弐「死別と、そして」
「
光り輝く弾丸――
「
千代子は
「
「――そいつから離れろッ!!」
そのとき、少女のような声が千代子の耳に飛び込んできた。
「…………え?」
千代子が顔を上げると同時、視界が
逆光の中から、軍服姿の小柄な少年が駆け寄ってくる。
その少年が
「
「グギャァァアァアァォォォオオオオオォオオオオオッ!!」
突如として
亡骸の喉からどす黒い液体が――質量をすら感じさせるほど濃密なヱ―テルが溢れ出てきて、千代子の口の中に入り込もうとする!
「【AMEN】ッ!!」
少年の、鈴の鳴るような声。
と同時、光り輝く銃弾がヱ―テルを霧散させる。
「マダダ! マダダァアアァアァアアアアアアッ!!」
その腕が、脚が膨張していく。
肋骨服がはじけ飛び、中から腸が、臓物が個々の生き物のように這い出してくる。
「処女ノ血肉ゥゥゥウウウウウウウゥウウッ!!」
「お前、ええっと、少尉! さっさとそいつから離れろ!!」
千代子もそうしたい。
が、腰が抜けてしまって動けない。
バケモノがにわかに光り輝き、そして、
「喰ワセロォォオオォオオォォォオオオオオッ!!」
――爆発した!
「きゃぁあああッ!!」
どす黒い炎に包まれ、千代子は目を閉じる。
……………………
…………
……
今度こそ、死んだ、と思った。
「…………うっ」
だが、背中の激痛のおかげで、まだ生きているのだと千代子は自覚する。
目を開くと、少年が千代子に覆いかぶさっていた。
その小柄な背中が防護結界の光を帯びつつも、チリチリと焼け焦げている。
――
「き、キミ! 大丈夫!?」
「けふっ……ぷはぁっ」
何とも可愛らしい咳とともに、少年が顔を上げる。
少年の頭から軍帽が落ちる。
「き、キミは――――……あっ」
少年の顔を至近距離で見つめ、千代子は束の間、呼吸を忘れた。
「――――
ザンギリ頭、二重まぶたの大きな目、すっと通った鼻筋。
彫りが深めの、日本人離れした容姿。
まるで西洋人形のような、中性的な美貌。
見慣れた顔だった。
親が勝手に決めた許嫁なんてと
三つ年下の許嫁が、そこにいた。
が、千代子はほとんど重さを感じない。
それもそのはずで、
小さい――そう、全体的に小さいのだ。
十三歳の、子供の体。
千代子が先ほどまで見ていたあの『
異人商人を
「お前、新兵か? ったく、手の掛かる――」
そんな子供の
――ふにゅっ
「「……あっ」」
千代子の自慢の、乳房である。
「「…………」」
束の間、二人して無言で見つめ合う。
が、
「!? !? !? うわぁ~~~~ッ!?」
少女のような悲鳴とともに飛び起きた。
「――――……」
千代子は何だかニマニマしてしまう。
『親が勝手に決めた』と言いながら、内心ではひそかにずっと楽しみにしていた許嫁との
ついに出逢えた許嫁が
しかも、
「~~~~ッ!!」
――胸が高鳴った。
心臓が、ぎゅっとなる。
今までは写真を眺めるだけだったが、実際に目の前で動き、言葉を発する
(こんなにも可愛らしい生き物が許嫁だなんて!)
同時に、自分が年下趣味であるらしいことを否応なく自覚させられ、白目を剥きたくなる千代子であった。
「き、貴官、名は!?」
帽子をかぶり直した
「
千代子は、微笑ましい。
「所属は?」
「第
「速成大隊――あぁあのヒヨっ子たちの寄せ集め部隊か。いや、訓練期間中のヒヨっ子が実戦投入されるハメになったんは
調子を取り戻したらしい
「貴官なぁ、あの
「え!? あ、あぁぁ……ッ!!」
言われて千代子は思い出す。
頭部を吹き飛ばされた
自分に口付けしようとしてきた『
自分は、間違いなく死ぬところだったのだ!
