半妖笹野屋永徳の嫁候補 –あやかし瓦版編集部へようこそ–
春日あざみ@電子書籍発売中
第一部 あやかし瓦版編集部へようこそ
第一章 一期一会
第1話 お見合いの約束(1)
目前に堂々と咲き誇る満開の桜のように、私は精一杯咲こうとしていた。できる人から見たら、雑草が精一杯背伸びしている程度の頑張りだったのかもしれないけど。でもそれでも、思いつく努力はすべてしたつもりだった。
しかし、そんな頑張りも無駄に終わった。
どんなに足掻こうと、私は所詮雑草だった。
はじめから綺麗な花になんてなれっこなかったのだ。
ただ、それだけの話だ。
總持寺の三松閣・山門の大島桜をひとり見つめていた
曹洞宗大本山
「佐和子、人が多いで手を離しちゃいかん。迷子になったら大変だでね」
ふと、そんな名古屋弁訛りの祖父の声が聞こえた気がした。佐和子はおじいちゃん子で、この時期はよく總持寺に祖父と桜を見にきていたのだ。
はらり、と頬にまた涙の筋が伝う。
仕事を辞めてからずっと、佐和子は感情のコントロールがうまくできないままだった。
新卒で大手食品メーカーに入社して三年。せっかく憧れのマーケティング部に異動になったというのに。長時間に及ぶ過重労働で体調を崩し、仕事を辞めざるを得なくなってしまった。
佐和子が最後に總持寺へ祖父と来たのは、小学校一年生の春。「画家になりたい」なんていう無茶な夢を語る孫に笑いかけ、「お前は努力家だで、なんにでもなれるさ」と、優しく頭を撫でてくれた。その年の暮れ、祖父は肺炎で亡くなったのだ。
「おじいちゃん。私頑張ったけど、ダメだった。ずっと憧れてた仕事に抜擢してもらったのに。やっぱり私じゃあ、力不足だったみたい」
せっかくの桜が台無しだ。涙が視界の邪魔をして、景色がぼんやりと霞んでしまう。
仕事を辞めて早三ヶ月。住んでいたアパートを引き払い、実家に戻ってきてから、佐和子はずっと部屋に引きこもっていた。今日はたまたま家に吹き込んできた桜の花びらを見て、思い切ってこの桜を見に外に出てみようかという気になったのだ。
––––この大島桜が新緑でいっぱいになる頃には、私も元気に新しい芽を出していられるのかな。
涙の筋が残る頬をゴシゴシと手の甲で擦りながら、佐和子はうつむいた。
ひと通り泣いて落ち着いたころ、佐和子は鶴見駅前のバスターミナルまで戻ってきていた。
ここからバスに乗って「昭和坂上」というバス停で降りてすぐ近くのところに彼女の自宅はある。
やってきた青い路線バスに乗り込み、穏やかな陽の光に照らされた日曜の風景を、ぼんやりと眺めていた。
座ってしばらくして、景色が動き始める。
二人席の窓側に座っていたのだが、知らぬ間に隣に誰か座っていたらしい。チラリとそちらに目線を送ると、ロマンスグレーのパーマヘアを美しく整えた和装の婦人と目があった。
まさか視線があってしまうとは思わず、気まずいまま愛想笑いを作りながら、佐和子は軽く会釈をする。
「こんにちは。今日は桜が綺麗でしたねえ」
––––うわ、話しかけられちゃった。
退職してから言葉がうまく出てこなくなっていて、なんとなく人と話すのが億劫だった。
それに最低限外に出られる服装はしてきているが、今は化粧さえしていない。綺麗な身なりの老婦人と会話をするのには躊躇われる格好だった。
困ったなと思いながらも、佐和子は適当な返答をする。
「そうですね」
これだけ淡白な反応をしていれば、これ以上は話しかけてこないだろうと思ったのだが。婦人はどうしても佐和子と話がしたいらしく、言葉を重ねてくる。
「あなた、この近辺にお住まいなの?」
「ああ、はい」
「そうなの。私もこの近くに住んでいるの。ねえ、あなた、ご結婚はまだ?」
ずいぶんと突っ込んでくるな、と佐和子は眉をひそめた。
「まだです」
会話を終わらせるつもりで不機嫌な顔を作ってみたのだが。
「いいわねえ。美しい盛りの時だもの。たくさん恋愛ができるわね。私も若いころ、忘れられない恋をしたものよ」
婦人はかつての甘い記憶に思いを馳せるようにうっとりとしたかと思うと、佐和子の方に向き直って微笑んだ。
年齢なりの年輪を刻んではいるが、凛とした眼差しには力がある。若い頃はさぞ綺麗だっただろう。
「ねえあなた。うちの息子とお見合いしない? 同じ鶴見なら、結婚したとしてもお互いの実家が近くていいでしょう?」
佐和子は口をあんぐりと開け、絶句した。
––––いったいなにをもって、この人は初対面の私を息子の嫁に、だなんて思ったんだろう。
「え、ええと。あの、私結婚は……」
「ああ、そうよね。相手の年齢も容姿もわからないと不安よね。歳は五十六でね、実家暮らしなの。仕事はね、まあいわゆる物書きね。安心して、結婚歴はないから。顔はいい方だと思うわ」
五十代、実家暮らしの物書き、結婚歴なし。つまり、この歳まで独身。
––––とても厄介な人の匂いがする。
佐和子が動揺していることにはかまいもせず、婦人はサラサラとメモ帳に住所、名前と電話番号とを手早く書き上げた。
「私、
そう言うと上品に微笑み、手帳から破ったメモを佐和子に渡すと、ウキウキとした様子でバスを降りていった。
––––押し切られちゃった……。
佐和子は開いた口を閉じられぬまま、遠ざかっていく藤色の着物を見送りつつ、バスに揺られていた。
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