かちゃくちゃねぇ。青森は今日もやっぱり雪だった。

新倉歩

第1話 エラ呼吸人間

1面に広がる雪で真っ白な大平原。ここ津軽平野にポツンと2階建てのアパートが1棟。上下で10部屋。12月のとある深夜。静寂につつまれている。


突然、各部屋に備え付けられている共有スピーカーからブルーハーツの「夢」が鳴り始めた。あれも欲しいこれも欲しい。その30秒後、男の声(どうも大家さんらしい)で「シャッフル!!!!!」という怒鳴り声。その声とともに、丹前を3枚着込んだ男たちが部屋から飛び出してきた。1階も2階もドアは外付け。アパートの中に廊下がある作りではない。


僕は、住吉健太郎。25歳。ここにきて初めての冬。このシャッフルは3回目。部屋を出ると雪の上に封筒がバラまかれている。この封筒のひとつをとにかく早く拾い上げ、その封筒の中身の電子キーカードの部屋番号へ突進する。寒くて凍死しちゃうから。


今度の部屋は106号。深夜。僕はその部屋に入ってほっとした。暖房器具はない。丹前3枚と厚手のズボン、防寒仕様の下着上下でしのいでいるが、それでも部屋の方が暖かい。ちなみに備え付けのコンロがあってお湯は沸かせる。ユニットバスも付いている。


「ねえねえ健ちゃん。お隣のおじさん(107号)、ちょっと心配なのよね。」

声の主の彼女は、突然部屋に現れる。このアパートの精だと自称していて、管理人をやっているという。ただ、管理人さんと呼ぶことを嫌がっており、「サユリン」と呼んでくれという。きっと「さゆり」という名前なのだろうが、名前を聞く前に、もっと聞きたい超常現象的なことが山のようにあるので、敢えて聞いていない。でもって、とにかく可愛いのである。デビューしたてのアイドル歌手のように初々しくて可愛い。真っ白い肌に、真っ赤な唇。大きなエメラルドブルーの瞳の吸引力は果てしなく。その声は活舌も音量も音色としても心地よく、いつも脳みその中に勝手に入り込んでくる。


ここは、引きこもりの人専用アパート「かちゃくちゃ荘」。

家賃は無料、家具は各部屋まちまちであるが一応備え付けてある。スマホとパソコンはないが小さなテレビがある。冷蔵庫には一定の食材が入っていて時々補充あり。着るものは前に述べたとおり。下着は自分で洗濯している。でもって、下記のルールの遵守が強制されている。

① 今、既に引きこもっている人。今後も一人で人生を全うしたいと決意していること。

② 「シャッフル!!!!!」って叫びが聞こえたら、すぐに部屋を変わらなければならないこと。

③ 自分の物は、一切持って出てはならないこと。


サユリン曰く、107号のオジサンは、「死んじゃいそう。」なのだそうだ。

サユリンは、住人のプライバシーなぞお構いなく、勝手にのぞき込んでいるのだろう。超常現象あり放題のアパートだもの。

「健ちゃんがあのおじさんと友達になって欲しいの。」

死んじゃいそうな人と何故友達にならなければならないのか?病気で余命いくばくかなのか?仮にも僕も引きこもりだ。引きこもりは社会を遮断していることが大前提だ。その僕に友達になるべく働きかけろって、アホちゃうか。でも、僕はサユリンに生まれてはじめて恋をしていたのだ。サユリンの頼みは断れない。


僕は中学1年生時に、学校で壮絶なイジメにあって、学校に行くのをやめた。いや、行けなくなった。その時、既に我が家には父親がいなく、母親が仕事をしながら一人で僕を育てていたので、昼間は一人で家の中でTVを見たり、ゲームをして過ごした。自分の部屋はあったが、部屋に閉じこもるということでもなかった。母親は、最初は心配していたが、数カ月もすると僕のテレビで得たおいしそうなレストラン情報につき熱心に聞いてくれるようになった。僕は毎日、母親の帰りが待ち遠しかった。最初は時々だったけれど、暇だから冷蔵庫食材を使って、ネット情報レシピから見様見真似で料理もした。やがて、母親に料理を振舞った。とっても美味しいと喜んでくれた。僕は、それはもううれしくて、毎日料理を振舞い、同級生に会わないように、スーパーに買い物もいくようになった。その母親が、数カ月前、消えてしまった。帰ってこなくなった。それが、4カ月前のことだった。