「しかも、
「あああッ!?」
千代子はようやく全てを理解した。
理解して、自分がしでかしてしまったことの責任の重さに青くなる。
自分は、
「で、でも、私だって必死で!」
少尉たる自分が雲の上の存在たる少佐相手に口答えなど、万死に値する。
が、相手が年下かつ許嫁ということで、ついつい甘えが出てしまう千代子である。
「悪魔結界を破らなきゃ、
「
「
見れば、
「貴様、正気に戻ったんだろうな!?」
「た、大尉殿!? あわ、あわわ……」
大尉に南部式の銃口を向けられ、慌てて両手を上げる千代子である。
さらに続々と、屋敷の中から紫色のストールを付けた第七旅団員たちが出てくる。
大尉も彼らも、
「さんざん人の防疫能力を疑っておきながら、自分はあっさりと
そう。
いや、最初に大尉と自分を襲った三人の使用人は
だが、その後に自分が
全ては、逆転していたのだ!
味方だと思っていた『
そして、あれほどの
「あぁぁ……私は、何てことを」
千代子は頭を抱える。
思い返せば、おかしな点はいくつもあった。
いつの間にか気にならなくなっていたニセ
『【偉大なる狩人よ・あまねく動物を従えし偉大なる公爵
『
第七旅団の
だから、『
ないが、一体全体
いないのだ。
アレを詠唱した『
下級
『
あれは、他ならぬ千代子自身が南部式を投げつけたときにできた傷だったのだ。
手元にある南部式は、他ならぬ千代子の物だ。
渡された南部式拳銃のゼロインの距離が同じだったのも、当然のこと。
『詠唱しながら聞け。最後の
袋小路に追い詰められたとき、『
きっと、
――そう、庭の端に見えるアレは杭ではなく、十字架だ。
禍々しく見えたのは、
杭のように見えていたのも魔術によるものか。
少なくとも今、探照灯に照らし出されている十字架は、ちゃんと十字架の形をしている。
そして、十字架の上部に意匠されている
(
自分は、悪魔結界に閉じ込められているとばかり思っていた。
が、思い返してみれば、
(――あッ!)
千代子は今さらながらに気付く。
自分が『外に出られない』という『
(な、何てこと……)
「ほら、戦闘中や。ちゃんと立ちぃ」
「す、すみません」
自分より背の低い相手に引っ張り起こされて、千代子は何だか変な心地になる。
「――って、戦闘中!? あの
「まだ、生きとる」
「気配は感じるから、そう遠くには行っとらんはず――見ぃつけた!」
(こ、【虚空庫】を無詠唱でッ!?)
千代子は目を剥く。
自分が死に瀕してようやく実現した奇跡を、この少年は鼻歌交じりにやってみせたのだ。
千代子の驚愕は、さらに続く。
「ナルホド。
探照灯の明かりの中でもなお分かる、直視できないほどのヱ―テル光。
「【AMEN】!」
撃った。
途端、
太陽、と見まごうばかりの巨大な光を帯びた弾丸が飛び出し、風見鶏に殺到する!
(な、な、な――ッ!? 祈りの言葉もなしに、なんて威力ッ!?)
が、
(――無傷!?)
風見鶏の前に光り輝く盾が現れ、
「脆弱な
風見鶏がみるみるうちに大きくなっていき、腕が生え、脚が伸び、鳥頭を持った人間のような姿になる。
「そんな脆弱な攻撃が効くとでも?」
その手には、異人商人が持っていたマスケット銃――
「そうかい。ほんなら――【二面二臂のアグニ・十二天の一・炎の化身たる
「【神に似たる者・大天使聖ミカヱルよ・清き炎で悪しき魔を祓い給え】」
(【
千代子は仰天する。
一発撃つだけでも五年は寿命が縮むという、秘中の秘術。
第七旅団全体の中でも使い手が数えられるほどしかいない究極の攻撃神術を、
庭に展開する第七旅団員たちも、一斉に慌てふためき始める。
が、『こんな幼い子供が【
「総員、十字
隊長らしき中佐が叫んでいる。
「
そんな隊員たちの恐慌などお構いなしに、
「【AMEN】ッ!!」
同時、視界を覆い尽くすほどの巨大な火の玉が銃口から飛び出す!
「効カヌわァ!!」
赤と黒の炎が激突する。
まず最初に、強烈な熱波が地上に降り注いできた。
庭の樹木に炎の花が咲き、草花が一瞬で灰となる。
中佐の指示通りに十字
だが、続いて猛烈な風が空に向かって吹き上がり、
「きゃぁぁああ~~~~ッ!?」
体が巻き上げられそうになる!
