第1399話・春を前に

Side:ヒルザ


「何卒よろしくお願い申し上げまする」


 ため息しか出ない。ウルザが忙しいから商人の取りまとめをしているけど、次から次へと抜け荷の減刑嘆願にくる人に頭が痛くなるわ。


 本当は私、医師なんだけど。ここだと危なくて往診も行けないのよね。私が動くと警備兵と武官が百人以上ついてくることになる。佐々殿からはなるべく遠くには行かないでほしいと頼まれてもいる。


 ただ、代わりにやっているこれって一番厄介な仕事なのよねぇ。


「下がれ。織田の命に逆らい、民への施しを掠め取った者を許すことなど出来ぬ!」


 私が首を横に振ると、同席している武官が嘆願に訪れた坊主に直截ちょくさいな返答をした。馴染の商人が抜け荷の罪で牢にいるようで、慌てて嘆願に来たようね。


 嘆願に来るのは商人もいれば坊主もいる。多いのはやはり坊主かしらね。武士よりも上の立場だと思っているせいで、聞き届けてくれると勘違いしている。織田の地では坊主よりも分国法を優先させると告げるとムッとする。


「いいえ、下がりませぬ。我らは織田様と争うつもりなどありませぬ。にもかかわらず守護使不入も無視し、突然米や雑穀を売るなというのはいささか乱暴ではありませぬか? さらに我らには我らの営みがあり、商人らも苦労をしておるのでございます。それを突然捕らえるなど乱暴というもの」


 下がれと言ったのに下がらないとはね。目の前の坊主は諏訪神社系列の寺の者らしいけど、寺の住職でもない微妙な立場らしいのよね。


 年の頃は五十前くらいかしらね。どういうつもりか分からないけど、話の鉾先を変えてきた。お説教のつもりのようね。


「嫌なら無視して構わないわよ。織田と絶縁して勝手にするといい。なんなら、今ここで絶縁を言い渡しましょうか?」


「こちらの願いは一切聞き届け頂けぬということでございますか?」


「しつこいわね。そもそも話がしたいなら貴方の寺の住職を連れてきなさい。無礼な振る舞いをこれ以上続けるなら許さないわよ。私これでも織田一族の端くれなの。貴方だと身分が違うのよ」


 坊主の顔色が変わった。さすがに織田一族が出てくると相手が悪いと気付いたようね。


「明けの方様、捕らえまするか?」


「捕らえなくてもいいわ。あの者の寺の住職に使者を出して。返答次第では絶縁になると言えば謝罪に来るわよ」


 結局、坊主は武官が睨むと帰っていった。女だと思って少し舐めていたわね。いちいち自己紹介もしていないしね。最初はなんで女が出てくるんだと怪訝そうな顔をしていた。


 私の肌は地黒だから分かりそうなものなんだけど。一応、御簾の中にいるから気づかない可能性もあるのよね。身分があるから出ないように言われている。


「恐らく寺でも勝手をしておる者なのでしょう。元はいずこかの武士の家の生まれか。いずこにでもおるものでございまするなぁ」


 同じく控えている文官が面倒そうな顔で愚痴とも取れることを口にしたわ。


 ウルザが出した食料品の売買禁止や領外への食料の持ち出し禁止に、一部の寺社は反発したのよね。寺社は助け合っているのだから口を出すなと。まあ、こちらが本気だと理解したらすぐに謝罪の使者が来たけど。


