第1395話・蟹江海祭りと信濃の統制

Side:ウルザ


 食料横領の報告書が上がってきたわね。


 小笠原殿には話していないけど、当然ながらこちらでも別に調査をさせている。こういう調査は庇う者や誤魔化す者もいるのよね。特に地元の人に任せると。穏便に済ませたいということもあり得る。


「この値はまことか?」


「はっ、欲に目がくらんだ領内の商人がそそのかしたようでございます」


 ただ小笠原殿の弟であり、ここ鈴岡城の主でもある民部大輔信定殿の報告は正しいものだった。その報告には兄である大膳太夫長時殿を筆頭に小笠原家中の者が驚きどよめくほど。


 少し愚かな男に馴染みの商人が兵糧の横流しを持ち掛けた。男は村の有力者に僅かな銭を送り五割もの食料を己の屋敷に運ばせる。村人には気付いた者がいたが、よくあることと半ばあきらめとわずかでも食料が配られたことでむしろ喜んでいたそうだ。


 原因は、米・塩・雑穀を筆頭に、あらゆる食料が信濃における例年の価格の十倍以上になっていること。酷いところだと更に倍の値で売っている商人もいるそうよ。


 私たちにとっては見慣れた報告だけど、小笠原家にとっては驚天動地の報告のようね。


 食料高騰の理由は武田による信濃領放棄にある。元信濃武田領が酷い状況になっているわ。まとめる者がいなくなったことに、不作と戦続きのせいで食べるものがない。さらに近隣と小競り合いや諏訪家のように家中で争いまでしている始末。


 一番マシなのは信濃望月家かしらね。ウチの支援と小笠原殿の配慮で、すでに織田方に個別に臣従をして、ウチの傘下に入っているわ。おかげで近隣では一番の後ろ盾があり、お家騒動をしている諏訪も望月には手を出せないでいる。


 無論、武士や商人はまったく食べるものがないわけではないけど、それを放出するなんてこの時代だと論外なのよね。武田も消えていつ戦になるか分からない。それに彼らにとっては私たちもまた警戒する相手として、逆に血眼になって買い占めているところすらある。


 まずは横領の背後にいる領内の商人への方針を言い渡す必要があるわね。


「商人と主立った者は厳しい詮議をして磔、財産没収で女と元服前の子供は罪人として尾張に送るわ。幇助ほうじょした村の顔役一族も同様よ。そして勝手に横流しを認めた村の者たちにも罰を与えるわ」


 しんと静まり返ったわ。悪いけど、食料の横流しの罪は重いわ。尾張では貴重な食料を信濃に送ることすら批判があるというのに。許せることじゃない。


 それに信濃では織田領内、領外問わず、あちこちの商人たちがそれぞれに裏で食料価格を上げるべく煽っている形跡がある。これは小笠原家の報告にはないけど、こちらの調査で判明しているわ。


 この機会にそっちも叩く必要がある。


「さらに今後は領外との商いは例外なくすべて禁止。領外の商人も領内を通るだけは認めるけど、領内での商いは禁止。領内において商いをするには織田の許可証がある者にのみ食料以外の商いを許す。それ以外の商いは禁止。今後、抜け荷は関与した者も見逃していた者も例外なく厳罰に処する。こちらに臣従を誓った国人や土豪にも厳命して。あと領内の寺社にも同じ要請をするわ。聞き届けてもらえない場合、以後、織田は縁を切る」


 もともと信濃領では織田に臣従をしていないところとの商いは許可制にしていた。加えて領外との食料の売買は信濃領では禁止にしていたのよ。ところが抜け荷が多い。警備兵で捕まえて処罰しているけど、利益が大きすぎて商人ばかりか寺社や配った村など、あらゆる者があの手この手で抜け荷をしている。


 酷いところだと寺社の坊主が率先してやっているんだからたちが悪い。この際、徹底的にやるべきだわ。


 信濃織田領の商いは一時的に完全統制する。食料品は領内においても商いは禁止するべきね。すくなくとも春までは。


「お待ちを! 寺社にかようなことを言い渡すなどすれば、恐ろしいことに……」


「止めぬか!」


 止めに入ったのは老臣だった。言い分は分かる。だけど民部大輔殿が厳しい口調で止めに入ったことに少し驚く。織田を恐れているようだけど、立場をよく理解しているわね。


危惧きぐはもっともね。責めは私が負うから。ただ、忘れないでちょうだい。織田は寺社と言えど悪行あくぎょうを見過ごす気はないわ。このことは清洲に報告せざるを得ないわ。守護様と大殿の御裁断次第では、織田を謀った者はすべて罰を与えることになる。相手が誰であれ許されると思わないことね」


