第21話『会話の条件』

 もう思い出したくない記憶だが、私はダミーヘッドマイクになる前は一人の人間だった。

 奨学金という名の借金を背負わされ、親からはバイト代などを奪われ続けたあげく一切の援助はなく、ブラック企業で毎日酷使され続ける。

 そんなどこにも救いがない、地獄のような生活。

 そこに、成瀬キノという人間がいた。



 私と成瀬さんが関わりだしたのは、彼女の教育係だった社員が退職したからだった。

 その元教育係の人、退職代行を頼んだんだっけ。

 上司が烈火のごとくぶちぎれてて、こっちにまで飛び火した記憶がある。

 退職した社員に対して怒っても意味ないだろうに。

 どうせもう無関係なんだから、と思ったけど、それがわかるほど理性的じゃないんだよな。

 

 

 ともかく、私が実質的な教育係になった。

 なので、仕事のイロハをある程度教えた記憶がある。

 社畜時代と雰囲気が違う気がするが、Vtuber活動を精力的にやっているあたり会社は多分辞めたんだろうな。

 そもそもあの会社、一年以内に七割抜けるような職場だし。

 五年以上居座ってきた、私や私の上司はどこかおかしかったのだろう。



 成瀬さんと、私の関係は、普通の上司と部下だった。

 仲が良かったわけでもないが、特段悪かったつもりもない。

 それこそ、下の名前があやふやなレベルだ。

 趣味だとか、プライベートなことは何一つ知らない。

 会社の中だけの、薄く浅い関係だった。

 まあ、別に成瀬さんに限らないけど。



 ◇



 さて、そんなかつての知り合いが実はしろさんの友達で、コラボ相手の金野ナルキさんだったわけだ。

 私の感想としては、ちょっと気まずいなというもの。

 なんというか、あまり世間一般的に受け入れられていない職業に就いているのを、前職の知り合いに見られたような感覚。

 そもそも職業どころか、種族が変わっているのだけどね。

 機械族とかだろうか。



「先輩?本当に先輩なんですか?」 

『ええ、貴方の職場での先輩ですよ』



 私は、勘で目の前にいる他者の感情を読み取れる。

 父から身を守るために培われた能力であり、普通ならわからない相手の内面を感知できる。

 思うに、私は無意識レベルで相手の表情や動作、呼吸などを読み取り、そこから相手の心理状態を解析しているのではないかと思う。

 ただそれも万能ではない。

 体調によって精度は左右されていたし、目の前にいる相手でないと感情はわからない。

 他にも、いくつか相手の感情を正確に測れないパターンが存在する。

 現に、今の成瀬さんからは、はっきりとは読み取れない。

 疑問、混乱、焦り、悲しみなど、様々な感情が入り混じっており、どう形容していいのかわからない状態になっている。



 さて、どう対応すべきかな。

 繰り返すが、私の力はもともと父から身を守るためのもの。

 彼が感情を爆発させて暴れまわる瞬間、あるいはその危険を察することができた。

 概ね、二パターンある。

 まず、一つの感情が占有しているパターン。

 これはわかりやすい。

 あと、原因が一つしかないので鎮火しやすい。



 もう一つは、複合した感情が入り混じって連鎖爆発を起こす場合。

 こちらの方が厄介だ。

 例えば、「仕事で部下のしりぬぐいをさせられた」、「好きな野球選手が引退した」、「犬にほえられた」、「息子が物音を立てた」など言った様々な事象とそれに対する感情が、ただ一点に牙をむく。

 このパターンは、本人ですら原因を正確に説明できないことも多い。

 対処を間違えれば爆発するが、正解があるのかどうかもわからない。

 私にその感情が向くならいいが、文乃さんにも危害が及びかねない。

 その可能性が頭によぎるほどに、彼女の感情は乱れている。



 いったん、文乃さんたちを外に出すべきかな、と考えかけて。



「あの、ちょっとトイレお借りしてもいいですか?」

「え、ええ大丈夫です」




 成瀬さんが、外に飛び出していった。

 とりあえず、最悪の事態にならなかったことに安心しながらも、まだ気が抜けない状態であることも自覚していた。



「あのさ」

『はい』

「どういうことか、説明してもらってもいい?」



 

