第27話 薄幸令嬢は戸惑う

 素敵なオルゴールを買ってもらって嬉しいはずなのに、心が晴れない。

 どこか上の空なリフィアの様子を心配してか、「少し休憩しようか」とオルフェンは近くのカフェに寄ってくれた。


 奥の個室に案内され、一息つく。

 テーブルの上には豪華なケーキスタンドが置かれ、二人では到底食べきれないスイーツが乗っている。

 温かなミルクティーを口に含み喉を潤したリフィアは、向かいに座るオルフェンに尋ねた。


「オルフェン様。全てご存知だったのですか?」

「アスターに聞いてたから、知っていたんだ」

「そうだったのですね」

「ごめんね、先に話しておけばよかったね。まさかあんな所で遭遇するとは夢にも思わなくて……リフィアに辛い記憶を思い出させてしまうんじゃないかって、言えなかったんだ」


 リフィアは昔のことを思い出していた。

 隔離されてからセピアが行ってきた食事への嫌がらせは、確かに最初は辛かった。けれど力に目覚めてからは特に苦にもならなかった。逆に毎日大変じゃないのかと、心配になったくらいだ。


 嫌われている自覚がなかったわけじゃない。それでも孤独だったリフィアにとって妹とのそんな触れ合いは、唯一孤独から解放される瞬間でもあった。


(好きの反対は無関心って、本に書いてあったわね)


 どんなものであれ、妹が自分のためにわざわざ用意してくれた。両親に見放されたリフィアには、そうして妹が自分という存在を忘れずに居てくれた事が嬉しいという気持ちも少なからずあった。


(仲良くなりたかったけど、私はいつもセピアを怒らせてばかりだったな……)


「気遣ってくださったのですね、ありがとうございます。あの、ラウルス様は大丈夫でしょうか……」


 あんな形で二人の仲を引き裂くことになってしまい、リフィアは心苦しく思っていた。


「ラウルスは人一倍、そういう卑怯なやり方が嫌いな男なんだ。だから知らないまま結婚しても、絶対に上手く行かないと思ってね。とはいえ本人が居ないところで陰口のような事は言いたくないし、どうしようかと思っていたからちょうど良かったよ」


 セピアに対し、オルフェンは建前上は事実とお礼しか述べていない。それをどう解釈するかは、ラウルス次第になるだろう。


「僕は正直、君に酷い扱いをしてきたエヴァン伯爵家の者達をあまり好きにはなれない。リフィアの食が細いのは、長年受けたその嫌がらせのせいでしょ? それを行った者も、見てみぬふりをした者も、気にもとめなかった者も、皆同罪だよ」


 オルフェンの紫色の瞳には、怒気が色濃く見てとれる。


「私のために、怒ってくださっているのですね。ありがとうございます」

「リフィアは、憎いとは思わないの? 君が望むなら、僕が制裁を加えたいくらいだよ」

「私は……」


 思わず言葉に詰まった。そう問われて初めて気付いた。寂しさや悲しさは感じても、不思議と一度も家族に対して、憎いと思ったことはなかったという事に。

 怒った事もなければ、それを当たり前の事なんだと受け止めてきた。


(怒るって、どういう時に沸き起こる感情なの……?)


 人の怒る姿や苛立つ姿は見てきたから、相手の話し方や表情を見れば分かる。しかしそれを自分に当てはめた時に、リフィアには怒りの感情が途端に分からなくなった。


(一体どうして……?)