 顔が青ざめる者が数人いる。まったく知らない者もいるけど、こちらがまだ手を出せない寺社を介しての抜け荷を見て見ぬふりをしている者もいる。全部わかっているのよ。小笠原殿の手前追及はしないけど。


 領内の寺社に関しては総じて織田に逆らう気もないし、こちらが援助した物資を横流しする気もない。ただ寺だって上の人間はそうだというだけ。小坊主が蔵から食料を盗むなんてよくあること。また商人が関所で止められるので、坊主が同門の寺に荷を運ぶと偽り商人の抜け荷を手伝っているところもある。


 寺社だし多少は大目に見ていたけど、少しお灸を据える必要があるわ。


「これは守護様と大殿の名による命になるわ。異議があるなら清洲に掛け合ってちょうだい」


「委細承知致しました」


 守護様と大殿の名を使う許しは得ている。好きにしていいと言われているわ。大殿からはあまり仏と拝まれるようなことにはするなと冗談も言われたけど。


 今までは小笠原殿への配慮もあり私の名前で命令を出していたけど、今回の命令は意味合いが違う。織田ばかりか斯波の名も出すわ。


 出来れば使いたくなかったんだけどね。思った以上に酷い。


「では某は罪人の捕縛に参りまする」


「抵抗するならすべて討ち取ってもいいわ。裏で繋がる者もいるでしょう。手段は問わない。すべてを明らかにして」


「ははっ!」


 佐々殿の顔つきが変わった。戦を前にした武士そのもの。彼もまた尾張とここの空気の違いをよく感じている。


 ほんとこの人のおかげで南信濃が現状で収まっているのよね。私たちの価値観とやり方を思った以上に理解している。おかげで私とヒルザは出ないで済む。


 さて、どこまで信濃が大人しくなるかしらね。




Side:久遠一馬


 一益さんの子供の百日祝いも無事終わり、暦は二月に入っている。


 この時期の恒例行事となりつつあるのは、蟹江海祭りだ。寒い時期なんだけどね。農作業が少ないこの時期だからこそ盛大にやれるというメリットもある。


 三河・伊勢・志摩と織田領となった各地からも水軍衆が集まっている。武芸大会から移した操船競技と水軍と海軍の合同運航もあるからね。


 実のところ恵比寿船が接岸出来るのは、領内だと相変わらずここだけだ。別に水軍と海軍の本拠地に定めたわけじゃないけど、事実上の本拠地となっている。


「さあさあ、みんな声を出してやるネ!」


「はい!」


 港の一角では産休明けのリンメイが、アーシャと教師陣と一緒に学校の子供たちに発破をかけていた。


「どんな感じ?」


「大丈夫よ。みんな、張り切っているわ」


 アーシャに声を掛けると、周囲にいる教師陣も自信ありげな顔をした。


 今回、学校の授業の一環として祭りで屋台をやることになったんだ。これ信長さんのアイデアでアーシャたち教師陣が形にしたものになる。


 この時代の職業は家業を継ぐことが一般的なので、異なる職業のこと知らないんだよね。信長さんがそれでいいのかと考えたみたいで、祭りで屋台でもやらせてみたらいいとなったらしい。


 信長さん自身もウチの屋台を手伝ってくれたことがあるしね。経験させて損はないと思ったんだろう。まあ勝三郎さんの例もある。向かなかった子のケアさえしっかりしていれば問題ない。


 リンメイに関しては、あまり商いと屋台の経験がないアーシャたちの助っ人として呼んだみたい。


「おいしいよ~」


「えびせんべい、やすいよ!」


 隣には孤児院の子供たちの屋台もあった。あえて隣りにしたみたい。屋台運営の勉強になるようにと。孤児院の子供たち慣れているからなぁ。学校に通っている年長さんは、今回も孤児院の屋台をするようだ。


 学校の屋台は授業の一環なんだけど、孤児院の家業とも言える屋台を優先させるように学校で決めたみたい。やること同じだしね。


 孤児院の屋台では先日思いついたえびせんべいを新商品として出すようだ。史実だと知多半島の名産だったんだよね。


 安くて美味しいからと孤児院のみんなで話し合って決めたみたい。頼もしいなぁ。


 一緒に働いてあげたいけど、オレは海祭りの儀式に出ないといけない。海の安全と豊漁を祈る神事があるんだ。


 ここはみんなに任せよう。


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