第1424話・厳しき条件

Side:諏訪神社の使者


 尾張者は冷たい。遥々信濃から来たというのに、厄介者のように扱われる。わしは諏訪神社の使者というのに。武田よりも粗末な扱いを受けるとは思わなんだ。


「もうよい」


 なんとか織田内匠頭様に目通りを許され、弁明をしておったのだが、内匠頭様が突如そう告げると、周囲の者の顔色が変わったのが分かる。


「諏訪神社ほどの者となれば織田など軽んじて当然であろう。致し方ないことだ。弁済をするのであろう? ならばよい。あとは不戦の誓紙を交わせばよかろう」


 まさかのお言葉であった。こちらの弁明を一切信じていただけぬということか!? まるで憐れみのような顔でそう告げられるも、恐ろしさから体が震えてくる。


 信じぬ上に要らぬというのか。諏訪神社を!!


「お待ちくだされ、我らは臣従を願い出ておりまする。何卒なにとぞご再考を伏してお願い申し上げまする」


 改めて嘆願するわしに内匠頭様は僅かにご不快そうな顔をされる。


「はっきり言わねば分からぬか? 周囲に迷惑をかける者など要らぬ。されど他ならぬ諏訪故、大事おおごとにはしたくない。今までと同じで良いではないか」


 いかにすればいい? 今までと同じ? やっていけるわけがない。民が織田方に逃げ出したのは今に始まったことではない。食えると噂になり冬の頃から逃げ出しておったのだ。


 そもそも今まで織田と隣接する者らは、ことごとく同じことになっておる。


 双方に年貢を納めることを織田は認めぬ。従う者には施しを与え、あらゆる品を安く売るように手配する。されど従わぬ者には一切の慈悲もない。当然と言えば当然であろう。


 されど諏訪とてこのままでは同じ末路となる。あの武田と今川が戦わずして降る相手に勝てるわけがない。


「いかなる条件でも構いませぬ。何卒、何卒、ご慈悲を!!」


「ふむ。なれば、まずは先の不始末を片付けてからだな。払いは一度でなくてもよい。その意思と確かな道筋を立てたならば、臣従の話を再開するとしようか」


 はあ……はあ……はあ……。なんとか踏みとどまった。一向宗本證寺や真宗無量寿院の二の舞いだけは避けられた。


「ああ、あらかじめ言うておくか。武田や高遠を許せぬと言うならば臣従は認めぬ。恨むのも理解はする。されど武田はそちらより先に臣従を願い出て許した。そもそも武田は臣従の際に一切の条件がなかった。さすがにそれでは断れぬ。わしは諏訪の心情よりも家臣を守らねばならぬのだ」


 それは……。


「あと此度の騒動に加担した分家を諏訪宗家として認めることも出来ぬ。神社は別な神職家として、兵を抱えることも守護使不入も許さぬ。家を分けて神事に専念してもらう。諏訪宗家は……、そうだな。小笠原家の家臣にでもなってもらうか。元守護なのだ。面倒を見てもらえ。宗家の家督は先代の姫が生んだ子がおろう。その者でよいのかもしれぬ。諏訪の娘を正室として迎えればよい。その上ですべての因縁を水に流す。これが条件として譲れぬものと知れ。嫌なら勝手にしろ。不戦の誓紙なら交わしてやる」


 あまりだ。あまりに理不尽だ。卑怯者という武田の噂をご存じないのか? 同盟を確かな理由もなく破り、先代の殿を助命を条件に降しておきながら殺した武田の肩を持つのか?


 仏との異名は偽りであったのか?


 かような条件を持って帰るしかないのか?


 おのれぇ。あの愚か者どものせいだ! 高遠を攻めるのはいいとして、何故、織田を怒らせるようなことをしたのだ!!




Side:斯波義信


「厳しき条件とあいなったものよ」


 内匠頭と目通りをした諏訪の使者が慌てて帰ったようだ。思いの外、厳しき条件を付けたと知り驚いてしまう。


「武士としての諏訪家を捨てるなら、神社は相応の待遇で迎えてもいいと思いますけどね。そっちも残すならお優しいと思いますよ」


 わしにはそれがいいのか悪いのかさえ分からぬ。一馬と尾張介がおったので直に聞くが、一馬はむしろ優しいと思うのか。


「御不満でございますか?」


「いや、左様なことはない。本音を言えば、いずれでも構わぬとは思う。されどまた寺社と争うのかと気になっての」


 尾張介の言葉にわしは首を横に振る。信濃の寺社がいかになろうとも気にならぬ。ただ、思いの外、由緒あるところだと聞いたのでな。少し案じてしまうのだ。


「こちらが高遠を守ることも攻めることもないと知って甘くみたのですわ。飢えて不満を抱える領民の怒りの鉾先も必要だった上、因縁の武田に報復出来ぬ不満もあったのでしょう。それらを高遠領に向けた。さらに己らの力をかさ増してみせることで、織田に臣従する場合でも軽んじられないようにと考えたというところだと思いますわ」


 茶を出した桔梗殿が、わしの理解が及んでおらぬことを詳しく教えてくれた。相も変わらず一馬の妻らは気が利くの。


「そうでしょうね。諏訪神社は騒動そのものを止めていたらしいです。実は寺社領内が飢えて一揆など起きたら困ると泣きつかれて、米や雑穀や塩を周辺の相場より安く売っていたのですけど。こちらの配慮をこんな形で潰されましたからね」


 一馬いわく諏訪神社に泣きつかれておったそうだ。領外への持ち出しを禁じた結果、諏訪神社が危ういとな。


 とすると仕方のないことか。


「然れど寺社というのは厄介なものだな。神仏と坊主や神職は別物か。よう言うたものだ」


 尾張ではすっかり根付いた考え方だ。もっとも、父上いわく誰もが薄々気づいておっても口に出せなんだことだそうだ。神仏がこの現世で罰を与えることはないのではないかとも言うておられたがな。


「神仏と同じような存在は日ノ本の外にも多いのですよ。教えがその地により違うなんて当然です。いずれを信じればよいのやら」


 一馬がそう語ると桔梗殿が少し困ったように笑みを浮かべた。あまり言うてほしくないことなのであろうな。坊主や神職が聞けば怒りそうなことを。


「諏訪は蜂起するか?」


「しないでしょうね。そんな力はありませんよ。下手に動いて織田領に殊更ことさら損害が出ると、今度こそ許せなくなります。北信濃には村上などこちらに臣従をしていない者もおりますが、村上は斯波の御家と血縁があるので動かないでしょう。味方になる者がおりません。寺社であっても」


 茶菓子が美味いの。桜もちとはいい名を付けたものよ。ほんのり塩味がする桜の葉がなんとも言えぬ味わいで甘い餅に合う。


 ふと思う。そもそも父上と同格の一馬は、本来は上座に座るべきではあるまいか? 真相を知る者しかおらぬというのに。


 それのほうが気になる。もっとも本人に言うと困った顔して否と言うので言わぬが。


「そうじゃの。わしが諏訪の民でも食えるならそちらに従うかもしれぬ。飢えるくらいなら仏の弾正忠を拝むほうが良い気もする」


「若武衛様に祈られると内匠頭様がお困りになられますよ」


 尾張ではいつからか仏の弾正忠に祈りを捧げる者すらおるとか。戯言と以前は笑い話になっておったが、内匠頭とすると笑えぬだけ増えておるのやもしれぬな。


 わしからすると、本来なら一馬が拝まれてもおかしゅうないと思うのだが。この男、そういうことから逃げるのは上手い。見習いたいものだな。


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