岩山のオランダロ3

 迷宮への道は踏み固められ草も生えない。

 砂埃に乾いた空気。

 石を積みあげて作られた囲いに粘土でゆるい傾斜を描く屋根がのっている家が寄り添うように乱立している。みすぼらしい閑散とした道。賑わっていた頃の華やかな壁も彫刻も価値のある物は壊して売り払った後なのだ。

 この国は長くないとメディエラは口にする。むしろ、長くあってはいけないのだ。若い者に希望が薄過ぎる国に未来はない。

 オランダロもそう考える。

 迷宮を持ちながら利用しきれていないのだ。いつまでも失迷の国に迷宮があった頃の余剰影響で繁栄していた頃を引きずり、自らが得た迷宮を蔑ろにし続けている。

「石膏瓦解?」

 迷宮に一歩踏み込んだとたん、オランダロが得るのはいつもとの相違。

 普段から感じる冒険者たちの不満以上の負の気配が蓄積している。

 沁み込んだ呪いのたぐい。

 昨日今日溜まった澱みではないのに目をむけていなかったことにオランダロは舌打ちをする。

 見たくはない。

 見なくてはいけない。

 廃坑を照らす松明が不安定に揺れる。

 足をはやめた先で見た物は人を貪る魔物たち。

 散乱する美しく染められた遊女の飾り紐。

「糞爺ども……」

 人を貪る魔物の群れが勢いよくオランダロに意識をむける。落ちる。赤いものをまとった白く細い女の腕が。魔物の顎から。

 呪いながら苦しみながら逝った生きながら喰われた女たちの呪詛を『石膏瓦解』は受け入れている。岩山の国唯一の迷宮。岩山の国の要望をすべて受け入れることのできる下地が迷宮にはある。届くのはより強い意志であり、強い魔力を持つ意志である。

 人が『なにもない』と思うから、迷宮は人に物を与えない。

 女たちの怨嗟と呪詛は充分に『石膏瓦解』に届く。

 国の地表に生きる人の意思より迷宮に潜る者の意思がよく届き、ただ入る者より迷宮核に触れる者の意志の方が強く叶えなくてはならない。

 弔うことを厭われた女たちは生きたまま、迷宮に落とされた。着の身着のまま、病のままに使えぬ。稼げぬと捨てられた。ただ、その中にかつて冒険者だった女もいた。

『石膏瓦解』の迷宮核に届き、この国を呪えるほどの魔女が。

 必要な魔力は不要として棄てられた女達の生命力に怨嗟呪詛。蓄積してきた借金持ち冒険者達の不満嫉み。いつもより狩られる量が少ないゆえの余剰。

「いつから、あの爺ども迷宮を、石膏瓦解様を廃棄処にしてやがった」

 オランダロは昼前までしか『表』の迷宮に潜らず、一階層、二階層はいつも同じ道で三階層へとむかっていたことを後悔する。

 蓄積された怨嗟呪詛が一定を超過したから疫病が地上に流行りはじめたのだろう。そして迷宮が呪いの願いを叶える準備はあとひと息にまで満ちているのだ。

「ぁあ、オランダロさん、……助けてくれ。魔物に喰われたくねぇ。なのに出れねぇんだよ」

 奴隷の契約紋を持つ男が息をきらせ、咳込む女の手をひいて訴える。二階層にくることはできるがそれ以上は進めれない男だった。小銭ができれば飯と女に注ぎ込みいつだって余裕がない男。よくいるような抜けられない男だった。

「糞爺ども、おれを棄てやがった。棄てる女達をなるべく奥に連れて行けって指示しやがった。安全区画に留まることも禁じやがったんだ。なぁ、助けてくれよ。これ以上恐怖も痛みもいらねぇんだ。母ちゃんを楽にしてくれよ。おれじゃ簡単に楽にしてやれねぇんだ」

