野々村のら

序章

 町の一角にある酒屋の通りは、今日も騒がしい。その街道だけは提灯が幾つも並び、祭りのようだ。

「おい、聞いたか。また夜叉姫様が出たんだってよ」

 一軒の店で、一人の男が相手の男にある話を持ちかけた。

「あぁ。そのせいか盗賊たちも最近は大人しくしておる」

「この平和が長く続けばよかろうて」

「失礼。何の話でしょう」

 二人が急に声をかけられ振り返ると、そこには一人の男がいた。深く被った笠は、店の中に入っても脱ぐ気配がない。入ってきたばかりなのだろう、秋風の匂いが衣からした。

「はて。お前さんは一体何者じゃ。この辺りでは見かけん顔だが」

「わたしは旅の者。この町にはさっき辿り付いた次第でございます。この店に顔を出したら、聞きなれぬ言葉が耳に入ったもので。〈夜叉姫〉とは?」

「うぅむ。まぁ、座れ」

 席を薦められると、男は少しの沈黙を置いた後、浅く腰掛けた。

「最近、盗賊たちが出る時にな、名も明かさず、町の者を救う者が現れるのじゃ。しかし、日が沈み果てるまでは何があっても決して姿を現さん。たまたま目撃されたという榊原様は、まだ若い娘であったという。やがて、我らはそいつを夜叉姫と呼ぶようになった」

「夜叉…鬼神か」

 その呟きに、男たちは苦笑した。

「我らは、夜叉姫の正体だけでなく、目的もわからぬ。わからぬものは怖い。人々の心の内が表れたものなのだろうの」

「大きい声では言えぬが、わしとて怖い。そもそも、あの武術の腕は尋常じゃないぞ。ここだけの話、物の怪ではないかという噂もある」

「ふん、ばからしい。物の怪が人を助けたりするものか」

「わからぬではないか。わしらをいつか化けるために、騙しているやもしれぬだろう」

 言い合いを始めた男たちをよそに、旅の男は、深く考えるような素振りを見せた後、ふわりと立ち上がった。

「ありがとうございました。失礼します」

 軽く礼をし、衣を翻して立ち去る。その動きは、見とれてしまうほど美しかった。

「何だったんだろうか」

「さぁ」

 残された二人の男が、ぽつりと呟いた。


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