ガラスの街
@TheYellowCrayon
第1話 カウンセラーの女
Oct 14. 2022
総合警備会社クルーガーセック本社ビル42階
部屋番号4206 第3カウンセリング室
コンコンッ
「はい。どうぞ〜」
「失礼します。」
「はいこんばんは。
こちらにどうぞ。」
カウンセラーの彼女はそう言って、デスクの手前にある椅子を指す。
「はい。」
もう21時だ。静まりかえったオフィスフロアの中で、まだこの部屋は生きていた。やたらと広い書斎の奥、窓際には顔見知りの女性カウンセラーが座っている。窓際のデスク越しに彼女と月一でカウンセリングをすることが決められていたのだ。
窓から一望できるこの街の夜景をバックに彼女はこちらを向いて座っている。デスクワークに没頭していたようだ。
30歳くらいだろうか。サラサラの黒い長髪を払いながらディスプレイに向かっている。密かに心を寄せる女性No.1なのだ。
僕は腰掛けるついでに個人面談の資料を挟んだクリアファイルを彼女に手渡した。彼女は早速その紙面に目を走らせながら腰掛ける僕に時々目を合わせる。
「今日は遅いのね。」
切り出しの会話が始まる。
「はい、今日は昼勤だったので。」
「珍しいわね。まあいいけど。」
「夜の時間帯もあなたが担当で安心しましたよ。」
「ふふっ。私は昼も夜もないの。
では始めましょう。
この街に来てからもう半年になりますね。現在のところ診断の数値は範囲内。若干、アルコール指数が高く出てるわ。」
「はい。」
「何かストレスやご不満は?」
「ないことはないですが、任務に支障はありません。」
「なるほど。飲酒については、、」
「酒は多少飲み過ぎくらいが正常でしょう。」
「ふふ。腎機能にマークが付いたらそうも言ってられないわよ。講習が始まっちゃうから気をつけてね。」
「了解です。」
彼女は紙面の最後の欄に目を移した。その内容こそが僕が唯一伝えたいことを書き記した備考欄だった。
「ええとー。『人間関係、人との距離感』って書いてるわね?」
「そうですね。職場の人間関係のことなんですが。。」
「お話伺っていいかしら?」
「ええ。今の職場に来て、特に人間関係のこじれがあったとかネグレクトを受けたというわけではないのですが、なんか落ち着かないというか、はっきりしないストレスがあるんです。」
「うん」
「絆が薄いというか距離感がわからなくなる。今の武装警察の職場ではみんな仲良くしようという感じではないんです。みんな上司の愚痴を言い合ったりゴシップで盛り上がったりして、でもお互いのプラベートの話は、長い時間を経た今でもほとんどすることがないんです。元々この街の人間ではなかった僕からすると違和感を感じてしまう。そして最近気づいたんだ。僕自身もそうなってきてることに。」
「うんうん」
「この違和感は何だろうと考えてみたら、いつのまにか人目を伺わないと歩き出せないくらい周囲の様子を見てしまっている自分に気付いたんです。誰と繋がろうとか仲良くしようとか思うわけでもない、ただ流れを読んで許された空間だけを歩いてる。」
「なるほど。」
「それって誰にでもあることかもしれないけど、ぶっちゃけそれが生きづらさんなんです。ふつーにみんな喋ればいいのにって思ってしまう。それが大人の距離感だなんて言われればなんも言えないけど。」
「うんうん、分かりますよ。それはそれでこの世界で生きていくための適応みたいなものですもの。だから、あなたは自ら適応の術を身につけているんだと思う。」
「ええ、プラスに捉えればね。でも僕個人的には、誰かと仲良くしようって事すら最近は思わなくなってて、それがヤバいって思うんだ。いくら周りがそうだからって、、」
「うんうん、そうですね。すごく分かります。私もここに転勤したての頃は随分悩みましたもん。」
「そうなんですね。お姉さんも、、」
「ええ、私はこのK SECの専属カウンセラーとして、今では個人のポストが与えられてるし、こうやっていろんな方からお話をお伺いする機会があるからこそ、いろんな人の気持ちに触れ合うことができてる。それは実は私自身にとってもとても素晴らしいことなんです。前職でオフィスにいた頃はそんな機会はなかった。あなたとかその頃のあたしみたいな状況の人はきっとこの街に大勢いて、同じ苦しみを味わう人も多いと思います。」
「うん」
「ごめんなさい。あたしも自分の話しちゃった。」
「いえとんでもない。話してくれて嬉しいよ。」
「あはっ」
「僕が更に付け加えるなら、そういう固定された関係から逃げられないとなると、人は葛藤に呑まれるか割り切って染まるかの岐路に立たされるんだよ。でも僕には、染まった人間はかつて染まることを選んだという自覚すら失っていくように見える。この会社の無機質なユニフォームみたいにね。」
「ああ〜たしかに。ところで、あなたすごく表現がお上手なのね。」
「いえいえ、ありがとう。」
「聞いててびっくりしちゃうわ。あたしみたいなお仕事も向いてるわよ。きっと。」
