第1767話・春祭りの朝

Side:久遠一馬


 この季節、早朝は空気が冷たく肌寒い。その分、日差しを浴びると、太陽の暖かさを感じる。


 ウチの屋敷は那古野城の二の丸三の丸という役割もあるので、そこまで周囲が賑やかになることはないけど、それでも町の賑わいが風に乗って聞こえてくる。


 今日は春祭りだ。


 尾張には桜の木が増えた。ウチで持ち込んだ天文桜こと史実のソメイヨシノ以外にも、あちこちから移植した桜の木が寺社を中心にある。


 清洲・那古野・蟹江など一部の町には公園も整備してあるので、桜の木が植えられている。公園では季節に合わせて菜の花やひまわりやコスモスなども植えており、これ実際の効果は未知数だったけど、評判は思ったよりもいい。


 子供たちが遊び、地域の憩いの場になりつつあるんだ。都市部だと暮らしに余裕がある人も増えているからね。そういう事情もあると思うけど。


「いただきます」


 朝食は玄米ご飯と味噌汁。漬物ともやしと山菜の和え物、メインは魚の切り身を焼いたものだ。あとは大野煮や板海苔とかは、毎日のものとしてあるけどね。


 あと赤ちゃんたちは違うけど、離乳食の子たちと同じものを食べられる子たちは一緒にご飯を食べる。子供たちをオレや妻たち、侍女さんたちみんなで面倒見つつのご飯だ。朝から賑やかな食卓で、この時間が本当に好きだ。


 今日はお祭りだから、朝ご飯は軽くだけどね。


 もう、ほとんど思い出すことがなくなった元の世界のリアルだと、朝食はひとりでネットニュースを確認しながら食べていた。こうして和気あいあいと食べることになるなんて思わなかったなぁ。


「武鈴丸。ほら、落ち着いて食べなさい」


 今日は子供たちがみんな那古野の屋敷に泊まっているせいか、いつもより更に賑やかだ。リンメイの子である武鈴丸やシンディの子である武尊丸なんかは楽しくて仕方ないらしく、落ち着きがないくらいに騒いでいる。


 ジュリアまでもがそんな子たちに振り回されるようにしつつ、嬉しそうに世話をしているね。


「ちーち、きょうはいっしょ?」


「うん。一緒にお祭り行こうな」


「わーい!!」


「おまつり!!」


 家族と一緒にお祭りを楽しむ。こういう機会が尾張だと増えつつある。みんなウチの風習だと思ってくれたようで、お祭りの時は一緒にいる時間を作れるように考えてくれるんだ。


 無論、織田家の皆さんと合流して宴を楽しむけどね。


 何しろ、義統さんと信秀さんの考え方が、もうこの時代とは別物だからね。それも大きい。


 公家や畿内の武士の真似事なんかしなくていい。家中の宴ではそう公言するほどだ。無論、公卿や義輝さんが公式に来る場は向こうに合わせるが、それ以外はほんと自由に好きなようにすることに決めたらしい。


 実は、そんな斯波家と織田家の変化で一番上手く働いているうちのひとりは、信濃元守護である小笠原長時さんだったりする。形のない、勝手気ままな宴やら祭りで、どう振る舞えば無礼にならないか。義統さんや信秀さんの考えをくみ取りつつ、ウチの風習なんかも学んで最低限の礼法として形を作り指南していて評判がいい。


 少し前には、分裂していた三河鵜殿家の本家と分家の和睦を取り持ったらしいし。午後のティータイムのようなリラックス出来る茶席を用意して、参加者を驚かせたなんて話がオレにも伝わっている。


