一之章

   1

 コウスケは次の日になると、朝からしきりに何かを一生懸命に考えているようだった。それは自分が考案して作り上げた三枚羽根のブーメランことだったが、確かに二枚羽根のものより三枚羽根のほうが威力も大きかった。だが、それでもコウスケはまだ不満を感じていた。いまのままでは狩れる獲物は狸か狐くらいが関の山だろう。それに狩るからには一発必中の威力を持たせなければならなかった。どうしたら、そんなすごい武器になるんだろうとコウスケは夜も寝ないで考え続けていた。

 そんなある日、コウスケは考えあぐねた末に父親の耕平に聞いてみた。

「なあ、お父。このブーメランをいまよりも、もっとすごい武器にするにはどうしたらいいだろう。何かいい考えはないか……」

「何だ。コウスケ、お前はそれでもまだ不服なのか。こまったヤツだな。まったく」

「だって、確実に獲物を仕留めるにはいまよりも、もう少し何か強靭なものにしなくちゃいけないだろう。いまのままだと当っても気絶するくらいで、すぐ逃げられてしまうじゃないか。なあ、何かいい方法ないかなぁ…。お父」

「ううむ、そうやってよく考えることはいいことだぞ。コウスケ。それではひとつヒントだけ教えてやろう。獲物を確実に捕らえたいのなら、そのブーメランの穂先に何か鋭い刃のようなものをつけることだな。あとは自分で考えるんだな。わからないことがあったら、いつでもオレのところに聞きに来い」

 そういい残すと、耕平はコウスケを置いたまま家の中に入ってしまった。

「そうか、ブーメランの穂先に刃をつければいいのか。だけど、一体どうやって何をつければいいんだろう……。よーし、こうなったら徹底的に考えてやるぞ。そして、きっと完璧な武器になるブーメランを作ってやるんだ。さあ、これから忙しくなるぞ。いろいろ考えなくちゃいけないし、こうしてはいられないな。よし」

 そういうよりも早く、コウスケは林の裏にある岩山に向かっていた。何をどうしようとか一切考えてはいなかったが、岩山に行けば鋭い刃のようなものが見つかるかもしれないと思ったからだった。岩山の中腹まで来るとコウスケは一休みしようと小さな岩に腰を下ろした。ふと足元を見ると、何かがキラリと光った。何だろうとコウスケが拾い上げると、それは小さな黒曜石の破片だった。

「うわぁ、黒曜石だ…。そうか、思い出したぞ。この山は黒曜石がよく取れるって、誰かに聞いたことがあったな。これならブーメランの穂先につけるのに持ってこいだ。もっと大きな塊がどこかに落ちてるかも知れない。もう少し上まで登ってオレも探してみよう」

 しばらく休んでからコウスケは、また山をよじ登り始めて少しなだらかな場所まで辿り着いた。

「よし、ここなら足場も安定してるから、安心して探せそうだ。さて、黒曜石を探すとするか…」

 あちこち探し回っては見たものの、一向に黒曜石の破片さえ見つけることができなかった。それでも諦めずに周辺を探し回っていると、少し離れた場所に人間がどうにか出入りできる程度の小さな洞穴があるのを発見した。

「あれ、あんなところに穴なんかあったかなぁ…」

 その辺りは何度も行き来しているはずなのに、あまりにも小さ過ぎて見落としてしまったのだろうとコウスケは思った。

「まあ、どうせ無駄だろうと思うけど、来たついでということもあるし、ちょっと覗いてみるか…」

 小さく開いた穴から中へ潜り込んだコウスケは、中が意外と広いことに気づいた。穴の中で立ち上がっても自由に動ける大きさだった。そして、洞窟の中を見渡したコウスケは驚きのあまり息を呑み込んでしまった。何とそこには、壁面一帯に黒光りする黒曜石の鉱脈がビッシリと埋め尽くしていたのだ。

「こ、こりゃあ、凄いや……、こんな大量の黒曜石を見たのは初めてだ…。なんとかこれを持ち帰らなきゃ……」

 それを邑まで持って帰るには、それなりの大きさに砕かなければならなかった。コウスケは周りを見渡すと、黒曜石以外の手ごろな岩塊を拾い上げた。拾った岩塊を黒曜石の壁論に向けて投げつけた。ガチーンという音とともに、投げた岩塊とともに程よい大きさに砕けた黒曜石が飛び散った。コウスケは砕けた黒曜石の中から、持って帰るのにちょうどいい大きさの物を選び出して、持参した竹かごに詰めると穴から抜け出しだ

「よし、これだけあれば何んとかなるだろう。さあ、後は帰ってからだ。ブーメランの穂先にどうやって取りつけるか、じっくり考えなくちゃいけない。これからますます忙しくなるぞ。さぁて、帰るとするか」

 思いもかけずに大量の黒曜石を発見したコウスケは、その一部を詰めた竹かごを手に意気揚々と邑に帰って行った。

 ここで少し黒曜石について触れておくと、黒曜石の石質はほぼガラス質であり、少量の斑晶を含んでいることもある。黒曜石は流紋岩質のマグマが、水中などの特殊な環境下で噴出されたもので、急速に冷やされることで生じると言われている。この黒曜石を割ると非常に鋭い破断面を表すことから、先史時代よりナイフや槍の穂先などの石器として、世界中で長い期間に渡って使われてきた。日本でも同じように旧石器時代頃から使用されていたらしい。

 さて、邑に戻ったコウスケは作業小屋に籠りっきりで、前に伐り出しておいた数本の三つ又の枝を前にしてしきりに考え込んでいた。

『うーん…、この黒曜石の破片をブーメランの穂先に、どうやったらしっかりと取り付けることができるんだろう…』

 ただ穂先に切れ目を入れて挟み込んだだけでは、獲物に当たった時の衝撃で弾けてしまっては元も子もなくなってしまう。いつもは父親の耕平にばかり頼っているコウスケも、今回だけは誰にも頼らず自分の力だけで成し遂げようと決めていた。

『お父は頭がいいけど、やっぱりオレはダメなのかな…。いや、そんなことはないぞ。オレだってやる気になれば何だってできるはずだぞ。よし、もう少し頑張って考えよう。何かあるはずなんだ…』

 それから、また数日が過ぎた。耕平も近頃コウスケの様子がおかしいのに気づいていた。いつも何かを考え込んでいるようで、話しかけてもろくに返事すらしないありさまだった。ある朝、コウスケが出かけるのを見た耕平は、ひそかに後を追ってみると山本のログハウスに入って行った。出てくるのをしばらく待ってみたが、一向にコウスケは出てくる様子もなく、業を煮やした耕平が力いっぱい戸を開けた。

「うわぁ、驚いた…。何だ。お父か…、どうしたんだい。いきなり……」

「こら、コウスケ。最近のお前は少しおかしいぞ。話しかけてもろくすっぽ返事もしないで、こんなところに閉じこもって一体何をしているんだ。正直に言ってみろ」

「何をしてるって、ただおいらはこの黒曜石の破片をブーメランの穂先に、どうやって埋め込んだらいいか考えていただけだよ。だけど、どうしてもいい方法が見つからなくて困ってたところなんだ。いつもはお父にばかり頼っていたけど、そんなことばかりしていたらいつまで経っても一人前になれないだろう。だから…」

「そんなことで悩んでいたのか。お前は…、どれ、見せてみろ。ほう、すごい黒曜石じゃないか。どうしたんだ。これは…」

「うん、この前ブーメランの穂先に、取り付けるものを探しに林の向こうの岩山に登った時に見つけたんだ。それがすごいんだぜ。お父、中腹まで登って行ったら小さな洞穴を見つけたんだ。入口は小さいんだけど中に入ってみると意外と広くて、そこの壁一面に黒曜石が層になっていたんだ。だから、必要な分だけ取ってきた。今度、お父も行ってみるといいよ」

「そうか。それはいいものを見つけたな。さぁて、これをブーメランに取り付けるにはだな。三ヵ所あるブーメランの穂先に切り込みを入れて…」

 耕平は自分のサバイバルナイフを取り出しながら、何かを探すように部屋の中を見渡していた。

「あった、あれだ。ちょっと待ってろ」

 立ち上がると耕平は、部屋の隅に追いあった箱に中を物色して、壁に掛けてあった丸く束ねたものを持って戻ってきた。

「これはな。針金というものだ。こうしてブーメランの三ヵ所ある穂先に切り込みを入れたら、ここに小さく割った黒曜石を挟み込んで、獲物に当っても外れないようにこの針金を巻き付けて固定するんだ。ほら、できたぞ。コウスケ」

 耕平は黒曜石を埋め込んだ、出来立てのブーメランをコウスケに手渡した。

「うわぁ、凄いや。ありがとう、お父」

「このサバイバルナイフを貸してやるから、お前も自分で作ってみるんだな」

「うん、そうするよ。ありがとう、お父」

 耕平が帰ってから、コウスケも見様見真似でペンチを使い、ブーメランの穂先に黒曜石を埋め込み、それを針金で固定して二時間ほどかけて、ブーメランを新たに二丁ほど完成させて行った。

