第1897話・因縁再び・その二
Side:武田晴信
またかと思うてしまった。
何故、目を付けられるようなことをするのだ?
己らの立場となってみれば分かるはずであろう。皆で遺恨を作らぬ武功の場としておるところで、殺してやると恨む者が出れば困ることなどは誰であれ同じであろうに。
「彦五郎殿とは話をしております。互いに厳しい立場であることは同じ故。されど、他の者が話すことは難しゅうございます。下手に話すと、周りから疑われ叱られることすらあるもの。因縁は軽うありませぬ」
屋敷に戻り倅に話を聞くが、倅と彦五郎殿は相応にしておったか。されど、誰も彼も己の立場でしかものを見ぬ。
「因縁か。ならば許されはしたものの、斯波家と織田家が禁じた商いをした我らは因縁の相手。因縁を忘れられぬ我らは潰されるだけになるのだぞ。安房の里見のこと知らぬ者はおるまい」
尾張は因縁を嫌う。武衛様など特に因縁がお嫌いらしく、今川でさえ許したほどだ。なればこそ因縁に拘る者に厳しい。
「真柄殿を見習うてほしい。朝倉の被官であると聞くが、因縁ある斯波家の治める尾張にて毎年のように武芸大会に参加し、因縁など己には関わりなきことだと示した。武勇もさることながら、あの男の左様なところが尾張の者らに受け入れられておる証よ」
倅の責とは言えぬのだがな。彦五郎殿と違い、あまり人との付き合いが上手いと言えぬ身で励んでおる。それは認めておるのだが。
ただ、このままでは駄目なのだ。いかにするか悩んでおると夜分遅いというのに父上が姿を見せた。
「皆を集めたか?」
「いえ、いかにするか決めてからと……」
「隠居の身で口を出したくないのだがな。時がない。すぐに集めたほうがよい。今川は出場する者を集めて、因縁など表に出すなと厳命し誓紙を出させるそうだ。さらに治部大輔殿は因縁を流せぬならば他家から人を借りる故、出ずともよいと言うたとか。そなたも駄目だと思うなら、そうしろ。わしが朝一で人を集める故に」
父上の言葉に太郎は顔を青くしておる。ようやく事態を理解したか。一本気なのはよいが、少しばかり察しが悪い。若さというものであろうかの。
そうだな。まずは集めねばならぬか。
夜半の呼び出しに多くの者は戸惑うたようだ。中には祭りだからと酒を飲んでおり、だいぶ酔うておる者すらおる。ただ、父上にも同席を願い、わしと太郎と親子三代揃った様子に皆の顔色が変わる。
「武衛様と大殿が、当家と今川の模擬戦は因縁になるのではとご懸念をされておられる。皆が遺恨なしの場として守りておる武芸大会にて、遺恨を隠しもせぬそなたらと今川方の者らに困り果てておられるのだ」
誰も物音ひとつ立てぬほど静まり返った。左様なことになっておると思わなんだのであろう。むしろ尾張者と同じく、祭りだと酒を飲む者がいたことに少し安堵しておるほどよ。
「武芸大会はな。内匠頭殿が自ら考え、尾張者が皆で作り上げた新たな武功の場だ。それに泥を塗れば、わしや父上を含めてこの場の皆で腹を切らねばならなくなる」
理解しておらぬのであろうな。驚く者も少なくない。因縁のある者が騒ぐなど常のこと。いちいち気にすることなどわしもしたことがない。そう考えるとわしの責もまた大きいのかもしれぬ。
「周囲が困るほど因縁を捨てられぬ者は、すぐにこの場から出ていけ。おって沙汰をするが、もう面倒見切れぬ。因縁を捨てずに困るのは弱き者だ。つまりわしやそなたらになる。甲斐が今更独立して生きていけることなどあり得ぬのだ。意地を張りたくば、己と己の一族でしろ」
しんと静まり返った場で動く者、異を唱える者が出るかとしばし待つ。
「御屋形様。誰も諍いなど起こしておりませぬが……。武衛様と大殿は、これ以上いかにせよと求めておられるのでございまするか?」
周りが誰も声を出さぬことで意を決したように声を上げたのは飯富源四郎か。異を唱える様子ではなく、困惑しておると言うべきか。
「越前の真柄殿や宗滴殿がいかにしておるか、知らぬか? 因縁あるかの地にて、両名は一目置かれるほどぞ。そなたたちとなにが違う?」
同じことをせよと言うのは難しかろうな。されど、当事者でない者からすると大差ない。比べられて当然だ。
「もう一度言う、今川との因縁を忘れられぬ者は模擬戦には出さぬ。これより誓紙に署名してもらう。因縁を忘れて己の務めを果たすとな」
納得いかぬ者もおるようだ。されど、出ていけと言われて出ていく覚悟もないか。無論、そやつらの心情も理解はするのだ。因縁ある今川と一切関わらぬことが、いかに配慮したことかも、苛立ちとなることかもな。
そもそも、嫁いだ姉上が亡くなったことで手切れとしたのは今川なのだ。数年前から具合が良うないと文があったことや、戻りし侍女の話では謀ではないようだがな。
もっとも信濃でのこちらの動きを理由にされると、名目としては十分ではあることだ。特に諏訪を攻めたことは、信濃ばかりか日ノ本すべてに知られてしまった。
こちらにもこちらの言い分はあるが、相手が戦の支度もしておらずわしを信じたままだったにもかかわらず攻めたことで、今川が武田は信じるに値せぬと見切りを付けたのは致し方ないこと。わしが今川でも同じことをする。
結局、いずれか滅びるまで争うか、いずこかで区切りがいる。
本来、これほど因縁ある相手と会うことなどなかったからな。今まではそれでよかったのだ。ところが所領がなくなり、尾張が世の中心となると会うことが多くなってしまった。
「忘れるな。明日の試合は公方様のご臨席がある。誰かが因縁のまま動いたと受け取らば、わしを含めて皆で責を負うことになる。奥羽は浅利家の処罰を忘れるな」
戦のない国とは、かように難しきことなのだな。それ故、日ノ本からは戦がなくなることはなかった。端の者が耐えたところで上の者が因縁だと騒ぎ戦をしてしまうからな。
それを許さぬと示す者が尾張にはおる。
天がお怒りなのだ。世を乱し乱世を続ける我らに、大概にしろと。
ちらりと父上を見るが、致し方ないと言いたげだな。正直言おう、わしは止めたほうがいいと思うところがある。
因縁がある故、止めたとならば要らぬ憶測を生み、面倒になり面目も失うが、騒動が起きてからでは遅いのだ。
万が一があれば、太郎を跡目としてわしが腹を切るしかあるまい。
飯富源四郎=山県昌景
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