第7話 書店にて

 永徳を見送ったあと、佐和子は鶴見駅の東口にやってきた。以前は西口の方が栄えていたが、東口も最近は新しいビルが増えてきて、佐和子も食料品以外の買い物は東口ですることが多くなっている。


 駅ビルのエスカレーターを登り、目的の書店にたどり着く。すると女性誌のコーナーで明らかに浮いている客の姿が目に入った。


 二十歳過ぎくらいの男性だろうか。リュックを前がけにして、二十代の女性向けのファッション誌を手に取っては戻しを繰り返している。不思議に思って見つめていると、目が合ってしまった。


「あっ、もしかして邪魔でした? すんません」


「いえいえ、大丈夫です」


 見知らぬ人とこういう形で関わると、厄介ごとに巻き込まれるというがある。佐和子はそのまま立ち去って、彼がいなくなるまで待とうかと思ったが。男性の困った様子を見て、見てみぬふりをするのも悪い気がしてしまった。


「……あの、なにかお探しですか?」


「えっ?」


「いえ、いろんな雑誌を手に取ったり戻したりされてたので」


「ああ……」


 男性は気まずそうに頭を掻き、視線を佐和子から外した。


「なんか、恥ずかしいっすよね。男が女の子のファッション誌を読むなんて……」


 ––––もしかして、自分で着るのかな。パッと見た感じ、線も細くて背も高いから、女性ものの洋服を着ても、モデルさんみたいに映えそうだけど。最近はユニセックスの洋服も増えてるし、男性もお化粧をしたりする時代みたいだし……。


「あ、もしかして女装趣味があるのかとか思いました? 違いますよ!」


 佐和子は無表情のつもりでいたのだが、どうやら探るような顔をしていたらしい。


「あ、いやいや、そんなふうには思ってないですよ!」


 慌てて否定した佐和子だったが、複雑な表情をされてしまった。


 ––––気まずい。お使いは別の書店で済まそうかな……。


 逃げるように適当な挨拶をしてその場を去ろうとしたのだが、雑誌の彼に呼び止められた。


「あの……今からちょっと付き合っていただけたりしません? 相談にのってもらいたいことがあるんスけど」


「えっ! わ、私がですか?」


「自分ひとりだとどうしたらいいかわかんなくて。女の人の意見を貰いたいんです。ご迷惑でなければ、なんスけど」


 やはり偶然目があった人に関わるとろくなことがない。


 そうは思いつつも、「私でよければ」と、反射的に答えてしまった佐和子は、不本意ながらも男性の相談事を聞くことになった。




 ––––結局、ついてきちゃった……。


 駅ビル内のカフェで席を探したが、どこも混んでいたので、一度建物から出て、少し先にあるエンジ色の外壁が特徴的なチェーン店へと移動することになった。


「ほんとすいません、突然」


「いえいえ」


 ぺこぺこと頭を下げる男性に向けて、曖昧な微笑みを浮かべつつ、窓際の角席に着席する。


 お願いされると断れないのが佐和子の性分だ。

 早く帰りたいと思いながらも、「話を聞く」と言ってしまったからにはきちんと役割を果たさねばと、佐和子は椅子に深く座り直した。


 彼の名前は井川圭介いがわけいすけ、というらしい。自己紹介もそこそこに、「あまり時間をもらっても悪いから」と、井川は本題を話し始めた。


「半年くらい前かなあ。俺、大学入ってからずっと好きだった女の子に告白したんです。だけど見事ふられちゃって。結構引きずってたんスよね。でも、失恋くらいで落ち込んでるの恥ずかしいとか思って。大学ではいつもの通りの自分を演じてて」


 ––––大学生かあ。いいなあ、夢も希望もあって。


 そんな羨ましい思いを抱きつつも、目の前の彼が非常に困った表情をしているのを見て、佐和子は姿勢を正した。


 ––––周りから見たら夢いっぱいの大学生でも、真剣に悩んでいるんだよね。こんな見ず知らずの女に相談するくらいには。


「失恋から立ち直るのって、なかなか簡単にはいかないですよね。時間が解決するのを待つしか……」


 彼の心の傷を慰めるように、そう同調したのだが。


「あ、相談はそこじゃなくて」


「え」


 そこじゃないんだ、と思わず突っ込みたくなったのを、佐和子は堪えた。


「辛くなると、よく三ツ池公園に行ってたんです。ほらあそこ、今桜が綺麗でしょ。入園料とかもいらないし。あ、俺三ツ池の近くのアパートに住んでて、それで」


 彼の言う通り三ツ池公園は、總持寺そうじじと同様、桜の名所として知られている。シーズンには、笹野屋邸にもある大島桜をはじめ、河津桜やソメイヨシノ、八重桜などさまざまな種類の桜が咲き乱れる。また、名前にある通り園内には大きな池があり、満開の時期には群れをなす桜の美しさと、池に浮かぶ数多の花びらを同時に鑑賞することができる絶景スポットなのだ。


「人気のないベンチを選んで、そこで景色を見ながら、毎日ぼんやり過ごしていたら。うしろから女性に声をかけられたんです。『あなた、ここのところよく来るわね』って」


「そうなんですね」


「でも、まあ、さっき言った通りで落ち込んでたんで。振り返りもせずに答えたんです。『女の子にふられちゃって、ちょっと落ち込んでるんです』って」


 井川の話し口には、だんだんと熱がこもってきていた。


「そしたらね、なんて言ったと思います? その人。『そんなことで頻繁にここで佇んでるくらいなら、バイトでもしたら? 女のことを考えて、メソメソメソメソ、時間の無駄もいいとこよ』って言ったんスよ」


「あらら、随分と辛辣しんらつな……」


「それで俺も、もう、腹が立って。振り返ってやったんです。そしたら、誰もいなくて」


「え?」


 ––––今の、怪談だったの?


