公園のベンチで、幼なじみと缶ビールを。

アレセイア

公園のベンチで、幼なじみと缶ビールを。

 それは空気が澄み渡るほど、冷え切った夜。

 吐息は白く染まり、街灯の明かりもどこか冴え冴えとしている。ふらりと足を踏み入れた公園の鉄棒は痛いくらいに冷たく、触ったのを後悔した。

 幼い頃、遊んだ公園はあれだけ広く感じたのに、今は狭く小さい。

 あまりにも静かで、息を潜めているかのようで――そこに立つスーツ姿の俺はアルバムを眺めているかのようだった。

 そして、そこのベンチに取り残されるように――彼女はいた。


「――お前、何やっているんだよ」

 思わず呆れながら声をかけると、彼女は緩慢な動きで顔を上げ、焦点の定まらない目つきで俺を見る。億劫そうに瞬きをして、やがて誰か分かったように、にへら、と笑み崩れた。

「なんだ、奏太じゃん、どったの?」

「どうしたの、は俺の台詞だ、馬鹿」

「えー、見て分からないのー? 夕飯」

 彼女はそう言いながら手にしたそれ――缶ビールを軽く振って見せる。ちらりとベンチを見れば、コンビニのビニール袋。そこにはおにぎりや焼き鳥、缶ビールが入っている。

「ほら、今日は月が綺麗だからさ、公園で食べたら楽しいかな、って」

「馬鹿か……こんな冷えた夜に、外でビールなんて」

「キンキンに冷えているぜぇ」

 ふざけてけらけらと笑う彼女を見て、俺はさすがに気づく――おかしい。

 彼女は俺の幼なじみの沙奈。家の近所であり、子供の頃はこの公園で何度も遊んだ仲だ。まるで男のようにやんちゃで、冒険ごっこや戦いごっこと称しては無茶な遊びに俺は振り回され続けていた。

 そんな彼女だと思えば、らしい行為だろう。だが、いつの間にかこの公園で遊ばなくなり、俺たちは子供じゃなくなった。学生のときに話した彼女はどこか大人びていてすらあったのだ。

 そんな彼女の今の様子は――痛々しさすら感じさせる。

 気が付けば俺は足を進め、彼女の隣に乱暴に腰を下ろしていた。

「あはは、奏太も飲む?」

「ああ、一本寄こせ」

「いいよ、飲んで飲んで」

 ビニール袋に手を突っ込み、缶ビールを取り出す。さっき触った鉄棒より冷たい金属の感触に俺は一瞬、戸惑う。

 だが、それを無視して握ると、プルタブを開けてビールを煽った。

 喉に滑り落ちる苦い炭酸と、凍り付くような冷たさ。痺れるような味に身体の芯から揺さぶられ、思わず低い声がこぼれだす。

「あ、おっさんだ」

「誰がおっさんだ、まだ三十路前だ」

 言い返しながらも我ながら思う――おっさん臭い声だったな。

 だが、会社帰りの疲れた身体に、冷えたビール。いくら寒空の下とはいえ、この一瞬だけは至高の一杯だ。

 深く吐息をこぼしながら空を見上げると、沙奈の声が響く。

「ね、奏太、最近どうよ」

「ん、最近?」

「大分ご無沙汰だったじゃん。今は広告系の会社だっけ」

「ああ――沙奈は携帯会社の事務だったか」

 お互い会うのは久々でも近所同士なので、親も顔見知りだ。気が付けば、親経由でお互いの近況は伝わってくる。

 せやでぇ、と彼女はふざけて笑い、缶ビールを振って言う。

「しがない事務職で、下っ端。つまんない仕事」

「やりがいのある仕事なんて、あるのかね」

「お、奏太も仕事つまんない?」

「ああ、つまらないな。特に会議。あれ出席する意味あるのか」

「激しく同意――あとで決定事項だけ回せ、ってんだよね」

「分かるわ、それ。上司だけで勝手にやってくれ、ってな」

 苦笑いをこぼしながら、ビールを煽る。吐き出した愚痴を埋めるように苦い炭酸が身体で弾けていく。アルコールが適度に口を軽くし、さらに愚痴がこぼれるように口から出る。

「それにさ、同期が辞めるんだよ。パワハラで」

「え、マジでー?」

「マジ、マジ。いや正直、パワハラじゃないんだけどさ、上司とソリが合わなかったらしくてさ。言い方がきついんよ、その上司。逐一、詰問口調で話してくるの。『え、なんで勝手にやったの? 別にいいけど』って」