「ははっ。人と話すのは不器用だからどうかな。」
「不器用なの?ほんとかしら。」
「うん、普段はこんなに話さないよ。自分のことをね。ただこうやって話してるだけで、葛藤してきたのも間違いじゃなかったって思えるよ。」
「うんうん」
「こういうのなんて言うんだろう、、、自我?」
「そうね。でもそれは当然のことだわ。あなたは自分自身のことも忘れずに認識している。自分自身を大切にしたいという本心が伝わってきます。それってとても尊いことだと思うわ。」
「そう言ってくれる人がいるのは本当にありがたいよ。」
「もちろんよっ。」
「でも、この『ガラスの街』に来てからそういう人間をほとんど見ない気がするんだ。単に僕に対してはみんな見せてないだけなのかもしれないけどね。どっちにせよ、1人で考え続けるのは正直、心細い時もあるので。」
「ええ、大丈夫よ。ここでは安心して吐き出してください。」
「うん。まあ最近の悩みはこんなもんです。ただ、、」
「ただ?」
「噂を、、聞いたことありますか?」
「え?」
「この街のことです。大衆の間で流れてる話。人々の噂話とかひょんな会話に至るまで、実は誰かの所有物なんだって。」
「まあよく聞くわ。都市伝説みたいなものよね。」
「ええ。でも僕は時々信じそうになるんです。この街は綺麗過ぎる。どこもガラス張りのメガストラクチャーが立ち並んでて、そこに住む人たちの服装も会話も、なんだか変に揃ってる。それはきっと誰かの利害の天秤と共鳴して動くようになっている。僕はきっと、知らないうちにそこに参加させられそうで恐怖してるんじゃないかって。」
「ふんふん」
「これは聞き流してください。なんか被害妄想じみてるんで。」
「いいわ。今日はもうお客さんもいないから。」
「うん。ただ、僕らがいる会社が実質この街を管理してるわけで、そのためならあのCEOがなんか工作してても違和感ない気がしたんです。」
「まあその話を本気にするようになったら、あなたも染まってきたってことなのかもね。」
「はは、たしかに。危ないところだ。でもこうやってお話できるからなんとか自己を保てるところがあるよ。僕の話はこんな感じです。そろそろ行こうかな。ありがとうございます。」
「あっ、もういいのね。いえいえこちらこそ。
じゃあ最後にここの4つのとこにチェックマークつけておいて欲しいわ。」
「おっけーです。」
机の紙面に向かっている間も彼女はこちらを見ていた。
「ふふ、最初部屋に入ってきた時とは表情が違うわ。」
「まじか笑
お姉さんとたくさんお話しできたからですよ。」
「ふふ、表情がほっこりしてるもの。」
「今夜はほっこり安らかに眠ります。」
「あは!」
「ところで、お姉さんは何時までお勤めなんですか?」
「私はね、今日は10時半。」
「そっかそっか。そしたら、まだ電車も余裕ありますよね。このビルのすぐ隣によく行く酒場があるんですけど、よかったら一杯どうです?」
「えー。」
「いつもの感謝の気持ちを込めて、一杯奢りたいな。」
「うーん、ありがとう。でも今日は家で片付けたい仕事があるの。」
「そっかあ。」
「うん。でも嬉しいわ、ありがとう。また誘ってね。」
「ええ、もちろん!」
「、、、ちなみに、私の家はすぐそこなの。」
彼女は窓の向こうを指差した。それは道路を挟んですぐ正面にある、下層階がショッピングモールで上層階がマンションであるパターンのタワマンだった。
「ええ!?パーシモンズ・ビルじゃん。
リッチ〜」
「そんなことないわ笑
だから電車も乗らないし、職場からすぐなんだけどね。今日はどうしても済ませたい仕事があるの。だからごめんね。」
「いえとんでもない。それなら甘めのスコッチを今度持っていきますから乾杯しましょう!」
「なんでウチで飲むことになってるの笑」
「楽しみにしてますよっ」
「はいはい、
じゃあ今日はお疲れ様でした。ありがとうね!」
「いえ、こちらこそですよ。ありがとうございました。今日はほっこり寝ます。」
「あははっ。じゃあね!」
部屋の扉をそっと閉めて、ノブから手を離す。月一の心身チェックが終わった。次は一月後かと思うと名残惜しい。
夜のオフィスフロアはもう静寂に包まれていた。階端のエレベーターまで移ると、エントランスフロアか駐車場階のボタンを押すか一瞬迷ってから地下の駐車場階のボタンを押した。普段なら、エントランスから出てそのままモノレール駅に直行するのだが、今日は駐車場にあるレンタルバイクで帰ろうと思った。この街の夜を徘徊しながら帰りたい。街の規模や煌びやかさやの割に合わないくらい人通りが少ないこの街にはいまだに慣れないし、寂しい気持ちは変わらない。でもそんなこの街のことも嫌いじゃないんだ。
気持ちが軽くなった僕は、白地に青のストライプが入った社用ユニフォームと同じ柄に塗装されたクロスバイクを地下の無人プラットフォームで借りあげて、夜の街へと乗り出した。
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