落ちて咲く花

紫陽花の花びら

第1話

 「今晩は、マスターまだ良いかしら」

「どうぞ、閉める所だから気にしないでゆっくりして」

入り口近くにバッグを置くと、

「そんな端に座らないで、ここどうぞ」 

おしぼりを置かれた席は真ん中だった。

「えっ、そんな」

「もう閉めたから、お客さまは夢乃さんだけ」

「……じゃぁ遠慮無く。それとマスター、モヒートお願いします」

夢乃は決めていた。爽やかな口当たりと甘み。乾いた全てを潤してくれるモヒート。そんな気がしていたから。

「かしこまりました」

 カウンター越しに城山を目で追う夢乃。洗練されている動きとは対象的な穏やかな表情に心が揺れる。夢乃はふっと溜息をつく。

「どうぞ」 

グラスもちょうど良い冷え具合。

何もかもがしっくりくる。

「美味しい。なんか嬉しくなるのね、このちょうど良さが。そうだマスターもなにか飲んで。一杯だけ付き合って」

「……ではジントニックを頂きますね」

「どうぞ召し上がれ」

眼鏡の中で優しく微笑む瞳に、何もかも持って行かれそうで思わず夢乃は視線を逸らさずにはいられなかった。

「お替わりください! 今度はラムを……」

「ダークラム試します?」

「この間のラム?」

「そう。試す?」

この子はなんて可愛い表情を見せるんだ。堪らない感覚が蘇る。

いい年の親父が……艶めく。

 この町は過去を捨てたい人間の吹きだまり。誰も他人の事なんてどうでも良いのだ。いや……敢えて素知らぬ振りを為ている。

城山自身、父親から継いだ銀座のショットバーを五十才を契機に畳むと、身軽さがそうさせたのか、誰も知らない場所で生きたい。とこの町に流れて来てたのだった。

それも最早遠い昔。

「夢乃さんは、お店どこ?」

「クラブロンド」

「ああそうだった。この町で一番のクラブ」

「まあね。でもだからって……どんぐりよ。ただ町の人が来ないのは良いけど。お客様は殆ど県外だから」

「高いって聞くいてるよ」

「うん。高いと思うけど、出す人は出すからね。うふふ」

「確かに」

城山はジントニックを手にし

「では、乾杯」

夢乃はグラスを軽く合わせると、

独り言のように呟いた。

「流れて来て五年。時の経つのが最近早くてなんか怖い」

「この町はを選んだ理由なんて聞いても大丈夫?」

一瞬黙る夢乃だったが……

「平気平気。私今三十五歳。夜の世界じゃおばさんです。

十八才から十七年間泳いでいるけどほぼ溺れてます。

銀座から始まって……最後がここって訳。兎に角だぁれも知らない土地でリセットしたかった。私の人生谷有り谷有りだったから。今は幸せ」

「アハハ山は? 無かった? 銀座かぁ。僕の店に来てくれたことあったりして」

「銀座でお店やられてたの?」

「うん。ショットバー」

「名前は?」

「リョウカって言う冴えない名前」

「……知ってる……知ってる! ジュークボックス? あったよね」

「あった。金持ち気取りな奴、キザな奴は来なくて良い!が親父の口癖でね。わざと置いたんだよ」

「へぇ~。ジュークボックスでメリージェーン何度もかけたなぁ。

私の銀座最後の夜だったから覚えているんだ。それから段々と汚泥に身を沈めて行った感じ。今は花も咲かない実もつけない幽霊花になってしまった訳」

「幽霊花って……そうだ! この間ラジオでオーストラリアの限られた場所でしか咲かないラン科の花があるって話し為てたよ。地中で一生おえる花があるんだって。物凄く珍しくてね、確かリ……?リザテラとか言ったかな」

夢乃が携帯で検索してみると綺麗なピンクの花の画像が出て来た。

「これ! リザンテラ! マスターみて! 結構可愛いね」

「本当綺麗な花だ。この町は地の底のような場所だけど……それでも人は、やっぱり最後の花を小さくても咲かせたい。咲かそうとしている。それが生きる欲望かな」

「そう咲かせたい。生きてるんだもの。……バラードに変わった? 懐かしい! メリージェーン! マスター踊って」

断られることを想定為ていた夢乃だったが、カウンターから出て来た城山にすっと手を取られ、次の瞬間両腕に包み込まれてしまった。

思わず顔あげ見つめ合う。

「力抜いて」

「だって……緊張為ちゃう」

「たまにはいいでしょう?」

「うん……」

「綺麗だ。汚泥に沈んだなんて言ってたけど。そんなこと無いよ」

「嘘……お世辞要らないから」

「お世辞? そんな野暮やこと言わない。僕が見つけた希少価値のリザンテラ。この地の果てに迷い込み地底に咲いた花が夢乃さんだ」

「そんな大それた物じゃ無いわ」

城山の胸に額を押し付けながら呟いた。

「明日のことは判らないけどね。でも僕は大切にしたい。この時を。この花を。誰にも知られずに一生終えるその花がこの腕にいてくれればそれで良い」

夢乃はそっとくちづける。


「バラードに酔ったかも」

「それも一興……」


抱き締められ耳元に吐息がかかる。


時はただ過ぎていく。

それがこんなにも心地良いなんて

知らなかった。


この曖昧さが今は幸せ。

それで良いと思える男と女。


互いの体温が縺れあう。

それで今はいいと思える男と女。


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