「うわ、きっつ。クズ上司じゃん。別にいいならいいのに」

「ほんと、それ。部署違うから、俺はあまり関わらないけど、そいつは直属だからさ、耐えられなかったみたいで」

「四六時中一緒にいるのつらいよねぇ。んでんで?」

「仲良かった同期だから寂しいのとさ、俺とそいつ、よく一緒の案件やっていたけど、それの後任がその上司なのよ」

「うわ、つらー。今度は奏太が詰問されるの?」

「そうなると思うと、今から胃が痛いよなー」

 とりとめもない愚痴だ。だけど、彼女は笑って頷いてくれる。一々くだらないことでも反応してくれ、笑ってくれる――昔みたいに。

 俺はビールを飲みながら、ベンチの背もたれに背を預ける。

「あー、何も考えずに酒飲んでいたい」

「あはは、今飲んでんじゃん」

「そうだけどな」

「それともまだなんかつらいことあんの? 奏太」

「あるといえばあるけど。くだらないぞ」

「くだらないことでもいいじゃんか、言っちゃいなよ」

「言っちゃうか」

 沙奈と顔を合わせ、笑い合い、缶ビールをぶつけ合わせた。


 それから俺と沙奈はくだらない話をした。

 会社の愚痴から、最近の同級生の近況、家族のこと、会社の近くのお店のことまで――適当に気の赴くままに喋り、笑い合う。

 まるで、ここだけあのときに戻ったかのように、二人で笑い合い――。


 ふと、それに気づいたのは朝の番組の星座占いの話をしていたときだった。沙奈の視線が、どこかぼんやりとしていた。

「――沙奈、何かあったのか?」

 声をかけると、彼女はまばたきを一つして首を傾げながら笑う。

「何よぅ、私はいつも通りよ?」

「その、いつも、を俺は知らんのだが。下手したら五年かそこらぶりだぞ」

「あはは、そっかそっか……五年、かぁ」

 ふと彼女の声が落ち着く。どこか大人びた声と共に、そっと彼女は空を見上げた。それから彼女は缶ビールを持ち上げ、少しだけ口にする。

 そういえば、と思う。話している最中、彼女はビールを飲んでいなかった。彼女は微かに喉を動かすと、小さな声でつぶやいた。

「子供の頃、遊んだのは――もう十年以上前、ってことだよね」

「……そうなるか」

「うん……懐かしいな、あの頃が」

 思い起こすように彼女が公園の中を見渡す。その目つきは穏やかで優しくて――だけど、今にも泣きそうなくらい揺れている。

 やがて彼女の視線が端に向く。そこにはコンクリートの土台だけ残された一角があった。ふと彼女の視線が綻んでつぶやく。

「あそこに象の滑り台があったよね」

「あったな、いつの間にか撤去されたが」

「うん……あそこで遊んだのが懐かしい」

 だけど、今はそれは何もなく、ただのコンクリートの土台しかない。それを眺めていた彼女がふぅ、とため息をこぼす。

 どこか投げやりに吐かれた息が白く舞い、宙に溶けていく。

 静寂の中、俺はビールを口にしながら思う――やはり、何かあったのだろう。聞いていると、彼女の会社はかなりブラックだ。

 事務職に関わらず、業務外のこともやらされている節がある。彼女は「人員不足だから仕方ないよね」と吹っ切れたように笑っていた。

 だけど、それはやはり投げやりなようにも見えていて――。

「……あ」

 小さく彼女が言葉をこぼした。視線を追いかけると、ひらりと舞う小さな欠片が目に入る――空を見上げれば、いつの間にか雪が降り始めていた。

 音もなくただ降ってくる雪。それを見上げて息を吐けば、白く淡く彩られる。

 それにふと酔いも冷めてきて、身体の芯まで冷えていることに気づく。

「……寒いね」

 沙奈がぽつりと言う。ああ、と俺は頷いてビールを飲み干して立ち上がる。腕時計を見ればもう時間は遅い。彼女の親御さんも心配するはずだ。

「そろそろ帰るか」

 その言葉と共に缶ビールをビニール袋の中に放り込んで立ち上がり――。

 不意に、その服の裾が微かに引っ張られた。

 服が引っ掛かったのか、と一瞬思う。だが、それにしてはあまりに弱々しく頼りなかった。思わず動きを止めると、彼女のか細い声が後ろから響いた。

「ダメだな、私は……」

 その声は信じられないほど弱々しかった。

 いつも溌溂とした彼女から発されているとは信じられないくらい、弱くてボロボロで、今にも崩れ落ちそうな声で彼女は続ける。

「泣き虫の君にかわってしっかりしなきゃ、って、子供の頃は思っていたのよ」

 それなのに、と彼女は声が沈んで徐々に小さくなる。首だけで振り返れば、彼女は頭を垂れて項垂れる――手にした缶ビールがわずかに傾いてこぼれる。

「なのに、もう、今の君はすごいよね。私なんかより、ずっと仕事ができて、しっかりしてる。私なんか……」

 声が尻つぼみに消え、彼女はぐっと唇を噛む。まるでこぼれそうになる弱音を押し殺すように。滴ったビールが、ぽた、ぽたと地面に落ちる。

 その頼りなく震える彼女の肩から視線を引き剥がした。


 あんなに寒い日でも、僕の手を引いて笑っていた彼女は。

 寒空の夜にベンチで、冷えた缶ビールを手に震えている。

 それがあまりにも弱々しくて頼りなくて――それでも、彼女は最後の弱音を呑み込んでいる。それが分かっているのに、俺は動けない。振り返れない。


 強いよ、お前は。

 お前を抱きしめられない俺よりも、ずっと。




   ※※※


【後書き】

しんみりENDが好きな方はここでプラウザバックしてください。

作者はBAD ENDが大っ嫌いなので、次話でハッピーエンドにします。

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