4. 拙い恋心

 早朝、寺院の朝の鐘が鳴る時間より、ずっと早く起きた私は聖騎士の服に着替え、ショートソードを腰のベルトに差すと、フランと共にガスに見送られビンセント家のお屋敷に向かった。

 半島の根元を横断する、アルスバトルと他の東方四国を分けるタラヌス山脈の上の空がようやく白み始めた時刻。大通りにも裏通りにも人影一つ無い。

 高級住宅街に向かう『陽光通り』から裏道に入り、ビンセント家の裏門に向かう。門の向こうにはナタリー嬢の老執事さんが立っていて、庭の入り口へと案内してくれた。

「では、ここからは私達だけで。執事さんはナタリー嬢に何かあるといけないので、彼女に着いていて下さい」

 昨夜、ガスとフランと打ち合わせしたように、執事さんを遠ざける。私は生け垣に挟まれた小道をたどり花壇へと向かった。花壇はセシル達が帰った後、枯れた花を取り除いたのか、剥き出しになった土の周囲に杭が打たれ、人が入らないようにロープが張られていた。

 そこから少し離れた小道の脇に撫子の鉢植えがある。

「……やっぱり……」

 それを見て、私は肩に乗ったフランと頷き合った。

 日の光がまぶしく、庭に差し込んでくる。春の淡い朝の日差しに庭木が朝露を乗せた葉をきらめかせる。しかし、撫子は鉢の縁まで日差しが当たらないように、すっぽりと黒い布で覆われいた。

 きっと彼がこうして屋敷の人達に秘密で、光を遮断し、撫子自身の時を計る時計を狂わせていたのだ。

 私は植木鉢の奥の庭木の影に隠れた。どんどん日が昇り、周囲が明るくなってくる。薔薇色に焼けた空にチチ……鳴き声を上げて小鳥が飛ぶ。

 そろそろ屋敷の下働きの人達が朝の支度に起き出すのでは……? と思ったとき、忍ばせた足音が近づいてきた。庭木の影からそっと顔を出して伺う。

「……彼が来た」

「……なるほど。確かに夢見る乙女が好みそうな少年ね……」

 フランが彼を見て小さく身体を揺らす。

 彼は鉢植えの黒い布を取ると踵を返して、来た小道を戻っていく。私は庭木の影から出た。足音を立てず小道に出る。魔導師と違い、勇者である私は呪文を唱えなくても集中すると、普通の人では出来ない能力を発揮出来る。

 そのまま彼の後を追う。彼の細い背が生け垣をいくつも曲がる。その向こうにお屋敷の使用人の寮らしい木造の小屋が見えたとき、私はわざと集中を解き小道にブーツの音を鳴らした。


