第37話 紫陽花通り

 青、薄紫、薄紅色、青みがかった白。

 天然の花束が集う艶やかな紫陽花通りに、思わず目を奪われる。

 これでもまだ三分咲きだというので、満開になった暁には、さぞ美しいのだろう。


 固まって咲いているエリアを見つけ、カメラマンは撮影の準備をし始める。モデルの女性はメイクの最終チェックを終え、傘のシャフトを肩口に引っ掛けて、ポーズの確認をし始めた。


 一見、一般的な雑誌の撮影風景にも思えるが。一つ特異なことを挙げるとすれば。一人を除いて、この場に集うスタッフたちが、全員「あやかし」であるという点だ。


 カメラマンは一つ目、モデルは口裂け女、この場を仕切る笹野屋永徳は大魔王と人間の合いの子。唯一の人間である葵佐和子は、永徳の横で今日の撮影スケジュールを改めてチェックしている。


「じゃ、そろそろ撮影を始めようか」


 永徳の声掛けで、その場にいたスタッフたちがスタンバイに入った。

 モデルが着ている初夏を思わせる薄い水色の着物は、ポリエステルの生地が使われている。洗うことができて管理がしやすいということで、近頃はあやかし界隈で人気らしい。


 佐和子は永徳の横に並び立ち、撮影の様子を見守った。


「……地元ですけど。こんなところがあるなんて知りませんでした」


「綺麗だよねえ。しとしとと降る雨が、またいい雰囲気を醸し出してる。満開の時期になったら、圧巻だろうね」


 ここは横浜市鶴見区にある紫陽花通り。鶴見川のそば、約七十メートルも続くこの小道には、色とりどりの紫陽花が植えられている。住宅街に突如現れるこの場所は、地域のボランティアによって世話がなされているらしい。


「あっという間に梅雨が来てしまうなあ。少し前まで、桜が咲いていた気がしたのに」


 淡く微笑みながらそう言う編集長の横顔を、佐和子は見上げる。


「桜が咲いていたのは、だいぶ前な気がしますけど……」


「歳をとるとねえ、時間の流れが早く感じるものなのだよ」


 湿気のせいか、永徳の癖っ毛はくるくると収まりなくうねっている。

 彼は会話の合間にたびたび、本人の性格の如く奔放な毛先を指で直していた。


「とっても綺麗ですけど……でも、なんでここを取材場所に? 紫陽花の鑑賞スポットなら、もっと有名なところがあると思うんですが。鎌倉の紫陽花寺とか……」


 永徳は隣にいる佐和子に視線を落とし、口角を上げる。


「葵さん、君が書いているのは、誰に向けての記事だい?」


「あやかしの皆さんです」


 ご名答と言わんばかりに、もったいぶって永徳は頷く。


「人間にとっての大人気観光スポットを紹介するのもいい。それはそれで『人間の娯楽を体験する』というアミューズメントになるからねえ。でも、花はゆっくり眺めたいものじゃない?」


「それは、まあ……」


「鎌倉の紫陽花寺、満開の時期は混雑しそうだし。あの中に人間世界に慣れていないあやかしが混じったら、どう?」


 永徳の言葉を受けて、佐和子は想像する。


「……大混乱ですね」


「そうでしょう。僕もあそこ行ったことあるけど。以前記事にしてもらった水族館より、足場は悪いし人との距離も取りづらい」


 永徳は瑞々しい梅雨の花園に目を移しつつ、言葉を続ける。


「これくらいの混み具合の場所なら、人間とすれ違ってもあやかしとは気づかれづらいだろう。雨傘があれば顔は見えないし、異形のあやかしでも姿を誤魔化すことができる。人間に混じって花を愛でるなら、こういう場所がいい」


「……なるほど」


「それに見てごらん」


 そう言って永徳は、自分がさしている雨傘を指差した。

 一見ただの傘のようだが、この傘には仕掛けがある。


 この傘の内側の布は、水面の如く、傘の下にある風景を映すのだ。永徳が紫陽花に近づき、傘を軽く揺らす。すると傘の内面に波紋が広がったかと思うと、次の瞬間には、一面に咲き誇る紫陽花と永徳の姿が映っていた。


「今回の記事は、この傘の広告企画だから。傘を振るにも、風景を映すにも、人出が少ない方がきっといい。だから、穴場のここを選んだのだよ」


 佐和子は項垂れた。人間視点を活かして記事を書くことを求められているが、そもそもあやかしの感性を理解しなければ、人間と異なる点がどこなのかがわからない。「あやかし瓦版」の編集部に戻って以降、こうして永徳の仕事に帯同させてもらい、いろいろ学んでいる最中ではあるが。自分の思慮の浅さを実感するたび、自信を失ってしまう。