「サユリン。今日はもう遅いから、明日でもいいよね。」

「ダメダメ。今晩あたり死んじゃうかもしれないの。まずは引っ越しの挨拶ね。部屋のドアをノックして、今度、隣に引っ越してきた住吉です。って。で、家に上がり込んで、お茶でも飲むとか。」

深夜のシャッフル移動直後という無茶苦茶な前提にもと、お互い引きこもりであることも周知だし、このやっつけの方法はなんなのだ。が、僕はすぐさま実行した。

「すみません。隣の住吉と申します。」

果たしてドアは空いていた。

「失礼しますね。」

1LDKの部屋には誰もいなかったので中に入っていった。ユニットバスの戸が開いていたので中を見てびっくりした。無造作に伸ばした長髪がワカメのように水の張った湯舟にゆらゆらしている。男はパンツ一つのうつ伏せの状態で、ということは息ができない状態で浮いているのであった。思わず、「大丈夫ですか!」と叫びながら、男の肩を持って、うつ伏せをひっくり返したところ、息をしていなかった。

「死んでいる!!!!」


いやー。おったまげた。男は生きていた。伸ばしたい放題の髪と髭、鋭い目、あばらが見えるやせ細った裸体、仙人だった。息があまりにも弱々しかったので、僕には気が付かなかっただけだ。今はうつろな目をあけてパンツのまま仰向けになっている。寒くないのかい。

「すみません。」

とにかく謝った。そしてサユリンが言った。

「比留間さん。今度、お隣にシャッフルされた健ちゃんっていうの。比留間さんと友達になりたいのだって。」

このおじさんは比留間という名前らしい。

ところで、違うぞ。僕が友達になりたいわけではないぞ。


サユリンから事情は聞いた。

サユリンのハチャメチャな素性説明を総合するに、比留間さんは40代らしく、岩手県に住んでいたらしく、奥さんを津波でなくしていて、以降引きこもっているところ、大家さんが拾ってきたらしい。拾ってきた?比留間さんは、奥さんが海の底で眠っていると信じており、従って、自分もエラ呼吸ができるようになって、一緒に海の底で暮らすことをトレーニングしているらしい。なんだそれ。

「で、サユリンは、僕を友達にして、エラ呼吸できるようになりたいなんて馬鹿な考えを捨てさせて、別の生きる希望を見出させようという魂胆なのだね。うーん。」

「違うよ。とりあえず、死なないように見守って欲しいの。で、できればエラ呼吸ができるようになる方法を一緒に研究して欲しいの。」

「は。はぁー。」

やはり、サユリンは人間ではない。絶対に違う。人間なら、そんな考えは持たない。


僕は、18歳頃から「かちゃくちゃ荘」の存在は知っていた。ネットサーフィンをやっている時に偶然見つけた。肉体労働系のタコ部屋のような感じもあって、躊躇していた。でも、母親が蒸発した時には、何の躊躇もなくこのアパートに来た。


僕はお隣さんとして、比留間さんの部屋に常駐することにした。戸の鍵はいつも開いていた。もちろん大きな疑問、引きこもりがどうして他人の生き死にを監視しなきゃならないのだ。ましてや元気づけるなんて、絶対、おっかしいだろー。比留間さんは、相変わらず、バスタブの中でうつ伏せになっては、10分以上は息をとめてじっとしている。僕は一日のほとんどを比留間さんの部屋で料理をするか、テレビを見るか、はたまた昼寝と夜寝をして過ごしていた。相変わらず比留間さんとは一言も会話を交わさなかった。料理は自分の部屋の冷蔵庫から食材を持ってきては比留間さんの部屋で料理をしたが、比留間さんが何か食べているかどうかは気にも留めなかった。


一週間後。

今日は、僕はおにぎりを握っていた。おにぎりの具はねぶた漬けだった。その時、バスタブから比留間さんが出てきた。びっくりして、思わず言った。

「比留間さん。食べます?おにぎり。」

無造作に差し出すと、比留間さんはおにぎりをゆっくり手にとってガブリと食べた。なんと三口でおにぎりを食べきった。豪快な食べ方。するとそのまま、僕の顔見ながら、ぽろぽろ泣き始めた。本当に涙がぽろぽろしていた。