 文乃さんも、かなり動揺していらっしゃる。

 無理もない。

 成瀬さんが私の知り合いであること。

 私の声を聞ける者が、文乃さん以外にも存在していたこと。

 どちらもかなりショッキングだったはずだ。

 私は、素直に成瀬さんが職場の後輩だったことを伝えた。



「そうか、そういうことだったんだ」

『何がですか?』

「どこかで見た気がしてたんだ。駅で、花を供えているところを見たんだよ」

『そんなこともありましたね』



 私と文乃さんが、リムジンに乗って駅まで行った日のこと。

 花を供えていた金髪の女性。

 確かに、あれは成瀬さんだった。



「ところで、どうしようか?」

『成瀬さんに、どう説明するか、ですよね?本当のことを話したほうがいいのではないでしょうか』

「……ありのままを話して信じてもらえるかな?死んで、ダミーヘッドマイクに転生したって、普通に考えて理解不能だと思うんだけど」

『確かに』

 

 


 なんだ、さっきの感情の渦はトイレを我慢していたからだったのか。

 てっきり、マイクがかつての先輩だったことに動揺しているのかと思ったが勘違いだったらしい。

 まあそれならよかった。

 私が原因で、コラボ相手に動揺を与えるなんて文乃さんに申し訳が立たない。

 



「ごめんね、急にトイレに行っちゃって」

「いえ、全然」



 成瀬さんは、私と文乃さんを交互に見ていった。



「説明してもらってもいいですか?何で先輩の声が、マイクから聞こえてくるんです?」

「わかりました。あ、雷土さんは少し席を外してもらえますか?」

「……?承知しました。何か御用がありましたらいつでもお申し付けください」



 深々と礼をして、雷土さんは部屋から出ていった。

 ドアが閉まる直前、心配そうな表情が見えた。

 まあ、彼女視点だとずっと独り言言ってたわけだからね。

 無理もないね。

 


 ◇



 私は、素直に真実を語った。

 電車を寝過ごしたこと、足を滑らせて事故で死んだこと。

 死んでから半年後、ダミーヘッドマイクに転生したこと。

 文乃さんは、たまたま事故現場にいたので、私の事情をある程度知っていること。

 今は、文乃さんの相棒として、第二の人生を謳歌していること。

 私が死後に経験したことを、可能な限り成瀬さんに伝えた。

 文乃さんの事情は話せないので、不完全ではあるけど。




『それにしても、私の声が聞こえるとは思ってませんでした』

「通話している時も聞こえたんですよね、だからてっきり、文乃ちゃんに彼氏がいるのかと思ったんだけど」

「ふえっ」


 ぼんっと文乃さんの顔が一瞬で朱に染まる。

 熟れた柿みたいになってる。

 


「か、彼氏だなんてそんなこと、ないですよ?」

『そうですね』

「…………」



 文乃さんが、何故か私をじっと睨んでくる。

 何か気に障るようなことを言ったかな?

 でも事実として、付き合ってないんだもん。



「普通は聞こえないものなの?」

『ええ、現状私の声が聞こえているのは成瀬さんと文乃さんだけです』

「じゃあ、あのメイドさんたちは全く先輩の声が聞こえないってこと?」

「そうなりますね」

「ええ、じゃあさっきの私って虚空に話かける危ない人だったってこと?」

「そうなりますね」

「そんなあ」



 成瀬さんは、がっくりとうなだれる。

 こんなに、感情を体で表すタイプではなかった。

 明るい性格、大げさな身振り手振り。

 こっちが本来の成瀬さんということだろうか。

 まあ、あんな会社に居たらだれでもおとなしくなるということだろう。



「それにしても、声が聞こえる、聞こえないの基準は何なんでしょうか。てっきり、妖怪や妖精のように未成年だけ、とかだと思っていたのですが」

「確かに、私はもう二十五だから、その仮説だと矛盾するよね」

『……多分だけど、生前にかかわりがあった人だけ、声が届くんじゃないでしょうか』

「「あっ」」




 同じ職場の成瀬さんは言うまでもなく、文乃さんも死の直前に出会っている。

 一方で、メイドさんや運転手の内海さんなどは、生前のかかわりが一切なかった。

 だから、言葉が届かない。

 辻褄はあっているはずだ。



「……なんだか、夜に枕元で知り合いに語りかける幽霊みたいだね」

『悪霊じゃないですかそれ』




 まあでも、死んでるし幽霊みたいなものかもしれないね。

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