「よし、できたぞ。オレだってやればできるんだ。三丁もあれば、どんな獲物だって絶対に逃がしたりしないぞ。バンザーイ」

 耕平やったとおりの工程を、そのまま繰り返しただけなのにコウスケは、すっかり有頂天になりはしゃぎ回っていた。

 次の日の朝になると、コウスケは食事を取るとすぐに耕平にも告げずに、あの小高い柱状の岩が立ち並ぶ地点まで来ていた。

『よーし、今日こそは誰にも頼らずに自分の力だけで、絶対に大物の獲物を仕留めてやるんだ…。何しろ、こっちには最新で最強の新型ブーメランがあるんだ。どんなものだって逃がしたりなんてするもんか』

 そびえ立つような岩の柱の合間を縫って、コウスケは膝上までくる草原の中をかき分けるようにして進んで行った。辺りに気を配りながら注意深く進んだが、一向に獲物らしいものは何ひとつ見当たらなかった。

『おかしいな…。この辺はこの前来た時もあまり獲物がいなかったけど、あのドードーとかいう飛べない変な鳥がいたし、今日だってきっと何かがいると思っていたが、これじゃ全然だめだな…。どこか他所に行ってみるか……』

 そんなこと思いながらコウスケは、踵を返すと来た道を引き返し始めたが、途中で気が変わったのか、少し足を延ばしてしばらく行くとちょっとした森があることを思い出した。その森には確か小さな泉があって、小動物や鳥たちが水を呑みに集まってくると聞いたことを思い出していた。

『そうだ。あそこがいい…、よし、行ってみよう』

 コウスケはあまりこの辺までは来たことがなかったが、なんとか森の入り口までやって来て森の中を覗ったが、それほど深い森ではなさそうだった。

「よし、行くか…」

 森の中へ一歩踏み入れると森はひっそりと静まりかえり、どこか遠くのほうから鳥たちのさえずる声が聞こえてきた。

「やけに静かな森だなぁ…。これじゃ、獲物なんていないかも知れないな…」

 静かな森の中をゆっくりと歩いて行くと、どこからか水のはねる音が聞こえてきた。バシャッ、バシャ、バシャ、バシャ。

『あ、水の音だ…。しめた。何かいるぞ…』

 コウスケは中腰になると、水音の聞こえてきた木陰のほうに、足音を忍ばせなかせら近づいて行った。木陰まで間近まで来ると音をたてないように、そっと木の枝を掻き分けると静かに顔を覗かせた。次の瞬間、コウスケは後頭部を思いっきり殴られたようなショックを感じた。どうせ、狸とか猿でも水浴びをしているのだろうくらいに思っていたのだが、何とそこにいたのはコウスケとあまり変わらない若い娘だったのだ。

 驚いたコウスケは思わず一歩退いてしまった。その引いた右足が小さな枯れ枝を踏んで乾いた音をたてた。

「誰、誰なの。そこにいるは……」

 娘は思わず両手で胸を覆い隠すと反射的に泉に身を沈めた。

「ご、ごめん…。別においら覗いていたわけじゃないんだ…。狩りをやってて、ここまで来たら水の跳ねる音がしたんで、何か獲物がいるんじゃないかと思って覗いただけなんだ…。だから、ほんとうにごめん…」

 コウスケは茂みから出ると娘に深々と頭を下げた。

「ふーん、そうなの。でも、あんた悪い人でもなさそうだから許してあげる。だけど、あまり見ない顔だけど、どこから来たの…」

「あ、おいらは、このちょっと先の邑に住んでるコウスケっていうんだ。ほんとうにごめんよ…」

「いいわよ。そんなに謝らなくても、あたしはカミラっていうの。よろしくね」

 カミラと名乗った少女は、あっけらかんとした表情でいうと、泉から上がるとコウスケの目も気にせずに脱いであった衣服を付け始めた。

「ねえ、あんた。狩りに来たって言ってたけど、槍も弓も持ってないでどうやって狩りをするつもりなの…」

 不思議そうな顔でカミラは訊いた。

「弓や槍なんていらないさ。おいらにはこれがあるんだ」

 コウスケは、手に持っていた三枚羽根のブーメランを、自慢そうにカミラに見せた。

「何それ、そんなものでどうやって獲物を狩るの…。ホントに獲れんの…」

「獲れるさ。何か獲ってやろうか…。どこかに獲物になりそうものはいないかな…」

 コウスケが辺りを見渡すと、少し離れた水際の草むらで水鳥が一羽水を呑んで羽根を休めていた。

「よし、あれを獲ってやろう。いいかい。よく見てなよ」

 コウスケは狙いを定めると、水鳥をめがけて垂直にブーメランを放った。コウスケのブーメランは勢いよく回転しながら、水鳥目指して飛んでいき見事に命中して水鳥は水際に倒れ込んだ。

「キャー、すごーい。やったわよ。すごーい、コウスケ。すてきー」

 カミラはまるで子供のように、キャーキャー言いながら喜んでいた。

「さあ、これをあげるからお土産に持って帰りな」

「うわー、ありがとう。でも、これ重くってあたいひとりじゃ持って帰れない……」

「しょうがない。おいら持ってってやるよ。邑は遠いのかい…」

「ううん、そんなでもない。この先を、もう少し行ったところ」

「よし、じゃあ、行ってみようか。おいらもあっちのほうには行ったとこがないんだ。他所の邑を見るのも勉強になる。さあ、行こう。行こう」

 こうして、カミラを水先案内にしてコウスケは、まだ見ぬ他所の邑に対する興味津々とした期待を抱いて出かけて行った。

「でも、コウスケって、すごいなー、そのブー…、何だっけ…」

「ああ、ブーメランかい」

「そう、そう。そのブーメランなんかを作っちゃうんだもの。すごいなぁ…。ねえ、あんたのお父もやっぱり猟師かなんかやってるの……」

「いや、おいらのお父は邑長をやってるよ」

「ええ、邑長。すごーい…、じゃあ、やっぱり偉いんだね。あんたのお父って…」

「別に偉くもないさ。普通のお父だよ」

「それじゃ、カミラのお父は何をやってるの…」

「何をって、ただの両氏だよ…。それがどうしたの…」

「いや、何でもないんだ。

 ただ、何か特別な特技かなんか、持っているんじゃないか思って、聞いてみただけだよ…」

「フーン…、特技ねぇ…。とくぎかどうかはしれないけど、うちのお父は獲物の体が痺れるような、毒を塗った吹き矢を使っているわよ」

「へぇ…、すごいな。それだって、立派な特技じゃないか…」

 そんな話をしながら歩いて行くと、やがてカミラの住んでいるという村が見えてきた。

「ほら、あそこに見えるのが、あたしの邑だよ。コウスケ。さあ、早く行こう」

 邑の中を歩いて行くと、カミラの家が近づいてきたらしかった。


     2


 一軒の家の前までくるとカミラは立ち止った。

「はい、ここがあたしの家。ちょっと待っててね。お父がいるかどうか見てくるから…」

 カミラは駆け出して家の中に入ったが、すぐに父親らしい男を連れて出てきた。

「娘が世話になったそうで…、遠くから来たんじゃろうが、少し休んで行きなさらんか…」

 コウスケを一瞥すると、カミラの父親は社交辞令的に言った。

「お父、紹介するわ。この子はコウスケっていうの。この先のずっと遠い邑からやってきたんだってさ。この人のお父は邑長をやっているんだよ。すごいでしょう。お父」

 それを聞いたカミラの父親は、途端に態度を改めてきた。

「おお、それは、それは。それじゃあ、ぜひ中で休んで行ってもらわんとな。どうぞ中へ」

「あ、すみません。これお土産です。さっき獲った水鳥ですが、カミラにあげたんですけど、重くて持てないっていうから、おいらが持ってきました。どうぞ」

 コウスケは両手で抱えてきた水鳥を、カミラの父親に手渡した。

「これはご丁寧にどうも。申し遅れただが、わしはこれの親父でガラダといいますだ。さあ、中に入ってくだされ」

 ガラダと名乗ったカミラの父親は、コウスケを家の中に招き入れた。

「さあ、さ、そこいらさ座ってくだされ」

 コウスケが腰を下ろすと、ガラダは待っていたように話し出した。

「おめえさまの親父さまには、わしはまだ一度もお目にかかったことはないだども、何事に対しても秀でられた方で何でもよく知っておられる、まるで神さまみたいな偉い人だという噂はわしらの邑にも伝わってくるくらいだから、さぞかしおめえさまも偉い人なんじゃろうのう…」

「とんでもないですよ。おいらなんかはカミラと同じでただの人ですよ。確かに、うちのお父は何でもよく知ってるし、おいらなんか足元にもお及ばないけど、神さまなんかじゃなくてやっぱり普通の人なんです」

