第1179話・大晦日の午後

Side:とある男


「おらたち騙されたんじゃねえか」


 一緒にこの村にきた男がそう言うた。田んぼも持たぬ小作人の子だったおらたちは、お坊様に田んぼを与えてくださると言われてここまで来たんだ。


「村から出る銭もねえから戻れねえ」


 だけんど知らなんだ。新しい村が家どころか、薪になるようなもののひとつもないところだなんて。


 知らなんだ。お寺様があの織田様と争うているなんて。


 ここに来る途中の関所でも銭を取られた。その上、おらたちを仏の弾正忠様に逆らう愚か者とまで言われた。


「なにをしておるか! さっさと食えるものを集めてこい!!」


 もとはお寺様の末寺だったらしいが、怪しい奴らが寺に住み着いており、おらたちにあれやこれやと偉そうに命じてくる。ひとり奴らの顔を知る者がおって、その男が言うには、奴らは織田様に領地を奪われた土豪だそうだ。


 土豪らは、お寺様と共に織田様に兵を挙げて戦をするんだと息巻いておる。戦をしたければ勝手にすればいいが、何故おらたちが奴らの手足となり働かされねばならねえんだ?


「なんだ、その顔は? この場で首を刎ねてやってもいいのだぞ」


 食えるものなんかねえ。織田様の田畑には植えておる物があるが、盗もうとしたら兵が隠れていて危うく捕まりそうになった。


 草の根や木の皮ならなくもないが、それを持っていくと無礼者と怒鳴られてしまう。


 織田様のご領地では飢えずに働けるという。北伊勢を織田様が治めるようになられて、おらたちの生まれ故郷の村も楽になると思ったのに一向に楽にならなかった。


 お坊様たちは強欲な織田様が悪いのだと口を揃えて言うが、旅の途中で村に立ち寄った職人は顔をしかめて『坊主ほど強欲な者はおらんな』と言うて出ていってしまった。


 ある日、夜が明けると本家の一家が村から消えていた。何事かと皆で探したが、夜に村を出ていったということが分かった。あとで知ったことだが、本家の末の子が安濃津で奉公に出ていて、その子から織田様のご領地の話を聞いて出ていったらしい。


 今にこの村も織田様のご領地のように楽になる。故郷の村ではそんな願いを持って耐え忍んでいたというのに。


 おらたちは織田様のご領地のある北伊勢だから喜んで来たのに。


「へい、すぐに」


 ひとりの男が土豪らに頭を下げて機嫌を取ると、食いものを探しに行こうとおらたちを連れて歩き始めた。


「おらもう嫌だ」


「分かってるさ。だがああでも言わねば殺される。このまま織田様の関所に逃げ込もう。殺されるよりはましだろう」


 新しい村には雨露をしのげるものもない。すでに幾人もの者が朝になったら冷たくなっていた。


「明日は正月だ。どうせ死ぬならせめて生まれ育った村で死にたい」


「分かった分かった。織田様の兵にはおらが話を付けるから黙って見てろ。雨露をしのげて飢えないところで働けるようなんとか頼んでみる」


 おらたちを先導する男は、幼い頃に故郷の先代のお坊様によくしてもらっていたようで、礼儀作法を少し知るんだと教えてくれた。


 この世はいずこに行っても地獄なのかもしれねえ。でも……。


 ここにいるよりはいい。それだけだ。




Side:六角義賢


「上様、ここにおいででございましたか」


「おお、左京大夫。よいところに来たな。ちょうど鍋が出来たところだ。皆で一緒に食おうぞ」


 厠に行ったついでに、少しのどの渇きを感じて台所に寄ると、なんと上様が御自ら料理をされておるではないか。


 本当に変わられたなと改めて思う。かつてはご尊顔を拝するだけで畏れ多いと思い、いかに言われるかと恐れたこともある。それが今では側近や我らを忌避することがなくなり、泰然自若とされておられる。


「はっ、ようございますな」


「この大根がまた美味いのだ。エルに煮方を習ってきたから格別だぞ」


 ああ、尾張から頂いた大根か。なんでも漬物にするとかで高く買うと言われ、領内で植えておるものだ。


「さあ、温かいうちに食おうぞ。冷めた飯など食えたものではないからな」


 公方様は毒見をしてからの食事を止められた。側近衆はなにかあればと戸惑うておったが、観音寺城にそのような愚か者はおらぬであろうと仰って押し切られた。


 その言葉に城の台所方が泣いて喜んだと聞いておる。


「これは……、確かにおいしゅうございまするな」


 慶寿院様や側近衆も交えて皆で宴となった。あいにくと重臣らは各々の城に戻りおらぬので、同席しておるのはわしと倅など僅かな者だが、公方様手作りの料理を食せる機会を逃すとは重臣らも運の悪いことよ。


 さすがは自慢されるだけの味だ。大根の中まで味が染みておって美味い。体の中から温まってくるわ。


「ほんに大樹がこれほどの料理をするとはのう」


「母上、何事も自ら学び試すことこそ肝要でございまする。某は尾張でそれを学び申した」


 慶寿院様もいつになくご機嫌のご様子。公方様の旅を今も案じておられるが、それ以上に旅から戻られると変わる公方様を喜んでもおられる。


 天下の政も悪うない。細川と三好の争いもあり、畿内は依然として騒がしくもある。されど尾張を中心に伊勢や近江が上手く治まっておることで大乱にならずに済んでおる。


 この乱世は誰が治めても難しきこと。それは斯波や織田が天下を目指そうとせぬことでも明らかだ。


「上様、無量寿院の僧が先ほどまた参っておりました」


「捨て置け。父上が猶子とした尭慧はもうおらぬのだ。あとは朝廷に任せればよい」


 公方様がご機嫌な様子を見て、ひとりの側近が懸案となっておることを問うが、いかんせん答えは冷たいものであるな。


 無量寿院は少なくない礼を払って側近衆に進言を頼んでおるようだが、無駄であろう。公方様は最早、将軍職にすら執着しておらぬ。先代様の猶子であった尭慧殿を手放したのが無量寿院の運の尽きよ。


 寺などいずこも似たようなものだ。比叡山と比べても取り立てて酷いとは思わぬが、新たな政を始めた尾張と我先に対立したのは不手際と言えよう。織田が気になる者らはいかが結末となるのかと注視しておろう。


「母上にもぜひ花火を見せとうございまする」


 勅願寺の権威など興味すらないか。らしいといえばらしいの。


「花火か、確かにそれほど綺麗なのであれば、一度は見てみたくはあるの」


「いずれは主上にもご覧いただけるようにしたいものだ」


 間違いない。公方様は変えようとなされておる。この乱世を。足利の世を。


 父上。父上はここまで分かっておられたのでございますか?


 公方様が作られた大根の煮物。父上もさぞや喜ばれたであろうな。一度召し上がっていただきたかった。


 父上、わしはもう迷いませぬ。公方様と共にこの乱世を変えてまいりますぞ。



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