第1413話・交錯する織田と今川

Side:岡部親綱


 遠江では織田が兵を挙げたと噂が広がり、謀叛人ばかりか味方ですら動揺しておるわ。三河でも伊勢でも負け知らず。三河では金色砲を並べられて、一槍も交えられずに敗走したことは周知の事実。


 頃合いを見計らい、和睦をと言うてくることを待っておる者が多いのだがな。かつて斯波から今川に寝返った者らは戦々恐々としておるであろうが。


「後詰めかたじけない。さっそくだが、これからいかがするか決めねばなりませぬ」


 敵としてではなく、かような形で織田と戦場で会うとはな。双方ともに疑心があるのが分かるわ。こちらから疑心を取り除き、立場をはっきりさせねばならぬ。


「異論はない。こちらは手伝い戦故、今川殿の存念を聞かねばなにも出来ぬ」


 此度は御屋形様も出陣なされ、今動かせる兵を総動員した。織田に降るという事実がなくばとても無理なことであろう。


 そんな我らを前に織田の将は臆することなく堂々としておる。


「織田としては遠江国人衆をいかがするおつもりか?」


「いかがもなにも、それは今川家中で決めることであろう。我らから臣従を請うことなどせぬ。また斯波家から寝返った者らを安易に許すことも出来ぬからな。守護様は昔のことを責めるお方ではないが、かと言うて許すとも仰せになれぬお立場だ。今川家で面倒を見るならば、あえて罰を与えることはせぬとは思うがな」


 御屋形様は口を開かれぬ故、わしが問うたが。遠江衆の顔色が落胆に変わる。


 遠江を取り返すことこそ斯波家の悲願。今川が落ち目となり織田に降る今こそ、斯波家に帰参したいと願う者はおるのだ。三河介殿はそんな遠江衆を要らぬと突き放したか。


 かつてを超える領地と地位がある。そもそも遠江は先代の頃のことだ。今なら許しを得られるのではという安易な考えが遠江衆にはあったのだ。己らがおらねば斯波と織田とて遠江を治められぬ。そう語る者もおるとか。


 もっとも雪斎和尚に言わせると、国人衆などおらずとも織田は困らぬと。むしろおらぬほうが新しい政をするのに都合が良いのではと言うておったがな。


「わしはすでに内匠頭様に臣従を願い出た身。三河介殿のめいに従う。なんなりと命じてくだされ」


 ようやく口を開かれた御屋形様の言葉に、我ら今川方ばかりか織田方も驚きの顔を隠せぬ様子だ。そもそも御屋形様はすでに上座にはおられぬ。初めから上座を空けて待っておられたのだ。


 わしはこうなると分かっておったが、さすがに臣従をする前からこれほど下手に出るとは思わなんだのであろう。かつての御屋形様からは考えられぬからな。


「あい分かった。ならば、まず降伏を促す使者を出そう。織田では所領を与えておらぬ故、所領の安堵はせぬが、いかなる扱いになろうとも食うてゆけるくらいの暮らしは保証しよう。ただし降伏を促すのは一度だけだ」


 おかしなものだ。織田方も決して喜んでおらぬ。因縁の相手を降して、さぞ気分が良いはずであろうに。


「もたもたしておると父上と久遠殿が来てしまうからな。父上も久遠殿も慈悲深い。されど道理を重んじぬ者には厳しいのだ。御幸もある。それまでに片付けねばならぬ」


 その一言がすべてだった。軍議に居並ぶ諸将の顔つきが変わる。近頃で両者が揃って出陣した戦はない。だが、御幸があるとなればまことに来てもおかしゅうないのだ。


 海からは黒船の船団が到着しており、次々と荷揚げをしておる。噂の金色砲と思しきものがあると知らせを受けて、皆が恐れおののいておるのだ。


 朝比奈殿はここまで共に来たが、織田の兵は道中で勝手をする者もおらず、同道した今川衆が驚き戸惑うておったほどだとか。


 御屋形様はそれを聞いて、自ら三河介殿に頭を下げる道を選んだのだ。最後の武功の場を捨ててまでな。


 すでに守護大名としての今川家は終わっておるのだ。




Side:斯波義統


「まさか遠江をかような形で取り戻すことになろうとはの」


 庭の草木が芽吹き、ようやく暖かくなってきた。三河介が遠江に出陣したものの、すでに織田としては御幸の支度で忙しく、遠江は片手間で片付けると言うても過言ではあるまい。


 少し暇が出来たことで、久方ぶりに内匠頭と一馬と三人のみで茶をする。


「意地を張る者は多くありますまい。籠城されるところにより面倒でございまするが、民を従えてしまえばあとは城に籠る賊と変わりませぬ」


 茶を一口飲んだ内匠頭の言葉に思わず苦笑いが出そうになる。遠江はすでに三河介の武功の場くらいの価値しかないのではあるまいか?


「守護様も出陣したかったのでございますか?」


「出ねば勝てぬ戦ならば、出よう。されど、望んではおらぬ」


 一馬は相も変わらず本音で問うてくる。戦か…。昔はそう思うたこともあった。されど内匠頭や一馬を見ておると、戦など覚えたところでわしでは役に立たぬと理解したわ。


 それに御幸を前にわしや倅が軍勢を動かすのは難しい。一馬とてそれは理解しておること。


「そういえば此度は奥方が出なかったの。何故じゃ?」


「必要ありませんし、今川方の心情を逆撫でる事になりますからね。三河介殿にお任せして、当家の太郎左衛門殿に働きの場を与えてもらえば十分ですから。それと、私たちがいなくても変わらずやれるようにする。それが理想です」


 やはり一馬は己のおらぬ先を見ておるか。


 共におることが増えれば増えるほど、一馬の心情がよう分かる。自ら天下など頼まれても嫌だとすら思うのは同じであろう。斯波の家を残しさえすればわしはそれでいい。


「ならばこの流れに、宗滴はいかがしておる?」


「孤児院の子供たちと畑を耕して学問や武芸を教えていますね。たいしたお方ですよ。この状況で動かないという道を選べるのは」


 今川が降る。それは朝倉が一番望まぬことであったはずだ。あの男、宗滴なら朝倉家が今後いかに苦しい立場になるか分かるようなものじゃがの。


「宗滴が動けば変われるのではあるまいか?」


「どうでしょうね? あと五年若ければあるいは……」


 なまじ織田と争うておらぬ朝倉では降るのは難しいか。恨んだこともあるが、近頃はいささめた思いをすることが増えた。特に宗滴が人としても武士としても優れた男と知ってからはな。


「統一するのは構わぬ。されど因縁が家の存亡に関わることは多少なりとも変えたいの。いい加減、嫌になるわ」


 天下は望まぬ。されど、些細な因縁が世を揺るがし大乱となる。かような世の中は変えたいと思うようになった。


「そうですね。そこは私も懸念しております。今川と武田と小笠原の婚姻はいい策かと思います。あそこはそうでもしないと末代まで騒ぎますよ。ウチは婚姻による政はお断りしますけど」


 一馬も変わったの。かつては婚姻など要らぬ政をと言うておった男が。理想は今も変わらぬようじゃが、必要とあらば妥協もする。そこが恐ろしくもあるの。


 人の上に立つ者として、こやつも変わっておるのだ。


 頼もしい限りじゃ。





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