第22話 無謀な条件

 午後三時五十分。佐和子と永徳、そしてマイケルは、白一色の鬼灯堂の本社エントランスに立っていた。


 頭上を見上げると天井はガラス張りになっていて、柔らかな陽の光が降り注いでいる。右手の壁面には巨大なデジタルサイネージが取り付けられていて、赤い着物を着た鬼の女性が、真っ赤な口紅をひく映像が流れていた。


「さすが鬼灯堂。エントランスがめちゃくちゃオシャレですね」


 そう言いながらキョロキョロ辺りを伺うマイケルと同様、都会的で洗練されたデザインの建物に、普段感情の起伏の少ない佐和子も、珍しく気分が高揚していた。


「まあ、あやかし向けの化粧品事業ではトップを走る企業だからねえ。エントランスもお金かけてるんじゃないかね」


 唯一いつもと変わらない様子の永徳が、あくびをしながらそう呟く。

 まったくもってやる気が感じられない。


「さっきまで、化粧品の口コミサイトを見てたんですが……。カテゴリの半分でこのメーカーの化粧品が一位を取っていて。驚きました」


 佐和子がおずおずとそう言うと、「そんなサイトがあるのは知らなかったな」と言いつつ、永徳は佐和子向けに解説を始める。


「鬼灯堂はね、代々鬼の一族が経営してる化粧品会社なんだ。毎年のあやかしメイクのトレンドは、この会社が作ってるって言っても過言じゃない。刹那も愛用しているブランドのようだよ」


「だから刹那ちゃん、行きたそうだったんですね……。そういえばあの、さっき話に出てきた、椿さんてどういう方なんですか?」


「そんなに心配しなくても、俺は君一筋だよ」


「ふざけないでください」


 眉間に皺を寄せる佐和子を見て、永徳は爽やかに笑った。


「椿は鬼のあやかしだよ。あやかし瓦版には、二十年くらいは所属していたかなあ。……おや、来たようだね」


 永徳が振り向いた先、こちらに向けて歩いてくる長髪の女性が目に入った。


「というか、やっぱり彼女だったか……」


「え」


「椿、という名を出したら、断られるかもしれないって思ったのかもね」


 つり目で真っ赤な口紅が印象的な彼女の頭には、人差し指ほどの白いツノが二本生えている。気が強そうな雰囲気はありつつも、背が高く、すらっとしているモデルのような女性だった。


「永徳さん、おひさしぶりです。編集長自らお越しいただけるなんて、嬉しいですわ。度々連絡させていただいているのに、なかなか会っていただけないんですもの」


「俺もなかなか忙しくてねえ」


 妖艶な微笑みを浮かべた彼女の瞳には、永徳しか映っていないようだ。軽く彼と談笑したあと、漆黒の絹のような長い髪を揺らしながら小首を傾げ、椿はようやく佐和子に目を向ける。


「あなたが葵さんかしら」


「はい、葵佐和子と申します。今日はどうぞよろしくお願いします」


 そう佐和子が自己紹介すると、椿は頭の先から爪の先まで佐和子を凝視し、口角を上げた。


「電話ではどうも。部長の華山は忙しいので、私が今回の件は窓口を務めているの。……思っていたより平凡な女。永徳さん、なんでこんなちんちくりん、嫁候補に選んだんです?」


 半笑いでそう言われ、佐和子は眉根を寄せた。いくら依頼者側だとしても、失礼すぎやしないだろうか。しかも「嫁候補」というのは事実と反するわけで。謂れのないことで馬鹿にされるのは不本意だ。