「つくづく手が掛かるやっちゃなぁ」
そんな千代子の足首を
「ぷげっ!?」
暴風が収まり、千代子は顔面から落下する。
「ううぅ……」
鼻っ面を抑えながら起き上がると、周囲の旅団員たちは器用にも【
(慣れてる……? この異常事態に!? ――そうだ、あの
屋根の上を見上げ、千代子は目を疑う。
「ははハァッ! さすがは
銃口に、再びすさまじい量のヱ―テル反応。
「対象を
「全力でやらせていただいても構いませんね、中佐殿?」
「狙うなら空にするんだぞ!? あんなものを撃ち込まれたら、屋敷どころか土地ごとなくなってしまう!」
中佐が泣きそうになりながら
見れば屋敷は、結界で守られているにも関わらず黒焦げだ。
結界の境界面から外の世界は火の海になるのを免れているが、このバケモノ――
「善処します」
言ったそばから、
(む、無詠唱で!?)
千代子は驚くが、いい加減、驚くこと自体がばかばかしくなってきている。
見上げれば、敵
「【AMEN】ッ!!」
「人間風情がァァアアアッ!!」
そうして、地獄の射撃戦が幕を開けた。
ドッカン
バッコン
千代子たちの頭上で、致死量の花火が咲き乱れる。
何発も、何発も。
八発式の村田の弾が切れれば、
もう一丁の方で射撃を持続させながら虚空に手を突っ込み、取り出した弾倉を降ってきた村田に空中で差し替える。
途切れることのない射撃。
その一発々々が【
(じゅ、寿命……)
一発で五年縮むと言われている奥義を、すでに数十発。
つまりこの少年の――士官学校時代で『ヱ―テルお化け』と言われた千代子をして
(けど、それに対抗し得る
バケモノだ。
バケモノ同士の
(何……? この……何……?)
生家や士官学校で学んできた常識をごっそりと覆され、卒倒しそうになる千代子である。
「あはァッ! 雑魚
ふと、
(あれは――【
千代子が使える最強の術式、曲がる弾丸だ。
「【AMEN】、【AMEN】、【AMEN】」
ヱ―テル光の翼を帯びた弾丸が、ひどくゆっくりと舞い上がる。
そして、
「よっと」
「えええええええええええッ!?」
「出た! 少佐殿の曲芸!」
「いつ見てもすげぇな!」
自身を結界しつつ
「【AMEN】ッ! 【AMEN】ッ!!」
「
二枚の翼で空に舞い上がる
弾を込める動作が不要な分、連射速度は速い。
が、
対する
自身の背丈よりもなお長大な退魔銃を杖か何かのように軽々と振り回している。
じょじょに
「行けッ! そこだ!」
「当たれ! あああ、惜しい!」
第七旅団員たちの、のんきな声援。
「あ、あのっ、加勢しないのですか!?」
千代子はやきもきして、近くにいた尉官に尋ねる。
「ん?」
尉官が首を傾げ、隣の同僚と笑い合ってから、
「できると思うか、新兵?」
「あ、ええと……」
ドッカン
バッコン
ドッカン
バッコン
ドッカン
バッコン
「俺たちが下手に加勢したら、少佐殿の邪魔になる。アレは特別だよ。あんな
「そうそう。俺たちにできるのは、自分の身を守りつつ祈ることだけさ」
「祈る、でありますか?」
もう一人の尉官の言葉に、千代子は首を傾げる。
「そう。神ならぬ悪魔に。我らが女神・
「リリス……?」
何やら初めて聞く単語が出てきた。
いや、『リリス』とは広くユダヤ教・
「それが、女神???」
そのとき、
「【AMEN】ッ!!」
「ギャァアアアアッ!!」
頭上で、ひときわ大きな火炎の花が咲いた。
見れば、敵
(
今や
これならば――
(勝てるッ!)
「これでお仕舞いや! ――【AMEN】ッ!!」
だが。
銃口から出てきたのは、光も炎も
銃弾は
「「…………あれ?」」
と同時、
当然、
「あああッ! 少佐殿が燃料切れだ!」
「
慌て始める周囲の旅団員たち。
「我らで時間を稼ぐぞ!」
隊長の中佐が号令を掛ける。
「対空戦闘用意ッ! 十字
誰も、
「わぁぁぁああ!?