 思わぬ展開に目が点になった佐和子に気にも止めず、井川は話し続ける。


「それで気になって。そのあとも行ける日は毎日、三ツ池公園に通ったんです。それで女の人の声が聞こえたベンチで、待ち続けて」


「怖くなかったんですか? だって、姿が見えなかったんでしょ?」


「なんですかね。怖いよりも好奇心が勝っちゃって。そしたらしばらくして、また現れたんです。その人。『まだ落ち込んでるの? 馬鹿じゃないの?』って」


「また、現れたんだ」


「そうなんですよ! それでもう、嬉しくなっちゃって。いっぱい話しかけたんです。振り返ったらまた消えられちゃうかもしれないから、顔は前を向いたままで」


 若いということは恐ろしい。姿を見たこともない、何者かもわからない存在に向かって、嬉々として会話を投げかけるなんて。


 石橋を叩いて叩き割るような佐和子の性格では、彼の行動をまったくもって理解できなかった。


「そうして彼女と話すうちに、だんだん……あの、好きになってしまって」


「えっ! だって、相手の姿形もわからないんですよね?」


「姿形は関係ないんです。彼女と過ごす時間が、とても心地よくて。歯に衣着せぬ物言いが、俺にはちょうどよかったんです。それで……ある日、振り向いてもいいかって聞いたんです。顔を見て、話がしたいって」


 先の読めない話の行方に、佐和子は夢中になっていた。思わず身を乗り出し、井川に続きを促す。


「で? それで、どんな人だったの?」


「葵さんは、あやかしって信じますか」


 あやかし、というワードが彼の口から出てくるとは思わず、佐和子は息を呑む。


「あ、あやかし……? え、あの、好きになった相手が……?」


「はい……その彼女、あやかしだったんです。ろくろ首の」


「ろ……ろくろ首⁈」


「はい。着物を着てて、首がにゅーって伸びる。時代劇でよく見るような髪型の」


 初日の怒涛の展開で、精も根も尽き果てていたはずなのに。あまりの衝撃に大声でそう聞き返し、勢いよくテーブルに手をついていた。周りの席からは迷惑そうな視線を向けられ、佐和子はしおしおと小さくなる。


「やっぱり、そういう反応になりますよね……」


「ちなみに、その、ろくろ首のお名前って……」


「え、名前ですか。刹那さん、って言うんですけど。……なんか嬉しいっス。だいたいみんな、そんなのいるわけねえだろって、相手にしてくれないんで……」


 三ツ池公園、ろくろ首のあやかし、ときたところでなんとなく予想はついていたが。刹那という名前を聞いて、佐和子は口を押さえた。


「で、どうしたんですか、そのあと」


「実は、うまくいっちゃって。付き合うことになったんです」


「えええええ!」


 ふたたび大声を出してしまい、いよいよ店の中に居づらくなった佐和子は、井川に連れられ、そそくさと店の外へ出た。


 ––––あれだけ人間の私に敵意を剥き出しにしていたのに、まさか人間と付き合っているなんて。


「つ、付き合うことになったって言ってましたけど。とりあえず相手があやかしとかは置いといて、それだと悩む要素なんてないじゃないですか」


 佐和子にとっては驚愕のニュースだったが、本人たちにとってはハッピーな状況のはず。


「それが、あるんです。公園のベンチに座って話しているだけじゃなくて、デートしませんかって言ってみたんですけど。しぶられてて。『人間とデートするときに、なにを着ていったらいいかわからない』って。首さえ伸ばさなければ、今着てる着物のままでもいいじゃん、って言ってるんですけど。なんか、納得いかないみたいで」


「……もしかして、それで雑誌を見てたんですか」


 そう尋ねると、井川は恥ずかしそうに頬を掻いた。


「デート用の服を買ってあげようかとも考えたんですけど。サイズわかんないし。それで雑誌を買って、プレゼントしようかなと思って。でも、そもそも、あやかしが人間のショップに買いに行ったりもできないよなって。ネットも使えないだろうし」


 ぶらぶらと駅周辺を井川と歩きながら、佐和子は腕を組んだ。


 ––––ネットは使えるとは思うけどなあ。あやかし瓦版オンラインの編集部員だし。彼の告白を受け入れたところを見ると、井川くんのことを好きではあるんだろうな。気の強そうな彼女のことだから、自分の服装のことで彼が好奇の目に晒されることが嫌なのかも。


 佐和子はぼんやりとそう考えて、井川にどう返答をしようか迷った。

 助け舟を出せるほどの知り合いでもないし、そもそも佐和子は刹那に嫌われている。


「デートファッションか……。うーん、まあ雑誌を渡してみるのもありかもしれない。好みもあるだろうから、服自体を買ってあげるよりはきっといいと思います」


 結局、井川が考えていたこと以上の案は浮かばず、賛同するだけになってしまった。


「やっぱそうっすよね。もしよければなんですけど。無難そうな雑誌、一緒に選んでもらえたりしますか。俺、ファッションあんまり自信なくて」


 井川のすがるような瞳に負けて、佐和子はおずおずと頷く。


 ––––他人と関わるの、極力避けたいんだけどな。でもここまで聞いておいて、断るのもなあ。


 うしろ向きな思いを抱えつつも、佐和子は井川とともに書店へと戻り、刹那のための雑誌を選んだ。購入した雑誌を大事そうに抱える井川を見送ったあと、佐和子は書店に戻って永徳のお使いを済ませたのだった。

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