「落ち込む必要はないよ。君はまだ発展途上なのだから」


 雨雲のようにどんよりとした佐和子の表情を認めて、永徳は苦笑しつつも、そう優しく声をかけた。


「わかっています。わかってはいるんですが」


 遡ること数ヶ月前。人間界の会社で体を壊し、実家にずっと引きこもっていた佐和子は、彼の亡き母親である「笹野屋富士子」の魂にいざなわれ、この笹野屋永徳との見合いを申し込まれてしまった。見合いを断りに笹野屋邸を訪れれば、人の話を聞かない永徳に半ば強制的に雇い入れられ、あやかし向けのオンラインニュースサイト「あやかし瓦版」の編集部員として働く羽目になっている。


 しかし紆余曲折あって、今はこの仕事が天職であると佐和子は感じていた。

 もっと早く一人前になりたい。そう急く気持ちは、未だ強い。その度にこうして永徳に嗜められている。


 撮影が終わり、カメラマンとデータの受け渡し方法について確認をしたあと、佐和子は永徳の元に戻った。「さあ、行こうか」と歩き始めようとする永徳を見て、首を傾げる。


「今日は術を使わないんですか?」


 大魔王山本五郎左衛門の血を引く彼は、あやかしの中でも特に妖力が強いらしい。そのため遠距離も、一足飛びで移動することができる。それなのに今日は、その力を使うつもりがないようだ。


「せっかく葵さんと一緒の仕事なんだもの。少しでも長く君と歩いていたいという俺の気持ちを、理解しておくれよ」


 たしかに歩いて帰れぬ距離ではないが、四十分はかかるだろう。佐和子は怪訝な顔をして、永徳の表情を伺う。


「本当は、サボろうとしてませんか、お仕事」


「君は鋭いねえ」


 眉毛をハの字に曲げて肩を顰める永徳に、唇を尖らせれば。彼は相変わらずのユルさで、持論を展開する。


「ゆるゆるやるくらいがちょうどいいんだよ。葵さんも少し力を抜いたらいい」


 下駄の音をカラコロとさせながら、歩き始めたその背中に、佐和子はため息をつきながらもついていく。


「あ、ところで葵さん」


「なんですか?」


「住むところはもう決まったのかい?」


「ああ、いえ……探してはいるんですけど。なかなか決まらなくて。職場に近いところでいい部屋がないんです。春に大学生や転勤の方が一気に部屋を借りるので、あんまりいい物件が残ってないそうで」


 サラリーマン時代に借りていたアパートは引き払っていて、今は実家暮らしをしている。実家から編集室は徒歩十五分くらいで、特に不便はないのだが。やはり家にいれば仕事のことを聞かれる。しかし、あやかし瓦版のことを正直に話すこともできない。


 心苦しさが極まって、やはり一人で住む部屋を借りようという決心をしたのだった。


「うちに来ればいいのに」


「いやですよ」


「同棲すれば、夫候補としての俺の良さがもっと見えてくるかも……」


「見えません」


「つれないなあ」


「笹野屋さん、冗談はやめてください。それに従業員に自分との同棲を勧めるなんて、セクハラです」


「えっ、今のセクハラになるの?」


「どう考えてもなります」


「困ったなあ。素直な気持ちを言葉にしただけなのに」


 ヘラヘラとそう言いながら、永徳は着物の袖を翻し、編集室に向かって歩き出す。


 見合い自体は断っているにも関わらず、編集部員となってからも、永徳はずっと佐和子を「嫁候補」扱いしている。人間の女性を狙うあやかしから守るため、肩書きがあった方がいいんだと本人は言っているが、永徳なら他の方法でだって守れるのではと佐和子は疑っていた。


 おまけに正社員として腰を落ち着けて働き始めた今は、以前にも増して攻勢を強められている気がする。


 ––––だいたい、大魔王山本五郎左衛門さんの息子さんなら、もっと適当なあやかしのお嫁さんをもらうべきでしょうに。


 西洋人のような青い瞳をしているが、見た目は人間と変わりない。だが千里眼が使えたり、瞬間移動ができたり、そしてまったく疲れを感じなかったり。この人はたしかに、あやかしの頭領と人間の女性の合いの子である「半妖」なのだ。


