21−2
かなり危険、という前置きの意味が理解できた。おれは何でもすると言った手前、その提案を却下することはできなかった。それでも、息を呑んでしまう自分がいた。
「サーバに記憶を取りに行くのか」おれは声の震えを抑えながら言った。「だが、サーバの記憶も消されているんじゃないのか?」
「サバクタニのサーバ内のデータは絶対不可侵。管理者であるサバクタニでさえ、任意で個人ストレージにあるデータの削除や変更はできないようになっている。それが、彼らが人の記憶を扱うに足る存在であるという信用の担保になっているんだ」
「それでも、人が作ったものならいくらでも抜け道だって作られるだろう」
「NODEシステムの技術的構造は既に不明とされています」濃川捜査官が言った。「開発者だけが知り、その開発者が最低限の保守に必要なマニュアルを残しただけでこの世を去りました。改変は元より、複製もできない仕様となっています」
「システムなんていつか古びるでしょう。数十年前のシステムをずっと使い続けてるってことですか。しかも脳なんて人間で一番重要な器官の役割を担うものなのに」
「一番重要だからこそ、変える必要がないのです」濃川捜査官は言った。彼女の口を借りて、別の誰かが言葉を発しているようでもあった。「むしろ、これ以上は変えてはいけない。ここから先へ進んでは、人は人でなくなってしまうから」
人は人でなくなる。その言葉は字面以上に重い響きを持っていた。
「もしデータの改変が可能だったとしても、サバクタニはセンセイの記憶をそのままにしておくと思うよ」科野が言った。
「何故だ?」
「彼らはセンセイを葬りたいと考えている。肉体的に殺すか、人格ゲシュタルトを破壊するか、いずれかの方法で。もしセンセイが
「つまり、その作戦に乗っかって、捕まりさえしなければ記憶だけを取り戻せるということか」
科野は頷いた。
「かなり危険だから、お薦めはできないけどね」
「やるよ」おれは言った。「それしか方法はないんだろう?」
「失敗すれば、今度こそ人格ゲシュタルトを破壊されるよ? そうなれば本当にセンセイは死ぬことになる」
「構わん」それからおれは、濃川捜査官へ目を向けた。「今更逃げるわけにもいくまい」
彼女は何か言いあぐねているように唇を結んだ。止めたいとは思うが、本音を言えば止まってほしくない。そんな風に考えているのが伝わってきた。
「それに、あいつとの約束もあるからな」散っていくドットの塊を眼の裏に浮かべながら、おれは言った。「これ以上カッコ悪いところは見せたくない」
井戸に石を投げ入れ、音がするのを待つような間が空いた。やがて、科野がため息を吐くのが聞こえてきた。
「わかった。わたしもできる限り協力しよう」
「助かる」
「すみません、お二人とも」濃川捜査官が口を開いた。
「後で濃川ちゃんの綺麗な生脳を見せてくれればそれでいいよ」科野はいつもの気持ち悪さを取り戻した。
「善処します……」
「しかし、天下のサバクタニのサーバに潜り込む方法なんてあるのか? 不正アクセスなんてしたら一発で察知されるだろ」
「不正アクセスなら、ね」
科野の言わんとするところはわかった。
「通常の記憶参照信号に乗っていくのか」
「そういうこと」
「プロトコルに異物が混じっていれば、向こうのファイアウォールに弾かれませんか?」濃川捜査官が言った。
「〈脳たりん〉だったらそうなっていたろうね。けど、幸いセンセイは〈脳なし〉だ。トラフィックの量が多いから、ゴリ押しでもいける。サッカーではなくラグビーができる」
ラグビーと言われ、エゼキエルの顔が浮かんだ。そういえばアシスタント二人はどうしているのかと思うが、それも一瞬で消えた。まあ、あいつらならどうにかやっているに違いない。
科野が立てた、サバクタニのサーバへの侵入作戦はこうだった。
まず、おれと濃川捜査官の意識を情報空間内で活用できるようデータに変換する。次に、それに圧縮を掛け、送信可能なサイズに分割する。この時点で、喪失に備えた予備も含め十二のファイルが出来上がる。今度はそれを、科野が組み上げた侵入用のプログラムに組み込む。ここでラグビーの要素が登場する。おれと濃川捜査官の意識データを持った侵入プログラムは、ラグビーの試合をサーバに持ちかけ、その試合の一環としてアタックを掛けるのだ。なぜ試合などと回りくどいことをするかと訊ねると、科野は言った。
「ただ闇雲にクラックを仕掛けてもサーバ側のセキュリティで弾かれる。だけど、試合となれば別だ。試合というのは、一定のルールの下でお互いが平等になる。各選手の個体差はあるものの、人数や攻撃・防御の手段は共通のものとなる。これは我々と
戦力が並べば、攻め込む余地も出て来る。もちろん、相手は強豪国の代表、こちらはどこかの中小企業のワンマン社長が独断で創設したラグビー部といった差はあるけど、それでも戦略によっては点を取れる可能性がゼロではない。完全な塀で塞がれていた所を、大きな人間が並んでいる状態にする。この点が重要なんだ。相手が人間なら、その隙を突くことだってできるんだから。あ、ここで言う〈人間〉っていうのは比喩だけどね。とにかく、出し抜く余地があることが肝なんだ」
どこかの小さな会社のラグビー部では困る。意識データを託す身としては、もう少し安心材料が欲しいところだ。せめて、弱小国とはいえ同じ国際大会に出られる程度になってもらいたい。
「その辺はわたしの頑張り次第だね。大丈夫、期待してくれていいよ。入っちゃいけない場所に入るのは得意だから」
そうして科野は侵入プログラムを組み上げた。おれにはよくわからないが、サバクタニのサーバを守るセキュリティと技術面では遜色ないと濃川捜査官のお墨付きの代物だった。問題は、どうあっても越えようのない向こうのデータリソースだが、そこは動きでカバーすると科野は言った。
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