余り者の勇者と桜の姫君
いぐあな
プロローグ・桜の主の愛し子
ひらり……ひらり……ひらり……。
薄桃色の花びらが、ようやく暖かみを帯び始めた春風に散る。
「……ああ、これで終わりだねぇ……」
最後にと力を振り絞り、本体である山桜の残った枝に、たわわに花を咲かせた桜の
透明な日差しの中、真っ黒な影法師がちょこんと正座している。
今、主が座っている、山桜の側の小さな岩。その影に、主の気と、この辺りの山の気が滞って産まれた物の怪だ。小さ過ぎる影に、人の赤ん坊くらいの大きさにしか育たなかったが、この美しく静謐な山に相応しい、穏やかで優しい気質の物の怪だった。
「……
うっすらと瞳の位置に涙を浮かべる従者に
「寿命だから、悲しまないでおくれ」
主は微笑んだ。去年の夏の終わりの嵐に、本体の山桜が雷に打たれてしまったのだ。それでも忠義者の従者が、せっせと世話を焼いてくれたおかげで、最後の春を迎えることが出来た。
「私は十分生きたよ」
この山を統べる桜の精として。後は若い眷属達が山を守ってくれるだろう。だが。
……ただ一つ、心残りなのは、この従者を置いていくこと。
私が過保護に可愛がり過ぎたせいだろうねぇ……。
桜の主の愛情を一身に受け、従者は気が良く、物事を真っ直ぐに信じる物の怪に育ってしまった。
精霊は純粋過ぎるが故に、ときに享楽的で、残酷過ぎるほど自己中心的な面を持つものが多い。
……あの眷属達では、こんな力の弱い、優し過ぎる物の怪は早々に潰されてしまう……。
しかし、ただ『次の主を探せ』と命じただけでは、意固地なまでに忠義者の従者は、自分の菩提を弔い、山に留まり続けるだろう。
「
従者の名を呼んで、彼は細い白い指を、春霞に煙る西の山々に向かって指した。
「覚えているかい? あの山を越え、海を越えた向こうの大きな大陸の『リラの君』と呼ばれる精霊の元に嫁いだ私の娘がいることを」
桜の主は、はらりと散った己の花びらを影丸に授けた。
「私が消えたら、娘にこれを渡しておくれ」
「……はい、承知致した……」
返事を返しながら影丸が、ほろほろと大粒の涙を丸い頬にこぼす。
「これが私の最後の命だ。影丸、良いね」
「……はい……」
これなら、彼はこの山を離れる。そして、娘を探す間に、彼を庇護してくれる新しい主が現れるだろう。
「頼んだよ」
「……はい……」
……影丸、これから先も幸せにおくらし。
長い生を終え、ただ一つ残る願いを胸のうちでそっと呟く。
主は彼を抱き寄せると、小さな頭を泣きやむまで、優しく撫で続けた。
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