第8話 銀の涼宮と捜し人
「――ったく、あの風太郎は」
ヒジリ=ロハンの五つ年上の従兄弟であり、一の側近でもあるハイガ=ジーロは、舌打ちをしてから、おっと、とわざとらしく自分を諫めた。
「銀の涼宮」の二つ名を持つ主を、風太郎呼ばわりはよろしくなかったか?
ロハンの右腕を自負するジーロは、従兄弟との付き合いが長過ぎて、時々主をぞんざいに扱ってしまう。
だが、あながち「風太郎」呼びは間違っていない。かれこれ二年間も、ロハンは国に居なかったのだから。
二十歳を目前にして、ロハンはジーロを道連れに、突然、国を出奔した。
「諸国漫遊の旅に出ます。間諜の真似事などして、各国の内部事情を仕入れて参ります」
と、冗談みたいな書置きを残して。
しかし、追っ手は来なかった。
市井に放たれたロハンを見つけるのは、至難の業。ロハンは稀有な語学の才能の持主で、未知の言語でもすぐに習得し、ぺらぺらと喋って、あっという間に現地人に紛れ込んでしまうのだから。
連れ戻すよりも、好きにさせたほうが国のためになる。周りの人間はそう判断したのだろう。
思惑は当たって、ロハンは行く先々で見事に溶け込み、不穏な動きを見せている国の軍事力から、隣国の台所事情、王妃の懐妊、王の浮気話に至るまで、様々な情報を国にもたらした。現在、トマヤ国が平穏無事なのは、ロハンのおかげといっても過言ではないかもしれない。
だが、ジーロは知っている。
気の向くままふらふらと外国を巡っているように見えたロハンの旅は、ただの諸国漫遊ではなかったことを。
彼は誰かを捜していた。
にしたって、足掛け二年は長すぎだ。
ジーロは謎の人物捜しより、自分の嫁さん探しをしたかった。
そろそろ、本腰を入れて帰国を促さなければ。
決意した矢先に、旅は突然終わりを告げた。
数年ぶりに四乃宮に収監される女性の名前を聞いた途端、「国に戻って、四乃宮の宮殿長になる」とロハンが言い出したのだ。
冗談かと思ったが、本気も本気。ロハンはあっという間に帰国して、即日宮殿長に収まった。
急な宮殿長交代だったが、反対できる者はいなかった。
四乃宮の長は、代々ヒジリ家の人間が務めるのが習わしで、次の宮殿長はロハンと決まっていた。本来ならば、すでに交代していてもおかしくないところを、ロハンがあまりにも優秀なので、四乃宮だけでは勿体ないと、誰も代替わりを促さなかっただけである。本人が言い出さなければ、前の宮殿長――ロハンの叔父のミサト様が、死ぬまでやらされていたかもしれない。
やれやれ、これでやっと腰を落ち着けて、嫁さん探しができるかな?
帰国の途に就きながら、ジーロは考えたものだったが。
落ち着くどころか。
ロハンは帰ってきた途端、執務室のお偉方の真夜中の集まりに乱入し、四乃宮の新しい囚人を奪取。人員の総入れ替えも辞さない構えを見せた。
常日頃は、何事においても俯瞰の体で、冷静というよりは冷めているロハンが、ここまで熱くなるなんて。
本当に、彼女が捜していた人物だったのか。
モリト=アンナ。
一体、何者?
四乃宮の新しい囚人の名を聞いたときの、ロハンの様子は尋常ではなかった。
いつもは澄んだ湖のごとく煌いている青い双眸が、底の泥を掻きまわしたみたいに輝きを失って。
この世の終わり。
そんな悲愴な顔付きで。
知り合いか、とジーロがたずねても、かぶりをふるばかり。
だから、というと不謹慎だが、ジーロはちょっぴり期待していた。絶世の美女、みたいなのが出てくるのではと。
しかし、収監されたのは、十八歳にしては貧弱な体つきの、小柄な娘。
真っ直ぐな黒髪を顎の線で切り揃えた髪形は、お世辞にも大人っぽいとはいえず。
そこそこ可愛らしいお顔だが、めっちゃ美人と唸るほどでもない。
有体にいえば、地味。
唯一、オニキスのような黒い瞳に、知性の煌きが感じられなくもなかったが、類い稀なる明晰な頭脳と語学力で、国を支えてきた銀の涼宮の心をかき乱す人物としては、ちと役者が足りない感じ。
しかし、間違いなく二人は知り合いのようだった。ロハンの声に息を呑んだアンナを、見逃すジーロではない。
面白そうだから、このまま二人きりにしてみるかと放置してみれば、なんとロハンは彼女を自分の部屋にお持ち帰りしてしまった。
ったく、こっちは昨日から執務室に缶詰だってぇのに。
チッ。
やっぱり舌打ちが止まらないジーロである。
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