第11話 取材の依頼(2)

 身支度が整うと、テーマパークに連れて行ってくれた時のように、永徳は佐和子に自分の手を握るように促した。今回も術を使って移動するらしい。


 男性の手を握ることに躊躇ちゅうちょはあったが、手を握らねば移動はできない。仕方なく前回同様遠慮がちに手を重ねると、永徳は佐和子に向かって微笑み、襖へ向かって駆け出した。


「走らないとワープできないんですか?」


「走らなくてもできるが、勢いがあった方がいいだろう」


「……そうですか」


 どうやら意味はないらしい。ひとりでに左右に開いた襖の先に飛び込むと、降り立った先は閑寂かんじゃくな森の中だった。


 こちらはかろうじて天気が保っている感じで、雨は降っていないようだが、薄暗い。


「ここは……すごく自然が豊かなところですが……どこですか?」


「東京都の奥多摩。多摩川の上流の方だね」


 奥多摩といえば、都会のイメージが強い東京都内の豊かな自然地帯のひとつで、「日原鍾乳洞にっぱらしょうにゅうどう」「奥多摩湖」「御岳みたけ渓谷」などが有名だ。


 ある程度整備されている風光明媚ふうこうめいびな観光地というイメージの奥多摩だったが、佐和子たちが降り立ったのは森の奥地。


 観光客が訪れるような場所ではなく、山の起伏の険しい場所だった。


 清らかな水の流れる音や鳥のさえずり、風に揺れる木々の声のみが耳を支配し、人の声は聞こえない。


 あたりには豊かな自然が広がるばかりで、建物のようなものは見えず、唯一目の前にある人工的なものといえば、しめ縄の巻かれた、佐和子の胸の辺りまである大きな岩。


「あの、差出人の名前が見当たらなかったんですが、どなたからの問い合わせだったんでしょう」


「困るよねえ。ちゃんと名前を書いてもらわないと。あやかしたちからの取材依頼は、こういうクイズみたいな情報が不十分な問い合わせが多いんだ。まあ、多摩川の川沿いを待ち合わせ場所に指定してきてるってことは、たぶん川天狗じゃないかな」


「川天狗……?」


 天狗は知っているが、川天狗という言葉に馴染みがない。佐和子が首を傾げていると、永徳はなにかに気づいたように空を指し示す。


 分厚い雲が折り重なるように広がる空に、大きなカラスの影があった。

 影はどんどんと下降を続け、クルクルと佐和子たちの頭上を旋回し、ゆっくりと地面を目指して降りてくる。


 近づくにつれ、それが翼の生えた人型のなにかであることが佐和子にもわかった。


 ––––あれが、川天狗。


 土煙を起こしながら地面に着地したあやかしの姿を、まじまじと見つめる。


 一八〇センチは越えようかという大柄な山伏姿に、長鼻、朱塗りの天狗の面をつけている。黒々とした大きな翼は、相手を圧倒するような威厳を醸し出していた。


「よくぞ来てくださった、大魔王山本五郎左衛門さんもとごろうざえもん殿。さすがにお越しが早い。我はこの地に住む川天狗の黒羽。貴殿を迎えに参った」


 地鳴りのように低いが、よく響く伸びのある声だ。


「俺は山本五郎左衛門ではない。父はすでにこの家業を引退していて、今は息子である俺が継いでいる。名は笹野屋永徳。以後よろしく頼む」


 口元に笑みは浮かべつつも、相手の様子を伺うような慎重さをにじませながら、永徳はそう答える。


「……なるほど。引退なさったか。それも世の流れよの。なにはともあれ、ご足労感謝する」


 編集部員以外のあやかしと彼が対峙しているところを見るのはこれがはじめてだったが、黒羽の態度を見るに、やはり永徳はあやかしの世界で一目置かれる存在ではあるらしい。


「して、その女は」


「彼女は俺の嫁……」


「あやかし瓦版編集部員の葵佐和子と申します」


 佐和子はかぶせ気味にそう名乗った。いつもの永徳の調子を考えると、「嫁候補兼編集部員」と紹介するだろうと思ったのだ。


「なるほど、女中の方であったか」


「女中ではない。社員だ」


 永徳の言葉には反応せず、黒羽は佐和子に近づいた。永徳が咄嗟に佐和子を背に隠したが、永徳の肩越し、覗き見るように顔を見られる。


 近くに立たれると、この黒羽の体格の良さがよくわかった。筋骨隆々で、首が太く、肌の色は浅黒い。山伏の服装も相まって「修行僧」のような印象を受けた。


「うむ、悪くない。人間の女だな? 佐和子、結婚はまだか」


「……はい?」


 初対面の天狗にそんなことを聞かれるとは思わず、佐和子は呆気に取られた。富士子といい、最近は人の結婚事情に土足で踏み込むのが流行りなのだろうか。


「悪いね、黒羽。彼女は俺の嫁候補なのだ」


「よ、嫁候補ではありません……」


 佐和子は反射的に永徳の言葉を否定する。

 あらぬ噂が広まるのは好ましくない。永徳が有名なあやかしの息子であれば尚更だ。


「本人は違うと言っているようだが」


 黒羽が笑い混じりにそう言うと、永徳はやれやれと言った様子でため息をつき、佐和子の方へ顔を向ける。


「葵さん、天狗にはね、人間を嫁に取る一族がいるんだ。……それに天狗以外でも、あやかしには、人間の女を好んで攫うものも一定数いるからねえ……。それもあって嫁候補だとあちこちで紹介していたのに」


