第4話 あやかし瓦版オンライン

 ワナワナと唇を震わせながら、佐和子はその場に立ち尽くしていた。

 あまりに現実離れした光景に、もはやどこから突っ込んでいいのかわからないでいる。


 コスプレ好きの職場なんでしょ、と一蹴できればよかったのだが。パソコンをブラインドタッチしながら向かいの席の同僚のところまで首を伸ばして談笑するろくろ首の彼女に、その可能性を完全否定されてしまっている。


 どう見ても、あの伸縮自在の首は作り物ではない。


「こ、こ、こ、これは……あの、その」


「あやかし瓦版オンラインの編集部さ。あやかし向けのネットニュースサイトを作っているんだ。昔は紙で作っていたんだけどね。あやかしの世の中でもパソコンやスマートフォンが普及していて。思い切って完全オンラインに振り切ったんだ」


「あ、あ、あやかし……あの、もしかして、あなたも」


 呼吸を止め、佐和子は永徳を見上げる。


「俺はね、半妖なんだ。父があやかしで、母は人間。もともとあやかし瓦版は、うちの父が明治に入ってから始めた仕事でね。俺が継いだのは平成に入って少しした頃かな」


 淡々と説明をする永徳を、佐和子はただただ、目をパチクリさせながら見つめる。人間離れした美しさであるし、五十六という年齢が本当なのであれば、半妖であることは納得せざるを得ない事実だと思った。


「でも……あやかし向けのネットニュースなんて。公に載っていたら話題になりそうなものですけど。私、初めて聞きましたよ」


 佐和子が質問をしてきたことが嬉しかったのか、嬉々とした表情で永徳は答える。


「ああ、一般の人間にはね。見られないようにしているんだよ。妖術でね」


「編集長! お取り込み中すみません。ちょっと確認で。連載の原稿、いつ上がりそうですか?」


 声をかけてきたのは、口元から鋭い牙をのぞかせる、青白い肌の青年だった。金髪で彫りが深い顔立ちの彼は、見たままの印象でいうならば、おそらくヴァンパイア。


 彼は真っ赤な瞳をチラリとこちらに向け、ソワソワした様子を見せながらも、視線を永徳に戻し、返答を待っている。


「うーん、あと二、三日欲しい。来週の金曜連載スタートだから、それで間に合うかな。もうちょっと練りたいんだ」


「了解しました! あの……そちらのお方は」


「ああ、彼女はね。新入社員候補兼俺のお嫁さん候補だよ。葵さん、こちらはインターンのマイケル。見ての通りのヴァンパイアだね。安心して、ベジタリアンだから。噛んだりしないよ」


「編集長、違います。僕がハマってるのはマクロビオティックです」


 永徳の言葉を、マイケルは厳しい表情で否定した。おそらく、間違えるのはこれが初回ではないのだろう。


「ああ、そう。それだ。俺にはその違いがよくわからんのだが」


 それそれ、と指をさす永徳の仕草は、「おじさん」を彷彿とさせる。見た目は若くても、こういう細かいところに年齢は出るものだなと、佐和子は頭を小さく縦に振った。


 ヴァンパイアのマイケルは、佐和子をまじまじと見ると、挨拶もそこそこに疑問を口にする。


「編集長にガールフレンドがいらっしゃったとは知りませんでした。失礼ですが、葵さんはどんなあやかしでいらっしゃるんですか。自分、不勉強で、ぱっと見でわからず」


 問われた永徳は、屈託のない笑顔をマイケルに向けた。


「彼女は人間さ」


「に……人間!」


 「人間」という言葉を聞いて、先ほどまでこちらに無関心だったあやかしの編集部員らが、一斉に佐和子を見た。あやかしの集団に射殺さんばかりの勢いで見つめられ、背筋が凍る。どうみても好意的な視線ではない。目の前にいるマイケルも口を押さえ、信じられないという表情を作っていた。


「……おや。なにか問題でもあったかな?」


 意外そうな表情でそう言う永徳に対し、口を挟んできたのは、先ほどまで同僚と談笑していたろくろ首の女性だった。


「『なにか問題でも?』じゃありませんよ! なにを考えているんですか。大魔王山本さんもと五郎左衛門ごろうざえもんの御子息ともあろうお方が。あやかしに向けた記事を書いているうちの編集部に、人間を雇い入れるのも感心しませんが、さらに嫁候補だなんて!」


 ––––大魔王? 山本……なんて? 笹野屋さんて、もしかして凄い有名なあやかしの息子さんなの……? 山本なんとかなんてあやかし、聞いたことないんだけど。


 頭の中には疑問符がいっぱいだったが、佐和子が言葉を発していいような雰囲気ではない。


 ろくろ首の女性は、いつの間にか長い首を佐和子の顔のすぐ近くまで伸ばしてきて、上から下まで検分するように眺めていた。今にもヘビが獲物を絞め殺すが如く、首を巻きつけられそうな状況に怯みながらも、佐和子はおそるおそる言葉を紡ぐ。


「あの、私、嫁候補でも新入社員候補でもなくて……」


 せめて「嫁候補である」という誤解だけは解こうと、佐和子は勇気を振り絞って声を上げたのだが。


「人間は黙りなさい! アタシは今編集長と話をしているの」


「あ……す、すみません」


 ろくろ首に目を血走らせながらそう言われて、佐和子はすくみ上がった。


 ––––いったい、私がなにをしたって言うのよ。笹野屋さんに無理やり連れてこられただけなのに……。


「まあまあ、刹那、落ち着きなさい。葵さん、こちらはろくろ首の刹那。ちょっと気は強いが、仕事はできるし、自由きままなあやかしが多い中で、一番気質も真面目でね。君が入社してくれるなら、彼女に指導係を任せようと思っているんだ」


「アタシが人間の指導係なんて! 絶対に嫌ですよ。今抱えている企画だけでも大変なのに、使えなさそうで陰気な小娘の相手なんか、まっぴらごめんです」


 顔を紅潮させ、そのまま破裂しそうな勢いで怒る刹那を前に、佐和子は後退りをした。


「まあ、それはおいおい話すとしよう。とにかく、これが明るくて楽しい我が職場だ、葵さん」


「編集長!」


 体をくるりと反転させ、自分に背を向けた永徳に向かって、話は終わってないとばかりに刹那はそう叫ぶ。


 ––––どこが、「明るくて楽しい職場」なの……?


