第14話 祝祭

松明たいまつはこっちに。ああ、その箱はそちらではない、こっちだ」


 森の中に造られた広場の中心にはやぐらが組まれ、囃子はやし太鼓が設置され、その櫓を囲むようにぐるりと露天のテントがたった。設営監督の黒羽くろばねは、大忙しであちこちに指示を出している。


 永徳をはじめとするあやかし瓦版の面々も、今日は準備に駆り出されていた。


「まったく、佐和子が『お祭りをやろう』なんていう提案するから、仕事が増えちゃったじゃないの!」


 いつものごとく刹那に悪態をつかれながら、佐和子は作業の手を動かす。


「ごめん……でも、やっぱりこれが一番かなあって」


 申し訳なさそうにする佐和子を見て、言いすぎたと思ったのか、刹那は攻撃の手を緩める。


「ま、いい案だとは思うけど。後援っていう形であやかし瓦版も入れたから、うちのサイトの宣伝機会にもなるし。ただ、イベントって疲れるのよね」


「ごめん……」


「やるって決めたんだから、謝んないの! さ、ちゃっちゃと準備して、仕事を終えて、アタシたちも酒盛りをするのよ!」



 佐和子が永徳と考えついたのは、「川澄の名前を冠した祭を開催する」ことだった。


 川天狗の一族に伝わる舞踏をメインステージとして実施しつつ、射的やポン引き、お好み焼きや焼き鳥などの定番の露店も用意し、ステージ横では日本酒を無料で配布している。あやかし瓦版で祭りの告知を出し、後援という形で祭りの紹介記事も投稿した。


 「祭り」を開催することで、楽しいことが好きなあやかしの目を惹きつけ、イベント自体に呼び込むことで、その盛況具合を記事でレポートする。そしてイベント記事の中で、なぜこの祭りが開催されるかという経緯や、川澄の功績を紹介する。


 それが今回、「川澄」をあやかしたちの記憶に残すために考え出した企画だった。


「人間、なかなか面白いことを考えるじゃないか。今日はタダ酒が飲み放題だなあ。あっぱれあっぱれ」


「オイラたちに肉体労働をさせるのはいただけないがなあ。まあ、ちょっとばかし見直してやってもいいかな」


 すでに日本酒を片手に上機嫌の小鬼の双子たちは、ケタケタと笑いながら佐和子の周りを回っている。口をきいてくれなかった編集部員のうちの二人だったので、彼らが好意的に話しかけてくれたのはとても嬉しかった。準備はもうちょっと真面目に手伝って欲しい気持ちはあるけれども。


 一応は佐和子が発案者という形になってはいるが、「お祭りをやるのはどうでしょうか」と佐和子は意見したくらいで。そのあとはテーマパークの時のように「これはどう思う」「あれはどうするのか」と、一見なんの脈絡もない質問を永徳から投げかけられているうち、いつの間にかやることの概要案が出来上がっていた。


 ––––また、手のひらの上で転がされていたような感覚だったなあ。


 祭のパンフレットを受付にセットしながら、永徳との打ち合わせを振り返る。なにを考えているかわからないことも多いが、不慣れな佐和子をサポートしつつ、ただ指図をするのではなく、永徳は佐和子がきちんと「自分の頭で考える」機会を与えてくれていた。


 ––––そう考えると、いい上司だよね。笹野屋さんて。


 前の会社に勤めていた時は、日々の業務に忙殺され、積み上がっていく仕事をひたすらこなし続けていた。まともな研修もなく、その場その場でなんとか取り繕いながら、毎日を終える日々。振り返れば失敗だらけ、謝ってばかりだった。


 それが気がつけば今は、毎日生き生きとしながら、編集室のデスクに向かっている自分がいる。


 ––––一日で辞める気満々だったんだけどなあ。


 準備を終えた佐和子は、裏に引っ込んで軽く伸びをした。



 

 夜二十時。お囃子衆の軽やかな太鼓の音とともに、真新しい山伏の衣装を着た天狗たちの舞踏が始まった。


 「飛翔」をテーマにしたこの踊りは、川魚が豊漁だった時に酒を飲みながら踊っていたものらしい。それが時が経つとともに定型化していったものを、今回、祭祀用の舞踏としてアレンジを加えてもらった。


