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 次に目が覚めた時、おれの頭の下には枕があった。どこかのベッドに寝かされているようだった。目の前に広がる、ひびの入った天井には見覚えのある気がした。思い出そうとしていると、いくつかの顔が現れた。いずれもおっさんのものだった。誰かが命じて、別の誰かが部屋を出て行った。

「先生、目ぇ覚めたかい。おれがわかるかい?」

 下の歯がない。コムさんだ。おれは頷いた。

「よかった、意識はしっかりしてる」

「悪かったなあ、先生」泣き顔が割り込んできた。上の歯がない。タケさんである。「俺があんな奴に会わせたばっかりによぉ。俺はてっきり、先生をスカウトしに来た編集者か何かだと思ったんだよ」

 おれも一瞬そう思った。声は出ないが、そう気持ちを込めておれはもう一度頷いた。

 部屋に新たな人影が入ってきた。覗き込んできたのは科野だった。

「大丈夫かい、センセイ? 息するだけでも辛いと思うけど、幸い骨は無事だよ。まあ、今はじっとしている他ないね。痛みはそのうち落ち着くよ」

 科野の向こうに小さな人影が見えた。あの女性であった。こちらの視線に気付いた科野が体を避けた。

「積もる話もあるだろう。後はお二人でゆっくりしておくれ」そう言って彼女は他の住人たちを押し出すように出ていった。

 残ったのは眼鏡を掛けた例の女性だけとなった。スキンヘッドの男は彼女を見て頭脳警察だと言っていた。中学生ぐらいにしか見えないが、相手を退散させたことを考えると嘘ではないようだ。おれがベッドの傍らに置かれた椅子を示すと、彼女は小さく頭を下げてそれに座った。おれは体を起こそうとしたが、思うように力が入らず、彼女にも止められたので諦めた。

「すみません、わたしがもう少し早く駆けつけていればよかったのですが」

「あなたのせいではありませんよ」言う度に、背中が痛んだ。「おれが勝手に無茶な戦いを仕掛けただけです。それも仮想少女を守るために熱くなってやったことです。我ながら情けない」

「他者を守るために自らを犠牲にできるのは尊いことです」

「そう言ってもらえるといくらか救われる」おれは鼻から息を吐いた。「ところであなたは、今日はどのような用件で? たまたま通りがかったわけではないのでしょう?」

「ええ、偶然ではありません。あの男が来たことと、わたしがここに居ることは繋がっています」

「あの男が来たから、あなたも来た」

「本当は、ここに来させる前に止めるべきだったのですが、出遅れました」

「あの男は何者ですか? どこかの会社の人間のようだけど、とても堅気のようには見えない」

「彼はSSSSサバクタニの社員です。その意味では一応堅気ですが、サバクタニの暗部の仕事を担当している、いわゆる〈社獣〉と呼ばれる人種です」

「社獣……」呟くと、口の中が痛んだ。「天下のサバクタニの、しかもそんな物騒な人間に、おれは目を付けられたというわけですね?」

 女性は頷いた。

「記憶をなくす前のおれは、それだけのことをした」

 彼女はまた頷いた。

「あなたがネットワークから切り離されてここへ来ることで、彼らはあなたのことを見失いました。いくらサバクタニの情報網を以てしても、下層現実に入られては検索不可能ですから。しかし、彼らが手をこまねいていたところへ、あなたの健在を示す情報がもたらされました」

 おれがここの住人たちに描いた漫画だ。身から出た錆、というわけである。

「それに加えて頭脳警察」おれは言った。「なるほど。あなたはおれを逮捕しに来たというわけですか」

 にも関わらず、おれは吞気に彼女を元恋人だと思ったり、彼女が再びやって来ることを待ち焦がれたりしていたのだ。シーツを顔まで引き上げずにはいられなかった。

「いえ、わたしの目的はあなたの保護です。あのようなことがあった以上、ここに居ていただくことはできません」

「拘束するなら逮捕と同じでしょう。物は言いようだ」

「拘束はしません。多少の不自由は生じるかもしれませんが、概ね夢野さんの意思で運ぶように取り計らいます」

「おれはこのままで結構。ここでそこそこ平和に暮らせている。たしかに一時期の記憶はないけど、今が人生で一番、心穏やかな日々を送っているとさえ思っています」

「残念ながらそれも今日で終わりだよ」別の方から声がした。腕組みした科野が、戸口にもたれていた。「センセイの所在は知られてしまった。〈上〉のネットに流されたあの漫画、下層現実の住人が描いたって大々的に謳われていたからね。しかも見る人間が見れば、センセイの作品だということもわかる」

「サバクタニはまたやって来ます」と、頭脳警察の捜査官が言った。「今度は堂々と正面から会いに来るとは限りません」

「だからここには居られないと? ここじゃない場所なんて、ネットワークに繋がった〈上〉以外ないでしょう」

「そう。だからセンセイの人格ゲシュタルトを元あった状態に復旧させ、ネットワークに繋げるようにする」

「そんなことしたら一瞬で見つかるだろ」おれは言った。「もっと〈下〉へ潜る方が合理的だ。サバクタニにすら手が出せないほど深くに」

「サバクタニが本当に手出しできない場所なんて、人が住む土地にはないよ。それこそ樹海か、海の底まで行くしかない」

 おれは科野の言葉を咀嚼した。自分でも薄々わかっていたことだが、他人の口を通して改めて聞くことで、それが事実であることを思い知らされた。

「仮に人格ゲシュタルトをネットワークに繋げる状態にしたとして——」しばらく経ってから、おれは口を開いた。「記憶はサバクタニのサーバにある。アクセスできるとはとても思えないんだが」

「そう。だからサーバの記憶は使わない」

「それじゃ復旧も何もないだろ」

「サーバにあるものだけがセンセイの記憶じゃないよ」

 科野は捜査官に目配せした。すると捜査官は眼鏡を光らせたまま腰を上げた。

「視界共有します。よろしいですか?」

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