廻りくる季節のために 縄文に吹く風

佐藤万象

序之章

 縄文の里に吹く風は今日も爽やかだった。厳しかった冬もようやく過ぎて、温暖な季節がやつてくると邑人たちも一気に活気づき始める。夏秋に収穫した米・粟・稗などの農作物と、野山で狩った栗・どんぐり・椎の実を始めとした木の実や、鹿・イノシシ・羊といった収穫した物を、干し肉などに加工し冬季間の食料として、掘っ立て柱建物と呼ばれている倉庫に保存して置くのである。

 一方で稲作のほうは外から渡来した産物だけあって、水耕栽培の技術が追い付いて行けず、今でいう「稲熱病」や「根腐れ病」などの病害に苦しめられていた。だが、邑人たちの努力の甲斐もあって改良が加えられ、水耕栽培を始めた当初から比べれば断然生産効率が高まって行った。このように日本の稲作文化は古く、遠く大陸を渡り朝鮮半島を経由して縄文時代後期に入ってきた。

 そして、縄文晩期になると北九州地方に伝来した水田稲作技術は、弥生時代に入ると急速に日本列島を東へ伝播して行った。従って、佐々木耕平の気まぐれからタイムマシンでやって来た、縄文後期の東北地方のこの地域に本格的な稲作文化が伝播するのは、これから五百年くらい後になるだろうと考えられる。

 このようにして、ここ縄文の里にも時は移ろい佐々木耕平の息子コウスケと、山本徹とカイラとの間に産まれた娘ライラも、十七歳の若者と十六歳の乙女に成長していた。耕平も今では四十四歳という年齢になっていて、二十一世紀仕込みの知識と知恵を買われ、邑人全員の推薦によって邑長の座についていた。

ライラは耕平の妻ウイラの姉カイラの娘ということもあり、カイラの死後はふたりに引き取られ、コウスとは兄妹同様に育てられてきたのだった。

 そして、これから始まる物語は、コウスケやライラと言った、若い世代の若者たちの冒険の物語でもある。

 この時代の子供たちは十五歳を過ぎると、一人前の狩猟者になるべく何人かのグループを組んで、それにベテランの狩人がひとり付いて、連日のように狩り場へ出かけては訓練を兼ねて、鳥や小動物たちを狩り出すことが常となっていた。

 その日もベテランの猟師ガイラに率いられて、コウスケたち若者四人組は狩り場にやって来ていた。

「よし、今日はこの辺から始めるぞ。みんな武器は持ってるな。コウスケ、お前の持ってるのは何だ……」

「あ、これ、これはオレの親父が考え出した、ブーメランという武器です」

「そんな曲がった木の枝みたいなもんで、ちゃんと獲物が取れるのか…」

「大丈夫だと思いますよ。使うのは今日が初めてだけど、だいぶ親父に練習させられましたから…」

「ほう、邑長がな……。んで、どうやって使うんだ。ちょっとやって見せてみせろ」

「これはこうやって使うんです」

 コウスケは何もないところを目掛けて、ブーメランを水平に投げた。すると、ブーメランは回転しながら周囲を一周して、立っているコウスケのところに戻ってきた。それを片手でしっかり掴まえると、コウスケはガイラのほうを向くとにっこりと微笑んだ。

「どうです。ガイラ、ちょっとしたものでしょう…」

「いや、たまげたもんだ…。それにしても、邑長のコウヘイは、よくもまあ、いろんなものを知ってるもんだなぁ。わしらには、とても考えもつかんよ…」

 物知りでいつも謙虚な耕平を、邑人たちはどんな些細なことや困りごとなどがあると、何ごとを置いても相談に駆けつけていた。そんな邑人たちを耕平も快く受け入れて、親身なって考え本人が納得するまで話をしていたのだった。そんな耕平だから邑人たちからは絶大な信頼感を得ていた。

ここでコウスケがみんなの前で飛ばせてみせた、ブーメランについてひと言つけ加えておくと、ヨーロッパの洞窟壁画などに見られるようにブーメランの歴史は古く、その歴史を辿るとブーメランの起源は遥か紀元前まで遡ると言われている。ブーメランとは元々オーストラリアやその周辺諸島に住む原住民、アボリジニが狩猟の武器として用いていた物で、その後弓や銃などの普及により猟には使用されなくなったが、そのアボリジニの子孫たちによって現代まで伝え残したとされている。現代では主にスポーツ用として使われるほか、子供たちの玩具として一時流行したことがあった。

「さて、そんじゃ、ここでコウスケの腕前を見せてみろ。何かひとつ獲物を仕留めて見せろや。小物でも構わんからとにかくやって見せろ」

 ベテラン猟師のガイラは、興味津々といった眼でコウスケを見守った。

「それじゃあ、さっきから空を飛び回っている、あの鷲を落としてみましょうか」

「おい、コウスケ。なんぼ何でも飛んでるヤツは無理でねえのか……」

「さあ、無理かもしれないけど、やって見なきゃ判んないし、とにかくやって見ますよ」

 コウスケはブーメランを構えると、飛んでいる鷲との距離を測り大体の目測を立てて、大空を目掛けてブーメランを高々と投げ上げた。ブーメランは弧を描くよう飛んで行き、ふいを突かれた鷲は躱し切れず左の翼に命中した。

