彼誰(かはたれ)の記憶:過去
のいげる
第1話 アキアカネ
Sympetrum frequens。アキアカネの学名である。
アキアカネは小さくて華奢な体に南天の実を思わせる赤そのものの体色が、淡く儚いイメージを醸しだすトンボだ。飛び方も少し前進しては空中に止まり、少し前進しては空中に止まりを繰り返す。まるで赤く染めた小さな小枝が空を飛んでいるように見え、風が吹けばそのままどこか遠くへ消えて行ってしまうイメージに囚われる。
少年時代、港町には貨物列車のみが通る線路があった。
子供たちの遊び場でもあるその場所は、背の低い倉庫に囲まれたちょっとした広場である。
驚くほど美しい夕焼けであった。地平線近くに沈みつつある太陽が強い赤。そこからグラディエーションをかけながらオレンジへと変化して天頂へと至る。間にときどき挟まる雲が一際輝く白と黄のアクセントをつけている。まるで時が止まったガラス細工のような空。一日の終わりの寂しくて寂しくて堪らない瞬間を封じて、秋の夕暮れは結晶する。
その中をアキアカネの大群が飛んでいた。一つ一つは小さいが、それでも空一杯を埋めるかのように無数のアキアカネが飛んでいた。
一匹が下りて来て、肩に止まる。
夕焼けの中を飛んできた証明に、身体を赤に染めて、その小さなトンボは自分の姿を誇っていた。
この一瞬を作るために、アキアカネは生れて来たのだ。
そう思わせる光景だった。
いまでは滅多に見ることのできない、日本の風景である。
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