「急ごしらえだったわりに、結構形になっているじゃないか」


 いつの間にか佐和子の横に来ていた永徳が、感心したように櫓の上の踊り子衆を見上げる。


「黒羽さんが張り切ってましたからね。二週間後にお祭りを開催するだなんて、荒唐無稽こうとうむけいな案だったのに。あっという間に準備が進んでびっくりしました」


「天狗は結束力が強いからねえ」


 祭りの会場は大賑わいだった。露店で売られている天狗の面を誰もが身につけ、うまい酒に酔いしれながら、優美な舞を眺める。誰もが「川澄まつり」を楽しんでいる様子を見て、佐和子の胸には達成感が溢れていた。


 あまりに盛況すぎて、祭の告知を知らずに通りかかったあやかしが、「川天狗が戦を始めるつもりだ!」と騒ぎ立てるハプニングさえあった。


「一度始めてしまえば、定期的に実施できる点もよかったのかもしれないな。祭のたびに、川澄殿のことを思い出してもらえる。あやかし瓦版オンラインとしても、イベントの形にしてもらったほうが、記事として取り上げやすい。さすが嫁候補殿のアイデアだ」


「……笹野屋さんが、ほとんど考えてくださったようなものです」


「はて、そうだったかなあ」


「でも、ありがとうございます」


 佐和子は、まっすぐに永徳の瞳を見つめて、そう言った。

 お囃子や横笛の音色が響き渡る中。永徳も佐和子を見つめ返す。


「きっとひとりだったら、いい案なんて浮かばなかったと思います。……笹野屋さんはすごいです。お陰様で、いろいろと学ばせていただきました。これから、もっともっと頑張って、社員として力になれるように努力します」


 照れくさそうに頬をかきながら、佐和子から視線を逸らす永徳だったが。


「葵さん」


「はい?」


 心配そうな顔をして、口をつぐみ。ふたたび佐和子の方へ視線を戻して口を開いた。


「初めからなんでも上手くできなくて当たり前なんだよ。大事なのは、今の葵さんのように、学ぼうとする意欲なんだ。君はどうしてもこう、前のめりになってしまう傾向があるね。もっと力を抜いて。ゆったりと構えた方が、楽に生きられる。あまり無理をしないで。仕事は楽しんでできるくらいが、ちょうどいいんだから」


 慈しむような優しい微笑みを前に、佐和子は複雑な表情を浮かべる。

 彼の優しさから出た言葉であることは明らかだったのだが。

 このひと言は、佐和子の心に一点のシミを残した。


 ––––つまりそれは、私にはそこまで大きな期待してないってことなのかな。そんなに能力が高い人間だとは思ってないっていう……。


 そんなことを考えていたところに、耳をつん裂くような轟音ごうおんが辺り一帯に響いた。


 驚いて顔を上げると、櫓の向こう側、川澄が祭を眺めるために設置されていた本部席が黄金色に光っている。


「そろそろ、旅立ちだね」


 永徳の声を聞きつつ、佐和子はあまりに神々しい光景に目が釘付けになっていた。


 まるで太陽の権化のように赤く燃える一羽の大きな鳥が、大地を蹴り、満天の星の中へと飛び出した。大翼をはためかせながら、会場を見渡すように旋回したあと、空の彼方へと向かって飛び立っていく。


 遠く遠く、まるで一等星のような輝きを残して。

 仲間に惜しまれながらも、偉大なあやかしの魂は天に昇って行った。


 川澄の消えていった方向を見ながら、佐和子はつぶやいた。


「……おめでたいことだというのは、聞いて理解していたつもりですが。やはり……淋しいものですね、知っている誰かがいなくなるのは」


「……そうだね。それはきっと、みんな一緒だよ。あやかしも、人間も」


 そう言った永徳の横顔には、ういろうを食べた日と同じ寂しさが宿っていた。


 バスで出会った、老婦人の華やかな笑顔が頭に浮かぶ。


 佐和子はおもむろに両手を合わせると、目を瞑り、願った。

 どうか川澄さんと富士子さんの新たな旅路が、幸せなものとなりますように、と。



 

