2. 切なる望み

 翌日、私とガスと影丸とフラン、セシルとユリアさんはお父様のお屋敷の迎賓館の庭に集まった。

「……確かにその造園家から土を買い、リラの木の跡の土に混ぜました」

 迎賓館のお庭を管理する庭師が、すまなそうに身を縮めて話す。桜が終わったらまた隣にリラの若木を植えようと土の準備をしたらしい。

「そうか、いや、咎めるつもりはない。不慮の事故みたいなものだからな。皆と一緒に下がってなさい」

 庭師がぺこぺことお父様とお母様に頭を下げて迎賓館の庭に面した部屋に向かう。もしも、犯人が暴れたときの為、今日は迎賓館にお父様が、お屋敷に勤める全ての使用人を集めているのだ。

「しかし、私はこの庭で『腐土』を感じたことはないが……」

「前にミリーがすごく清々しい力が満ちていると感じたことから、『桜の姫君』がいち早く『腐土』に気付いて、己の精気で封印しているのではないかと」

 それに花を咲かせる力まで使ってしまっているので、姫君は眠った状態になっているのだろうとガスが推論を述べた。

「……なるほどな」

 セシルが腰の剣を抜き、力を込め始める。

「ならば『腐土』がこの場所にあるのは間違いないだろう。ここを浄化しようとすれば……」

 犯人が現れる可能性が高い。

「ユリア、背中を頼む」

「はい」

 ユリアさんも愛用の剣を抜き、セシルの後ろにつく。

「父上と母上は使用人達と共に館にいて下さい。ミリー、お前はガス達を」

「うん」

 お父様とお母様が館に入る。私はショートソードを抜いて、肩に影丸とフランを乗せたガスの前に立った。

 セシルの剣が浄化の白い光を帯び始める。

 ひゅううう……。

 ひんやりとした冷たい風が庭に吹いてくる。桜の固い蕾がその下に咲くスミレの花が揺れる。

「くる」

 影丸が空を指す。

「『腐土』の瘴気だわ……」

 フランがぷるんと震える。私の鼻にも嫌な臭いが届いた。

「いくぞ!」

 セシルが剣を腐葉土を埋めた土の上に刺す。

 ゴウ!! 大きな音を立てて、庭に風が舞った。


 ゴウゴウと腐臭のする風が吹き、大きく庭木の枝を揺らす。池に波を立て、刺した剣を握りしめているセシルを襲う。

「セシル様!」

 その風をユリアさんの剣が断つ。さすが『勇者』の仲間の戦士の子孫。一太刀で風を散らす。

「はあっ!!」

 その間にセシルが土の浄化を終える。

「後はお前だけだ」

 セシルは赤い瞳を細め、風を睨んだ。風が逆巻く。風は『腐土』の瘴気を増し、彼の脇を吹き抜けた。

「むっ!?」

 セシルの紺色の軍服の袖がスパリと切れる。次いで後ろから襲ってきた風をユリアさんが断つ。その間にセシルが剣に浄化の力を込め、風をなぐ。ぱっと紫色の欠片のようなものが散った。その一枚が私の足下に滑ってくる。

「これは……」

 ビンセント家のお庭でナタリー嬢が拾った、そして、私がここで摘んだスミレの花びらにそっくりだ。

「……もしかして……」

 桜の下で揺れているスミレの花に目をやる。他の庭木が枝もちぎれんばかりに風に煽られているのに対して、桜とスミレ、この二つだけは揺れが小さい。

 どういうこと……? 