「やったぁ、落ちたぞ。みんなで行ってみよう」

 コウスケの号令とともに、若者たちは一斉に鷲が落ちた方向を目指して飛び出して行った。

「大したもんだ…。ついこの間までガキだとばかり思っていたのに、もう一丁前に狩りをするようになりおったか…。だんだん、わしらの出番も少なくなってくるんかいのう。これからは……。それにしても、コウヘイもえらいものを考えつくもんだで……」

 飛び出して行った子供たちを見送りながら、ベテラン猟師のガイラはため息まじりにつぶやいた。この時代の人の平均寿命は、三十五から四十歳くらいとされていた。だから、現代人の耕平が四十四歳になったと言っても、同年代の縄文人と比べたら想像もつかないくらい若く見えたに違いない。

「あ、すごいぞ。コウスケこの鷲、翼の骨が折れているぞ。みんな早く来てみろや」

 一番早く鷲が落ちた地点に辿りついた若者が、コウスケやほかの若者たちを手招きして呼んでいる。駆け寄ってきた若者たちも、鷲の左翼の付け根から数センチのところで折れていて、堕ちた時のショックからか鷲はすでに絶命していた。

「すごいなぁ。このブーメランというのは、これホントに邑長が造ったのか…。コウスケ、オレらにも作り方教えてくれよ。これは絶対に役に立つぞ。そして、みんなで狩りをやろう。なあ、みんな」

「おう」

 ほかの若者も一緒に賛同した。

「よし、じゃあ、お教えてやるよ。明日から、このブーメランと似た枝ぶりの木の枝を探すんだ。これとまったく同じでないと曲がらないから気をつけろよ」

 次の日から縄文の里の若者たちは、コウスケを先頭にして林や森の中へと分け入り、ブーメランを作るのに相応しい枝ぶりの木を探しに来ていた。

「ほら、見てみろ。これなんか、このいらない枝を切ってしまえば、ブーメランを作るににピッタリじゃないのか。コウスケちょっと見てくれよ。ダメかなぁ…」

若者のひとりが目の前の枝を指してコウスケに聞いた。

「いいんじゃないのか…。自分でいいと思ったら、それで…。うーん、オレはどれにするかな……。よし、これにしよう。」

「え、コウスケお前、そんなんで大丈夫なのか…」

 一緒にいた若者のひとりが意外そうな顔で聞いた。コウスケが選んだのは枝が三つ又になっていたからだ。

「思いついたことは、何でもいいからやってみることだ。って親父がいつも言ってるから、とにかくこれで作ってみよう」

コウスケはさっそくY字形の枝を切り落としにかかった。こうしてコウスケと若者たちは自分好みの枝を切り取ると意気揚々と邑へ帰って行った。それから五日ほど伐り出してきた枝を天日に晒し、完全に乾燥するのを待ってからコウスケたちはブーメラン作りに取りかかっていた。

コウスケは、かつて山本徹が建てたというログハウス風の小屋に籠り、黒曜石で作ったナイフを使いブーメラン作りに掛かり切りになっていた。そして、二日目にしてどうにか完成させることができた。出来上がったばかりのブーメランを耕平のところへ持って行った。

「お父、これはオレが考えて作った新しいブーメランだ。見てくれ」

「ほう、お前が作ったのか、どれどれ見せてみろ…」

 コウスケが持ってきたブーメランを、耕平は手に取って片手で軽く振り回してみた。

「うむ、お前が作ったにしてもよく出きてるな。もう飛ばしてみたのか」

「いや、まだだ。お父と一緒に飛ばそうと思って持ってきたんだ」

「そうか。オレも昔、これとよく似たような形の物をどこかで見たような気がする。よし、とにかく飛ばしてみよう。どこか広い場所に行こう」

 耕平はコウスケを促して外に出て、邑の外れまでやって来た。

「よし、ここならいいだろう。ここは周りに何もないから人もあまり来ないし、ここでやって見よう。よく見ていろよ。コウスケ」

 コウスケの作ったブーメランを右手に持ち替えると、耕平は投げる体制に入り間合いを測って水平に投げた。耕平の手から放たれたブーメランは、弧を描くように飛んで行き周囲を一巡りして耕平の手元に戻ってきた。

「よくやったな、コウスケ。さすがに三枚羽根だけあって飛び方が安定している。これはなかなかいい物だぞ。それに狙った獲物に当たっても威力は数倍になるはずだ。一度試してみるんだな…。まあ、頑張れ。オレは帰るぞ。お前はどうする…」