 坊主も千差万別。頭を下げるという体裁を取りつつ脅しにも似たことを口にする者もいれば、余所者がなにを勝手なことをしているのだと不満を露わとしている者もいる。


 無論、そんな人たちは少数派だけどね。


「罪人ばかり増えるわねぇ」


 食料品の抜け荷は今も後を絶たない。領民や坊主が米俵を背負って冬の山越えをしてまで売りに行くからだ。


 せっかく村にまで運んで一家ごとに人数を確認して配った食料も、村で回収して有力者が独り占めしているところもあって、酷いところは村の有力者を捕らえている。


 借財があっただの、これがここの掟だの、言い訳はいろいろある。無論、それぞれの事情があるのは理解する。でも飢えさせるなという織田の意思を無下にするのは許せない。


 ただこの問題の難しいところは、あまりやりすぎると惣村という体制が崩壊してしまうことだろう。


 坊主に関しては、以前は堂々と寺の米だからと街道を通って売りに行っていたが、今は街道をすべて通さないので領民と同じく山越えをしているとの報告があった。


 ほんと、武士の中抜きなんて可愛いものなのよね。力関係をはっきりさせているんで、そこまでおかしなことをする人がほとんどいない。


 領民や寺社の動きが、長いこと争いで荒んだ国なんだって改めて思うわ。


「諏訪神社はこちらと争う気はないっていうのに」


 この辺で一番大きな寺社は諏訪神社になる。あそこ諏訪一族と庶流の高遠家を巻き込んで泥沼の争いをしているのよね。ただ、寺社そのものはこちらに逆らう意思はないようで従うと使者が早々に来ている。


 武士も寺社も同じ。下に行けば行くほど統制が取れていない。ただそれだけなのよね。




Side:久遠一馬


 晴具さんが学校に行くと聞いて、講師かと思って喜んだら教わる側だとは。


 まあ、いいんだけどね。北畠家のほうを具教さんにほぼ完全に譲った形のようで、楽隠居みたいな様子らしい。


 おかげで具教さんが尾張に来る回数が減っている。


「守護としての役目もこなせておらぬのだ、ならば如何いかがなるか。覚えのある身としてはな。家中とて勝手をしておろう。分かっておったことよな」


 今日は清洲城で信濃の報告をしている。伝書鳩と早馬でウルザから義統さんと信秀さんの名前で命令を出したという連絡が届いた。


 前もって許可は得ているけど、なるべく早く報告がいる案件だ。


 ただ、義統さんはやっぱりと言いたげな顔で呆れていても哀しげだ。まあ、武士も下っ端なんてそんなものだよなぁ。自分の領地は好きにしていいというのが彼らの常識だし。


「小笠原殿もご苦労をされておられるようですけどね」


 下手すると土豪や寺社と戦になるんだよね。念のため追加の派兵を検討もしている。そんなに大騒動にならないと思うけど。ほんと念のために。


「小笠原はウルザの命に従っておるか。ならばいい。あとはいかようにでもしろ。逆らった者を許してはならんぞ」


 信秀さんも小笠原家以外はどうでもいいみたいだね。配慮がいる勢力である諏訪神社とは話が付きそうだと一緒に報告もあったし。


 全体として言えることは、織田が食料の輸送や分配に細かく口を出して監視するのを理解出来ない人が武士・僧・領民問わず多くいる。


 一番たちが悪いのは領民だ。村の中で弱い立場の者には、食料を僅かしか与えないなんて当然だと思っている。まあ、それでも村で食料を保管するならまだいい。ところが高く売れるところに売ろうとするから困る。


 織田のことをちょっとでも知っている人は、表立って逆らうことはしないんだけど。


 坊主はそもそも武士の上に立ちたがるからね。武士が命じると拒否反応を起こす人が相応にいる。


 ウルザも最初は配慮をしたようだけど、ちょっと抜け荷の量が多すぎる。


 同じ新領地だけど、飛騨はまあ大人しいね。細かい争いはあるけど許容範囲内だ。江馬も内ヶ島も逆らわないし。まあ、あっちは火山の影響ある地域は避難させているからね。内ヶ島領なんてほとんど人がいないはず。


 生まれ育った場所から移動させたほうが、領民を管理するだけならばやりやすいのかもしれない。北伊勢もそうだったけど、賦役で織田の政と治世を理解するとそこまでおかしなことをしない。


 とはいえ南信濃を理由もなく空にするわけにもいかないしなぁ。





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