「ありがとう。」

初めて比留間さんの声を聞いた。

そんなにお腹が空いていたのかな?もしかしたら奥さんの思い出の味だったりして。ぽろぽろ・ぽろぽろ涙が出てくる比留間さんの顔に、少し同情していた。

「どうしたのですか?」

涙が止まらない比留間さんは淀みなくしゃべった。

「ありがとうございます。こんなに優しくしてくれて。俺の家内が青森の出身で、このねぶた漬け大好きだったこと、ご配慮、本当にありがとうございます。」

あ、そう。サユリンだね。このおにぎりの具を冷蔵庫に収納したの。自分で食べようと思って握ったのに。まあ、いいけれど。比留間さんも何か食べないとね。

おにぎりを食べ終わっても、ぽろぽろ泣いている。

「もう一つ握りましょうか?今度は海苔もつけちぃましょうね。」

もう一つ握って、海苔もつけて、比留間さんに渡した。比留間さんは涙と鼻水を出しながら、拭くこともせずに食べきった。

「おいしい。こんなにおいしいんなんて。」

いや、いや、それは大袈裟でしょう。

「奥さんのおにぎりの方がおいしいでしょ。」

僕の言ったこの発言は、そんなにまずかったのかな?比留間さんは泣き崩れてしまった。ウソだろ。今度は声を出して泣き始めた。

「こんなクズな俺に、こんなに優しくしてくれて。おおおお。」

比留間さんは、倒れこんで嗚咽して泣いた。

「俺は恵子を見殺しにしたのだ。俺はクズだ。俺が死ねばよかったのだ。」

僕は目いっぱい焦った。あの発言まずかったかなーって。狼狽してまた意味不明な話をしてしまった。

「いやいや、比留間さん。だから、エラ人間になって、海で生活するべく頑張っているじゃあないですか?それはそれですごいことですよ。エラ人間って、まだ歴史上いないし。」

いきなり比留間さんは、僕に厳しい視線を向けた。

「あなたは、俺がエラ呼吸ができる人間になれると、本気で思っているのか?」

いーや。思ったことなんてないですよ。あるわけないでしょ、僕だって。でも頑張っている比留間さんを見てサユリンがそこを肯定して、エラ人間になれるって僕に励ませっていうから。無理矢理ですよ。


比留間さんはおいおい泣いていた。たぶん泣き止まないだろうなと思って、僕はあきれて部屋を出た。自分の部屋に入ったところでサユリンが現れた。

「エラ人間って、なれないものなの?進化の過程では、人間も昔は魚だったのでしょ。」

なんてすごい発想なのだ。このあと100年引きこもっても、僕にはこの発想が出てこないだろう。でも、僕はサユリンが可愛いくてしようがない。こんなに可愛い女性なんて世の中に存在しているのだろうか?

「サユリン。おにぎり喜んでいましたよ。ねぶた漬けありがとうございました。サユリンが冷蔵庫に入れてくれたおかげだね。」

「違うわよ。サユリンじゃないわよ。」「あの人、っていうか、ほらあそこの白い女の幽霊さん。」

僕には何も見えなかった。でも、すぐにわかった、恵子さんだ。

「サユリン、その人、どっちの方向。」

「あっち。」

比留間さんの部屋に向かって飛び出した。天気は猛吹雪になっていた。

「比留間さん。比留間さん。あっち、あっち、見てください。」

いや、必要なかった。比留間さんは恵子さんを既に捉えていた。(僕には見えないけれど)

比留間さんはパンツ一つで、猛吹雪の雪の大平原の中に走って消えていった。


数分しても比留間さんは戻ってこなかった。

「サユリン。比留間さんは死んじゃったの?」

「いや、死んでない。ずっと生き続けるよ。雪は全部真っ白にして吸い込んでくれるの。人の悲しみも、人の記憶も、人の存在も。エラ人間にならなくても、あの二人はずっと一緒にいられるよ。ところで、今日の深夜にまたシャッフルあるわよ。その時、また健ちゃんに頼みたいことがあるので、楽しみにしておいてね。」


かちゃくちゃねぇ。青森は今日もやっぱり雪だった。

=続く=

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かちゃくちゃねぇ。青森は今日もやっぱり雪だった。 新倉歩 @niikuraayumu

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