 オランダロに縋りつくようにまとわりつく視線。返り血だけでない赤が男の先の無さを示している。

「ねぇ、オランダロ坊や、奥へ連れて行っておくれよ。奥の方が迷宮様に声が届くんだろ。せめて呪わせておくれ。なぁんにもできぬ女の身を。こんな国潰れちまえばいいんだ。アタシたちいい。なんで娘たちがあたりまえに売られる? 銅一枚も価値がないなんて嘲笑われる? わかっているさ。アタシたちはメディエラのように立てなかった。だからってここまでされてもなにもできないんだ。そうさ。できるのは呪うだけさ。こんな国潰れちまえってね」

 咳き込みながら紡ぐ言葉をオランダロは聞く。ラティエラ母子を拾いあげただけで、偽善者呼ばわりも知っていた。

「生きにくいな。もし、迷宮が願いを叶えるなら、それは氾濫のはじまりでこの地に残るものは少なくなる」

「ああ、アンタは生きるだろうさ。それでいい。アタシはね、この国がダメだと思っているだけさ。迷宮から氾濫した魔物に爺どもも喰い殺されればいいのさ!」

 女は止まらない咳き込みの中言い放つ。

 ひとつの狂気がそこにあった。

 オランダロも女も冒険者の男だって生き難いのは共通していた。

 それぞれにできることは限られてそれでも自身のしたい事をできる中でおこなって生きている。

 女が憂えるのは最初から与えられない自由だ。

 オランダロにとって懸念がある。タガのはずれた老人たちがどこまでやるかである。老人たちが後継と定めた甘やかされた男たちの壁の低さも気にはなっている。

 自分たちの特権層にいないモノは自分たちの自由にしてもかまわないと思うようになるのにそれほどの時間は必要だろうか?

「俺には娘たちが自立できるように育てるしかできねぇよ。そして氾濫がおきれば、娘たちが危ねぇんだよ」

「呪詛と呪いは溜まるよ。オランダロ坊や。いやなら娘らを連れて帝国にでもお逃げよ。ああ、なんであのふたつの迷宮は核を奪われたのかねぇ。それさえ、それさえなければ!! まだ借金の利息は返せたんだ! それなのにそれなのに……、ぁあああああああああぁ! アタシの生命もあげるよ。この国を荒らして、元凶な失迷の国にも嫌がらせをしておくれ!」

 じわじわ寄ってきていた魔物にむかって女は急に突進した。

「さぁ! アタシを食べておくれ! かわりに爺どもを蹴散らしておくれ! さぁさぁさぁ」

 蜥蜴人が大剣を振りあげ薙ぎ払う。まず、薙ぎ払われたのは男の腕だった。

「おれだって強くなりたかったんだ。むいてねぇって思っていたけど他の生き方も知らねぇ。アンタに縋れば、なんか変わったかなぁ。でもさ。おれだってくやしかったんだよなぁ」

 狂気じみた笑い声が響く。ここで死ぬしかないふたりだった。

「んで、今言うかな」

 ぎりりと歯ぎしりの音がオランダロの口からこぼれる。

「悔いしか残らねぇじゃねぇか」

「はは。そいつはよかった。ちったぁおれにも爪があったんだなぁ。なぁ、いてぇよ。殺してくれよぉ」

 オランダロは女の腹を食い破って吐く蜥蜴人を薙ぎ殺す。

「嫌なおもいさせられて、楽にして、もっと俺が嫌なおもいをするんだな!」

 そして、そのまま剣を男に突き立てる。

「ああ、そうさ。おれはここにいた……ここにい」

 かちりとなにかがハマるかのように迷宮内の空気が変わった。

 この瞬間迷宮『石膏瓦解』の氾濫ははじまる。

 氾濫をおこしたのは『石膏瓦解』(表)。(裏)は沈黙を守り、メディエラの私有地地下都市跡を守る。

 多くの犠牲は出た。されど、老人たちが逃げる時間は稼がれ、多くの病に冒されていた若い冒険者や女たちが犠牲になった。生き延びた女たちは教会の温情で隷属を解かれ教会付属の保護院に保護された。

 岩山の国は変わったけれども変わらない。

 メディエラは戻らない孫を想いながら鐘撞堂へ鐘を鳴らしに行く。

 オランダロは戻らなかった。




 岩山のオランダロ 了


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