 川澄を送る、最後の「飛翔」の舞が終わったあと。天狗たちは片付けに追われていた。あやかし瓦版のスタッフは既にほとんどが家に帰っていたが、今回の祭りの担当者である永徳と佐和子は黒羽の手が止まるのを待っていた。


「お待たせして申し訳ない」


「いやいや、黒羽も忙しかっただろうし、気にしていないよ。タダで酒をたらふく飲ませてもらったし、嫁候補殿と仲睦まじい時間を過ごすこともできたしね」


「笹野屋さん、また……そんなこと言って……」


 かつては永徳の「嫁候補」発言にオロオロしていた佐和子だったが、これが誘拐対策を兼ねていることを知った今は、適当に受け流す術を覚えてきた。


 黒羽は、土産だと言って、酒をふた瓶永徳に渡すと、深々と頭を下げる。


「この度の件については、心から御礼を申し上げたい。おかげで主様も、気持ちよく死出の旅に出ることができた」


「今日の祭りの記事も数日以内にはサイトにアップする予定だから。楽しみにしておいてくれ」


「頑張っていい記事を書きますね」


 永徳の言葉にそう付け足すと、途端にやる気が湧いてくるのを佐和子は感じた。引きこもっている間はもはや感情が壊れてしまったようだったのに。ゆっくりとだが、着実に、前に進んでいる。


 黒羽は張り切る佐和子の方を向き、まじまじと見つめたかと思うと。

 自分の首のうしろに手を回し、紐を解くと、天狗の面を外した。


「えっ!」


 面の下から現れたのは、佐和子とそう変わらない年頃の、精悍な若者の顔だったのだ。


「佐和子の嫁入りの件、正式に申し込みたいと思ってな。顔も見せぬままではよろしくないと思い。我が一族のために親身になって仕事をしてくださったその姿に心を打たれた。早速婚儀の日取りを決めよう」


 そう言いながら、黒羽は大きな手で佐和子の手を取った。佐和子の手が丸ごと隠れるほどのゴツゴツした手のひらは、熱を帯びている。


「えっ! いや、私は……今はまだ半人前以下の仕事しかできてないですし……結婚とかいうのは、その……」


「黒羽、いい加減にしてくれないか」


 そう言って前に進み出たのは永徳だ。


「彼女は今、目の前の仕事に必死に取り組もうとしているところなんだ。惑わせるようなことを言うのはやめて欲しいね」


「仕事と恋愛は別だろう。それに、貴殿がわってはいることではない。嫁候補というのは、貴殿が勝手におっしゃっていることだと理解している」


 ふたたび険悪になっていく雰囲気を察知し、佐和子は永徳の背から顔を出した。


「あの、すみません……。私がはっきりしないばかりに」


 このまま強引にことを進められようとしても困るし、黒羽の言う通り「結婚」とか「恋愛」とかいうのは個人の問題だ。永徳に間に入り続けてもらうのも申し訳ない。


「私……しばらく引きこもっていた時期があって。今ようやく、働くことができてるんです。まだまだおぼつかい部分も多くて。ひとつひとつ前に進んでいる感じで。だから、まだ結婚とか、そういうこと考えられなくて。とにかく、今は、編集部でできることを増やしたいんです。だから、ごめんなさい」


 ––––うまく、伝えられたかな。


 頭を下げながら、佐和子は口をつぐんだ。もともとしゃべりがうまい方ではない。


「そうか。ならば仕方ない」


 あっさりとそう言った黒羽に、驚いて佐和子は顔を上げる。


「ならば急かさず、ゆっくりと進めよう。文を出す。まずは文通から始めよう」


「文通……」


 これは、伝わったのだろうか。譲歩はしてくれているけれども。


「葵さん、帰ろう。疲れただろう君も。黒羽、また連絡する。頼むからあんまりうちの社員にしつこくするのはやめてくれよ」


 永徳は深いため息をつくと、半ば強引に佐和子を黒羽から引き離し、祭りの会場の出口に設置された門に向かって早足で歩きだす。


「まったく天狗っていうのは、強引で困るねえ」


 うんざりしたように顔を顰めた永徳を見て、佐和子は苦笑いした。

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