「うう-ん…。そういうもんかのう。なんでも、わしらには難し過ぎてよくわからんことまで知ってると聞いたが、そういうもんかのう…。ううーむ」

「それじゃ、おいら遅くなるといけないから、そろそろ帰ってみます」

「あ、そんじゃ、カミラおめえ途中まで送って行ってやれ」

「うん、そうする。行こう、コウスケ」

 ふたりは連れ立って外に出た。赤とんぼが群れ飛び始めた草原までくると、コウスケが立ち止まってカミラに言った。

「もう、この辺でいいから帰りな。あ、それから、またあの泉のところで逢えるかな…」

「いいよ。いつでも、今度はいつにするの…」

「そうだなぁ…。んー、よし、五日後にしよう。五日経ったら、あの泉のところで待っているから、それじゃ、さよなら…」

「さようなら、気をつけて帰ってね。さようならー」

 カミラが手を振っているに姿を背に、コウスケは軽やかな足取りで帰って行った。日暮れにはまだ間のある昼下がりだった。

 それから瞬く間に五日が過ぎて、コウスケは朝早く起き出して準備を始めていた。家の裏手に回ると、何やら土を掘り起こしてミミズを取り、小さな壺に入れるとそれを腰にぶら下げて、細長い竹竿を担いで出かけて行った。

 ようやく泉まで辿り着いたが、カミラはまだ来ていなかった。

「あまり早く来過ぎたかな…。しょうがない、少し寝ながら待つとするか…」

 コウスケは竹竿を置くと草の上に横たわった。朝早く起きたせいか少しうつらうつらし始めた。すると急に鼻がムズムズしてきた。

「ハァ…、ハァーックション」

「ウフフ…、目が醒めた。コウスケ」

 コウスケが目を開けると、ネコジャラシを持ったカミラが立っていた。

「あ、カミラ。おまえ、それでおいらの鼻をくすぐったな…」

「だってぇ、コウスケ。あまり気持ちよさそうに眠っているんだもん」

「しょうがないだろう。朝早く起きてミミズを取ったりして、いろいろ準備して来たんだぞ。だから、疲れてついウトウトしてしまったんだ」

「え、ミミズ…。気持ちわるい…、それで何するの……」

「ああ、この泉の魚でも釣ろうと思って、うちのお父に頼んで作ってもらったんだ。これを見てみろよ」

 コウスケは傍らに置いてあった竹竿をカミラに見せた。

「いいか。この竿についている糸の先の釣り針に、ミミズをつけて泉の中に投げ入れるんだ。すると、魚はエサが落ちてきたと思って食いつく。そこで、待っていましたとばかりに釣り上げるんだ。いまやって見せるから、そこで見ていろ」

 コウスケは得意気に、持ってきたミミズの入った壺を外すと、取り出したミミズを釣り針につけると泉の中に投げ入れた。

「これでよしと、あとは魚が食いついてくるのを待つだけさ。どうだ。簡単だろう」

「だけど、こんな小さな泉に魚なんているのかな……。あたし何回も来てるけど、魚なんて泳いでるの一度も見たことないよ」

「いるに決まってるさ。人間には見えないだけだよ」

「ふーん、そうかなぁ…。川ならわかるけど、こんなちっちゃな泉だよ。ホントに魚なんているの……」

「う、ほら、来た。やっぱりいるじゃないか。むむ、かなりでっかいぞ。これは…」

「ねえ、ねえ。何が掛ったの…。コウスケ」

「うう-ん…。まだわからん…」

 コウスケは慎重に釣竿を操っている。この時代の釣り糸は、カラムシなどの繊維を糸状に縒りあわせたものを用いられていた。また、これらの糸は着衣などにも使われていたらしい。従って、現在使われているテグス糸のように丈夫なものでなかった。釣り針は鹿の角を加工して作られていた。そのために、大物などが掛かった場合でも強引に引き上げることはできなかった。

 コウスケも掛かった獲物をすぐには引き上げず、しばらく自由に泳がせておいて竿を操りながら、獲物が疲れるのを待つより方法がなかった。こうして、一時間ほどかけてようやく魚を素手で引き上げることに成功したのだった。

 コウスケの捕まえた魚は、全長八十センチはあろうかと思える大きな鯉だった。

「うわぁ…、ずいぶん大きいね。これ…」

「これだけ大きいんじゃ、確かに疲れもするよな…。ふわぁ…」

 コウスケは両腕で鯉を抱えたまま、その場に尻もちをついてしまった。

「だいじょうぶ。コウスケ…」

 心配そうにカミラがコウスケに駆け寄った。

「これくらい平気さ。それにしても、コイツ意外としぶとかったなぁ。けっこうデカいし、もしかするとコイツはこの泉の主かも知れないぞ」

「だいじょうぶなの…。コウスケ、そんなものを捕まえたりしたら、罰当るかも知れないよ…」

「大丈夫だよ。カミラはそんなこと心配しなくてもいいから、どんどん釣ってやるから、そこでゆっくり見てな」

 それからふたりは昼過ぎまでかけて、鯉・鮒・鮎・虹鱒・山女魚などかなりの量を釣り上げた。

「さあ、かなり釣たしそろそろ帰ろうか。そうだ。カミラのお父にも半分持って行ってやろう。行こう」

「え、ホント。お父、よろこぶよ。きっと、あたしのお父も魚大好きなんだよ。ありがとう。コウスケ」 

 鯉や虹鱒など大きめの魚はコウスケが持ち、鮒・鮎・山女魚などの小ぶりの魚をカミラがぶら下げて、泉の森を通り抜け五日前に来たカミラの邑へ向かった。

 ゆるく傾斜した坂道を降りると、もうすぐ邑の入り口へと続く道だった。カミラは自分のうちを目指して小走りに駆けだしていた。

「カミラ、あんまり走ると転ぶからあぶないよ…」

「大丈夫だよ。コウスケ、あたいはこの道を毎日走ってんだもの、平気だよ…」

 コウスケもつられて走りながら言った。

「いいから、もうすぐあたいン家だから黙って走って…」

 カミラに言われた通り、コウスケはおとなしくカミラの後を追うように走った。

 自分の家の前まで来ると、カミラは一旦足を止めて、コウスケのほうを振り向いた。

「あたい、お父がいるかどうか見てくる…」

 そういうと家の中に駆け込んで行った。すると、すぐに父親のガラダとともに、外に飛び出してきた。

「おお、これはコウスケさま。まだお出でくだされたか…」

 前にもまして、ガラダの言葉遣いは丁寧になっていた。

「さあさ、どうぞ中へお入りくだされ」

 と、コウスケの手を引くようにして、家の中に招き入れた。

「きょうはカミラとふたりで、泉の森で魚釣りをやっていたら、こんなにいっぱい釣れたので、おじさんにも半分あげようと思って、持ってきてあげたんです…」

「これは、これは、ありがたいこんで…。それもずいぶんと釣れたもので…、おらも魚は大好きだで、ほんにありがたいこんで…」

「それで、食べきれなかったら、邑のみんなにも分けてやればいいですよ。おじさん」

「ほんだなぁ…。ほんじゃ、そうするぺぇか…。ほしたら、中さ入ってけろや」

 コウスケから、魚を通した細竹の輪を受け取ると、ガラダは進んで家の中へと運んで行った。

「いや、これはなかなかいい魚だ。半分は邑の連中に分けてやって、残りは干物にでもしたほうがええな…。それにしても、コウスケさまは釣りがうまいものんだな…。こんなにいっぱい釣り上げるなんてよ…」

「おじさん…。その、コウスケさまっていうの、止めてもらえませんか…」

「何云ってるだ。おめえさまのお父の、西の邑のコウヘー邑長のことは、南の邑の連中からも聞いただども、それはそれは賢くってやっぱり、神さまみでえな人だちゅうじゃねえか。その息子のおめえさまなら、やっぱり賢いに違いねえ。そんな人を粗末に扱ったら、おらも罰が当たっちまうだでな…」

 コウスケの父、邑長の耕平はガラダの話によると、あちこちに邑でも相当有名な人物らしかった。耕平の常として困っている人がいれば、どんなに遠くても出向いて行って、相談に乗ってやっていたからなのだろう。

「ンでも、おじさん。おいらはお父みたいに偉くも何ともない。カミラやおじさんと同じただの人だよ…」

「ただの人でも何でもいいさ…。そんなことより、今日は魚をもらった、お礼にわしが山ぶどうで造った酒を飲ませてやるから、呑んでいけ…」

「え…、おいら酒なんて飲んだことないし、やめておきますよ…」

「何を云ってるだ。いい若いものが、酒ぐらい飲めなくてどうするだ。おめえさまも、もうすぐおっ母ばもらう年頃でねえのがな…。もし、おめえさまさえよかったら、わしンとこのカミラを嫁にしてはもらえないかのう…」

「何云うの…。お父…、あたいは…、あたいは何も…」

 ガラダが急に嫁の話を出したので、カミラは頬を赤く染めながら、乙女の恥じらいを見せていた。

「あの…、おいらもまだお嫁だなんて早いと思うし、それにこういうことは、おいらだけでは決めれないし…、お父にも聞いてみないことには…」

 と、コウスケも、いささかしどろもどろになりながら、ガラダに話している顔にはまだ幼さが残っていた。

「よし、分かっただ。おめえさまもまだ若いんだ。ほだに急ぐごともあんめえ。さあ、まずは一杯やらんか…」

 ガラダはどうしても、コウスケに酒を飲まそうとして、酒壺の中から酒を酌んでコウスケに渡した。

「さあ、呑んてくだせえ。これは前祝いだで、遠慮はいらんですだ…」

「はあ…、いただきます…」

 コウスケは、恐る恐る酒の入った土器を口に運んだ。甘酸っぱい香りがコウスケの鼻を突いた。それをひと口含んで飲み込んだ。すると、コウスケの中で何かが弾けたような気がした。次の瞬間、身体の中心からカァっと熱いものが全身に広がっていった。コウスケの頭の中ですべてのものがグルグルと回りだして、コウスケはその場に倒れてしまった。