千代子は大慌てで
「ふんんんんッ!!」
また、肩が外れるかと思った。
「助けは無用やで、新兵」
「お~い、
明後日の方向に呼び掛けた。
「ヱ―テルないなってしもた! 頼むわ」
「あはァッ! まったく、手の掛かる下僕じゃのぅ」
びっくりするほど
いつの間にか――本当にいつの間にか、千代子の背後に金髪の少女が立っていた。
身長は千代子と同じくらい……一五〇サンチと一六〇サンチの間くらいか。
西洋風の容姿は芸術作品のように整っていて、その瞳は真っ赤に輝いている。
容姿は人間そっくりだが、耳がやや尖っており、そして人間にはあり得ない、二本の
和装をしたそのナニカは、
「ほれ、顎を上げよ」
顎を上げた
「!? !? !?」
突如、目の前で始まった許嫁と知らない女の痴態に、呼吸を忘れる千代子。
「っぷはぁッ! も、もういい! これ以上は酔う!」
口を離した二人の間に唾液の橋が架かる。
その橋が
(ヱ―テル光……?)
「軟弱な下僕じゃ。こ~んなみみっちい量のヱ―テルだけで音を上げるとは! よもや
「ちゃ、
「
異人女性が顎で示した方を見やれば、
「処女ノ血肉ゥゥウウウウウッ!!」
こちら――
「ヒッ――」
慌てて十字
「きゃあッ!」
「お前の相手は、僕やで」
たったそれだけのことで、
「ギャァアアッ!? 貴様、ソの力はまサか――ッ!?」
すかさず
「
異人の少女が言った。
少女の顔に張り付いているのは、何とも嗜虐的な――そう、『悪魔的な』と表現するのがぴったりな笑顔。
「悪魔なら――
「はぁ……分かったって」
いつの間にか、
あっという間に追いついた。
「逃げんなや」
それから
今や両腕をつぶされ、抵抗もままならない
一方的な戦いだった。
いや、『戦い』ですらない。
これは、『遊び』だ。
無邪気な子供が、トンボの
「【三つの暴力・
詠唱とともに、
「【
魔法陣の先にいるのは、成す術もなく自由落下している
「【パペサタン・パペサタン・アレッペ・プルートー】」
夜空に渦巻いていたヱ―テルの奔流が、魔法陣に収束する。
「――――【
空が、炎で満たされた。
❖ ❖ ❖ ❖
空を覆う炎が消えるまでに、数分を要した。
敵
「いよっ、
「
「
空から降りてきた
が、彼らは
(やっぱり慣れてる……)
つまり、このような滅茶苦茶な戦闘は日常茶飯事なのだ。
「ようやったのぅ」
千代子の隣にいた異人の美少女が、嗜虐的な笑みとともに
「
笑顔だ。
千代子に対して見せる泰然とした笑みではなく、年相応の子供のような笑顔。
「乙種
「せやから、僕を
「あはァッ! 自ら大人だと
「~~~~ッ!!」
二人のやり取りは、まるで仲の良い姉弟のようだ。
(
千代子は思い出す。
自分の許嫁たる
(私という相手がおりながら……でもなかった!)
千代子はさらに思い出す。
(人間離れした――人間離れ……)
――神戸には、
千代子が神戸への緊急呼集命令を受けたころ、横浜
それは、今から四日前のこと。
神戸港に、一体でも現れれば日本国が滅びかねない大災厄――
そして、ちょうどその場に居合わせて、災厄に挑み、破れ、使い魔にされた幼い単騎少佐がいるのだと。
「と、とととということはつまり――…」
千代子は戸惑いながら、和装の西洋人を見る。
格子模様の着物、暗闇でもなお生える
「ん?
金髪の美少女が
「予は偉大なる
そうして千代子は、ようやく――まさしく、ようやくと言ってよいほどの時間を
和装に身を包む少女・
――少女が、両腕を持たないことに。
❖ ❖ ❖ ❖
明治悪魔祓師異譚
『腕ヲ
発刊記念短篇
『吾輩ハ猫ニ
――ココニ開幕ス。
❖ ❖ ❖ ❖
「これでようやく、一件落着……」
「まだじゃぞ」
千代子の呟きを、腕なし少女・
少女の瞳が、赤いヱ―テル光を
「まだ、
「「ど、
二人して周囲を見回す千代子と
ふと、千代子と
「あー……」
「すまん、
「――悪く思うなや?」
銃口を、千代子に向けた。
「え?」
銃声とともに、千代子の意識は途切れた。
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