皆無かいな悪魔デビルの羽をむしり取る。

 それから悪魔デビルの足首をつかみ、悪魔デビルの体をぶんぶんと振り回す。

 今や両腕をつぶされ、抵抗もままならない悪魔デビルを、皆無かいなが天高く放り上げる。


 一方的な戦いだった。

 いや、『戦い』ですらない。

 これは、『遊び』だ。

 無邪気な子供が、トンボのはねをむしり取っているようなものだ。


「【三つの暴力・女面鳥ハーピーついばまれし葉冠ようかん呵責かしゃくほり】――」


 詠唱とともに、皆無かいなの頭上に血のように赤い魔法陣が浮かび上がる。

 皆無かいなから放たれるヱ―テル波があまりにも激しくて、千代子は立っていられない。


「【苦患くかんの森に満ちる涙よ雨となり・煮えたぎる血の河と成せ】」


 皆無かいなが魔法陣に触れる。

 魔法陣の先にいるのは、成す術もなく自由落下している悪魔デビルだ。


「【パペサタン・パペサタン・アレッペ・プルートー】」


 夜空に渦巻いていたヱ―テルの奔流が、魔法陣に収束する。

 皆無かいなが――いや、大悪魔グランドデビルアノクタラカイナが、結びの句を口にする。


「――――【第七地獄火炎プレゲトン】ッ!!」


 空が、炎で満たされた。





   ❖   ❖   ❖   ❖





 空を覆う炎が消えるまでに、数分を要した。

 敵悪魔デビルは跡形もなく消滅した。


「いよっ、皆無かいな少佐!」

悪魔デビルにして俺たちの救世主メシア!」

阿栖魔アスモ大明神だいみょうじん!」


 空から降りてきた皆無かいなを、若手の隊員たちがはやし立てる。

 が、彼らは古参ベテラン将校に尻を蹴られて戦後の片付けに奔走し始める。


(やっぱり慣れてる……)


 つまり、このような滅茶苦茶な戦闘は日常茶飯事なのだ。


「ようやったのぅ」


 千代子の隣にいた異人の美少女が、嗜虐的な笑みとともに皆無かいなに語り掛ける。


璃々栖リリス!」


 皆無かいなが少女に駆け寄る。

 笑顔だ。

 千代子に対して見せる泰然とした笑みではなく、年相応の子供のような笑顔。


「乙種悪魔デビルを瞬殺とは、さすがは予の子供じゃァ」


「せやから、僕を餓鬼ガキ扱いすんなや! 僕は軍人で、立派な大人やで」


「あはァッ! 自ら大人だとうそぶいておるうちは子供じゃァ。背丈もこぉんなに小さいしのぅ!」


「~~~~ッ!!」


 二人のやり取りは、まるで仲の良い姉弟のようだ。


皆無かいなくん、可愛い……じゃなかった!)


 千代子は思い出す。

 自分の許嫁たる皆無かいなが、目の前に立つ異人の美少女と口付けしていたことを、だ。


(私という相手がおりながら……でもなかった!)


 千代子はさらに思い出す。

 皆無かいなが、まるで悪魔デビルのような翼を背中から生やし、人間離れした力と魔術で乙種悪魔デビルを瞬殺したことを、だ。


(人間離れした――人間離れ……)





 ――神戸には、悪魔デビルになった悪魔祓師ヱクソシストがいるらしい。





 千代子が神戸への緊急呼集命令を受けたころ、横浜鎮台ちんだいはそのウワサでもちきりだった。


 それは、今から四日前のこと。

 神戸港に、一体でも現れれば日本国が滅びかねない大災厄――こう悪魔デビル顕現けんげんした、と。

 そして、ちょうどその場に居合わせて、災厄に挑み、破れ、使い魔にされた幼い単騎少佐がいるのだと。


「と、とととということはつまり――…」


 千代子は戸惑いながら、和装の西洋人を見る。

 格子模様の着物、暗闇でもなお生える臙脂えんじむらさき色の袴、編み上げの革靴といった和洋わよう折衷せっちゅうな衣装に身を包んだ金髪赤眼の少女を。


「ん? か?」


 金髪の美少女が妖艶ようえんに、そして獰猛どうもうに微笑む。


「予は偉大なる七大魔王セブンスサタンが一柱・阿栖魔台アスモデウス王が長子にして、やがて王位を襲う者――璃々栖リリス阿栖魔台アスモデウスである」


 そうして千代子は、ようやく――まさしく、ようやくと言ってよいほどの時間をもって、気付いた。


 和装に身を包む少女・璃々栖リリスの、両肩から先がないことに。

 ――少女が、両腕を持たないことに。





   ❖   ❖   ❖   ❖





     明治悪魔祓師異譚

    『腕ヲクシタ璃々栖リリス


      発刊記念短篇

     『吾輩ハ猫ニあらズ』


    ――ココニ開幕ス。





   ❖   ❖   ❖   ❖





「これでようやく、一件落着……」


「まだじゃぞ」


 千代子の呟きを、腕なし少女・璃々栖リリスが遮った。

 少女の瞳が、赤いヱ―テル光をまとっている。


「まだ、彼奴きゃつめの残滓が残っておる」


「「ど、何処どこに!?」」


 二人して周囲を見回す千代子と皆無かいな

 ふと、千代子と皆無かいなの視線が絡み合う。


「あー……」


 皆無かいなが天を仰いだ。


「すまん、壱文字いちもんじ少尉」


 皆無かいなが虚空から南部式自動拳銃を引っ張り出し、


「――悪く思うなや?」


 銃口を、千代子に向けた。


「え?」


 銃声とともに、千代子の意識は途切れた。

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