「なんだァ…。西の邑のコウヘー邑長の息子にしては、だらしのないヤツだな…。まったく…」

「だって、仕方がないよ。お父、コウスケはお酒を飲むの初めてだって云ってたもの…」

「うーむ…。しかし。西の邑まではかなりある。連れて行くのも大変だな…。酔いが醒めるまで、おめえの寝床で就寝ませてやれ。いいか、粗相のないように面倒を見てあげるんだぞ。わしが頭を持つから、おめえは足のほうを持ちな…」

 こうして、ガラダとカミラはコウスケを持ち上げると、カミラの寝床に横たえた。

「いいか。わしは狩りに出かけるが、おめえはよく面倒を見てやるんだぞ」

 言い残すと、ガラダは弓と石槍を持つと猟に出て行った。カミラは着ている衣服を脱ぎ捨てると、コウスケの傍らに座り着衣を脱がせ始めた。すっかり脱がせ終えるとカミラは歓喜した。

「まあ、かわいい…。男の子のって、こうなっているのか…。コウスケも眠っていることだし、ちょっと触ってみようかしら…」

 カミラは静かに手を伸ばすと、コウスケのものにそっと触れてみた。

「まあ…、ずいぶん柔らかいのね…。もうちょっと触ってみようかしら…」

 そして、片手でそっと握りしめてみた。すると、コウスケののものはピクンと反応を示し、少しだけ大きくなった気がした。

「あは…、何これ、おもしろ―い…」

 握った指を少し動かしていると、さらに大きさが増してきてドクンドクンという脈動が、カミラの指先にも伝わってきた。面白がってカミラが摩り続けていると、コウスケののものは一瞬ビクンと硬直したかと思うと、脈打つように白い液体を放出していた。

「キャー、コウスケが白いおしっこを漏らしちゃった…。どうしよう…」

 未だに男の生理を知らないカミラにすれば、コウスケの放出したものを白色の尿と捉えたとしても、至極当然のことだったのだろう。

 そんなことも知らないコウスケのは、翌朝酔いが醒めて目を覚ますとガラダに礼を言って、西の邑と呼ばれている自分の邑に帰っていった。

 また前と同じようにカミラが途中まで、送ってきたことはいうまでもなかったが、今回はコウスケがお父に逢わせたいからという、理由でカミラを強引に誘っていた。

「ねえ…、コウスケのお父って邑長でしょう。怖くないの…」

「全然怖くなんかないよ。時々難しい話はするけど、まったく怖くないから平気さ」

「コウスケ昨日はごめんね…。コウスケが昨日お酒を飲んで倒れた時、お父とふたりで寝床まで運んだの…。コウスケの着物を抜かせて…、コウスケの…、その…、おちんちんを触ったら急にムクムク大きくなってきて、何とか収まらせようとして摩っていると、いきなりコウスケが白いおしっこを漏らしちゃったの。ホントにゴメンなさい…」

「ええ…、どうしてそんなことすんだよ。あれは子供をつくるための、大切なものだってお父が云ってたぞ。どうしてくれるんだよ…」

「あれで子供ができるの…」

「なんだ。知らなかったのか、カミラは…」

「だってぇ…、あたいのお父もお母も教えてくれないもの…」

「誰も教えてくれるもんか、そんなこと…。動物を見てみろ。誰に教えられなくても、ちゃんと子孫を残してるじゃないか…。たかが虫けらだって、自分たちの子孫は残しているんだぞ…」

「ねえ…。そうしたら、あれをどうすれば子供ができるの…」

「そ、それは…、つまり、その……」

 コウスケも実際に経験がないので、急に口ごもってしまった。

「なんだ…、コウスケだって知らないくせに…」

「し、知ってるよ…。サルやシカやウサギだって、誰かに教えてもらうわけじゃないんだよ…。だけど、ああしてちゃんと子供を作って生きているんだ。

 おいらたちは動物じゃない…、人間なんだ。だから、動物と違っていろんなことも考えられるし、おいらたちは火だって起こせるんだよ。だからさ、おいらたち人間は動物なんかより、ずっと偉いんだ…。

 そうだ、カミラ、おいらのお嫁になってくれないか…。家に戻ったら、お父に話してみるからさ…」

「え…、あたいがコウスケのお嫁に……」

 カミラはコウスケの言葉に、思わず立ち止まったままで、しばらく身動きひとつしなかった。やがて、ゆっくりとコウスケのほうを振り向いた。

「いいわよ…。あたいコウスケのお嫁になってあげる…。あたいの邑では、初めて裸を見られた男のところに、お嫁に行くことになっているの。コウスケは泉の森で、あたいの裸を見たわよね…。だから、コウスケにはあたいをお嫁にする権利があるのよ…。

 お父もよろこぶわよ。きっと…。何てったって、コウヘー邑長の息子のところに、嫁に行くんですものね…。そうと決まれば、早く帰りましょう。コウスケ…。さあ、早くう…」

 唖然としている、コウスケの手を引っ張るようにして、カミラは元気よく歩き出した。コウスケにしてみれば、いともあっさりと自分の求愛を受け入れた、カミラの心情が信じられなかった。それれでも、コウスケは嬉しかった。

 嬉しさのあまり、躍り上がりたい気持ちを抑えて、コウスケはカミラとふたりで、他の邑からは西の邑と呼ばれている、自分の邑を目指してひたすら歩き続けた。そして、邑に着くと自分の家の前で、何かをしている耕平を見つけた。

「ほら、あれがおいらのお父だよ…。早く行こう…。カミラ」

 邑長の耕平は、かつて山本徹が残していった斧を使って、薪割りの真っ最中のようだった。

「ただいまー。お父、いま戻ったよー…」

 声をかけると耕平は薪割りの手を休め、コウスケほうを振り向いた。四十四歳を迎えた耕平の顔には、白髪の混じった髭を蓄えていて、邑長としての風格が備わっていた。

「お帰り、コウスケ。おや…、その娘さんは、どこの娘さんだね…」

「この娘かい。この娘はカミラと云って、東の邑のガラダという人の娘だよ。これがおいらのお父だよ。カミラ…」

 カミラは何も言わずに、頭をペコリと下げた。

「…とにかく、中へ入ってもらいなさい」

 耕平は、そういうと先に家の中へ行ってしまった。


     3


 耕平は、家にあがると囲炉裏に座り、いま割ったばかりの薪を残り火の上に焼べながら、コウスケとカミラの顔を交互に見て訊ねた。

「コウスケ、お前は昨夜帰らなかったようだが、そんな東の邑まで行って、いったい何をしていたんだね…」

「うん…、東の邑のわりと近くに泉の森というのがあって、そこでカミラとふたりで魚を釣っていたんだよ。そうしたら予想してたよりも連れたんで、どうしようかと思っていたら、カミラのお父も魚が好きだって聞いたから、分けてやろうとして持って行ったんだよ。

 そうしたら、大喜びされて中で休んで行ってくれって云われて、いろいろ話をしてたらお父の話になって、お父はあちこちの邑でもかなり有名だって聞かされたんだ。

 何でも知っているし、まるで神さまみたいな人だとも云ってたよ」

「ふふん…。そんなこともないさ。オレはみんなと同じただの人間だよ。それで、それからどうしたんだ。コウスケ…」

「うん、それからね。どうしてもお礼の気持ちだからと云って、酒を一杯だけでも飲んて帰ってくれって云われて、おいら飲んだことがないから、いいですって断ったんだけど、どうてもって云われて、ほんのひと口だけ飲んだんだ…。そうしたら、その酒は何で作った酒かはわからなかったけれども、飲み口は甘い味がして美味しかったかったけど、もの凄く強い酒だったらしく、ひと口飲んだらいきなり体中がカァーっとしてきて、それから先のことは何も覚えてなくて、目が覚めたら朝になっていたから、お礼を云って帰ってきたというわけだよ。あ…、それからお父にも魚を少し残してきてあげたから、あとで食べるといいよ。

 それで、カミラが途中まで送ってきてくれたんだけど、おいらが無理に誘って連れてきたんだ…。……ところで、お父。ひとつお願いがあるんだどけど、いいかな…」

 コウスケが、こんな真剣な表情で話すのを、これまで耕平は見たことかなかった。

「なんだ。どんなことだ。云ってみろ…」

「お父…。実は、おいらカミラをお嫁にしたいと思っているんだ…。いいだろう…。ダメかな…」

「いいも、悪いもない。お前がそうしたいと思うのなら、そうすればいいのだ。オレは別に反対などはせんぞ。しかし、いますぐにと云うわけにもいかんだろうな…。できるだけ早い時期に、オレがカミラさんのお父に逢って、嫁にもらいたい旨を話してみて、それでいいとなれば話は決まりだ。それまでは、いままで通りに付き合っているといい…」

「あは…、それなら大丈夫だよ。お父、カミラのお父は、おいらのお父のことを神さまみたいな偉い人だって、尊敬してたみたいだから話は決まりだね。よかったなぁ…。カミラ…」

