NODE

佐藤ムニエル

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 気分転換に立ち寄った深夜のコンビニで、おれの精神は仕事以上にハードな状態に晒された。そもそも漫画を描くのが仕事であるのに漫画誌を立ち読みしたのが間違いだった。ワーカホリックの気があることは薄々自覚していたが、これでは気分転換も何もあったものではなかった。

 ページを捲りながら、おれは呟いた。

「アイデアが盗まれている」

 大昔の映画に、そんなようなキャッチコピーがあった。思い出そうとすればタイトルまで出てきただろうが、そんな余裕はなかった。

 危うく雑誌を持ったまま店を出てしまうところだった。一旦落ち着くと、〈いい大人がさすがに漫画雑誌だけ買うのは恥ずかしいのではないか〉という自意識も生まれ、エナジードリンクと固形食品をアシスタントたちの分までカゴに入れて一緒にレジへ持っていった。ところが、雑誌が自分のものになるや我慢が利かなくなり、結局帰り道に街灯の下でページを繰る羽目になった。その格好たるや、みっともないものだったに違いない。

 タイトルも作者名も、登場人物たちの名前も違っていた。だが、全体の筋書きと核になるアイデアは間違いなくおれが創造し、NODEの個人ストレージに格納していたものだった。おれは同じ漫画をその場で三度読み直し、表紙のロゴを凝視し、一切が自分と無関係であることを確認した。記憶検索を掛けても、該当するデータは見つからなかった。

 何が起きているのか整理する必要があった。おれは〈客観視できる君〉を立ち上げ、現在の混乱の原因を抽出しようと試みた。短いセンテンスで個々の事象を羅列するだけでそれらの因果関係を整理し、答えに導いてくれる優れもののプラグインだ。思考がいちいちテキスト化されて見づらいという声も聞くが、おれのようなおっさんにはこちらの方が使いやすかった。〈自分の漫画のアイデア〉〈知らない雑誌に載っている〉〈描いた覚えはない〉〈絵のタッチも違う〉〈作者名も違う〉〈誰にも話していない〉――。頭の中に並べた言葉のイメージたちが場所を入れ替え、互いに線で結ばれたりしながら、関係を形作っていった。やがて、一つの答え(といっても可能性が大きいというだけだが)が算出された。

〈記憶漏洩の疑い〉

 その字面を見た途端、脳がむず痒くなった。全くの錯覚だし、そもそもおれの頭の中に脳は入っていないはずだったが、頭骨の中で何かが疼いている気がしてならなかった。

「〈できる君〉はすぐに劇的な答えを出すからなあ」と言う声がした。セーラー服姿の十四歳の少女が、電柱に寄り掛かっていた。「記憶漏洩なんて、そう滅多に起こるものじゃないよ。NODEサーバのセキュリティは万全なんだよ?」

「そう……そうだよな」おれは言った。「SSSSサバクタニのセキュリティを破れる奴が地球上にいるわけないもんな」

「そうだよ。お父さん心配しすぎ。ネットニュースばかり見てるから陰謀論者になっちゃうんだよ」

「気を付けるよ」そう言って、おれは腰を上げた。「お前はいつもおれを助けてくれるな」

「だってそれが、わたしの役目だもん」

「そこは〈お父さんが好きだから〉って言ってほしいな」

「次からそうするね」

 部屋に戻ると、荻原とエゼキエルは机に突っ伏していた。おれは作業台にエナジードリンクの入った袋を少し強めに置いた。

「ほら、起きろ。締め切りまであと三時間」

 ムニャムニャいいながら、二人は起き上がった。

「センセイこそ、この忙しいのにどこ行ってたんすかあ」金髪ピアスの荻原が目を擦りながら言った。「未だ手つかずのページが三枚もあるってのに」

「死ぬ気で描けば終わる」おれは自分の椅子に座った。痔がひどいので座面にはドーナツ型のクッションを置いていた。「限界超えれば死ぬし、終わらなくても死ぬ。だからやるしかない」

「ニホン人、シゴト、好き」エゼキエルがあくび混じりに言った。ラグビー選手といっても通用しそうな体格のポリネシア人だが、本人にそれを言うと激怒する。ラグビーには何か嫌な思い出があるらしい。

「センセイのは好きなんじゃなくて要領が悪いだけだよ」言いながら、荻原はエナジードリンクの缶を開けた。「スケジュール通りにやれば、切羽詰まってこんなに苦しむこともないのに。ホントに〈脳なし〉なんですか? 〈能なし〉の間違いじゃなくて?」

「やっかむんじゃない、〈脳たりん〉」その実、彼の方が足りないどころか脳の全てが頭に収まっていた。本来の言葉通りだと、むしろのはこちらの方であった。向こうは脳にナノマシンを注入しただけの効率的な施術を受けた世代だが、おれの場合は頭を開かれ、脳を同じぐらいの大きさの機械と入れ替えられた。当然、頭に手術の跡も残っている。後から性能も上がり本体も小さくなったゲーム機の、やたらとかさばる初期型を持っているような感覚である。

 脳を全て完全機械化したところで、人生でそう大した旨みも感じていなかった。現に売れない漫画家なんかになっているわけだが、それが定価で買おうとすれば一軒家よりも高い精密機械である人工脳の正しい使い方だとは到底思えなかった。

「いいから仕事しろ〈脳たりん〉」言いながら、おれは真っ白な原稿の置かれた机に着いた。

 今は目の前の仕事をこなさなければ。余計なことを心配している時間は、おれにはなかった。記憶漏洩なんていうのはまあ、陰謀論の世界だけでの話だろう。最後は自分で自分を納得させ、ペンを執った。

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