 くだらない会話の応酬を繰り広げているうち、笹野屋邸の門扉の前についていた。いつの間にか雨は止んでいて、晴れ間が差し込んでいる。


「戻ったよ」


 門を潜った永徳がそう言えば、玄関を掃除していたらしき家政婦の米村さんが顔をだす。


「おかえりなさいませ。ご取材お疲れ様です」


「うん、米村もお疲れ様。腰はまだ痛むのかい? 無理をしてはいけないよ」


「大丈夫です。元気いっぱいですよ。おかげさまで」


「それはよかった」


 笹野屋邸の門を背にして正面には、日本庭園が広がっている。春に見事な花をつけていた大島桜は、青々とした緑をその手に宿し、露を帯びていた。石造りの灯籠は雨水に濡れていて、色味を濃くしている。美しく整えられた庭園は、天からの恵みを得て生き生きしているように見えた。


「ただいま」


「お帰りなさい編集長、佐和子も」


 編集室に入って早々、永徳の目の前に首を伸ばしてきたのは、ろくろ首の刹那だ。最近は人間の彼氏の影響か、着物ではなく洋服を着て出勤していることが増えている。今日は深緑のワンピーススタイルだ。彼女は洋服を着ていると、とても若く見える。大学生に混じっていても違和感がない。


「ただいま、刹那ちゃん」


「今日はなんだっけ。ああ、アマガエルの傘の広告企画?」


「そうそう」


 今回の紫陽花の記事は「アマガエル」というあやかし向け傘のブランドの広告企画だ。季節の観光スポットを紹介しつつ、その中で新商品を紹介するという内容だ。


「傘の内側に、傘の下にある風景を映せるんだっけ? なんともまあオシャレな傘ね」


 興味津々な刹那の様子に、佐和子は微笑む。


「サンプルを多めにもらってるんだけど、もしよかったら使う?」


「ほんと? いいの?」


「うん、もちろん」


 飛び上がるほどに喜んでいる様子を見ると、やはり欲しかったらしい。机の横に置いてあるサンプルを渡せば、満面の笑みを浮かべている。


「で、いい記事は書けそうなの?」


 傘を手に取りながら、刹那は言う。


「うん、笹野屋さんの助言のおかげで、なんとかなりそう」


「仲がよろしいことで。さっさと結婚したら?」


 ニヤニヤと笑いながらそういう刹那の言葉に、佐和子は慌てて反論した。


「ちょ、私笹野屋さんとはそういう仲じゃないって……!」


 佐和子が焦る姿を面白がっているのか、刹那は鼻で笑っている。


「はいはい、わかったわかった」


「おうい、編集長! テレビの位置はここでいいか?」


 佐和子と刹那がやいやいと言い合いをする中、そう叫んだのは小鬼の赤司だ。薄型の四十インチくらいのサイズのディスプレイを、編集室の隅に設置している。手にはコードが握られていた。


「おお、さすが、仕事が早いね。いいんじゃないかな」


 永徳がそう返せば、赤司は親指を立てる。


「じゃあここで線繋いじゃうからなー!」


 赤司は双子の弟蒼司とともに、テレビに線を繋いでいく。途中ああだこうだと喧嘩になりつつも、なんとか電源スイッチを入れるところまでいけば、無事映像が映った。


『本日正午、鶴見区のアパートで男性が倒れているのが発見されました。二十代と見られ、病院に搬送されましたが、意識不明の重体で……』


「あら、この近くじゃない。やあねえ、自殺かしら」


 刹那がテレビの画面をしげしげと見つめ、ぽつりとつぶやく。


「助かるといいですね……二十代って、まだ若いのに。ところで笹野屋さん、なんで急にテレビなんか設置したんですか?」


 佐和子は永徳に視線を向けるが、彼はテレビの画面を見て、ぼんやりと考え事をしている。


「笹野屋さん?」


 重ねて声をかければ、永徳は肩をびくりとさせてこちらに顔を向ける。


「え、なに? ごめん、ちょっとぼーっとしてて」


「いえ、あの、たいした話ではないのですが……。どうしてテレビを設置したのかなって」


「ああ。うちの編集部員がさ、人間の世界のことを、もう少し知る機会があってもいいかなって。取材に行く前の情報収集とか、企画のネタ探しとかにもいいでしょ」


「たしかに。あ、でも……」


 気がつけば、テレビの前にはお茶を片手にあやかしたちが集まっている。

 いつの間にかバラエティ番組に切り替えられたテレビの画面を見つめながら、ケラケラと楽しそうに笑っていた。完全に仕事を放り出している。


「ちょっと、業務時間は音出すの禁止! こりゃ、しばらくは仕事に差し障りが出るかもなあ」


 そう言って永徳は額をうち、リモコンを奪いに輪の中に入っていく。

 新しいもの、楽しいものが大好きなあやかしたちには、「人間世界の情報をうつすテレビ」は、どうやら興味をくすぐり過ぎてしまったようで。


 結局その日は、編集部員の多くがほとんどの時間、テレビを見て過ごしていた。

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