 あの人、最初尾張に来ていた頃には、関わりたくないほど恨みが募って険悪な雰囲気だったんだ。同じ人とは思えないくらいに変わったね。


 衣食足りて礼節を知るなんて言葉もあるように、憎しみや因縁を流すのは穏やかな日々なのかもしれない。


 小笠原さんの変わり様は、オレたちにも希望に見えるほどだ。この先、多くの血が流れて因縁が生まれるかもしれないけど。


 それでも変われるのだと教えてくれたんだから。




Side:尾張在住の公家


 今川殿が織田に臣従して二年が過ぎた。


 戦にするのかと案じておったが、雪斎禅師が己の病を隠してまで争うことなく収めた。未だ駿河では不満もあると漏れ伝わるが、これがいかに難しきことか理解出来ぬことに、ただただ呆れるしかない。


 この国は、京の都におる堂上家とうしょうけの方々や寺社の本山が慌てるほどぞ。無論、今川とて強き国だ。されど、軽々に争うてよい相手ではないわ。


「花を見て宴とは、よき風情じゃの」


「ああ、市井しせいの民までも風情を楽しむ。京の都とてなきこと」


 観桜会と言うたか。古より公家は梅の花を見て楽しむこともあったが、驚くべきはこの国では上から下まで皆が楽しむことか。


 一度や二度訪れたからと、この国を理解したつもりでおると痛い目を見る。皆、武衛殿や弾正殿、内匠頭殿ばかり見るが、民が違うのだ。尾張という国はな。


「都か。貧しき都とならねばよいがの」


 ひとりの公家の言葉に、共におる者らもいかんとも言えぬ顔をした。堂上家とて、己の利と荘園のことしか考えぬような有様だ。寺社も武士も公卿も、皆が京の都に集まる利を奪い合う。今思えば、あの地も地獄のように思えるわ。


 都に残る公家など恥も忘れたのか、師走になると屋敷に火を付けると町衆を脅して銭をせしめておると聞く。あのような者らと同じ公家だとは恥ずかしゅうてならぬわ。


 先年に御幸された院とて、望んで御還御されたわけではない。


 武衛殿も弾正殿も、左様な都に関わるのを心底望んでおらぬ。かつて、大和の国から朝廷が遷都したと伝え聞く。その後の大和を見ておると、今でも興福寺が我が物としておるくらいだ。あそこは武士すら大人しいと思えるほど、かつては傍若無人な振る舞いがあったほど。


 日ノ本の頂は京の都であっても、もっとも栄えるのは尾張になる。左様なことになれば、京の都はいかがなるのであろうかのぉ。


 まあ、吾には関わりのないことだが。


「お公家様! おひとついかがでございますか?」


 町を歩くと民に声を掛けられる。中には学校にて指南してやった者もおる。かような者らの楽しげな顔にこの国に来てよかったと思う。


 駿河では役に立たぬことを教えて贅沢をすると陰口もあったが、この国は久遠の知恵を学んでおるせいか、知恵の価値を知っておる。特に幼子らの勤勉さにはこちらが戸惑うほどだ。


 この国が吾らに求めるものはひとつ。働くこと。公卿であろうと坊主であろうと、血筋と権威があればよいと後生大事にされることはない。それが不満な者もおるがな。吾はむしろ楽になった。


「ひとつ頂こうかの」


「ありがとうございます!」


 おお、美味いの。熱いままで食うものはなんと美味いものか。


 己で得た銭だ。誰憚ることなく使える。治部大輔殿には世話になっておったうえ、良くしてもろうた。されど、顔色を窺うことをしておったのも事実だからな。


 争うておる織田の品が欲しいなど言えなんだ。ところがこの国では己で働いた分だけ禄を頂いておる。おかげで必要以上に気を使わずに済むようになった。


「市井の民が甘い菓子を売るか。都になど戻りとうないの」


「まったくだ」


 熱田焼きか。薄く焼いた麦の粉に味噌などを塗る料理。今吾らが食うた品は、甘いたれを塗ったものであった。


 楽しげな民と桜を見るのも悪うない。


 吾はこの地に骨を埋めることにしよう。そう思えるほどの地よ。




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