 ––––でも、大っぴらに否定するのはまずいってことはわかってるし……。悔しいなぁ。


 永徳は佐和子をおもんばかってか、不快感を露わにし、椿に抗議の表情を向ける。


「椿、俺の嫁候補にそういう態度を取るなら、この仕事は受けないよ?」


「あら、永徳さん。軽い冗談に決まっているじゃありませんか。いやですわ。あら、そちらのヴァンパイアさんはなかなかの美男子ねえ」


「いやあ、そんな……」


 頬を染め、頭を掻きながら珍しくマイケルが照れている。それに気を良くしたのか、椿はマイケルに関心を向けたようだ。


「でも、ヴァンパイアだし、人間の血を吸うのかしら。だとしたら葵さんと働くのは大変なんじゃなくて?」


「ああ、いえ。自分、血は絶ってるんです。マクロビにはまってまして。ですから目の前で流血でもされない限り、人を襲うことはありませんよ」


「あらあ、そうなの。健康志向なのねえ。……さて、立ち話もなんですから、会議室へご案内いたしますね」


 赤い唇を三日月型にしながらそう言うと、椿は佐和子たちを先導して歩いていく。そのうしろ姿を見ながら永徳は佐和子に向かって耳打ちをした。


「いいかい。鬼はやり手だからね。無理難題をバンバン投げてくるくせに、締め切り厳守で、ゴリゴリ詰めてくる。無茶苦茶を言われたら鵜呑みにせず、契約がしっかり固まってしまう前に交渉すること。健康的に仕事ができる『余裕のあるライン』を見極めて調整することが大事だからね。もちろん、条件があまりに悪ければ依頼自体断ってくれて構わない」


「大丈夫です。頑張れます。見ててください」


 あそこまで馬鹿にされた態度を取られて、こちらだってタダでは引っ込めない。


 普段出てこないような強気な佐和子の発言に、永徳は珍しいものでも見るような顔をする。なにかを言おうとしたようだったが、結局飲み込み、口をつぐんだ。


 ––––今回のような広告企画は、前職のマーケの時に企業側の担当者として関わっていたこともあるし、知識がゼロで臨むわけではないもの。


 永徳はああ言ったが、多少の無理をしてでも、佐和子はこの案件を成功させるつもりだった。





「はあああ?!  三週間後に納品完了予定で使える企画を準備しろだあ? なに言ってくれてんのあのクソ女! もちろん断ったんでしょうねえ? ていうかやっぱりあの女が絡んでたのね!」


 笹野屋邸の職場に戻った直後、打ち合わせの内容を即座に聞きにやってきた刹那に依頼内容を報告すると、編集室に響き渡るような声で叫ばれた。


「絶対嫌がらせよ、あんたに対する。いつものあの女のやり口だわ。やめておきなさい」


 普段だったら怯んでしまうところだが、今日の佐和子は強かった。


「いや、絶対に企画書は出す。認めさせてみせる」


「だって、今回の依頼内容って、『モデルを使った人間風メイク』の広告記事でしょ? ただ取材して記事出すわけじゃないのよ。モデルやヘアメイクのキャスティングも必要だし、鬼灯堂ってなったら、下手なモデルは使えない。候補出ししても、この短期間で一定クラスのモデルのスケジュールを確保すること自体、めちゃくちゃ無謀なのよ?」


「わかってるよ。だから今日中に企画案を書いて、笹野屋さんに明日見てもらう約束をしたの。それで出して、向こうが一発オーケーならなんとか進められる」


 捲し立てるようにそう説明した佐和子に、刹那は動きを止める。


「……佐和子あんた、どうしたの? なんからしくないじゃない。いや、前から頑固なところはあったけど。なんか、変に焦ってない?」


「別に、焦ってなんかないよ」


「……まあ、あんたがやるって言うならもう止めないけど。手伝えることがあるなら言いなさいよ」


「……うん、ありがと」


 あやかし瓦版に勤め始めてもう一ヶ月が経つ。


 永徳が佐和子に期待しているのは「人間ならではの視点」だ。しかし、まだ刹那に手伝ってもらって書いた、レジャー記事の連載でしか期待に応えられていない。


 山吹からの誘いを受けて、自分がいつかは人間社会へ戻らねばならないことを、佐和子は意識し始めていた。


 ––––人間の世界へ戻る前に、ここで少しでも多く成果を残さなきゃ。せっかく声をかけてもらったんだし。また、なにもできないまま職場を去るのはいやだ。


 日本庭園の大島桜からは、純白の花びらがすっかり消えて。まだ幼い柔らかな緑の芽は、急に戻ってきた寒波にさらされていた。

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