第1621話・蒲生と滝川

Side:滝川資清


 赤子が生まれて数日。織田の政を学ぶために尾張に滞在しておる蒲生殿が祝いに来てくだされた。


「おめでとうございまする」


「わざわざありがとうございます。いかがですか? いろいろと大変でしょう」


 殿と共に応対するが、少しばかり時の流れを感じてしまう。旧主とお会いしたことは幾度かあり、慣れたといえば驕っておると思われるやもしれぬが、それなりに今を受け止めておる。


 されど、六角から蒲生家の嫡男が尾張に学びにくるほど、近江と尾張が変わるとはな。


「皆、驚いておりますな。米の取れ高にしても税の取り方にしても、誰もが詳細に考えたことのないことにて」


「各々で立場や考え方が違いますからね。ウチも最初は苦労をしました。大殿や若殿がご理解くださり、それに八郎殿が力を尽くしてくれたので今があります」


「父が嘆いておりました。六角には仏がおらぬからと。それに八郎殿の働きから学び、六角のため蒲生のためと励んでおりまするが、なかなか……」


 殿のお人柄であろうか。他家の蒲生殿が内情をこれほど明かすとはな。それをせねば先に進めぬと理解はしても難しいものだ。己の恥を晒すくらいならば死したほうがいいと豪語する者が尾張にもおるのだ。


「八郎殿、どう思う?」


「噓偽りなく世辞でもなく、ようやっておられると思いまする。我らも知られておらぬ苦労や失態は、数多うございました。先を往く者には先を往く者の苦労があり、後を追う者は追う者の苦労がございます。『失態や過ちは罪や恥ではなく次の糧とするべし』とは御家の教えでございますが、まさにそれを積み重ねるしかないのかと」


「そうだよね。近江は甲賀で成果が出ているから。もう少しだと思います」


 物事の捉え方も考え方も違う。そもそも殿はあまり恥ということに重きを置かぬ。人は間違い、過ちを犯すものだとお考えのようにお見受けする。心の内では、ご自身を今もあの本領のまとめ役としての立場以上だとは思うておるまい。


「八郎殿が紡いだ縁。我らはそれの上にある。決して無駄には出来ませぬ」


 あえて異を唱えることはせぬが、少し力が入り過ぎだ。致し方ないのであろうな。そもそも、わしは甲賀を捨てたのだ。縁を紡いだのというのは言い過ぎだ。良く言うたとしても、捨てた故郷との縁が残っておっただけであろう。


「ご懸念には及びませんよ。今のままで十分進んでおりますから」


 近江が変わるのが遅いのも事実だ。されど、厄介な地でもある。殿の仰せになる通りであろう。騒動や戦にならず進めておるだけでも十分だ。


 東と違い、西はもとより殿とお方様がたですら関わりを避けられてきた。誰が動こうとも苦労に見合わぬ辛き思いをすことがと分かっておるからだ。


 しかし、わしも未熟な小物よな。蒲生殿の様子を見て、少しだけ安堵しておる己がいる。右も左も分からぬまま変われと言われる国人や土豪であったならば、今頃いかほど苦労をしておるかと思ってしまったのだ。


 倅や娘に孫らと共に、御家に守られておる幸せとありがたみを改めて感謝せねばならぬな。




Side:久遠一馬


 蒲生さんが帰ったところで、資清さんから六角使節団の皆さんの様子を聞く。


 尾張を筆頭に美濃・三河・伊勢などでは、米の収量でさえ以前の五割増しから二倍ほどに上がっているんだ。驚くなというほうが無理だろう。加えて麦、蕎麦、大豆、粟、稗なども軒並み生産量は上がっているからね。さらに芋なんかもある。


 物価統制とか流通改革にピンとこない人も、農林水産業の数値を示すと驚くんだ。


 よく知らない人だと、ウチの商いとかでお金があるから織田は強いと考えている人も多いけど、農業改革とかは領民も武士もみんなで頑張った成果だ。それを誇れるだけ変わったということだろう。


 彼らには旧来の体制との違いを細かく教える手筈になっている。メリットデメリット、どちらもあるけどね。総合的にはメリットが大きいことは証明済みだ。


 それと南伊勢も変わりつつある。宇治・山田を北畠で統治することになったことで、大湊・宇治・山田と三つの町が力を合わせて考えることが出来る。伊勢神宮のブランドと地の利もある。あそこは上手く治めると大きな発展が見込めるんだよね。


 すでに非公式ではあるものの、織田とウチの助言がかなり入っている。北畠と六角に助言する目的もあって伊勢亀山には春たちが滞在している。


 畿内のように、古くから日ノ本の中心として京の都を筆頭に発展している地域と違い、尾張や伊勢はまだまだ発展途上だ。街道港湾整備・治水・町割りの見直し。やることはいくらでもある。


 おかげで具教さんは、以前のように気軽に遊びに来られないくらい忙しいらしい。


「殿、甲斐でございまするが……。穴山殿に対する不満が一帯の領地に多いようでございます」


 さて、情勢が微妙な甲斐の知らせは毎日のように届く。


「武田家から離反したことで不満が穴山殿に集まるか。なんと言うかね」


 やはり既存の体制の問題点が顕著なのが甲斐だろうね。責任と不満を全部上に押し付けて自分の利権だけを守る。


 何事にもメリットデメリットがある。既存の体制もある意味、国人領主の連合体という形で、独裁などのようにトップが好き勝手出来ないというメリットもあるけど。


 まあ、上手くいかなくなると、どんな体制もデメリットが目立つようになるんだよね。これはこの時代に限らない。


「武田殿次第だよね。今のところはさ」


 これが織田に対する行動ならば、すでに動いているけど。穴山や小山田という独立勢力の内輪の問題だ。


 駿河と遠江は遠江で反乱があって鎮圧したから大人しいし、信濃も散々ごたごたしたからね。甲斐は武田が無条件で臣従したことで、反発する勢力を切り捨てたから、その後始末が終わっていないだけだ。


 しかし織田家も強くなったよね。小山田と穴山という甲斐の二大勢力の混乱に対して、周囲への影響がほぼないからと放置出来るんだから。


 甲斐でも旧武田領は、風土病対策である移住と賦役で変わり始めているし。とりあえず費用対効果のいい賦役に人を集めていくのが一番いい。なによりそれが領民の意識を一番変えてくれるんだよね。


 作物転換は中期という少し長い目で見た政策だから、短期で効果があって誰の目から見ても成果が出る賦役が今年はメインだ。


 人を変えるというのは難しいからね。時には思いもしない方向に変わるし。





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