第45話 薄幸令嬢は幸せな日常を取り戻す
背伸びをして何故か強張っている体を伸ばす。
(少し寝過ぎてしまったかしら?)
隣にオルフェンが居ないのを見てそんな事を考えていると、トントンとノックの音が鳴ってドアが開いた。
「おはよう、ミア」
お盆に水差しとタオルを乗せてやって来たミアに挨拶をする。
こちらを見るなり、駆け寄ってきたミアの目には何故かうっすらと涙が滲んでいた。
「リフィア様! よかった、お目覚めになられて!」
「ど、どうしたの? そんなに慌てて……」
「三日間も眠られたままだったのですよ! だからもう心配で心配で……っ!」
「え、そんなに!?」
どうりでいつもより体の動きが鈍かったわけだとリフィアはひとり納得していた。どうしてそんなに寝ていたのだろうかと記憶を辿って思い出す。
(あのままオルフェン様の腕の中で眠ってしまったのね……)
「すぐにお医者様の手配をしてきます!」
ミアが部屋を退室した後、サイドテーブルに手紙が置いてある事に気付いた。
たすけてくれてありがとう
こんどはぼくのてじなで
リフィアをいっぱい
えがおにするね メア
手紙には、たどたどしいヴィスタリア語の文字でそう書かれていた。必死に練習して書いてくれたのだろう。その努力が伝わってきて、リフィアから思わず笑みがこぼれる。
(メアさんの手品、とても楽しみね……!)
◇
「数日間はこちらを服用されてください」
異常は無いものの体力が落ちている可能性があるということで、医者のロイドから滋養強壮剤を処方された。
料理長のアイザックが作ってくれた栄養満点の食べやすい野菜スープやパン粥を、コルトが丁寧に給仕してくれた。
テーブルに飾られた美しいフラワーアレンジメントは、イレーネが自ら育てて作ってくれた花のようで、食卓を美しく彩っていた。
お腹を満たした後はミアや侍女達が湯浴みを手伝ってくれて、身支度を整えてくれた。その間、この三日間の出来事を皆が教えてくれた。
明け方にリフィアを抱え、悪魔の少年を連れて帰ってきたオルフェンに、邸は一時騒然となったらしい。
『ぼく、メアっていいます。よろしくお願いします』
『彼は大切な客人だ。どうか不自由しないよう迎えて欲しい』
オルフェンのその言葉で表立って苦言を呈する者は居なかったものの、悪魔の存在に最初は皆警戒していたらしい。
けれどメアが『ぼく、手伝います!』と、率先して声をかけ重たい荷物を運ぶのを手伝ったり、『大丈夫ですか?』と転びそうになる者を助けたりととても良い子だという事に気付き、その警戒も薄れて打ち解けていった。
中々目を覚まさないリフィアを心配し寄り添うオルフェンの手を煩わせたくなかったメアは、ひとり書物庫で本とにらめっこしながらヴィスタリア語の文字の練習をしていた。
リフィアにお礼の手紙を書きたいというメアの願いに気付いたコルトが、空いた時間に文字を教えていたそうだ。そうして出来上がったのが、あの手紙だったらしい。
メアが邸の皆と仲良く過ごせていると聞いて、リフィアはほっと胸を撫で下ろす。
「ミア、少し外を散歩してもいい?」
「はい! お供します!」
体を動かしたくて、リフィアはミアと共に庭園を散歩する事にした。
冬でも綺麗に整えられた庭園は美しい花が咲き誇り、夕陽が優しく照らしている。
「今日はまた一段と冷えますね。リフィア様、こちらを使われてください」
ミアがブランケットを肩からかけてくれた。
「ありがとう、ミア」
冬の澄んだ空気は気持ちいいものの、長居すると風邪を引いてしまうかもしれない。少しだけ散歩して部屋に戻ろう。
オルフェンとよく一緒に歩いた散歩コースを歩いていると、前方に花の手入れをしているイレーネを見つけた。
「イレーネ様! 食卓のお花、とても綺麗でした。ありがとうございます!」
「ふふ、気に入ってもらえてよかったわ。リフィアさん、体は大丈夫?」
「はい! たくさん眠ったので元気いっぱいです!」
「元気になってくれて本当によかったわ。もうオルフェンの心配のしようといったら! ねぇ、ミア。凄かったわよね?」
「はい! それはもう……」
「リフィア!」
ミアの言葉を遮るように、後ろから名前を呼ばれた。振り返るとそこにはオルフェンとメアの姿がある。
「オルフェン様、メアさん、おかえりなさい!」
笑顔で出迎えるリフィアを見て、オルフェンの瞳の端にはうっすらと涙が滲む。
「ただいま、リフィア」
駆け寄ってきたオルフェンに抱き締められる。肩に顔を埋めるオルフェンの背中に手を回し、優しく撫でる。
「お会いしたかったです、オルフェン様」
「僕もだよ。よかった、目を覚ましてくれて……!」
幸せを噛み締めあっていると、遠慮がちに注がれるメアの視線に気付いた。
「僕も……ただいま、でいいの?」
申し訳なさそうに放たれたメアの言葉に、リフィアはメアの目線の高さまで屈んで声をかける。
「勿論ですよ、メアさん。おかえりなさい!」
「うん、ただいま!」
「お手紙読みました。とても上手に書けていましたね、ありがとうございます」
「見てくれたんだ! 嬉しい、ありがとう! コルトがね、僕にヴィスタリア語の書き方を教えてくれたんだ!」
「数日間でかなり上達して驚いたよ。メア、君の学習能力の高さはすごいな」
「皆が色々よくしてくれるおかげだよ! リフィア、オルフェン、あの時、僕を助けてくれて本当にありがとう!」
満面の笑みを浮かべるメアに、リフィアの心は幸せで満たされていた。
それから皆でテーブルを囲み、他愛のない話をしながらティータイムを楽しんだ。
「このお菓子、美味しい!」
瞳を輝かせるメアに、イレーネが優しく声をかける。
「たくさんあるから遠慮なく食べてね」
「うん!」
「あら、メア。口元が汚れているわ」
メアの口の端ついたカップケーキの屑を、イレーネがナプキンで優しく拭う。
「ありがとう、イレーネ!」
「ふふ、いいのよ! オルフェンにはこんな時期がなかったから、すごく可愛いわ!」
笑顔でお礼を述べるメアを見て、その可愛さにイレーネは破顔しっぱなしだった。
その分、父上の口を拭うのに忙しかったでしょう? と喉元まで出かかった言葉をオルフェンは飲み込んだ。
「メアさん、こちらのベリーのタルトも美味しいですよ」
「本当だ! すっごく美味しい!」
こうしてクロノス公爵家には新しい家族が増え、賑やかになった食卓は笑顔であふれていた。
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