「うん…、お父から話は聞いていたけど、コウヘー邑長はとても優しい人なんで、ほんとうによかったです。これから、よろしくお願いします。邑長…」

「おい、おい。カミラさん、その邑長はやめてほしいな。オレは邑長こそやってはいるが、自分のことを偉いとか、そういうことは一度も思っちゃいないんでね。よろしく頼むよ…」

「キャー、素敵…。それじゃ、これからはコウヘーお父って呼びます。よろしくお願いします…」

 カミラは、まったく物怖じもせず頭をペコリと下げた。

 縄文時代の現代っ子という、感じなのだろうと耕平は思った。

「今日は疲れているだろうから、昔山本が残していった小屋を片付けてあげるから、そこで休んでいくいい…。それから、コウスケはカミラさん面倒を見てあげなさい…」

 それから、三人総がかりで小屋の中が片付けられ、真ん中に掘られた囲炉裏に火が焚かれ、コウスケが釣ってきた魚が焼かれて、カミラが西の邑にやってきて初めての食事となった。

「そうだ…。コウスケ、ライラも連れてきて食べさせてあげなさい」

「うん、わかった。いま呼んでくるよ」

 と、コウスケは小屋を飛び出して行った。

「あの…、そのライラというのは、どなたですか…」

「コウスケの妹だよ…」

「コウスケには、妹さんがいたんですか…」

 そんな話をしていると、小屋の戸が開いてライラを連れた、コウスケが戻ってきた。

「さあ、ライラ。お兄ィが釣ってきた魚だ。たくさんあるから、いっぱいお食べ」

「お兄ィ、この女の人は誰…」

 耕平の向かいに座っている、カミラを見つけたライラが真っ先に訊いた。

「ああ、この人はな。東の邑のカミラと云ってな。今度お兄ィのお嫁さんなる人さ。だから、ライラにはお姉ェになるんだ。よろしくな…」

「ふーん…。だけど、あたしは大きくなったら、お兄ィのお嫁さんなるんだって云われてきたんだよ。それなのに、どうしてこの人をお嫁にするの…。お父…」

「なあ、ライラ…。これはコウスケが決めたことなんだ。人間はどんな小さなことでも、自分の意思で決めなくちゃならないって、いつも教えてあるだろう。

 だから、これはコウスケが決めたことなのだから、みんなが認めてやらないといけないいんだよ。分かるな。ライラも…」

「それなら、あたしもわかるわ。お兄ィの決めたことは…、自分でそうしたいって思ったからでしょう…。だけど、お兄ィの意思はそれでいいけど、あたしの意思はどうなるの…。あたしは、子供の頃から大きくなったら、お兄ィのお嫁さんになるんだって決めていたのよ。お父もお母ァもそう云っていたわ。それなのに、あたしの意思はどうなるのよ…」

 一気に捲くし立てるライラの言葉に、山本の小屋の中は一瞬静まり返った。

「ちょっと待ってよ。ライラさん…、コウスケがとあなたは兄妹でしょう…。兄妹なら結婚なんて、できるはずもないわ…」

 それまで、黙って三人の話を聞いていた、カミラが突然ライラの言葉を遮った。

「いいえ、あたしは知っているの…。お兄ィとあたしは兄妹なんだけど、お母ァから聞いたわ…。本当はお母ァのお姉ェの娘だって…。

 だから、従妹にあたるんだもの、結婚だってしようと思えばできるのよ。これでもいけないのかしら…」

 ライラはそういうと、カミラに対するライバル意識を、メラメラと燃え立たせていた。

「まあ、まあ。ふたりとも、少し落ち着いて座りなさい…」

 ふたりのやりとりを聞いていた耕平が言った。

「確かにコウスケとライラは、兄妹として育ててきたし、ふたりともそう思っていたことも確かだろう…。コウスケも立派な大人に成長してくれた。

 人間は動物などと違って、子供のうちは親を頼らなければ生きてはいけないが、大人になれば嫁をもらってそれぞれ家を構えて、家族とともに暮らしていかねばならんのだ。

 コウスケは、このカミラさんを嫁にもらうと決めたのなら、オレたちも親として兄妹として、それを尊重してやらなければならんのだ。分かるな…。ライラ」

「あたしはいやよ。そんなの…、どうしてお兄ィのお嫁になるのが、あたしじゃなくてこの人でなくちゃならなくちゃダメなの…。そんなの変よ。あたしは絶対に認めないから…」

 ライラは意固地になっているらしく、ふいっと立ち上がると入り口の扉を開けて、外に出て行ってしまった。

「どこに行くんだ…。ライラ」

 コウスケが呼び止めたが、ライラは振り向きもせずどこかへ行ってしまった。

「やれ、やれ…。困ったヤツだな。アイツにも…、いつまで経っても大人になり切れないところがある…」

「呼び戻さなくてもいいのかい…。お父…」

「いいから、ほっときなさい。どうせ、そのうちにケロッとした顔をして、戻ってくるんだろうから…」

「でも、ライラも小さい頃は、もって素直でいい子だったのにさ。どうしたんだろう…」

「やっぱり、あたいがよくなかったのかしら…。突然横から出てきて、コウスケのお嫁になる話なんかしたから…」

「いや、そんなこともないだろう。ライラも心の中ではわかっているんだと思うよ…」

 耕平たちが山本の小屋で、そんな話をしている頃、ライラは夢中で草原を走り抜け、いつの間にかコウスケとカミラが出逢った、泉の森のすぐ近くまで辿り着いていた。

 一歩中に踏み入ってみると、森閑とした静寂さが漂っていて、鳥の鳴く声も聞こえてはこなかった。

 ライラはどんどん奥へ歩いて行くと、一本の大木が生えているのを見つけた。大木に近づいていくと、周りにはあまり木が生えてなくて根元を見ると、真っ赤に熟れたイチゴが群生していた。

「うわぁ…、おいしそう…」

 ライラは巨木の下にしゃがみ込むと、一面に生えているイチゴを摘むと片っ端から食べ始めた。かなりの距離を走ってきたせいもあって、ライラは空腹に襲われていたのか、夢中で摘んでは食べ摘んでは食べを繰り返していた。

 ようやく空腹が満たされたのか、ライラは大木の根元に腰を下ろすと、樹の幹にもたれかかり伸びをひとつした。すると、急激に眠気を催したのかライラは転寝(うたたね)をし始めた。

 さて、夕暮れ近くになっても帰らない。ライラのことを一番心配していたのは、耕平の妻でありコウスケとライラの母でもあるウイラだった。

「コウヘイ、ライラがまだ戻らないのですが、大丈夫でしょうか…。もし、あの子に万一のことでもあったら、あたしは姉のカイラに申し訳が立ちません。何とかして、あの子を探し出して連れてきてもらえませんか…」

「うーむ…、ライラはまだ帰らないのか…。よし、わかった。おい、コウスケ。確か山本の小屋の中に松明が残っていたはずだ。お前ちょっと行って探してきてくれないか…」

「松明…。ああ、火を灯して暗いところを照らすヤツだね。ちょっと待ってて、いま見てくるから…」

 と、コウスケは出て行った。しばらくすると、四・五本の松明を抱えてコウスケが戻ってきた。

「あったよ。お父、これでいいのかい…」

「よし、あったか…。しかし、探すとなると皆目見当がつかんな…。カミラさん、どこか心当たりになるようなところは、何か思いつきませんか…」

「ええ…、あたいもこちらのほうは初めてなもので、心当たりになるようなところと云えば、コウスケと出逢った泉の森くらいしか、思い当たりませんが…、すみません。お役に立てなくて…」

「ふーむ…、泉の森か…。あそこまでだとかなりあるな…。よし、コウスケ出かけるぞ。用意をしろ…」

 耕平はコウスケを促すと、自らも立ち上がった。

「待ってください。コウヘーお父、もとはと云えばあたいのせいで、ライラさんは飛び出して行かれたんですから、あたいも一緒にまいります。もうすぐあたいの妹になるライラさんですもの。黙って指を咥えて見ているわけにはまいりません。お供させてください…」

「よし、わかった…。それじゃ、行こうか…。ウイラ、行ってくるよ」

 カミラの申し出を快く受け止めて、耕平・コウスケ・カミラの三人は、夜の泉の森を目指して出かけて行った。

 夜道の草原地帯は、どこまでも果てしなく続いているように思えた。昼間と違って空は夕方から厚い雲に覆われていて、星も月もみんな隠れているから一層暗さが身に沁みた。こんな真っ暗闇の中で、ライラがどんなに怖い思いをしているのかと思うと、コウスケは居ても立ってもいられない思いでいっぱいだった。

「なあ、お父…。ライラのヤツ、いま頃はきっと寂しっくて、泣いているんじゃないのかなぁ…。アイツ寂しがり屋で泣き虫のところがあるんだ…。可愛そうになぁ…」

「大丈夫だ。コウスケ、ライラもああは見えても、お父の友達の血を引いているんだ。ちょっとやそっとのことでは、ヘコタリなんかするものか。いまに元気な顔を見せてくれるさ。心配するな」