「うん。オレはもう少し練習して、確実に当てられるようになるまで頑張ってみるよ」

「そうか…。その熱心さはいいことだ。とにかく、やって見ることだな」

 コウスケにそれだけ言い残して、耕平は邑のほうへ戻って行った。

『よし、お父に褒められた…、もっと練習して誰にも負けない腕前になってやる…』

 コウスケは、その日の夕暮れ時まで練習を繰り返し、家に帰った頃にはヘトヘトに疲れ切っていた。

「どうだ。少しは上手く投げられるようになったか……」

 コウスケが帰ってくるのを待っていたかのように耕平が聞いた。

「うん、まあまあだよ。あと、もう少し練習をすれば誰に負けないくらい、うまくなれると思うよ。お父」

「そうか、それじゃ明日にでもふたりで狩りに行ってみるか。オレが、この目で直に確かめてやる。それより相当疲れてるんじゃないのかお前は、今日はもういいから早く寝ろ」

 コウスケがこれだけ疲れているんだから、並大抵の練習をやったんじゃないなと耕平は直感的に解った。コウスケは父親に言われるまま、ウイラの用意してくれた晩飯を平らげると自分の寝床に潜り込んだ。

 次日の朝、朝飯を済ませるとすぐに、耕平はコウスケを外に連れ出した。

「見ろ、今日もいい天気だ。これから狩りに行くけど、物がブーメランだけに森や林の中じゃ使えない。だから、今日は邑外れの林の向こうにある広い原っぱのほうに行くぞ。用意はいいか。コウスケ」

「ああ、大丈夫だよ。でも、原っぱなんかじゃ大した獲物はいないんじゃないか。お父」

「なーに、ウサギとかタヌキとかキツネくらいはいるだろう。いいか、コウスケ。これはあくまでもお前の腕試しなんだから、そんなに気張るもんでもないさ。そろそろ行くぞ」

 耕平親子は邑外れの雑木林を抜けて、広々とした草原地帯にやって来た。

「こんなところで何か獲物になりそうなのがいるのかなぁ……」

「そりゃあ、いるだろう。これだけ広いんだから、よく目を凝らして探してみろ」

 耕平に言われてコウスケは辺りを見まわしたが、獲物どころか鳥一羽さえ飛んでいなかった。それでも辛抱強くコウスケは探しまわった。

「ここじゃ、ダメかも知れんな…。よし、もう少し向こうに行ってみよう」

 しばらく歩いて行く草原の遥か前方に、小高い岩が柱のように点在して立ち並ぶ地点に差しかかっていた。

「お、ここなら何かいても可笑しくないところだな。コウスケ、よくお前も探してみろ。何かいるかも知れん…」

 岩柱の立ち並ぶ近くまで来ると岩陰付近を中心に、どこかに獲物が潜んではいないかと必死に探していると三つくらい先の岩陰で、チラチラと動いているものが見えた。

「ほら、あそこで何か動いているよ。お父」

いち早くそれを見つけたコウスケが耕平の腕を引いた。目を凝らしてよく見てみると、それはどうやら少し大きめの鳥であることが判った。しかし、可笑しなことにその鳥はそこいら辺を動き回っているのだが、動き方が妙に鈍くて一向に飛び立とうとはしなかった。

「何だ。あの鳥は何だか変な鳥だな……。オレたちが近づいているのに逃げようともしないぞ…。ん、待てよ…、あの鳥どこかで見たことがあるな…。何だったかな……」

 耕平は自分の記憶の底を弄るようにして、必死になって思い出そうとしていた。

「そうだ。思い出したぞ。あれは絶滅したと云われている『ドードー』じゃないか。あれ、でもドードーは日本にはいなかったはずだが……、何でこんなところにいるんだろう…。確か、太平洋かどっかの島にしかいなかったはずだ……。おい、コウスケ。お前は見たことがあるか」

「いや、オレも初めて見た。何だい。そのドードーっていうのは…、お父」

「ここにはいないはずの鳥なんだ。いくら縄文時代だって、まさかドードーを見るとは思わなかったよ。コウスケ、あの鳥は動きが鈍いはずだから、簡単に獲れると思うぞ。その三枚羽根ブーメランを試す絶好のチャンスだ。早くやって見ろ」

 コウスケがブーメランを投げようと振りかぶっても、ドードーは逃げ出す様子もなく餌を啄んでいた。コウスケの投げたブーメランは、弧を描いてドードー目掛けて飛んで行くと、見事に命中してドードーは甲高い鳴き声をあげて倒れ込んだ。

「やったー。早く見に行こう。お父」

 いち早くコウスケは、ドードーの倒れた地点に駆けて行った。耕平も後を追うように歩いて行った。

「お父、この鳥けっこう重いよ」

 後からきた耕平は、すでに絶滅したという伝説の鳥を目の当たりにしていた。

「これが伝説の鳥『ドードー』か…。まさか縄文時代に来て、しかもすでに死に絶えた鳥をこの目で直に見ようとはな……」

 耕平は自分の運命と重ね合わせるようにして、感慨深げな面持ちで伝説の鳥『ドードー』を見下ろしていた。

 それから耕平親子は夕方までかけて、野や山で狩りを行い日没近い頃にようやく邑に戻ってきた。この日の収穫は幻の鳥ドードー一羽と山鳥二羽、それに野ウサギとタヌキが各一匹ずつだった。

 家に帰るとウイラとライラが夕食の準備をして待っていた。

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