「えええっ! でも人間と恋愛するあやかしは少ないって」


「人間の女性を『獲物』として狙うあやかしは多いってことだよ」


 ––––それならそうと、早く言ってください。


 そう抗議しようとしたが、天狗の面に凝視されているのもあって、言葉が声にならない。


「黒羽、彼女を攫われては困る。仕事ができなくなってしまう。葵は我が編集部のだからね。彼女がいなくなっては、君の依頼も受けることができない」


「そうか、それなら仕方がない。では本件が終わってから、婚姻の話については進めることにしよう」


 佐和子はもはやなにから突っ込んでいいのかわからなかった。


 永徳の「スーパールーキー」発言は、佐和子を攫われないための口上だというのはわかるのだが、実が伴っていないこともあって、なんだかむず痒い。黒羽の方は、一旦は納得をしたようだが、嫁取りについて諦めたわけではないようだ。


 とりあえず佐和子は、永徳の「嫁候補」発言については、今後は目を瞑ろうと思ったのだった。



 ⌘



「どこまで行くのだ。だいぶ歩いている気がするが」


 訝しむような口調でそう尋ねる永徳に、黒羽は淡々とした口調で答える。


「あと少しだ」


 しめ縄の巻かれた大岩は、川天狗の集落の入り口に張られた結界だったらしい。黒羽が手をかざすと、古ぼけた鳥居が現れた。


 鳥居をくぐりぬけ、険しい山道を、黒羽の大きな背中に続いて進んでいく。黒羽のうしろには佐和子、最後に永徳という並びで歩いた。


 佐和子は足元を取られないよう、気をつけて歩きつつ、黒羽の背中の翼に興味を引かれていた。面は被り物のようだったが、この翼は本当に背中から生えているらしい。


「うわっ」


「おっと」


 天狗の翼に気を取られていたのに加え、疲労感もあってうっかり足を滑らせた佐和子を、黒羽は片手でひょいと抱き上げた。


「女の足ではきつかろう。背中に乗れ」


「え、でも」


「崖を滑り落ちたいのか?」


「いえ……」


 困った様子の佐和子を見て、永徳が声をかける。


「葵さん、俺が背負おうか」


「えっ」


 ––––いや、それはそれで気まずいです。上司ですし。


 黒羽と永徳の間でオロオロする佐和子を見て、黒羽はため息をつき、永徳に視線を合わせた。


「笹野屋殿。山道は我の方が慣れておる。任せてもらったほうが安心だと思うが」


「……。まあ、一理あるね」


「すみません、黒羽さん、助かります……」


 山登りに慣れない佐和子には、滑りやすい峠道はなかなか堪えるものがある。恥ずかしさよりも疲れに負けて、黒羽の言葉に甘えた。


 物言いは強引だったが、黒羽は案外優しく、シダの生い茂る視界の悪い場所などは、背中にいる佐和子にぶつからないように、腰に備えていたナタで刈りながら進んでくれる。


 ––––嫁取りを進めるための、点数稼ぎなのかな……。


 顔が見えないため表情が読めず、余計に緊張をしてしまう。そんな佐和子の様子に気がついたのか、黒羽は豪快に笑った。


「そんなに身を固くせずとも、とって食ったりはせぬ。人を喰らう趣味は持ち合わせておらんからな」


「はあ……」


 山の中に住んでいるせいか、刹那たちよりもだいぶ言葉遣いが古めかしい。


 ––––結構お歳なのかな、この人。


 しゃがれた声の雰囲気からも、若者というよりは中年に近い歳のような気がする。


「さあ、ついた。ここだ」


 永徳と佐和子が襖を通ってやってきた場所からさらに上流。人の気配のまったくない森の奥には、ログハウスのような大きな建物がそびえていた。少し離れた場所に、小屋がいくつも建っているのも見えたので、ここが川天狗の集落のようだ。


「意外と洋風なんですね……」


 佐和子がそう呟くと、黒羽は褒められたととったらしく、「美しいだろう」と胸を張りつつ、説明をした。


「かつては城のような建物だったのだが。今の時代ちと目立ちすぎるのでな。我が主の希望もあって、モダンな作りのものに変えたのだ」


「……なるほど」


「黒羽。もうそこまで足場は悪くないだろう。葵さんを下ろしておくれ」


 余裕綽々よゆうしゃくしゃくのいつもの表情とは違い、永徳は不機嫌そうな顔で黒羽の面を睨みつけた。


「いやいや、ここはここで、小石がゴツゴツとして歩きづらいだろう。家の前までは我が運ぼう」


「あ、いや、ちょっと恥ずかしいので、下ろしてください……」


 そう懇願すると、あっさり黒羽は佐和子を下ろした。それでも手を取るよう促されたので、佐和子は恐縮しつつも固辞こじをする。諦めた黒羽は二人を先導し、ログハウスの中へ招き入れた。


「お邪魔するよ」


 永徳がそう言うのに続き、佐和子も挨拶をする。入り口から見て右奥の部屋の扉の前に立った黒羽は、部屋の主に向けて声をかけた。


「主様、あやかし瓦版の担当者をお連れしました。大魔王山本五郎左衛門が御子息、笹野屋永徳殿と、編集部員の葵佐和子殿でございます。部屋に入っていただいてもよろしいでしょうか」


「うむ、案内ご苦労であったな、黒羽。お入りいただけ」


 主からの言葉を受けて、黒羽はドアを開ける。

 扉が開いたその先にいたのは、キングサイズの天蓋付きベットの上に横たわる、小柄な老人だった。

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