 三人は明け方近くまで探し回ったが、結局ライラの姿を見つけ出すことはできなかった。

 そのうち東の空が白々と明けてきた。

「ふうー、ダメだぁ…。ライラはどこに行ってしまったんだろう…。もう朝だよ。お父…」

「うむ、そうだな…。少し休もうか。コウスケ、火を起こしてくれ…」

「あ…、それなら、ここからだとあたいの家が近いから、そこで休みましょう。コウヘーお父」

「そうか、それは助かる。それに近いうちにカミラさんを嫁にもらうために、あいさつに来なけれいかんと思っていたところだったから、ちょうどいい。お邪魔しよう…」

「よーし、決まりね。それじゃ、行きましょうか…」

 こうして、カミラを先頭にして東の邑にある、ガラダの家を目指して三人は歩きだした。 ガラダの家に着いた頃には、すっかり夜も明けて太陽が赤々と昇り始めていた。

 カミラは家にたどり着くと、小走りに家のほうに向かいガラダを呼んだ。

「お父…、西の邑のコウスケとコウヘー邑長をお連れしたよー」

 カミラが声をかけた途端に、家の中からガラダが飛び出してきた。

「これは、これは、コウヘー邑長さま。お噂はかねがね伺っておりますだ。恐れ多いことで…。どうぞ、中でお休みくだされ…」

 ガラダは極めて低姿勢で耕平たちを招き入れた。

「それではお邪魔しましょう。実は娘が行方不明になりましてな。一晩中探していたのですが、とうとうここまで来てしまったというわけです。しばらく休ませていただければ助かります」

「あんれ、まあ…、それは大変でした。どうぞ。中のほうで…」

 ガラダは耕平たちを中へ招じいれた。

「あ…、お父。お兄ィ…」

 ガヤガヤという声に目を覚ましたのか、ライラがムックリと身を起こし耕平とコウスケを呼んだ。

「何だ…、ライラはここにいたのか…。どうしたんだ。一体…」

「あんれ、まあ。この子が邑長さまの娘さまだっとは…、実はのう、邑長さま。おらが薬草を取りに泉の森に行ったら、この娘さまが大木の根方に寄りかかって眠っていたんで、起こすのもなんだしと思って、おらが負ぶって連れてきたちゅうわけですだ。

 だども、この子がまさか邑長さまの娘さまだったとは、夢にも思わなかったもんでびっくりしたですだ」

「それは世話をかけました。礼を申します…。ところで、ガラダさん。うちの息子のコウスケが、こちらの娘さんを嫁にもらいたいと申しますので、あいさつに来た次第なのですが、いかがなものでしょうか…」

「何を申されますだ。邑長さま、もったいないこんで…、いかがも何もないですだ。こっだな名誉なことはねえですだ。嫁にでも何でももらってもらえるなんて、この上もねえ幸せなヤツでごぜえます。ありがとうごぜえますだ…」

「いや、礼を云うのはこちらのほうですよ。ガラダさん、それでは、これで話は決まったようです。コウスケ、お前からもガラダさんに礼を云いなさい…」

「ありがとう。ガラダのお父、おいらカミラを大事にするから、心配しなくていいよ」

 こうして、コウスケとカミラの縁組も決まり、ふたりの新居はかつて山本徹が建てた、ログハウス風の小屋が当てれることになった。

「さあ、カミラ。今日から、ここがおいらたちの家だよ。

 もう、何をしようと誰からも何も云われることはないんだ。何をするのにも、おいらたちの意思で自由に決められるんだ。

 これからは、おいらたちもふたりで力を合わせて、立派な家族を作っていこうな。そして、子供だっていっはい作って誰にも負けないような大家族にするんだ。カミラ…」

「まあ、子供…。それに大家族だなんて…、コウスケ…。うわぁ…、あたい恥ずかしい…」

 カミラはコウスケに言われて、急に恥ずかしくなったのか、顔を覆い隠すようにしてコウスケにしがみついてきた。

 コウスケとカミラは、こうして新しい生活が始まったが、コウスケはライラのことを思うと、そんなに喜んでばかりはいられない気持ちだった。

 何故なら、コウスケもライラも幼い頃から兄妹として育てられ、大きくなったらライラはコウスケの嫁にするんだぞ。と、父の耕平から口癖のように言われてきたからだった。

 ライラは妹として育てられてきたが、母親であるウイラの姉カイラと、耕平の友人山本徹との間に生まれた子供であり、カイラが人喰い熊に襲われ命を落としてからは、ふたりがわが子のように育ててきたのだった。

 そして、ことあるごとに耕平からもウイㇻからも、「お前たちは大きくなったら、お父とお母ァのように一緒になるんだぞ」と言われてきた。

 その親の意に反して、突然カミラを嫁にしたいと言っても、自分で決めたことならそれもよしとして、快く認めてくれた耕平の心が嬉しかった。だが、それがもとでライラの一途な想いを傷つけてしまったことは、コウスケにとって非常に心苦しいことでもあった。

 翌日からは、コウスケもカミラとの生活を支えていくために、毎日狩りに出かけることが多くなった。

 カミラもコウスケが留守の間は、耕平の家に行ってウイラの手伝いをしながら、ライラとも話しをして、できるだけライラの心を開こうと努力をしていた。

 ライラも最初のうちこそ心を閉ざし、ろくすっぼ口も利いてはくれなかった。

 それでも、カミラが努力した甲斐があったのか、もともと気のいい優しい子だと、コウスケも言っていたように、ライラも次第に心を開いていって、間もなくコウスケ同様カミラのことも、お姉ェお姉ェと慕うようになっていった。

 それから、また季節は移ろい一年近い月日が過ぎて、コウスケのところに新しい命が誕生していた。

 耕平にとっても初めての孫であった。カミラも初産にしては割りと安産に済み、母子ともに健康であった。耕平は息子コウスケの子にコウタロウと名付けた。

 そして、この縄文時代というひとつの時代の中にも、また新しい季節が廻ってきたように思えた。そして、いづれは自分もこの時代の中で人々からも、忘れ去られてしまう日がやってくるのだうろと、耕平は密やかに想いを巡らしていた。


     4


 縄文の里の暑かった夏も終わりに近づいて、四方を山に囲まれたこの里にも秋風が立ち始めていた。そして、また寒く厳しい冬の到来が間近に迫りつつあった。

 その日も朝から蒸し暑かったが、時折り吹き込んでくる風にも、そこはかとなく秋の兆しが見え隠れしていた。

 そんなある日、耕平の邑にぶらりとやって来たひとりの男がいた。男は邑人に邑長の家はどこかと尋ねた。邑人が教えてやると、男はさっそく耕平の家に訪ねて行った。耕平は留守だったが、待っているようにとコウスケに言われて、しばらく待っていると耕平が狩りから戻ってきた。

 耕平は遠路はるばるやって来たという、男を家の中に招じ入れ話を聞いてみることにした。男は西のほうから長い期間旅を続けて、ようやくこの地に辿り着いたといった。男は名をムナクと名乗り生業は猟師だと答え、獣を狩って旅を続けているうちに、気がついたらここまで来ていたと語った。

 彼は定住の地を持たない狩猟民族の末裔らしく、獲物を狩ってはその土地の邑人と物々交換をして、生活を送るのを常としているらしかった。

「年がら年中、そうやって旅ばかり続けていて、疲れたりはしないのかね…」

「おいらたちは生まれた時から、こんな生活を送っておりますから、いまさら苦にもなりませんね」

 と、いうのがムナクの弁であった。

「どうだね…。ひとつ提案があるのだが、狩りをしながら旅を続けるのも結構。きみもまだ若いんだし、ここらで少し休憩を入れるつもりで、しばらくのんびりと暮らしてみないかね…。ちょうど昔わたしの友だちが建てた小屋が空いているんだ。ここと同じような囲炉裏と云って、薪を焼べて火の焚けるところもついているんだ。そこでゆっくり休むのも身体のためにもいいはずだ。

 せめて今日一日だけでもいいから休んでいきなさい。コウスケ、ムナクくんを案内してあげなさい」

 コウスケに案内されて、かつて山本徹が邑人の力を借りて建てたという、ログハウス風の小屋にやってきた。

「うわぁ、おいらこんなところにひとりで住むの初めてだよ。おいらたち狩猟民族は一定の場所には住まないから、普通は洞窟とか野宿が主だった今夜はぐっすりと眠れそうだ。ありがとう、コウスケ」

「あとで妹に食い物を届けさせるから、ゆっくりと休むといいよ」

 夕方になると、ライラが食べ物を運んでやってきた。

「どう…、ムナク。すこしはゆっくりできたかしら…。これ、お母ァが持って行ってあげなさいって寄こしたの。食べられるかしら…」

「うん…、ありがとう。きみは確かライラと云ったよね。おいらたちは狩猟民族だから、どんなもだって食べられるよ。これはイノシシの肉だね…。うまそうだ。いただきます…」