 ギャアギャアと怒鳴り散らす刹那の存在などまるで見えないかのように、「諸条件の説明があるから」と爽やかに言いながら編集室の外へ向かう永徳に引きずられるようにして、佐和子はその場をあとにした。


「あの、どう考えても無理があるんじゃないでしょうか。あやかしの皆さんの中に混じって、私が仕事をするのは……」


 廊下を歩きながら、佐和子は永徳に抗議をした。

 あんなところで働くなんてとんでもない。


「なかなか賑やかで活気のある職場だろう?」


 そう微笑む永徳に、佐和子は不満の色をあらわにする。


 ––––ものは言いようにも程があるでしょ。なんとかうまく断って、早くこのあやかしの巣窟から逃げなきゃ。


 今のはすべて夢だったと思いたいところが、残念ながら佐和子は起きていて、歩いている。しかもお茶のせいか、いつもより頭もシャッキリしているくらいだ。「あやかし瓦版編集部」は確実に目の前に存在していた。


 こんな場所に就職してしまっては、きっと命がいくつあっても足りない。


 人間の世界では、仕事がうまくできなくても減給か、最悪クビになるくらいで済むが、あやかし相手では命を取られかねない。そもそも、「人間」というだけであれだけ社員に嫌悪されるのだ。働く意欲が極限まで失われている人間が、あの中でやっていけるはずがない。


 しかし永徳はにっこりと笑うだけで、佐和子の反論には耳を貸すつもりはないようだった。玄関の手前で立ち止まり、勝手に説明を始める。


「試用期間とかは特に設けていない。残業代あり、交通費あり、各種福利厚生完備、住み込み希望であれば居住費はタダ。部屋はいくらでも空いているからね。なお、給与は……」


 永徳は佐和子の耳の高さまで顔を傾けたかと思うと、ボソッと金額を囁いた。


「えっ! そんなに?」


 なんと基本給が、佐和子がもといた会社の二倍の金額だったのだ。


「で、でもどうしてそんなにお給料がいいんですか」


 上手い話には裏があるはずだ。うしろ暗い事情があるのではないかと、佐和子は疑いの目を向ける。


「笹野屋家は都内に大きな土地を持っていてね、地代収入で潤っているのだよ。だからそこで得た利益を、メディア事業の運営に使っているんだ。あやかし瓦版のニーズは高いからね、編集記者の質は確保したい。だから給与が高めに設定されているのだよ」


「これまでも、人間を雇われたことはあるんですか」


「人間の編集部員は個人的には欲しいと思ってて、雇おうとしたこともあったんだけどねえ……。まあ、なかなか難しくてね」


 ここまで見聞きしてきたことを総合すると、きっとあやかし社員に受け入れなかったか、逃げられてしまったのだろう。


「どうだい、やるかい?」


 にっこりと笑顔を向けられて、佐和子は腕を組み唸った。


 冷静に考えてみても、失業中且つ、履歴書に大々的に書けるような実績も持っていない佐和子にとってはとんでもない優良求人だ。人間……いや、あやかし関係に難があるのは否めないが。


 正直、今からふたたび書類を書いて、面接をするモチベーションがないのが、再就職への一番のハードルだった。部屋に引きこもったままの月日が積み重なるうち、生活費ばかりを食う佐和子に対しての両親の視線も厳しくなってきている。


 永徳の態度を見るに、あやかし瓦版に関しては、佐和子が今「はい」と言えばそのまま採用される勢いである。


「悩んでいるくらいだったら、とりあえず働いてみるといい。嫌ならいつでも退職届は受け付ける。それでどうかな?」


 いつでも辞めていいと言われて、入社のハードルが一気に下がる。一度出勤してみて、ダメだったら即日退職でもいい、と言われれば、断る理由はないように思われた。


「そ、それなら……」


「よし、じゃあ決まりだ。早速明日から来ておくれ。あ、就業時間は十時から十八時だよ。先ほど言った通り食事付きだから、お昼にお弁当などを持ってくる必要はないからね」


「……わかりました、よろしくお願いします」


「こちらこそよろしく頼むよ、嫁候補殿」


「お願いですから、嫁候補、というのは訂正しておいてください……。富士子さんのお誘いは断っているわけですから。でないと私、殺されてしまいそうです、刹那さんに」


 そう念を押すと、永徳はびっくりしたような顔をしたあと、大口を開けて笑った。


「殺しはしないよ。ああ見えて殺生は好まないんだ、ここにいるあやかしは。平和主義者なんだよ、基本的には。だから大丈夫、はじめは難しくとも、そのうち君も馴染むさ」



 笹野屋邸の門扉の外に出る時、またあの大島桜が目に入った。


 佐和子がこの家を訪ねてきた時よりも、輝きが増したように見えたのは、単なる気のせいだろうか。

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