迷宮世界の欠片

金谷さとる

欠片1『石膏瓦解』

岩山のオランダロ1

 からーん

 からーん

 からーん


 高く澄んだ青空にかわいた金属の鐘の音が幾重にも山びこをひきおこす。

 ざくざくと浅い草を踏みしめる足音は規則正しい。

 オランダロは冒険者を辞めて鐘守りになった男である。旅先で恋人を得て娘をこさえた。病を得た妻を連れて故郷に帰った時、オランダロは故郷への嫌悪を強く覚えている。

 村の若人を売買可能な所有物としてしか見ていない老人達がオランダロは嫌いだったのだ。

 自分が育児のために戻ることを選んだせいで妹まで一緒に帰ってきてしまった。

 自分も妹もその身の上を自分自身で買い取ってはいる。自分の妻と娘の身を自由にしておく為の税金も充分に国庫に納めた。人頭税と地代である。そして鐘守りという山の迷宮を慰める労働を。

 鐘撞堂を出たオランダロはグッと腕を伸ばす。

 そのまま身体の筋を伸ばすようにほぐしていくことが日課である。

 オランダロだけでなく、国の多くの者に期待ハズレの迷宮とされている迷宮だ。

「ハズレではあるが、得れるものはあるんだよな。ただ、必要なものではないだけで」

 たんと山の上部から斜面を見下ろしながら駆けはじめる。

 砂利と栄養の薄い乾いた草、その先に見える集落は迷宮の街というにも烏滸がましい小さな里で非常に閉鎖的な老人達が牛耳っているのだ。

 日に二回、鐘を鳴らすたびに役所へと報告に行くのは鐘守りに課せられた義務であった。

「聴こえているんだろうからいいじゃねぇかって思うんだけどねぇ」

 役所に報告に行き、そのまま冒険者ギルドでおそらくおさだまりの依頼書しかないであろう掲示板を確認する。

 最低限の人員しかいない薄暗いギルド、安酒場付きもオランダロにとってはどこか疎ましい。

「相変わらずショボい依頼書しかありやがらねぇな」

 若い娘な受付嬢が申し訳なさそうに頭を下げる。

 必要以上におどおどしているのもこの国の女性の身の低さを思い出してオランダロは不機嫌になる。

「特に討伐系はないみたいだから依頼書は引っぺがさないでおくわ」

 手をあげて振れば、受付嬢が営業用だろう笑顔をはりつける。

「はい。行ってらっしゃいませ!」

 向かう迷宮は『石膏瓦解』という名を持つ迷宮。

 オランダロは個人的に『表』と呼んでいた。

 他の冒険者の多くはまだ自身の身を買い取れない借金持ち。奴隷一歩手前の男達だ。完全に奴隷に落ちれば人頭税は不要だが、その身は完全なる所有物であり、持ち主による殺人すら許されてしまうのが事実だ。

 男には自身の力で自由になる機会は多い方だ。実力と運を持てば迷宮で稼げるのだから。オランダロも迷宮でひと稼ぎして自身の自由を買ったのだから。

 オランダロにいるのは娘だった。

 この集落の連中は女など賎貨程度の価値しかない使い捨てだと思っているような老人が多いのだ。

 老人達は不作になればどこまでも軽く女を売り飛ばす。

 若い娘なぞいくらでも生まれる。そんな老人達の談笑がオランダロは嫌いだったし、将来同じようにまじってしまう自分など想像したくもなかった。

『表』で拾える『油化』や『分離』『化合』のギフトは友人の錬金術師によれば、薬師、錬金術師にはとても良いギフトだということだ。

 ただ、戦士にとっては活用しにくいギフトである。

 事実、オランダロには拾えるギフトに対し適性がない為に覚えることもできないのだ。

 おそらく必要性を伏せて安く買い叩いているのが薬師ギルドなのだろうとオランダロは考えている。

「健闘を」

 通りすがりに定型の挨拶を送り、一人先に進む。

 狩場は被らない方がいいと考えるオランダロを見送る男達の目はどこか暗い。含まれるのは多分に羨望と嫉妬だ。

 自由民と借金持ちでは身分も違うのだ。気軽に話しかけていくことなど男たちにもできない。

 頼まれれば、パーティぐらい組む気があるオランダロも自分から言い出す気はなかった。

「いくらでも安全に連れ回してやるよ。って言って喜ぶ連中でもないしなぁ」

 若いうちに自由になる人間は増えるべきだと考えても老人達の影響を彼らも受けているのだ。そう、姉妹を売り飛ばすのに躊躇う気持ちなどないほどに。オランダロはそれを知っていた。