 ムナクは、実にうまそうにイノシシの肉を食べ始めた


      4


縄文の里の暑かった夏も終わりに近づいて、四方を山に囲まれたこの里にも秋風が立ち始めていた。そして、また寒く厳しい冬の到来が間近に迫りつつあった。

その日も朝から蒸し暑かったが、時折り吹き込んでくる風にも、そこはかとなく秋の兆しが見え隠れしていた。

そんなある日、耕平の邑にぶらりとやって来たひとりの男がいた。男は邑人に邑長の家はどこかと尋ねた。無人が教えてやると、男はさっそく耕平の家に訪ねて行った。耕平は留守だったが、待っているようにとコウスケに言われて、しばらく待っていると耕平が狩りから戻ってきた。

耕平は遠路はるばるやって来たという、男を家の中に招じ入れ話を聞いてみることにした。男は西のほうから長い期間旅を続けて、ようやくこの地に辿り着いたといった。男は名をムナクと名乗り生業は猟師だと答え、獣を狩って旅を続けているうちに、気がついたらここまで来ていたと語った。

彼は定住の地を持たない狩猟民族の末裔らしく、獲物を狩ってはその土地の邑人と物々交換をして、生活を送るのを常としているらしかった。

「年がら年中、そうやって旅ばかり続けていて、疲れたりはしないのかね…」

「おいらたちは生まれた時から、こんな生活を送っておりますから、いまさら苦にもなりませんね」

 と、いうのがムナクの弁であった。

「どうだね…。ひとつ提案があるのだが、狩りをしながら旅を続けるのも結構。きみもまだ若いんだし、ここらで少し休憩を入れるつもりで、しばらくのんびりと暮らしてみないかね…。ちょうど昔わたしの友だちが建てた小屋が空いているんだ。ここと同じような囲炉裏と云って、薪を焼べて火の焚けるところもついているんだ。そこでゆっくり休むのも身体のためにもいいはずだ。

せめて今日一日だけでもいいから休んでいきなさい。コウスケ、ムナクくんを案内してあげなさい」

コウスケに案内されて、かつて山本徹が邑人の力を借りて建てたという、ログハウス風の小屋にやってきた。

「うわぁ、おいらこんなところにひとりで住むの初めてだよ。おいらたち狩猟民族は一定の場所には住まないから、普通は洞窟とか野宿が主だった今夜はぐっすりと眠れそうだ。ありがとう、コウスケ」

「あとで妹に食い物を届けさせるから、ゆっくりと休むといいよ」

 夕方になると、ライラが食べ物を運んでやってきた。

「どう…、ムナク。すこしはゆっくりできたかしら…。これ、お母ァが持って行ってあげなさいって寄こしたの。食べられるかしら…」

「うん…、ありがとう。きみは確かライラと云ったよね。おいらたちは狩猟民族だから、どんなもだって食べられるよ。これはイノシシの肉だね…。うまそうだ。いただきます…」

 ムナクは、実にうまそうにイノシシの肉を食べ始めた。

「ねえ、ムナク。あなたたちは、邑も家も持たないで狩りを専門にやって、生活をしているって云ってたけど、お父やお母ァはどうしたの…。あなたはどうしてひとりなの…」

「お父もお母ァも、みんな死んじゃったよ…」

「死んじゃったって…、病気かなんかで…」

「いや、おいらのお父は、傷を負った獣に跳ね飛ばされ、頭を岩に叩きつけられて死んだ…。お母ァは逃げ遅れて、そいつに踏み潰されて殺されたよ…」

「まあ、恐いわ…。でも、そんなに大きくて力のある獣ってどんなの…。あたし聞いたことないわ…」

「ああ…、この辺にはいないだろうから、ライラは知らないのも当然だろうな…。

 でも、そいつは普段はおとなしくて動きも鈍いんだ。それが傷ついたり暴れ出すと、手が付けられないほど狂暴になるんだよ」

「ふーん…、それでどうしたの。ムナクは…」

「おいらは悔しくて、それから必死になって弓の練習をしたんだ。だから、いまでは誰にも負けないくらいの自信を持ったのさ」

「うちのお父も弓は上手だけど、いつかどっちが巧いか腕比べをしてみるといいわよ…」

「悪いんだけど、いくらコウヘイ邑長と云えども、おいらに勝てないと思うよ…。邑長は一度に二本の矢を射(う)って、どっちも外さずに獲物を仕留めることができるかい…。おいらはそれができるんだ…。明日にでも見せてあげるよ」

「わあ、ホント…、嬉しい。見せて、見せて…」

 翌日になるとライラから話を聞いたのか、耕平がコウスケとライラを伴って、ムナクの休んでいる小屋にやってきた。

「ライラから聞いたのだが、きみは二本の矢を同時に射って、ふたつの獲物を倒せるそうじゃないか。オレたちも参考のために、ぜひ見せてもらいたいと思ってきたんだが、見せてもらえるかな…」

「いいですとも、お世話になったお礼にあんなものでいいのなら、いくらでもお見せしますよ…。いまから、すぐにでもお見せしますか。邑長…」

「そうか、見せてもらえるか。ここでは場所的に問題だな…。よし、それでは邑の外れの林の向こう側に草原地帯があるから、そこに行って見せてもらおうか…」

「わかりました。邑長、すぐ用意しますから、少しだけ待っていてください」

耕平たちが小屋の外に出て待っていると、間もなく弓と矢を手にしたムナクが出てきた。

「お待たせしました。それでは行きましょうか。あの林の向こうですね。おいら、ここに来た時に通ってきたからわかりますよ。あそこは広々としてるからいいですよね。さあ、まいりましょうか…」

そういうと、ムナクは先頭を切って歩き出した。後から耕平たち三人が続いた。日差しは強かったが、時折り吹いてくる風は真夏の風と違って、ここかしこに冷たさを感じられるような風だった。

「この辺ならいいだろう。ここらでひとつやって見せてくれないかね…。ムナクくん」

「いいですよ。さてと、獲物はどこかにいないかな…。獲物、獲物と…」

ムナクは空を見上げながら、飛んでいる鳥いないかと四方を見渡した。

すると、山手のほうから番いか親子か、二羽の鷹か鷲が飛んでくるのが見えた。

「あ、あれがいいですね。村長、あの辺では矢が届かないから、もう少し近くに来るのを待ちましょう」

 見ていると、番いの鳥はムナクと耕平の頭上近くまで飛んでくると、上空を輪を描きながら舞い始めた。

「あの辺なら行けそうです。邑長、見ていてくださいよ…」

 いうよりも早く、ムナクは日本の矢を弓につがえ始めた。舞い飛ぶ二羽の大鳥に狙いを定めて、ムナクは弓を引き絞り二本の矢は放たれ一直線に飛んでいった。ムナクの射た矢は二羽の鳥に命中して、短い鳴き声をあげると地上にまっしぐらに落ちてきた。

「うむ、見事なものだな…。ムナク」

 耕平はムナクを称えた。

「なるほど、実に見事なものだな…。鳥は分かったが、獣の場合はどうするんだね…」

「獣だって同じことですよ。邑長、あまり大きなもの以外なら、まず十中八九間違いなく仕留められます。特にイノシシなどはほぼ確実ですね…」

「ほう…、それは頼もしい限りだね。こんど機会があったら、ぜひ見せてもらいたいものだな…」

「こんどなどと云わずに、きょうお見せしましょうか…。邑長、どこかイノシシがいそうな場所は知りませんか…」

「ないこともないが、ヤツらは危険すぎるぞ。いったん傷でも負うものなら、死に物狂いで突進してくるからな」

「いや、それでいいんです。そのほうが、こちらとしてもやりやすいと云うものです。どこですか。その場所と云うのは、おいらをそこへ連れてってください。邑長」

「そういうところを見ると、よほどの自信があるようだな…。いいだろう、連れて行ってやろう。あっちだ。付いてきなさい」

 耕平は踵(きびす)を返すと裏手にある森のほうへ歩き出した。うっそうとした草原を進んでいくと、ほどなく深閑とした森の入口近くまで辿り着いた。

「よし、ここから誘き出すとするか。ここに爆竹と云ってな、火をつけると大きな音を立てるものだ。昔オレの友だちが持ってきたものだから、果たしてなるかどうかわからんが、とにかく火を起こしてみよう…」

耕平は火を起こし始め、火が燃え出すとムナクにいった。

「いいか。これをお前の矢の先に結び付けて、あの森のできるだけ中央近くの空に向かって射ってくれ。そうすると、これが爆発して音を立てるから、獣たちが驚いて飛び出してくる。何が出てくるかはわからんが、その中にイノシシがいれば見つけものだろう。とにかくやってみようか…」

 ムナクから矢を一本受け取ると、耕平は爆竹をひとつ結び付けてムナクに渡した。

「いいか、この先に火をつけたらすぐに森の上目指して射ってくれ」

「うん、わかった。出きるだけ早くだね。邑長…」

 そういうと、ムナクは矢についた爆竹の導火線に火をつけると、勢いよく森の上を目がけて矢を射った。矢は弧を描くように、森の中央部に落ちて行くと爆竹は猛烈な勢いで炸裂した。

