20−2
通されるまま、おれは処置室に入った。
いつもの検査で使っている、歯医者にあるようなリクライニング式の施術台に座った。測定器は、いつもは額の両側にパッチを貼るだけだが、ここではコードやコイルが張り巡らされた仰々しいヘッドマウントタイプのものを被せられた。
「復旧にかこつけて、改造でもするつもりじゃないだろうな?」おれは念のため訊ねた。
科野は薄笑いを浮かべただけで、質問には答えなかった。「行くよ」という彼女の声が聞こえたかと思うや、おれの意識は体を離れた。というより、体の底に空いた穴へ吸い込まれていくようだった。
落ちていく感覚に対する恐怖から、いつの間にか固く眼を瞑っていた。だが、落下は既に収まっていた。瞼を上げると、目の前には白があった。空間のような奥行きを感じさせない、純然たる白である。自分の存在を確かめようと手を見るが、何もない。ここには肉体がない。おれが存在するという担保は、おれがおれを認識しているというこの一点に尽きる。
『あー、テステス』頭上から、いや頭の奥で、しかし頭はないので意識の内部に、科野の吞気な声が響いた。『センセイ、聞こえるかい?』
「聞こえる」と、おれは口で言うのではなく意識で思考した。「どこなんだここは?」
『そこはセンセイの人格ゲシュタルトの中だよ。スッカラカンなのは、自分に関する記憶が全然ないから。復旧にあたっては、そこに外部記憶を流し込んでいくことになる。意識と人格ゲシュタルトに齟齬が生じないよう常に同期させておく必要があるから、センセイには——つまりその意識ということだけど、そっちに行ってもらったというわけ』
「わかるようでわからん」
『まあ要は、これから大量の情報が流れ込んでくるから、体を慣らしてくれってことだよ』
「慣れなかったらどうなる」
『今のその意識とは別の、外部情報が綯い交ぜになって出来上がった新しい意識が人格ゲシュタルトを形成して、センセイとして振る舞うことになる。意識の書き換えとでも言おうか。そういうことが行われる』
「それって、おれが死ぬってことか?」
『あくまでセンセイの内側の話であって、外からは大してわからないよ。たぶんわたしにもね。だから大丈夫』
「全然大丈夫じゃない。一大事だ」
『とはいえ、もう処置は始まっちゃってるから』
前方のやや上の部分に、丸い穴がいくつも現れた。横一列に並んだそれは、明らかに何かを流し込む用途で空けられた穴だった。ないはずのおれの胸が騒いだ。ないはずの耳が、何かが押し寄せるような轟音を聞き取った。
全ての穴から、同時に水が流れ出してきた。目を凝らすとそれは水ではなく、一つ一つがドットであった。ドットがドッと流れ出す——などとしょうもない洒落を思い浮かべているうちに、足下に溜まった〈水かさ〉はどんどん上がってきた。程なくして、おれは藻掻かずにはいられない状態となった。
水面から感覚だけの顔を出し、どうにか息継ぎをした。天井があるわけではないから、浮いてさえいれば溺れる心配はないかに思われた。が、溜まったドットの中におれを引き込もうとする力があった。服が濡れて重しになるように、おれの意識に染み込んだ外部記憶の欠片が浮上を阻み始めたのだ。徐々に意識が重くなり、自由も利かなくなっていった。肩から上(感覚だけだが)を出せていたものが、口を外へ出しておくのもままならなくなってきた。やがておれは外部記憶の作り出した海に没した。
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