あの夏の忘れ物

どどめ

第一話 あの夏に咲く

学生の頃、気になっている子がいた。

彼女はとても明るく、触れるもの全てを色付けていく力がある。

彼女の周りはいつだって華やかな色で満ちていた。


僕は彼女と少しだけ仲が良かった。と言っても同じ部活でよく喋る程度だ。(もっとも、彼女は誰とでもよく喋る)


僕は彼女の事がきっと好きだった。

いや絶対に好きだった。

だが僕は自分が彼女を好きだと言うことを認められなかった。自分の気持ちから目を背けた。




その誤魔化しが今の僕をこんなに締め付けて離さなくなるとは思いもしなかった。





ある夏、僕と彼女の距離が急に縮まった瞬間があった。

少し用があって電話をしたのがきっかけだった。

話す要件すら上手く伝えられない程に緊張していた僕の手は、季節外れなほど冷たいくせに、変な汗が体から溢れ出ていた。話してる最中に呼吸をし忘れたのかと疑うくらい苦しかった。

それほどまでに彼女の事を意識していたのだ。


電話の要件を伝え終えると、彼女が今日の部活の話を始めた。


(こっちは要件を伝えただけで息切れ。酸素マスクが欲しいくらいだ。なのに更に雑談だなんて酸素こころがいくらあっても足りない。できることなら電話を切ってしまいたいくらいだった。)


内容は部活のメニューが辛かったという実に平凡なものだった。

そんな会話など男友達と幾度繰り返したか分からないくらいありふれた話題だったが、彼女とのそれは全く別の幸せな何かだった。

その時の僕はまるで初めてチャオチュールを食べた猫のようだっただろう。

そう、彼女はただの猫缶をチャオチュールに変えてしまったのだ。

それからは早かった。僕は彼女と会話するという幸せの味を知ってしまい、さっきまでの緊張など最初から無かったかのように彼女と電話で雑談を続け、気付けば一時間が経っていた。


「もう遅いから寝よっか」


彼女がそういった。

どうやら本日のチャオチュールは売り切れのようだ。

しかし人間動物、一度味わった幸せは中々忘れられない。得てしてもう一度味わいたいと思うのがさがだ。


「明日もかけていい?」


気づいたらそう言っていた。驚いた。

要件を伝えるため電話をかけた時は「僕はかけたく無いけど伝えなきゃいけないからしょうがない」と自分の意思では無いことを自分に言い聞かせていたくせに。


「いいよ、今日楽しかったし(欠伸あくび)」

「おやすみぃ〜」


彼女が欠伸をしながら眠そうな声で言った。普段聞く事の出来ない彼女の眠た声に、僕は人生で初めて胸の奥が

むずむずして、暖かくて甘い気持ちになった。


「おやすみ」



彼女とおやすみが言い合えた事。

明日は要件の無い電話ができること。

それら全てが重なって、おやすみとは全く真逆の結果になった。

しかし、さっきの電話を考えて眠れない夜も、本来は嫌な寝不足でさえ、

彼女が要因という事実が幸せな症状へと変えてくれた。


真っ白な僕の心が彼女色に染まったようでたまらなく嬉しかった。

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