 パン、パンパン、パン、パン、パン…。

 まず、いち早く飛び出してきたのは鳥たちだった。続いて、さまざまな動物たちが四方に飛び出し、何処へともなく走り去っていった。

「ほら、来たぞ。イノシシたちも飛び出してきた。狙うなら、いまだ…」

「邑長は危ないですから、少し退いていてください。おいらは表面から突っ込んでくるヤツを狙います…」

 いうよりも早く、日本の矢をつがえるとムナクは自分を目指して突進してくる、イノシシ狙いを定めると素早い動作で矢を放った。ムナクの弓から放たれた二本の矢は、ものの見事にイノシシの両眼を貫いた。矢は脳まで達しているらしくイノシシは、そのまま走り続けてムナクのわずか手前まで来てパタリと倒れた。

「うーむ…、見事だな。ムナク…」

 耕平はムナクに近寄りながら言った。

「大した腕前だよ。神業としか云いようがない。いや、お見事、お見事…」

 邑長の耕平に褒められて、ムナクは照れ笑いをしながら頭を掻いた。

「ところで、きみはこれからどうするんだね…。この邑は、ただの通りすがりで立ち寄ったのならともく。もしも、行く当てもない旅なのだったら、しばらくここで暮らしてみる気はないかね。きみに貸した小屋もあることだし、少しは腰を落ち着けて暮らしてみるのもいいものだぞ。それに、きみのお父もお母ァも死んだそうだし、天涯孤独じゃ寂しかろうに…。オレでよかったら力にもなってあげよう…」

親が死んでからのムナクは、食うや食わずの生活の中から、独自の弓法を編み出し今日に至っていた。そんなムナクに、耕平の温かな思いやりと心遣いが身に沁みた。そして、いままで味わったことのない、人間の真の優しさ触れたような気がした。

「ありがとうございます。邑長、おいらも、この邑が気に入ったし、お言葉に甘えてしばらくの間、お世話になろうと思います。よろしくお願いします。邑長」

「おお、そうか、そうか。何なら、きみさえよければ、ずっと住み着いても構わんのだよ」「ありがとうございます。そう云っていただくと、おいら涙が出るくらい嬉しいです。邑長…、しばらく考えてみます…」

「時間はたっぷりあるんだ。ゆっくり考えるといい…。そうと決まれば、今晩はムナクの歓迎会で助やろう。その前に、もう少し獲物を狩らないといかんな…。コウスケに云って魚でも釣らせよう…」

「お父…。あたし、お兄ィを呼んでこようか…」

 傍らでふたりの話を聞いていたライラが、立ち上がりかけながら耕平に訊いた。

「おお、そうしてくれるか。それでは頼もうか…」

「はーい…。そいじゃ、あたしお兄ィを呼んでくるから、ちょっと待ってて…」

 ライラもまた、縄文時代の現代っ子であった。あっけらかんとした表情で出て行ってしまった。しばらく待っていると、コウスケがライラとともにやってきた。

「何だい。お父、おいらに用って…」

「ああ、ムナクくんはな。オレたちと違って家や邑を持たずに、北から南まで狩りを専門にして生活をしている狩猟民族だそうだ。しばらくは、この邑に留まることになった…。分からないこともあるだろうから、お前が教えてやってくれ。あとは頼むぞ。コウスケ」

「教えるったって、どこでも同じだろう…。そんなものは…」

「いや、そうじゃないと思うよ…。コウスケ、おいらもあちこちの邑を周ってきたけど、その邑その邑で習慣とかしきたりが、かなり違っているんだよ。〝郷に入れば郷に従え〟って云うだろう。だから、この邑での決まりとかあったら教えてほしいんだ。頼むよ。コウスケ…」

「それはいいけど…、この邑にそんなものないよね。お父…」

「昔はいろいろあったんだが、オレが邑長になってからは、できるだけなくして行ったんだ。みんな迷信みたいなものばかりで、オレも当時はだいぶウンザリしたものさ」

「迷信…って何だい。お父…」

「迷信と云うのはだな。コウスケ、実際にはないものを、あることのように信じてしまうことだ。古い人たちはそういったことを、みんな信じていたんだろうな…」

「ふーん、そうなのか…。ところでムナク、いま聞いたように邑には取り立てて云うような、決まりなんてまったくないから、好きなようにやるといいよ。もし、何か思い出したらその時は教えてやるからさ」

「よし、それじゃ…、コウスケは釣りに行くんだろう。おいらね連れて行ってくれないかな。コウスケが魚を釣ってる間に、おいらは何か獲物でも狩ってやるよ…」

「うわぁ、だったら、あたしも一緒に行きたーい。わーい、わーい…」

 ライラが、大きな声ではしゃぎながら、そこいら中を飛び跳ねて回った。

「あーあ…、ライラのヤツはいつまで経っても、子供なんだから困っちゃうよな…。しょうがない。連れてってやるか…」

コウスケは、渋々ライラも連れて行くことを認め、ムナクに目配せをすると泉の森に向かった。広い草原を抜けて泉の森までくると、さざ波ひとつ立っていない鏡面のような湖水をたたえていた。

「わぁ…、ここはいつ見てもきれいな水だわ…。あたし水浴びしようかな…」

 と、いってライラは衣服を脱ぎだした。

「おい、止めろよ。ライラ、、ここでお前に泳ぎ出されたら、魚がみんな逃げていっちゃうだろう…」

「大丈夫よ。お兄ィ、あたしは向こう側に行って泳ぐから…」

着ていたものをすべて脱ぎ去ると、ライラは素っ裸で向こう岸へと走っていった。

「まったく困ったものさ…。ライラのヤツにも、いくつになっても人前でも平気ではだかになるんだから、まったく子供としか云いようがないよな。アイツは…」

「おいらのことなら気にしなくてもいいよ。コウスケ、それよりも早く魚を釣れよ。

 おいらもちょっとだけ見てみたいしさ…。それにどんなのが釣れるのかも知りたいんだ」

「うん、こんなちっちゃな泉だけど、いろいろ釣れるんだ。まあ、楽しみに見てなよ」 

 コウスケはしゃがみ込むと、釣り針に餌をつけて湖水に投げ入れた。

 湖面は静まり返り、周りは物音ひとつしない。静寂を破るものとて何もなかった。

「ふーん…、静かだな…。こんなところに魚なんているのか、コウスケは。魚が飛び跳ねる音もしないぞ…」

「誰でも、みんなそう云うよ。まに見ていろ。ふたりでも持ち切れないほど釣れるんだぞ」

 コウスケは、前に釣り上げた経験をムナクに自慢した。

釣りをするコウスケの側に立って、それを見ていたムナクだったが、いくら待っても一匹もかからない魚に、半ば諦めたようにコウスケに声をかけた。

「どうせ、こんなちっちゃな泉だ。ろくに魚なんているはずもないや…。おいらは向こうの森に行って狩ってくるから、コウスケはここでゆっくりと釣っているといいよ。それじゃ、おいらは向こうに行ってみるからな…」

 そういい残すと、ムナクは振り向きもせずに森を目指して立ち去った。

「ちぇ…、ムナクのヤツ。おいらをバカにしてるな…。よーし、見てろよ。アイツが戻ってくるまで、びっくりするくらい釣ってやるからな…」

コウスケは意気込んで釣りに専念し始めた。

一方、ムナクは大見栄を切ったものの、森の中はひっそりと静まり返り、獲物のいる気配はまるでしなかった。

「なんだぁ…。この森は…、鳥の鳴き声どころか獣のいる気配もしないじゃないか。コウスケにああ云った手前、もしも手ぶらで帰ったりしたら、おいらの面目が丸つぶれになる。何とかしなくちゃ…」

あちこち探し回ってコウスケは、藪の中を掻き分けて入って行くと、ようやく何かの巣を見つけた。巣の中には人間の拳大より、少し大きめの卵かビッシリ詰まっていた。

「なんの卵か知らないけど、これだけあればみんなで食べても間に合うだろう…」

自分の着ている衣服を脱ぎ捨てると、ムナクは卵を詰まるだけ詰め込むと、ムナクはコウスケの待っている泉へと戻っていった。

「コウスケは…、この森は何か変なんじゃないのか…。鳥も獣もまったく見当たらないし、妙に静まり返っている…」

「そんなこともないだろう。いつもは小鳥がさえずっているよ。たまにはそんな時もあるんだろう…。ところでムナクは何を持っているんだい…」

「ああ、これか…、藪の中を探しているうちに見つけたんだが、卵なんだけど何の卵かわからないんだ。これって、食えるかな…」

 ムナクは持っていた、衣服の包みを開いてコウスケに見せた。

「うわぁ、すごく大きな卵だね。なんの卵だろう…」

「おいらも、こんな大きな卵こんな大きなヤツは初めてさ。こんなのを蒸し焼きにして喰ったらうまいぞ…」

「よし、おいらの釣った魚と合わせたら、豪勢な歓迎会ができるぞ。これを見てくれよ」

 コウスケは、自分の足元の釣り上げた魚を指していった。そこにはさまざまな魚が所狭しと置かれていた。

「これ全部コウスケが釣ったのか…」

そうだ。さてと、それではライラを呼び戻して帰るとするか。おーい、ライラ…。そろそろ帰るぞ…。早く戻ってこーい…」

「はーい…」

 という声がして、まだ幼さの残る乳房を揺らしながら、ライラは戻ってきた。

 こうして、その夜のムナクの歓迎会は耕平の獲ってきた、キジや山鳥も含めて豪華な食材が並び、カミラやコウタロウも加わり賑やかな時間が過ぎて行った。

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