第30話『長女と四女』
ボイトレとは、ボイストレーニングの略称である。
発声方法全般に関してのトレーニングである。
体全体を使って発声する体の使い方や、声が通るような発声方法、喉が枯れないような発声方法などを学ぶ。
声優や歌手など、声を使う仕事を務める仕事をする職業につく人がやるトレーニングなのだが、Vtuberもまた例外ではない。
まあ、Vtuberは声優さんなどとは違いボイストレーニングを行うかどうかは個人差がある。
芸能事務所などに所属しない、いわゆる個人勢がVtuberには多いことも一因である。
ボイストレーニングにしても、講師との接点ができづらいからね。
歌などに力を入れていなければ、わざわざボイストレーニングをしなくてもいいだろうと考える人も少なくない。
さて、永眠しろさんに限ってはどうだろうか。
彼女の場合は、ボイトレをやらないという選択肢はなかった。
彼女は、自分の歌がうまくないことを自覚している。
音程は合わず、テンポの速いアニメのオープニングなどを歌うとリズムを取るのも難しい。
歌唱力向上のために、手段を選ぶべきではない。
ASMRについては才能があり、たまたま独学で何とかなったが、全てにおいてそんなやり方が通用するとは思っていなかった。
華道、茶道、箏、勉強……彼女が何かをする上で、大抵は師となる人物が存在していた。
彼らは早音家お抱えの家庭教師であり、日本でも選りすぐりの者達だったそうだ。
そして、歌を練習するうえでも彼女は早音家とは別の伝手を使って最高峰の先生を見つけ出していた。
◇
「こんにちは。一対一は、初めましてだよね」
「は、はい。よろしくお願いします」
「緊張しなくて、大丈夫だからね」
しろさんが話しかけているのは、パソコンの画面。
画面に映っているのは、桃色のロングヘア―の女性。
背中には、桃と白の混じったような羽を生やし、頭上には音の高低にあわせて揺れ動く輪っかが浮かんでいる。
服装は白いゆったりとしたドレスで、彼女の落ち着いた声と相まって清楚でありながら大人びた雰囲気がにじみ出ている。
彼女の名前は、天使羽多。
業界最大手Vtuber事務所の「Volcano」に所属しているVtuberの一人であり、チャンネル登録者数が百万人を超えている超大物Vtuberでもある。
「今日は、よろしくお願いします」
「任せて、君の姉として色々教えるよ!」
羽多さんの担当イラストレーターは、がるる・るる先生である。
つまり、Vtuberとしてはしろさんの姉に当たる。
因みに、羽多さんが長女で、しろさんが四女らしい。
後二人も、羽多さんほどではないが、歌の実力はすさまじいと聞いている。
閑話休題。
この場にいる二人は、『がるる家歌リレー』に参加することが決まっている。
しろさんは、自身の歌唱力には不安があった。
しかし、誰に教えを乞えばいいのか見当もつかないしろさんは歌唱力の高い他のがるる家のメンバーにボイトレのコーチを紹介してほしいと頼んだのだ。
そして、その中の一人である羽多自身がコーチを買って出たというわけだ。
名前の通り、「天使の歌声」の異名を持っている彼女は、歌配信をメインコンテントしてその地位を築き上げてきた。
歌ってみた動画や、オリジナルソングも大人気であり、「天使羽多」の名義でメジャーデビューを果たしている。
「Volcano」内でも、彼女の歌唱力は一二を争うほどだそうだ。
「そうだね、レッスンを始める前にまずどういう曲を歌うつもりなのか教えてもらおうかな」
「は、はい」
しろさんは、自信が歌うと決めている曲のセットリストを送った。
「これは結構、難しい曲ばっかり選んだねえ。意図はわかるけども」
「う、そ、そうなんですよ。なので、どうしようかなと思って」
「音程の調節が課題なんだよね。じゃあ、まずは声を出しながら少しずつ声の高さを変えていこうか。とりあえずやってみて」
「ええと、そのやり方がわからなくて」
「そうだね、声を高くするときは無理やり引き絞るイメージかな?全力で叫ぶというか」
「あ、なるほど」
「ええと、この曲のこの部分はもっと感情を込めたほうがいいかな。このパートは今のままでいいと思うよ」
「な、なるほど」
「ここのリズムマジで難しいよね。とりあえず、鼻歌を歌ってリズムになれようか」
「わ、わかりました。でもできますかね?」
「大丈夫だよ、出来るまでやってもらうからね」
「ひえっ」
そんなこんなで、三時間もの間羽多さんの指導は続いた。
まあ、こまめに休憩は挟んでいたけどね。
彼女の実力に、疑いの余地はない。
ゆえに、しろさんとしてはどうしてそこまでしてくれるのかという疑問もあったのだろう。
少しだけ、間をおいて羽多さんから返答があった。
「そうしたいと、思ったから、かなあ」
「……と言いますと?」
「Vtuberってさ、もちろん仕事であるのは間違いないんだけど、それだけじゃないんだよね。わかるかな?」
「それは、理想や自己実現ということですか?」
「ううん、違うよ。それも一つの答えなんだけど、私が言いたかったのは別のことだね」
「繋がり、だよ」
「……繋がり、ですか?」
「わたしさ、Vtuberとしてデビューする前は、いわゆる歌い手でさ、今ほどの人気ではないにせよ、そこそこ見てくれる人もいてさ、そこそこ楽しかったんだ」
「はい」
歌い手。
動画や配信などのプラットフォームで、歌を中心に活動する者達の総称。
羽多さんの所謂前世が、「ニヤニヤ動画」で活動していた歌い手であったことは、しろさんも私も、一応知っていた。
ああいうゴシップ情報って、知ろうと思わなくても勝手に入ってくるからね。
「ただ、基本的にずっと一人ぼっちでね、贅沢かもしれないけど、人との繋がりが欲しいって思ったんだよね」
「それで、Volcanoに?」
「うん。同じ目的に向かう、仲間が欲しかったんだ、私は」
Vtuberになる理由は人それぞれだ。
元々、インターネット上である程度成功していた彼女は、共に歩んでくれる人が欲しかったのだろう。
「家族っていうのは、それも同じ舞台で戦い続けている家族っていうのは、なかなかできるものじゃないからね。バーチャルのものであっても、代えがたい存在なんだ」
「それが、私に手を貸す理由ですか?」
「そうだね。こうやってお仕事をきっかけに出会った人たちとの縁を、大事にしたいと思ってるんだ」
画面上に、羽多さんのリアルの顔は映っていない。
ただ、これが彼女の本心であるということは理解できた。
「ああ、それは少しわかります」
しろさんは、これまでの人生で友達ができなかった。
一応今は私がいるけれど、例外的と言っていいだろう。
だが、Vtuberは違う。
一見キャラクターに見えるが、中には確かに心と体を併せ持った人が存在している。
それは間違いなく
そして、つながりというのはVtuber同士だけではない。
視聴者も含む。
ASMRなど、距離の近さをウリにしてきたしろさんには、それもまた理解できていた。
「君に、そのつながりを大事にしてほしいと思ったんだ。だから、私に出来ることなら何でもしたいって」
「ありがとうございます」
仮初の家族として、つながりができた人として、助けになりたいと思ったから。
そんな百パーセントの善意で助けてくれる彼女に、しろさんは感謝して、ボイトレの続きを始めた。
終わるころには、心なしか声の出し方に変化があるように聞こえたが、気のせいだろうか。
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