2. オークウッド本草店
春の日がとっぷりと暮れた夜。私は騎士団事務所を出て、商家の建ち並ぶ『姫様通り』を歩いていた。
公国騎士団の団員は事務方の職員の人を除いて、原則、事務所の裏手にある寮に住んでいる。先生もそうだったが、私は双子の兄の勧めで、降嫁先に決まったオークウッド本草店に住んでいた。
夜でも明かりが消えない公国立施療院の背の高い建物が見えてくる。『シルベール』の名前の由来となった、初代『勇者』の奥方様、シルベール伯爵夫人が、魔王の残した傷に苦しむ人達の為に建てた施療院だ。その隣、他の店と比べても一際間口の広い店が、東方四国にもいくつもの系列店を持つ、薬問屋オークウッド本草店。日が暮れると同時に戸締まりをする表戸に、私は脇の細道に入った。
一本奥の裏道を行くとおじいちゃん……実際には父の『爺や』だった……と住んでいた貸家が見えてくる。今は近くの商店の家族が住んでいる家の角を曲がると、ランプの明かりの中に、薬屋を示す薬葉を象った輪の中に角生えた蜥蜴と蛇を描いた店章を下げた裏戸が見えてくる。
急な来客の為、寺院の深夜を告げる鐘が鳴るまで開いている戸をくぐり
「ただいま~」
ぷんと香る独特の薬屋の匂いを嗅ぎながら、声を掛ける。
地面からの湿気を防ぐ為、土間の上に貼られた板の間には、ずらりといくつもの薬箪笥が並んでいる。薬を煎じる火桶は鉄瓶が一つ掛かっているものを除いて、全て火が落ちており、いつもは店員が客の相手をする店先に、お店に修行に来ている子達が小さな机を並べて、勉強をしていた。
「おかえり、ミリー。今日は遅かったね」
机の間で勉強をみていた、猫っ毛の黒い髪に黒い瞳の小柄な少年が、ふにゃりと細い目を私に向けて笑ませる。私の婚約者で幼馴染のガス……この店の十二代目店主(予定)の若旦那、オーガスト・オークウッドだ。
「うん、昼間、事件の依頼人が来たんだ」
私は板の間に上がると彼の隣に膝をついた。
「そう! それは良かったね!」
これを私が聖騎士となって初めての事件と知る彼が、嬉しそうに声を弾ませる。
「それで……」
小声で、その話を聞いて欲しいなぁ~とささやくと
「ミリー、晩ご飯は?」
流石、十年以上の付き合いになる幼馴染。さりげなく立ち上がり、場所を変えようと目で奥を指してくれた。
「まだ。お腹ぺこぺこだよ」
「じゃあ、すぐ支度してあげる。バントウさん、ここをお願いします」
ガスは奥の机で帳簿をつけている番頭さんに声を掛けると、私を台所に誘った。
「ありがとう」
土間に脱いだブーツを取り、彼の背を追う。調合室や保管庫の前を通り、奥の住居へと向かう。
こうして後を着いて行くと、私は前を行く彼の頭を見下ろすことになる。ガスは、生まれも育ちもアルスバトル公国の大陸人だが、私とセシルが初代『勇者』の力を持つのと同じで、東洋人だったという初代のお母さんの特徴が現れた『先祖返り』なのだ。
台所に着くと彼はランプを灯し
「まずはご飯にしよう。ミリーは座っていて」
と言って、鍋の掛かった竈の火を熾した。中の野菜と豆のスープを暖めながら、棚から取り出した平パンを薄く切る。
皿を出し、パンを乗せ、その上にこれまた薄く削いだ薫製肉とチーズを乗せる。くつくつと音を立て始めた鍋の蓋を開け、鉢にスープをよそい私の前に置いた。
「いただきます」
匙を取り、スープを口に運ぶ。薬草店らしいハーブの効いた味に、なんだかんだと依頼に力んでいた肩の力がすっと抜ける。
今度はお茶を淹れる為に、湯を沸かし始めた彼の背中を目で追う。ぽん! と瓶の蓋を開ける音が響くと、柔らかい茶葉の香りが漂った。
私が唯一、公女で勇者と解った後、良かったと思っていることが、この生真面目で世話好きな幼馴染の婚約者になれたことだ。
私の降嫁先には公国内の貴族や商家から山のような申し込みがあったらしい。セシルも騎士団の男性団員から『一度、会わせてくれないか?』と、ひっきりなしに訊かれたという。
だが、お父様は『お前をこの先、日陰者にしてしまうのだから、せめて結婚くらいは……』と大好きな彼との婚約を結んでくれた。
ガスが茶葉をポットに入れ、もう一つ瓶を開け、乾燥させた茉莉花の花びらも入れる。初めての依頼に気負っている私の気を静める為だろう。お湯を注ぐと涼やかな香りが流れてくる。
……でも、それ以外は……。
「そういえば今日、キャシーから手紙がきたよ」
ガスが振り返ってふにゃりと笑う。
「『修行がキツイ~。兄貴のお茶を送って~』って、相変わらずグチってた」
キャシー……キャサリンは去年『剣士になる!』という夢を叶える為に家を飛び出したガスの一つ下の妹だ。
彼女はその後、偶然、初代のお母さんを育ててくれた『おじい様』に出会い、その勧めで私と同じ聖騎士になる為に聖獣神殿本部で修行をしている。
「ミリーみたいな聖騎士になれるように頑張っているって」
「……いや……私みたいな聖騎士なんて……」
以前は
『オークウッドのお嬢さんが剣士なんて……』
と行く先々の訓練場や道場で断られていた彼女に、散々
『ミリーが羨ましい……』
と言われていたが、今は私の方がキャシーが羨ましい。
……良いな、キャシーは。折角聖騎士になれたのに活躍出来ない私と違って、真っ当な聖騎士になれて……。
もそもそとパンをかじりながら溜息がこぼれる。そんな私にガスが困ったようにふにゃりと目を細める。
「ま~た、お嬢が坊ちゃまを困らせている」
落ちた沈黙を、艶やかな大人の女性の声が床から破った。
「……フラン?」
「おかえり、お嬢」
小さなお椀を伏せたような形の半透明の水色のスライムが、ふにふにとテーブルの足を登ってくる。テーブルの上に着くと、ぴょんと飛び乗り、ぷるんと身体を揺らした。
「そんなんじゃ、この先、坊ちゃまのお嫁さんになった後が困るわねぇ……」
大きく身体を凹ます。
フランはこの店の二代目がアルスバトル公国の山中で保護したスライム一族の子孫。お店で働いているスライム達のリーダーだ。彼女は年子の妹に手が放せなかった、ガスのお母さんの代わりに、ガスが小さいときから『姉や』としてついていて、今も側で世話を焼いている。
「折角、お嬢が初めて事件の依頼を受けたってバントウさんから聞いたから、話を聞きにきたのに、何また落ち込んでいるのよ」
フランがぷるぷると揺れる。
そうだった。
私はパンの最後の欠片を飲み込むと、両手で鉢を持ち上げ、ぐっと中に残っていたスープを飲み干した。
ガスがほっとしたように鉢を下げ、ポットからカップに二つとスライム達用の小さな深皿にお茶を注ぐ。
私とフランの前に薄い茶色の澄んだ香りのお茶を置き、自分もカップを持って座る。
「じゃあ、ミリー、依頼の話をしてくれるかな?」
ふにゃりと笑む。私はお茶を一口啜ると、まずナタリー嬢の依頼の内容を、そして、その後、彼女のお屋敷に行ったことを話し出した。
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