第1630話・山を越えて

Side:浅井久政


「恐ろしい国よ」


「ああ、まったくだ。政を変えることで国を強く大きくするとは……」


 尾張の地で織田の政を学ぶ日々。六角家の者らは戸惑いつつなんとか学んでおる。若い者が恐ろしいと漏らしたが、その一言に尽きような。


 今の世で生きてゆくには強くなければならぬ。それは織田も変わらぬというのに、織田は戦ではなく政で強くなる道を選んだ。久遠の知恵だと織田の者は言うが、それを理解して受け入れ自ら従う尾張者もまた我らとは違うと思い知らされる。


 もっとも織田とすると新参者が学びに来ることはようあることで、我らのこともかの者らと同じようで慣れておる様子だがな。


「お初にお目にかかります。久遠一馬の妻、シンディと申します」


「浅井下野守久政でございまする。本日はお招きいただきありがとうございまする」


 役目の合間に久遠家の奥方に茶に招かれた。同席しておる者の顔が強張るのが分かる。


「お久しぶりでございます。兄上」


 それは新九郎殿と共におる妹だ。わしがなんと言うか恐れるような素振りに見える。


 もとよりあまり仲のいい兄妹ではないからな。顔を合わせることすらあまりない暮らしをしておったのだ。


「嫡男を産み、斎藤家の女としてようやっておるようだな。亡き父上も喜ばれよう。かような世だ。過ぎたることをあれこれと言うつもりはない。そなたも過ぎたことは忘れよ」


 これで六角の御屋形様も新九郎殿も安堵するだろう。騒いだところで、わしにも浅井の家にも利はない。京極家も土岐家も家督継承の争いから守護の座を失った。弟の京極長門守殿は織田で重用されておるようだが、わしとて他人事ではないからな。


 意地や面目も引き際を見極めねばならぬ。


「兄上……、いろいろと申し訳ございません」


「もうよいと言うのに。過ぎたことをいつまでも言うては、わしもそなたも器量が疑われるだけぞ。因縁などならぬ。これからは縁戚としてよしなに頼む」


 なにが正しきことかなど分からぬ。されど、こうして生きて先があるということは悪いことではない。


 ふと、出された紅茶なる茶を飲む。ああ、なんともよい味だ。風味もよく、嫌味な癖もない。


「よい茶でございますな」


「茶もまた知恵により味が変わるものでございますわ。これも実は茶の湯と同じ茶葉ですので。淹れ方でもまた味が変わる。良ければ下野守殿の好みの味を探されるとよいと思いますわ」


 ああ、内匠頭殿の奥方は噂以上か。こちらの考えを察して話を変えてくれたわ。


「知恵の使いどころは戦や政のみならずということでございますか。斎藤家が戦をせずに降ったのもよう分かる」


「恐れ入りまする。ですが、実はわしは戦をすべきだと思うておりました。ただ、父上は戦をしても先はないと見切りを付けておりましたな」


 話の流れで新九郎殿から斎藤家が織田に降った話を聞くが、こちらは我が身の如く理解するわ。かような隣国の相手などしとうない。意地を張って戦をしても先がない以上は、降るべく動くしかないのだ。


「家を残さねばならぬ。それが第一よ。わしなどつまらぬ意地で引き時を逸した。滝川八郎殿がおらねば、今頃、浅井の家はいかがなっておったのか」


 斎藤家は遅かれ早かれ織田に降ったのであろう。あの時に戦とならずとも、北近江はいずれ美濃とは戦になったはずだ。ここ数年の織田の戦を聞き及ぶ限り、生きて家を存続させることが出来ただけでも運が良かったと思うわ。


 なにはともあれ安堵する。これで斎藤家との面倒事が終わった。




Side:久遠一馬


 四月も残り僅かだ。麦の収穫と遅植えの田植えが行われている。


 かおりさんが産んだ子は武昌丸たけまさまるという名前にした。由来は昌という字が『さかん』という意味や『さかえる』という意味があるということ。日を重ねることで縁起もいい。かおりさんも武昌丸もこれからだから、人生を楽しんでほしい。そんな願いがある。


 武護丸も武昌丸も共に元気で、家中のみんなホッとしている。


 同じころに子供を産んだお清ちゃんとかおりさんだけど、かおりさんの場合は精が付く食べ物とか体にいいというお祝いの品が多い。それだけ心配されていたみたいだね。


「甲斐はようやくか」


 穴山が武田の条件で臣従すると使者が来た。細々とした国人や寺社の判断は別になるけど、これで甲斐は統一されると思う。


 小山田共々、今は勢力圏の取りまとめをしている。織田家だと従わない者は捨て置けと言われて終わりだけど、この時代の価値観だと勢力圏としているところはまとめて当然という感じだからな。


 実のところ格差の問題はあまり変わらない。次の隣接する他国に格差の問題が移るだけだ。もっとも北条は友好関係があるので、相応に努力をしている。格差からなりゆきで戦にはならないだろう。今のところは。


「難しき地でございますからなぁ」


 太田さんがなんとも言えない顔をしている。冷害や日照りや水害。この時代では元の世界と比較にならないほど穀物の収穫が安定しないのがネックだけど、甲斐は平時でも飢えたりするからな。


 尾張を中心に織田領で作っている南蛮米は天候や病害虫に強い品種なので、他よりは安定するけど。それでも甲斐のように飢える地域を支えるのは計画性を持って食糧管理する必要がある。


 これ、ほんと難しい。今も事実上ウチが差配していることのひとつだ。


「戦にならなくて良かったよ。信濃も志願する人が多いようだったし、駿河や遠江も戦となったら志願する人が出ただろう」


 とりあえず戦にならなくてホッとした。甲斐を恨んでいるのは信濃ばかりではない。少し前まで今川と戦続きだったことから、甲斐攻めとなるなら恨みを晴らしたいくらいに恨む人は駿河や遠江にもいるんだ。


 穴山と小山田。さすがは史実で武田を支えた家だと思う。ある意味、最悪の事態は回避してくれた。憎しみを忘れろなんて言わないけど、憎しみで戦をするのはなるべく止めてほしい。


 あと尾張にまだ報告が届いていないけど、奥羽も食料生産からして足りていない。あっちは稗の作付けを増やすしかないそうだ。農業改革以前に領民に新しい統治を理解させるだけで数年は掛かるからなぁ。


 やはり畿内と大陸に近い西日本と違い、東日本は潜在的な可能性はあるものの現時点では厳しいね。


 東日本といえば北条だが、こちらは伊豆の一部の場所で織田農園ことプランテーションをすることで合意している。織田の力と影響力を理解しているようで大きな反発はないようだ。もっともあまりに違う体制や分国法に戸惑っているのは同じだけど。


 伊豆はまあ、伊豆諸島神津島の開発が一番衝撃だったようだね。島流しにするような離島が栄えた島に変わったことから、かなりの騒ぎとなったようだ。


 関東諸将とは相変わらず関係が微妙というか、北条に頭を下げるのは嫌だというのが坂東武者の現状らしい。斯波と織田としても、文のやり取りなど多少の交流があるところはあるけど、そこまで親しい付き合いをする相手もいないしね。


 北条としては、北畠と六角のほうが親しくなりつつあるくらいだ。


 甲斐が落ち着いたら領内と友好関係のある近江・伊勢・伊豆を安定させないと。地味な難題が続くなぁ。


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