第13話 ブレインストーミング

 日本庭園に面した笹野屋邸の客間は、庭園側の腰付き障子の上半分がガラスになっている。障子窓も同様にガラスがはめられていて、和室ながら開放感のある作りが魅力だ。

 この部屋で永徳を待っていた佐和子は、ガラス越しに広がる風流な庭園の風景にしばし見惚れていた。


 元々明治に建てられた屋敷を買い取ったという笹野屋邸のガラスは微かに歪んでおり、それがまた趣がある。


 ただ、景色はいいのだが。

 部屋にやってきて早々、目の前にいる人物は、なぜだかいそいそとお茶の支度をしはじめたのだ。


 ポットから注いだお湯で緑茶を蒸らしつつ、小さな箱から和菓子を出して皿にもっている。パソコンさえもってきていない。


「おや、俺の顔になにかついているかい」


「いえ、あの。業務開始時間からもうしばらく経ってますけど。こんなにゆっくりしていていいんでしょうか……」


「いいんだよ。忙しなくしていたら、いい案も浮かばないだろう」


 不満げな顔をしつつ。永徳に反論しても無駄であることは理解しているので、佐和子は自分のノートパソコンを開いた。メモアプリを起動し、昨日聞き取りをした情報に目を通す。


 その間に永徳は、なんと旅行雑誌を取り出して読み始めた。


 目の前で堂々とサボり始めた編集長に、佐和子は開いた口が塞がらなかった。そもそも「朝一に時間がほしい」と言ったのはこの人ではなかっただろうか。


 佐和子はなんとか永徳を仕事に引き戻そうと、思い付いたアイデアを、端から話してみる。


「川澄さんのこれまでの偉業を紹介する短期連載記事なんてどうでしょう」


「いやあ、読むかなあ。なにしろ川天狗自体の知名度がないからね」


「じゃあ……やっぱり新聞のお悔やみ欄みたいな……」


「それこそ誰も読まないだろうなあ」


 和菓子を口に運びながら、雑誌を読みながら。まったりとした様子でバッサリ切り捨てる永徳に、佐和子は唇を尖らせた。


 そんなに否定するなら、なにか自分でも案を出してほしい。それに、アイデア出しをすると言うのであれば、頭ごなしに否定ばかりするのはどうなのか。


「川澄殿は愛されているね。どの命も平等に失われていくけれど、その死を忘れられないように、できるだけ多くのあやかしの記憶に残したいとまで仲間に思われる存在は、そう多くない。人間でも同じだけど」


 湯気の立つ熱々のお茶を啜りながら、ポツリと、永徳がそう言った。


「……それだけ、地域や一族のために尽くしてこられたんでしょうね」


「ただ、偉業というのはね。一族自ら、『うちのトップはこんなに偉かった!』って発信して、素晴らしい! あっぱれ! ってならないと思うんだよねえ。自分に直接関係がなければ。川澄殿の関係者が感謝していても、あやかし瓦版を訪れる大勢の読者にとっては『どこかの川の天狗』にすぎないし」


「……それは……そうですね……」


「『仕掛け』が必要なんだ。注目を集めるための」


「仕掛けですか」


「じゃあ、ヒントをあげよう」


「ヒント……ですか?」


 永徳はちゃぶ台に両肘をつき、前のめりに体を傾けると、とっておきの秘密を打ち明けるような顔で、佐和子にゆっくりと語りかけた。


「あやかしは、楽しいことが大好きだ。小難しい話はあまり好まない。好奇心が旺盛で、祝い事が好き。派手で、目新しいものにはすぐに飛びつく」


 永徳はニヤリ、と笑みを浮かべると、体を戻し、座布団に腰を落ち着ける。


「……なるほど」


 今言われたような観点を加味すると、たしかに佐和子の案ではうまく行かないだろう。


「ほら、和菓子でも食べて。糖分を摂ったほうが頭も回るよ。それを食べたら、もう一度考えてご覧」


 眉間の皺を深くする佐和子の目の前に、金鍔きんつばの乗った皿を差し出し、お手洗いへ行ってくると言って永徳は席を立った。読んでいた旅行雑誌はちゃぶ台の上に開きっぱなしだ。


「え……。結局は丸投げですか……?」


 あまりの上司の自由さに肩を落とす。真面目に考えていたことが馬鹿らしくなってしまう。刹那から、「編集長はサボり癖があるから気をつけろ」と言われていたけど、ここまで酷いとは思わなかった。


 薄皮に餡子がぎっしりと詰まった金鍔を、口に運ぶ。優しい甘味に頬が綻び、眉間の皺が少し緩んだ。湯呑みをとったところで、何気なく視線が旅行雑誌に落ちる。


 開かれていたのは、イベント情報のページだった。灯籠流し、花火大会、サンバカーニバルなど、地域のお祭りの情報が見開き二ページにわたって紹介されている。


「ん……あれ?」


 佐和子は身を乗り出し、記事に隅々まで目を通す。そしてメモをもう一度見ながら、顎に手を当てた。


「お祭り……慰霊祭……楽しいこと、派手なこと……」


 メモアプリに、頭に浮かんだキーワードを打ち込んでいく。書き込んでいくうち、点と点が線でつながり、ひとつの答えが見えてきた。


「そっか、『ニュースになるイベント』から作ってしまえばいいんだ!」


 戻ってきた永徳と目があった。佐和子の表情が明るくなっているのを見て、彼は我が意を得たり、とばかりにニタリと笑う。


 ––––この旅行雑誌……もしかして、わざと開いて置いていったんじゃ。


 たぶん永徳は、また素知らぬふりをして佐和子の前にパズルのピースをばら撒いていたのだ。


「思い付いたようだね。妙案を。さあでは、具体的な企画に移ろうか」


 ––––この人、私に能動的に仕事をさせようとして、わざと仕事をしていないふりをしてるんじゃないの?


 疑念に満ちた表情の佐和子を前に、永徳は座布団に座り直し、とぼけた様子でお茶を啜っていた。

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