 蝋燭に火を灯した瞬間、冷たい水を浴びせられ消火されたかのように、怒りの感情だけがすっと消える感覚に奇妙な違和感を抱く。


「リフィア、顔色が……ごめんね。優しい君にこんな事、聞くべきじゃなかったね」

「いえ、違うんです! その……怒り方が分からなくて。だから何と答えたらいいのかも、分からなくて……」


 ティーカップに触れる手がカタカタと震える。戸惑いながら気持ちを吐露したリフィアを見て、オルフェンは悲しそうに表情を歪めた。


「リフィア、君は僕にとって何よりも大切な存在なんだ」


 震えるリフィアの手に、オルフェンは自身の手を重ねる。不安を和らげるように、優しく微笑みかけてさらに言葉を続ける。


「この世に生まれてきてくれてありがとう。僕に出会ってくれて、こうして傍に居てくれてありがとう」


 心のどこかで、自分は生まれてきてはいけない存在だったのではないかと思っていた。周囲を不幸にするだけで、要らない存在でしかないんじゃないかと。

 そんな不安を、オルフェンは温かく包み込んで和らげてくれた。


 必要とされている事が嬉しくて、胸がいっぱいに詰まったように苦しい。気が付けば青い瞳からポロポロと涙がこぼれ落ちていた。


「ありがとうございます、オルフェン様……ッ!」

「ああ、そんなに乱暴に擦ってはいけないよ」


 オルフェンは慌てて席を立つと、隣に座りポケットから白いハンカチを取り出した。


「折角の綺麗な肌に傷がついてしまったら大変だ」


 心配そうに顔を覗き込まれ、壊れ物に触れるかのように優しく涙を拭われた。


「理不尽だと感じたら、怒っていいんだ。我慢する必要なんてないんだよ。何があっても必ず、僕が君を守るから」


(理不尽だと感じたら怒る。それが、怒りの感情……)


 家族に冷遇されていたのは事実だ。それを理不尽と感じられるほど、当時の自分はそれ以上の幸せを知らなかった。


 今さら過去の事を思い返しても、その不遇があったからこそ、今こうして幸せを感じることが出来る。そう考えるとやはりリフィアにとっては、感謝の気持ちの方が強かった。


「オルフェン様。私は過去より、これからの未来を大切にしたいです。誰かを恨むより、大切な人達の事を考えて過ごす方が楽しいし、幸せだと思うので……先程の質問の答えに、なるでしょうか?」

「勿論だよ。リフィアが幸せであること。ある意味それがエヴァン伯爵家にとっては、一番悔しい事だろうしね」

「一番悔しいこと?」

「彼等は君の価値を見誤り手放した。逃したものが大きければ大きいほど、人は後悔をするものだからね。聖女として目覚めたと知り、どんな反応をしてくるか楽しみだね」


 くつくつと喉を鳴らして笑うオルフェンは、とても楽しそうに見えた。


(オルフェン様、悪い顔をしているわ……)





 その頃、ムーンライト広場の外れでは――


「いつまで付いてくるつもりだ? 今日は解散にしようと言ったはずだが?」


 後を付いてくるセピアに、ラウルスは冷たく言い放った。


「どうか話を聞いてください、ラウルス様! 私は……」

「この婚約は火属性の派閥の力を弱めないため、エヴァン伯爵家に婿入りしろと父が勝手に決めた事だ」

「それは、存じております。ですが私は、ずっと貴方に憧れていて……」

「俺はたった今、君に失望したばかりだが?」

「誠に、申し訳ありません……!」

「謝る相手を間違っているのではないか? 俺はそういう卑怯なやり方で、他者を踏みにじるような奴が一番嫌いだ。この婚約は白紙に戻してもらう」

「ですがラウルス様と言えど、フレアガーデン侯爵様のお決めになった婚約を勝手に白紙に戻すなど出来ないのでは……」

「フレアガーデン侯爵子息の地位を捨てればいいだけだ。魔法騎士として、俺は国に忠誠を捧げて生きる。格下の騎士爵しか持たない俺には、興味がないだろう? 話はこれで終わりだ」


 踵を返してラウルスは歩きだす。

 エヴァン伯爵家の跡取りとして、少しでも格式高い優秀な血筋の婿を取る必要のあるセピアには、それ以上すがって追いかける事が出来なかった。

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