26. 十五年目の再会
「傷が治るまでは安静にしててくださいね」
「はーい」
主治医が海渡の様子を確認してから病室を去った。
綾瀬北公園で通り魔事件の犯人、富田裕也に腹と背中を刺されて負傷したが、幸い傷は浅かった。搬送されて緊急手術を行なったものの、命に別状はなく傷が塞がれば問題はないらしい。
公務中に負傷したので、警察は海渡に個室を用意した。それも、ある程度の広さがあってひとりでいると持て余すほどの部屋だ。
安静にしておくようにと言われたが、何もすることがないと暇で仕方ない。テレビ番組に興味はないし、捜査に参加することもできない。少しでも時間を進めようとするならば、寝てしまうしかなかった。
さすがに寝てばかりでは睡魔が襲ってくることもなく、海渡はベッドに座って窓の外を眺めることしかできなかった。
十五年前と同じで、紅音は毎日お見舞いにやってくる。もちろん、峯山も何度かやってきた。本庁は暇なのかと嫌味を言ってみたが、彼は当然のように暇だと言って笑った。
監視役で嫌々付いている警部の雪平は暇なんかじゃないと峯山の背後から否定したが、人手が足りているから上司は雪平を監視役に任命したのだろう。
残念ながら、彼は捜査に欠かせない人材じゃない。むしろ、蚊帳の外に出しておく方が他の捜査員も気が楽なのかもしれない。
そのうち警視副総監である雪平の父親が、彼を現場から外して組織を動かす役割を与えるだろう。親が偉大だと子は大変だ。
時計を確認すると、夕方になっていた。窓の外も次第に薄暗くなっていく。暗くなった頃に紅音がまたやってくるはずだ。
こうもやることがないと彼女から聞く話が楽しみになる。
それからしばらくして、病室の扉が三度ノックされた。今日も紅音がやってきた、と思ったのだが、中に入ってこようとしない。
いつもは返事をしなくても扉を開けて入ってくるのだが、今回は様子が違う。
「どうぞ」
海渡が声をかけると、少しだけ扉が開いて見覚えのない若い女性が顔を覗かせた。
「こちらは二永海渡さんの病室でしょうか?」
「ええ」
「失礼してもよろしいですか?」
「はあ」
その女性が誰だったかを思い出そうとしてみたが、記憶の中に思い当たる人は誰もいなかった。
海渡よりも若い印象で、長身、服装を見る限り大学生のようだ。事件で関わった人でもないし、プライベートで会ったこともない。
「突然すみません。私は
「奥寺さん?」
「十五年前、私は二永さんとご友人に命を救われました」
海渡は当時病室で受け取ったお礼の手紙を思い出して目を見開いた。
小学一年生だった女の子は十五年の時を経て、大人の女性に成長した。実際に彼女を見たのは事件の瞬間だけで、その後は顔を合わせていないので、思い出さないのも無理はない。
事件の後、海渡は学校に通わなくなった。美優も精神的なショックが大きくていろいろと大変だったと峯山から聞いている。
少なくとも、現在の彼女はトラウマを克服しているようだ。
「本来ならもっと早く直接会ってお礼を伝えるべきだったんですけど、遅くなってしまってすみません。あの出来事から心の整理がつくまで時間がかかってしまって。警察官になられたと伺いました」
「普通の警察官じゃないけどね」
海渡の言葉を聞いて美優は不思議そうに首を傾げたが、彼は「なんでもない」と笑って誤魔化した。
「奥寺さんは今何をしてるの?」
「私は医者を目指して医学部で勉強しています。あの事件から、人を救う仕事がしたいと思って」
「医者か。君は救うことを選んだんだね」
「はい。二永さんは、戦うことを選ばれたんですね」
考え方は人それぞれ違う。
美優は命の危機を乗り越えて、他人の命を救いたいと思うようになった。海渡は友人ふたりを失って、手に入れた能力を使って犯罪と戦うことを選んだ。
海渡と美優はそれぞれ同じ事件の被害者として、異なる視点から未来を見て、自分の進むべき道を決めた。
謙人と佑がいたから、今ここにいるふたりは自分が選んだ道を歩んだのだ。
「とは言っても、私は勉強中の身です。まだまだ先は長いです」