 私が見ている間にもセシルは剣を振るい、風を切っていく。その度に浄化され、風の渦は小さくなり勢いが弱くなっていく。

「これは……すぐに勝負がつくな」

 ガスがふにゃりと目を細めたとき、薄れていく腐臭に桜の香りが混じった。

「……!!」

 影丸が叫び、私の肩へと飛び移る。

「『桜の姫君』が目覚めたみたい!」

 フランの声の後、ふわりと先程の風とは対照的な暖かな柔らかな風が舞い、セシルに切られ弱っていく風を包むと、その中から紫の花びらをついと飛ばした。


 * * * * *


 ひらり……。暖かな風と共に紫の花びらが影丸の元に飛ぶ。

「…………」

 影丸がそれを受け取ると同時に、私の前にふっと光景が広がった。

 視線が低い。ほぼ地面すれすれの場所から、誰かが『桜の姫君』を見上げている。春の今頃の時期だろうか、淡いピンクの花が美しく咲いている。隣のリラの木はまだ蕾だ。見上げている『何か』はうっとりと姫君を見ていた。

 それが繰り返される。リラの花が咲くまでのわずかに早い期間、『何か』にとって姫君は自分だけのものだった。毎年、毎年、この短い時間を『何か』は幸せな想いで姫君を見上げていた。

 やがて、隣のリラの木が枯れ、掘り起こされ、いなくなる。姫君の嘆きを『何か』はただ他の緑の草に混じって聞いているしかない。

 そして春がまた来た。暖かな風が吹き始め、眠っていた『何か』は目を覚まし姫君を見上げた。しかし、姫君は固い蕾をつけたままだ。眩しい日が差し、土も温くまっても姫君の蕾を閉じたまま。『何か』の胸に不安が広がる。

 リラの君に先立たれた悲しみ余り、姫君も弱ってしまったのだろうか? 

 もしかしたら、姫君もこのままリラの君のように……? 

 それはイヤだ! 

 姫君にまた咲いて欲しい!! 

 これまで同様、私の上で咲き続けて欲しい!! 

 その想いに『何か』の下に鍬込まれた『腐土』が反応する。

 想いは闇に引きずりこまれ、やがて『何か』は風に姿を変え、他の『腐土』を集めながら、咲く前の蕾を襲い、その力を姫君に与え始める。

 ただ姫君の咲くことを望みながら……。


 * * * * *


「ミリー! カゲマル!」

「お嬢! カゲマル! どうしたの!?」

 腕を揺さぶられ、肩をポンポンと叩かれて私ははっと我に返った。ガスが私の左腕を掴み、フランが影丸に体当たりをかましている。

 ビクン! とこちらも目覚めたような影丸が私に向かって、紫の花びらを手に訴えた。

「………………」

「『『桜の姫君』が彼の想いを見せて下さったでごさる』ですって。『どうか、彼を救って下されと』……」

「彼? 救う?」

 ガスが首を傾げる。私は影丸の花びらと足下の花びらを見、桜の下のスミレに目を向けた。見上げる桜の花はあの位置からで違いない。

 『桜の姫君』があまり風で揺れてないのは、『何か』が彼女を傷付けるつもりがないから。そしてスミレが揺れてないのは『何か』の本体が……。

「ガス、スミレなの! スミレがトーマスなの!」

「へ!?」

 ガスが目を丸くする。

 そう『何か』はトーマスなのだ。ただ『桜の姫君』に憧れて、彼女が咲かない心配をしているうちに道を外した。『何か』が私の中で『撫子七変化事件』のトーマスに重なる。

 私の話にガスがふにゃりとした顔をしかめ、眉間に縦皺を刻む。

「……でも『腐土』に侵され変化したモノは……」

 怪物達の枯れ果てた姿が浮かぶ。

「だけど! せめて、トーマスのように少しでも救えれば……!!」

 セシルの剣が空を刻む音が聞こえる。

「このままでは、初めの、ただ願ったはずの『桜の姫君』の花を見ることもなく枯れてしまう……!!」

 私の言葉にガスが目を見開いた。

「そうだ! せめて花だけでも……!」

 影丸に声を掛ける。

「『桜の主』の花びらをミリーに渡してくれないかい?」

 影丸が大きく頷いて、手を翳す。例の父から娘への手紙だという薄ピンクの花びらを出す。

「これに込められた『桜の主』の力を使わせて貰おう。ミリー、これを君の力で増幅して、その力を『桜の姫君』に渡すんだ」

「解った!!」

 影丸から花びらを貰う。私はショートソードを納めると、それを両手に挟み力を込めた。

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