6-5.世界でいちばん美しい獣
『大尉、すまないんだけど――』
「わかってます」
体内の魔力は枯渇ぎりぎりだが、何とかひねりだして魔法を織り上げる。
身体を斜めに構えると、冷たく、しびれ始めた腕を持ち上げ、徒手で弓を引く動きをとる。ぴたり、と弓を引き絞る姿勢で動きを止めれば、手の中には朱色の光を宿した魔力の弓と矢が現れた。引き絞られた弓の、きりきりと張り詰めた感触も両手に伝わってくる。
扱えぬ武器はない、と以前すずしい顔で言ってくれたロアほどではないが、ノーザレイも幼少時からそれなりの種類の武具の扱いについて実家で仕込まれている。ふつうの騎射であれば外さない自信もあるが――縦横無尽に空中を飛びまわるドラゴンの頭上から地表すれすれを素早く動き回る目標を仕留めるのは難易度が高い。
が、今回はノーザレイが仕留めるために魔法を放つのではない。
『だいたいの方向さえ合わせてくれればいい』
あとはわたしが調整する、と請け合う肩の上のちいさな相手にうなずく。
「まかせました」
それでも、可能な限り女王に照準を合わせて――放つ。
「ハッ」
短く吐いた息と同時に放った朱色の魔力の矢は、炎をまとって宙を進む。ちりちりと散る火の粉が花弁のように舞う。
ノーザレイのなけなしの魔力で形作られた炎の矢だ。
接近する矢に気づいたらしい「近衛隊」が身を寄せ合い、より密度を高くする。本来であれば彼ら「近衛隊」の身体は固く、ふつうの刃はおろか、並みの魔法も通さない。万全の状態のノーザレイの攻撃であったとしても、「近衛隊」のハームをある程度殺せたとしても女王には届かないだろう。今の、残りかすのような魔力で作った矢であれば、表面ではじかれて終わりだ。
だが、この炎の矢はただの核だ。このまま突っ込むわけではない。
『燃え盛れ』
耳のすぐ横で歌うような声がして、新たな魔法が矢に重ねがけされた。
炎の矢に風の魔力が寄り添い、風にあおられた炎がより大きく燃え盛る。矢を模していた火が猛火に、猛火が業火に、業火が落下する星のように熱を増していき、赤かった炎が青く、白く変わり、ちりちりと空気を焦がす臭いを放つ。
寄り添う風が向かうべき先を示し、矢をより速く、より鋭く女王の元へ導く。
ロアは自身ひとりで攻撃魔法も防御魔法も扱えない。だが、誰かの攻撃魔法に風の魔法を補助としてかけることはできる。
相性の問題はあるが、ノーザレイの火とロアの風ならば対ハームにおいて有利に働く。
風は、炎をあおり、より猛らせる。
ノーザレイの炎の矢は、攻撃魔法が使えないロアのための一矢だ。
『貫け』
魔法がさらに重ねられ、矢がさらに加速する。もう目でとらえることはできない。
凝縮された魔力の塊が一直線に目標へ突き刺さる。
ぴ、と何かが突き抜けた空気の揺らぎを感じると同時に、声にならない悲鳴のような波動が「氷結結界」内に満ちた。女王を守っていたはずの「近衛隊」の球体にドーナツのように穴が開いている。そこから球体はもろもろと崩れていき、崩れたところから灰になって風に乗って散っていく。
『終わったのか?』
『うん』
エルドルム・ハルムの問いかけにロアは短くうなずく。さすがに緊張していたのか、ちいさなねずみの身体がわずかに弛緩した。
終わってしまえば、あまりにあっけない。
女王は炎の矢に焼き尽くされ、灰も残さず消え去った。目の前のハームたちも動揺するように揺らいでいる。黒いドラゴンの形がぐにゃりと歪んだ。
『では、残りを片付ければ終わりだな。副官の魔力も底を尽きそうだし、手早くいくか』
女王が死に、巣の維持ができなくなっても、ハームは狩りを行う。被害は今までよりちいさくなるだろうが危険なことには変わりないし、軍本部からの指令は「ハームの殲滅」だ。
だから、エルドルム・ハルムの言うとおり、「残りを片付け」る必要はあるのだが――。
すううううう、とエルドルム・ハルムが大きく息を吸うと、一拍おいて上空に向かってためた息を青白い炎とともに勢いよく吐きだした。
まるで先ほど巣から飛び出してきたハームのように炎はまっすぐ結界の天井まで昇ると、まるで雨のように千々に分かれて地表へ降り注ぐ。
ロアたちはエルドルム・ハルムの保護魔法下にいるため、炎の雨にさらされることもなく、熱さも感じないが、そのせいで余計に目の前の光景が悪夢めいて見える。
生き残っていたハームたちが次々に炎に焼かれ地面へ向かって落ちていく。形の歪んでいた黒いドラゴンはあっという間に四肢をもがれ、頭を落とし、胴もそがれ、やがて消え失せた。
「三本の竜の腕」の拠点も、木々も、岩も、地表も、炎の雨に焼かれ、あるものは灰になり、あるものは赤く溶けた。
残るのは一面の焼け野原――地表も焼けただれた本当の焦土だ。さすがに山を溶かすほどの威力はなかったようだが、十分な惨状である。
『エルハム! やりすぎだよ』
『ははははは、いいじゃないか。たまにはドラゴンらしく派手なことをさせてくれ』
かろうじて保っていた「氷結結界」も炎にあぶられ、ほころんでいく。
結界内に生きている――結界内で元の形を保っているのがエルドルム・ハルムとロア、自分だけになったことをため息まじりに確認し、炎の雨が止むと同時にノーザレイは結界を解除した。
しゃらしゃらと澄んだ音を立て、空間を包んでいた氷の粒が地表に向かって落ちていく。まだ熱を持った地表に落ちるとそれらは溶けて水蒸気になってあたり一帯に漂った。宙に浮くドラゴンの上から見下ろせば、まるで雲海の上にいるようだ。実際はそんなロマンチックなものではないのだが。
『状況終了。わたしと大尉が合流次第撤退とする』
ロアが報告すると同時に待機していた班長や零班隊員から安堵に満ちた「了解」が返ってくる。
『心配させてしまったみたい』
彼らが心配していたのはロアが失敗するかもしれない、ということではなく、無理しがちな隊長がまた必要以上に無茶をしたのではないか、ということだと思うのだが――そう伝えようとしたのだが、めまいに襲われてよろめいたせいで言葉につまった。
内心で行儀悪く舌打ちする。
失態だ。
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