 廃坑のような仕立ての迷宮を三階層まで行けば他の冒険者の姿はがくんと減る。

 それでもここでようやく肉などの食材がドロップするのだ。三階層を狩れるようになれば、彼らとて自身を買うこともできるという事実は意味のないことだった。

 昼までの時間で狩りをし、再び冒険者ギルドへ。

 納品できる物を納品し一度集落のはずれ、メディエラの私有地へとむかう。老齢の女薬師は国からかつての地下都市を預かり管理する管理人であり、オランダロはその補佐、後継者としての労務も請け負っているのだ。

「ふん、ろくな薬剤も食材もないね。迷宮内でしっかり文句言っとくんだよ」

 針金のように骨張った肉の薄い老婆はシャキシャキと動き、オランダロに文句をつける。

「メディ婆、欲しいモンなんかあるか?」

「そうだね。水と緑葉の果実があると嬉しいかねぇ」

「よし、了解」

 オランダロは軽く手を振って地下都市内に入り口のある『石膏瓦解』裏にむかう。両迷宮に内容差はほぼない。

 ただ討伐に入る冒険者の数が違うのだ。

 第一階層からこの迷宮に入るのはオランダロくらいである。

「緑葉の果実、緑葉の果実」

 口遊みながら足取り軽く迷宮を進む。

 魔物を一刀で打ち伏せ、進む。オランダロは腕のたつ冒険者でもあるのだ。

 二階層に棲む植物型の魔物を打ち倒し、緑葉の果実と水球の恵みを入手する。いつものように緑葉の果実を食べにきていた岩トカゲを狩っていく。

「岩トカゲの肉はうまいんだが、肉のドロップは少ないのが難点だな。岩山山羊でも狩れるといいんだがな」

 独り言が多く思われるオランダロだが、それらは迷宮への要望伝達なのだ。

 迷宮は侵入者から生命力、魔力を取得して迷宮自身を育てる。力を効率的に取得していくために迷宮は侵入者の要望を叶えていく傾向があるとされていた。

『裏』の特性は魔力頼りの攻撃は耐性がつきやすいが、物理への耐性は付きにくいとなる。表は物理耐性が高いのでオランダロ的には少々やりにくさがあった。

『表』と比べれば『裏』の方がオランダロ的には攻略を進めやすい良い迷宮なのだ。

 動く植物性の魔物もそれを喰む動物系の魔物も物理耐性成長度が低いのだから。

 苔むした廃坑を模した迷宮。だからと言ってオランダロは坑道を見たことがあるわけではなく、『坑道型迷宮』を知っているだけだ。

 岩山山羊を狩りドロップした山羊乳にオランダロは笑みを浮かべる。

 病いに臥した妻にすこしでも摂取しやすいモノを手に入れたかったのだ。

「よしよし。女どもは山羊乳、好きだからな。白露糖と紫苔も採れたし、今日はここまでかな。石膏瓦解様、ありがとうございました」

 切り上げの挨拶をし、第五階層のフロアボスを倒して転移陣で戻るのだ。

「ととさま」

 小さな銀髪の娘が小さな足を動かして駆けてくる。オランダロは駆けて抱きあげてしまいたいのをぐっと我慢するのだ。昨日やらかして娘を泣かしたがゆえの学習だった。

 ぽふりと足に抱きつく娘は得意げにオランダロを見上げる。

「おかえりなしゃい」

 小さく震える体と心を抑えてオランダロはゆっくり娘を抱きあげ、抱きしめる。

「ただいま。ランディーア。ととさまの宝物」

 抱きあげられてくすくす笑う幼女とそのまま歩きはじめる。

 メディエラに声をかけて『緑葉の果実』と岩山山羊の山羊乳、水球の恵み白露糖を渡す。

「メディ婆、必要な薬の材料に回せるか?」

「どうだろうね。今は落ち着いているからなにより体力をつけさせないとねぇ」

「頼む。ランディーアの成長をまだみていて欲しいんだ」

「ふん、アタシだって孫嫁には死んでほしいなんて思ってないさ。石膏様にもう少し適した素材を落としてもらえればいいんだけどねぇ。アタシじゃもう歳だし、『裏』よりアタシは『表』の方が得意なんだが、爺どもの監視がうるさいからね。アイツらアタシら女が迷宮に入るのを嫌がるからねぇ。まったく嫌がるんなら二十階層に待つ石膏様に会いに行きゃいいのにさ。……オランダロ、話してんだからちょっと長くなったくらいで聞き流すのはおやめ。娘にアンタの小さい頃の失敗談聞かせるよ!」

「婆!」

 文句をつけつつ娘としばし戯れた後、また山頂近くにある鐘撞堂へむかうのだ。

 日に二度、どんな天候であっても鐘を鳴らすために。

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