「……な……」

 振り返った彼がつけてきた私を見て、小さく驚きの声を上げる。

「ビンセント家の庭師頭の息子さん、トーマスさんですね。私は聖獣神殿アルスバトル分室の聖騎士、ミリアム・アルスバトルと申します」

 私はまず彼に名乗り、会釈をした。

「ビンセント家御当主の御令嬢ナタリー様より、フューリー家御子息から贈られた撫子の花が咲かない件について解決を依頼されてます。……原因はそれですね」

 突然、現れた私に呆然としている彼……トーマスが手に持っている、鉢植えから取った黒い袋を指す。彼は慌てて手を背中に隠した。

「私は特にナタリー嬢から犯人を挙げて欲しいとは頼まれてません。私が頼まれたのは『撫子の花が咲くようにして欲しい』という依頼なので。ですので……」

 彼の動機が昨夜、ガスと話し合ったとおりなら、彼に特に悪意や非があるわけではない。だから、暗に黙っていてあけるから止めて欲しいと匂わせる。

 でも、トーマスはぎゅっと唇を噛むと顔を背けた。

「……これは、僕がお嬢様に頼まれたことだから……」

 苦しげな声が整った唇から押し出される。

「……お嬢様が『私の好きなのはトーマスだから、撫子の花なんか咲いて欲しくない!』って……」

 ……そんなこと言ったんだ。あの『お嬢様』……。

 私は思わず、心の中で頭を抱え込んだ。

 最初の頃の結婚をゴネていたときに、自分を悲劇のヒロインだと思い込んでのことだろうけど、そんなことを真面目な少年が『好きなお嬢様』に言われたら……。

 どうしよう……。

 多分、ナタリー嬢はもうそんな約束は忘れている。

 それにどう彼が頑張っても、家同士の決めた結婚を反故にして、彼がナタリー嬢と結ばれることはないのだ。

 ……どう頑張っても……。

 それが頭の中で今の私に重なり、途端に声が詰まる。言葉が出なくなってしまった私に

「私に任せなさい。お嬢」

 フランがささやいた。

「手を出して」

 言われて両手を前に出す。そこに彼女がぴょんと飛び乗った。

 フランがトーマスに向かい、ぷるぷると揺れる。

「坊やは幾つからこのお屋敷で働いているの?」

 明けゆく朝の光に艶やかな声が響いた。


「誰!?」

 突然、聞こえた声にトーマスが周囲を見回す。

「ここ、こっち」

 フランの声に合わせ、私は両手に乗った彼女を前に出した。

「スライムがしゃべった!?」

 更に彼が驚く。

 無理も無い。この大陸ではスライムは犬や猫と同じ程度の知能の、ペット感覚で飼う人もいる程度の魔物なのだ。だが、オークウッド家のスライム一族は、スライムがそうなった原因である『魔王の堕落』から免れたスライム達なので、知性が高く、人語や魔物の言葉が操れる。

「坊やは幾つからこのお屋敷で働いているの?」

 もう一度、フランが訊く。

「……十歳」

「そう大変だったわね……」

 フランが優しい声を出す。

 大陸の街や村の普通の庶民の子供は大体、六歳から七歳で寺院の開く学校に通う。そして、その後、十から十二歳くらいで親の家業で働き始めるか、どこかの店や農場等で、自分の食い扶持を自分で稼ぐようになる。 彼も十歳でお父さんの下に就いたようだ。

「特にお務め先がこんなお屋敷の中だと、いろいろ辛いこともあったでしょうね」

 フランの慰めにトーマスがふっと唇を歪めた。

 オークウッド本草店は家族経営が主体な為、ガスもキャシーも七歳からお店の手伝いをしていたが、ビンセント商会のような裕福な家だと子供達は家を継ぐ為の勉強をしながら、遊びや趣味を謳歌出来る。

 産まれが違うだけで、目の前で楽しい子供時代を送れる子供達。それを見ながら、彼は晴れの日も雨の日もただひたすら大人達の中で働いていたのだ。羨ましく思うことも悔しく思うこともあっただろうし、そんな彼等から理不尽に扱われることもあっただろう。

「そんな中、坊やを気に掛けて優しくしてくれたのがナタリー様だったのね」

「はい。そして僕のことを好きだと……」

 トーマスの顔がぽっと赤くなる。

 同じ年頃の美少年。深窓のお嬢様として異性との接触を阻まれていたナタリー嬢にとって彼は唯一『恋』を演じられる相手だった。勿論、彼女に悪意があったわけではない。そのときは本当に『好き』だったのだから。

 でも……。

 私もお店のお手伝いをしているとき、お客さんからそんな、お屋敷の若様、お嬢様と使用人の『恋』の話を聞いたことがある。そしてそれが、大体告白した若君やお嬢様の方は一時の気の迷いでしかないことも。

「お嬢様の『好き』の気持ちが、フューリーの御子息の方に向いてしまったことには全く気付くかなかったの?」

「……それは……」

 フランの指摘にトーマスが拳を握ってうつむく。

 ナタリー嬢から撫子を預かっていた彼は本当は気付いていたのだと思う。彼女の恋心が移ろいでいくことに。しかしガスが言ったように『優しいお嬢様の心変わり』を認めたくなかったのだ。

「ナタリー様の心も変わらなくても、お嬢様に庭師の奥さんは無理よ」

「……そう、ですよね……」

 低い苦しげな声が朝のお庭に流れる。

「解っていたんです。でも、悔しくて……」

「だから、やめられなかったのね」

 撫子の花が咲くのを遅らせること。それが彼のせめてもの訴えだったのかもしれない。

『僕に言った『好き』はなんだったのですか?』

「なんだか、すっきりしました」

 トーマスが顔を上げる。

「御二人に止めて貰えて、僕の気持ちを知って貰えて。だから、もう止めます」

 彼は本当はこんなことをしてもどうしようもないことを知っていた。だから止める切っ掛けを欲しがっていたのだろう。素直に私に黒い布の袋を渡した。

「これで二、三日後には撫子は咲きます」

 私とフランを見て、悲しげに微笑む。

「ありがとうございました」

 丁寧に頭を下げる。そして彼はそのまま使用人の寮に向かって去っていった。

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