5. 良い旅立ちを
「旦那様、バントウさん、若旦那様、ミリー様、お休みなさい」
勉強を終えた子達が机を片づけ、使用人用の離れに向かう。
静かになった店先で、ガスが火桶に炭を足し、新しい水を入れた鉄瓶を置き、奥から茶葉とポットとカップを持ってきた。
子供達の勉強を終わった後、深夜を告げる寺院の鐘が鳴り裏戸を閉めるまで、こうしてガスとガスのお父さんと番頭さんは店番をしながら彼の淹れたお茶を飲む。
「ミリー、お疲れさま」
今夜は一緒に勉強の相手をした私の分のカップも出して、ガスはふにゃりと労った。
「そういえば撫子の事件、無事、花が咲いたようだね」
先日、事務所の私の部屋にナタリー嬢とフューリーの御子息から撫子が咲いたという知らせの手紙が届いた。ナタリー嬢の手紙は弾むような文字で、御子息の手紙は丁寧に感謝の気持ちが綴られていた。
御子息は約束どおりに、彼女にブーケでプロポーズをしらしい。それをナタリー嬢が受けたことで、お屋敷で婚約披露のお披露目会が開かれたという。
「オレもお呼ばれして出席したんだけどね。トーマスくん、『和国』に留学に行くことが決まったようだよ」
「えっ?」
『和国』とは東の大海を渡った先にある東洋の島国だ。輪のように島が連なっていることから『輪国』……『和国』と呼ばれている。
「何年か向こうの造園を学んで、帰ってきたら、お父さんに代わってビンセント家の庭師頭になるんだって」
「多分、ナタリー様と引き離す為よね」
ポットに茶葉を入れるガスの肩でフランがぷるんと揺れる。
「……そんな……私、ナタリー嬢には『位置のせいで日当たりが悪かった』から咲かなかったって報告したのに……」
そう聖騎士の部屋を再び訪れた彼女に話し、トーマスに鉢の場所を変えて貰うよう頼むように言った。それで彼女は納得して帰ったはずなのに……。
唖然とする私にガスは小さく息をついた。
「多分、御当主や執事さんは、初めから撫子の咲かない理由を知っていたんだと思うよ」
そこで彼をどうするか様子を見ていたところ、私達の説得で止めたことを知り、処分を和らげたのだろうとガスは言った。
「随分、温情ある処分だよ」
造園家はフューリー家の取引先で、留学資金はビンセント家から出るし、またお屋敷に庭師として帰って来られる。
「ナタリー嬢が結婚して落ち着くまで距離を置かされるだけだから」
「そうよ、お嬢」
私の膝に飛び移ってフランがふるふると揺れた。
「新天地で彼も気持ちの整理がつくと良いね」
「……うん」
確かに、あの最後の悲しげな笑顔が明るくなるには、距離と時間を置くことが必要かもしれない。
ガスがポットに沸いたお湯を注ぐ。
「あ、そうだ」
ティーコゼを被せ、砂時計をひっくり返すと、彼はまた奥に行き、薄い紙の綴りを取ってきた。
「はい。これ、オレからミリーにプレゼント」
渡された綴りを開く。それは今回の事件の依頼から結果までを日付順に書いた記録書だった。
「これ……ガスが?」
彼の少し癖のある丸い文字を目で追う。最後まで読んで
「でも、私は……」
目立ってはいけない私は歴代の聖騎士のように、自分の記録を残すことも止められている。綴りを返そうとすると
「ミリーが個人的に持つ分には良いだろ」
ガスがふにゃりと笑って止めた。
「オレがミリーの活躍を書きとめたかっただけだから」
「まあ、ほとんど説得は私がしたけど、お嬢が解決したということにしておいてあげるわ」
フランが膝で揺れる。私は指先でそっと綴りの表紙を撫でた。
……私の初めての活動の記録。
「表題はミリーが決めてくれるかな?」
綴りの表紙は真っ白で、表題を書くところにだけ線が引いてある。
「うん」
確かに個人的に記録したものを持つくらいは良いだろう。綴りを胸に抱く。どんな題をつけようか。
「ありがとう、ガス」
「どういたしまして」
ガスが照れたようにふにゃふにゃと顔を崩して、猫っ毛の黒い頭を掻く。砂時計の砂が落ちきったのを見て、彼はお茶をカップに注いだ。
「改めてミリー、お疲れ様」
穏やかな香りのお茶を受け取る。
「……乾杯して良いかな?」
「もちろん」
ガスがおじさんと番頭さんにお茶を渡した後、自分のカップを持った。
「フランもね」
彼女の頭にもお茶の入った小さな器を置く。
「じゃあ、ミリーの初めての事件の無事解決と……」
「トーマスのこれからの幸せを祈って……」
チン。三つの器が合わさる澄んだ音が夜の店先に小さく鳴った。
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