「命を救う仕事はこの世でもっとも責任のある仕事だから、その分時間がかかることも仕方ないよ。頑張って立派な医者になって」
「いつかきっと一人前の医者になります」
「また俺が怪我したら助けてもらわないと」
「まずは怪我をしないように気を付けてください」
これは美優の言う通りだ。
海渡が頭を掻いて渋い表情をすると、彼女は綺麗な笑顔を見せた。
「あの、またお見舞いに伺ってもいいですか?」
「退屈してるし俺は大歓迎だけど、勉強は大丈夫?」
「それ以外の時間はすべて勉強に使います」
美優は成人している年齢だが、大人の女性としての魅力の中に、まだ子供だった頃の愛嬌が残った雰囲気がある。
夢で会った謙人と佑は彼女の成長した姿を見て何を思うだろう。可愛らしい彼女を見て、大人になった彼らは惚れてしまうかもしれない。
そんなことを思ったら可笑しくなって、海渡は「ふふっ」と鼻で笑った。それを見た美優はまた不思議そうに首を傾げる。
「よかったら、連絡先を交換してくれませんか?」
「それはいいけど・・・」
「何か問題ありますか?」
「いや、ないよ。全然」
女性の連絡先を知ることなど今まで一度もなかった。紅音や咲良のように仕事上の関係は別として、海渡にはまったく縁がないことだった。
恥ずかしながら戸惑ってしまったものの、海渡はスマホを出して美優と連絡先を交換した。
ただ連絡先を交換しただけだ。そこから何かが起こることなどない。
「後でメッセージ送りますね」
「あ、はい」
美優が微笑んだのと同時に病室の扉がノックされて、紅音が扉を開けて入ってきた。
なんともタイミングの悪い。
加えて、彼女の後ろを裕武と咲良が付いて入ってきた。いつもは紅音ひとりで来るのに、こんなときに限って賑やかになる。
さらに、その背後から峯山と雪平まで顔を見せた。
なんでこんな大勢来るんだよ。
「それじゃ、私帰りますね」
美優は邪魔になると判断したのか、紅音たちに頭を下げると彼女たちの間を抜けて颯爽と病室を出て行ってしまった。
「今の女の子誰? すごく可愛い娘だったけど、海渡の知り合い?」
「いや、なんというか・・・」
「なんだよ。お前彼女いたのか」
紅音と峯山による下世話な詮索が始まった。だから、嫌だったのだ。
「十五年前、俺たちが助けた女の子、みたいだね」
別に隠すこともないので、海渡は正直に彼女のことを話した。紅音と峯山が驚くことはわかっていた。誰よりも驚いたのは海渡だったから。
「あの手紙の女の子だよな。立派になったなあ」
峯山が親戚のおじさんのような感想を述べて、すでにいなくなった美優が出て行った扉の方向に振り返った。
「その話も聞かせてほしいけど、その前に咲良ちゃんから話があるの」
「話?」
海渡が咲良の顔を見ると、彼女の視線はこちらと少しだけ違う方法に向かっていた。その先は海渡のいるベッドのそば、誰もいない場所だった。
「ここに、謙人と佑がいるの?」
「公園で海渡くんが倒れたとき、そのふたりは傷口を押さえてた。『海、死ぬな』って」
「本当に? ふたりは、俺に死ぬなって言ったの?」
「今は笑ってるよ。さっきいた女の子のことも、見てたんじゃないかな」
お姉さんの目には本当に見えてるんだ。謙人と佑の声が聞こえたんだ。
海渡を「海」と呼ぶのはそのふたりだけだった。そしてそのことは、当時の友達しか知らない。
あれからずっと、そばにいてくれたのかな。
「彼らは、海渡くんに生きてほしいと思ってるんだよ」
「やっと聞けた。ふたりの気持ちが」
生きていていいかわからなかった。
もしかしたら、謙人と佑は俺が死ぬことを望んでいるかもしれないと思っていた。でも、ふたりがそんなことを思うはずがないんだ。
海渡がその場所を見ても、そこには誰もいない。でも、ふたりは確かにここにいる。
「ありがとう」
両頬を伝う暖かい涙と共に、感謝の言葉が空気に溶けた。
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