第1147話・戦えぬ者

Side:太原雪斎


「申し訳ございませぬ」


 御屋形様の妹君を正室としておる鵜殿長門守が深々と頭を下げると、御屋形様は僅かに返答に窮する顔をされた。


 分家と家臣らに隠居を強要され追放されたのだ。すべては織田に降るため。御屋形様も鵜殿長門守も激怒してよいことであるのじゃが。


「よい。そなたの忠義に報いてやれず済まぬと思うておる」


 御屋形様の声にいつもの力が感じられぬ。戦もしておらぬというのに、臣従しておった者らがこれほど離れていくなどあり得ぬこと。最早、織田を認めぬ者は家中にもおるまい。


「さっそくでございますが、信濃と甲斐を攻めておるとか。某も参りとうございます」


 鵜殿長門守も思うところはあろう。次から次へと織田に降る三河衆に兵を挙げなんだ御屋形様を、腹の中では罵っておるのやもしれぬ。されど、それを言うたところでいかんともしようがないのを理解しておるとみえる。


「よう言うた。じゃが無理はするな。わしはの、そなたを見捨てたわけではない」


「分かっております。すべては御家のため。織田と争うには甲斐と信濃が要るのでございましょう。なればこそ、某も戦場へと参る所存」


「織田相手に、よう耐えたな。褒美に馬をやろう。それでひと暴れしてくるがよい」


 御屋形様は鵜殿長門守に褒美を与えられたか。確かによう耐えたと思う。東三河でも民が西に逃げておったのは、今に始まったことではない。渥美など変わりゆく知多を羨んでいくつもの村から人が消えた。


 鵜殿本家を守るため妹君を返して織田に臣従するという手も頭を過ったであろうに。それをせなんだのがこの男の最大の功やもしれぬ。




「一度でよいのじゃ。織田と雌雄を決することが出来れば……」


 鵜殿長門守が下がると、御屋形様はそう口にされて西の空を眺められた。


 近頃は弱気になられることも増えた。戦をせずとも国が広がる一方の織田を相手に一戦交えたい。長年苦楽を共にしてきた御屋形様の唯一の我儘わがままなのやもしれぬ。


 最早、一戦で勝ったとていかようにもならぬことは、御屋形様もご理解されておられること。


「龍王丸に家督を譲るまでが最初で最後の機会であろう。甲斐と信濃を得られねば、あれにはわしと共に織田に頭を下げさせねばならぬな。不甲斐ない父じゃと思うであろうが」


「御屋形様……」


 初めてじゃ。織田に頭を下げると口にされたのは。奇しくも先日、飛騨が織田に降り、武衛殿が飛騨守護に任じられたと聞いたからであろうか?


「一度だけでよいのじゃ。そなたと共に織田とぶつかりたい。いずれにせよ、わしには織田内匠頭の真似など出来ぬからの。勝っても負けても一度で終わりじゃ」


 西から入る知らせには拙僧も驚くことばかりなのだ。御屋形様もまた同じであったか。


 そうなのだ。勝っても我らに先はない。戦で手に入れようとしておる甲斐は貧しく、信濃はひとつにまとめることすら苦労する国。とても織田と長年に亘り戦うなど無理であるというもの。


 それにひきかえ織田は北畠や六角と誼を深めておる。さらには北畠と六角は織田の風下に立たされておるようじゃ。


 叶えて差し上げたい。武士として今川の御家を継いだ時から共にここまでやってきたのだ。最後に武士らしい夢を見せて差し上げたい。


 とはいえ、それすら難しいのが今川の現状か。やはり以前に寿桂尼様の仰ったとおり織田の力を甘く見たのが間違いだったのであろう。


 力と権威にて命じるだけの今川を、弱き三河者らが今までいかに恨んでおったか、此度の件でよう分かる。


 あと少しなのだ。あと少し時があれば……。




Side:飛鳥井雅教


 内裏から屋敷に戻ると、どっと疲れが出るようじゃ。


 主上があれほど御不快な顔を露わとされることは珍しい。同席した関白様らも驚いておられたほど。斯波と織田から願いがあれば、勅願寺をはく奪する勅命すら下したのやもしれぬ。


 こたび無量寿院の心証が悪うなった。権威を使い織田に要求を飲ませたのが理由であろう。そのことで織田は無量寿院の末寺や領民を支援した対価を得ておらぬ。織田が朝廷を頼り願い出ること、兵を挙げることをすれば印象は変わったやもしれぬが。


 吾が無量寿院と織田の仲立ち人になると知った者の中には、吾が斯波と織田を怒らせるのではと案じておった者もおったな。年に四度の季節折々の献上品が、今や主上ばかりか公家衆にも欠かせぬ物となっておる証か。


 じゃが尾張を出る前に織田から頂いた土産物を配ると、皆、安堵したようであったな。


 かの者らを怒らせた堺が未だに許されておらぬことから案じるのも詮無なきことではあるがの。土産物を頂いたことで、怒らせてはいないと思うたのであろう。


「そうか。尭慧は尾張か」


「しばし静養をしてはどうかと武衛殿に誘いを受けました。案ずるまでもなく粗略には扱われておりますまい」


 屋敷には父上が待っておられた。旅の様子と、弟の無事を話すと、安堵しておられる。


「坊主という者らは時として武士より愚かになる。あれには可哀想なことをしたの。遥々関東の寺に出したというのに、寺が焼けて伊勢に行ったかと思えば、坊主どもにかような扱いを受けるとはな」


 お叱りを受ける覚悟をして戻ったが、父上は仕方ないとご理解してくださった。


「まあよい。吾からも武衛と内匠頭に礼状を書こう。たいしたことは出来ぬが、子らが世話になったのじゃ。筋は通さねばなるまいて」


 此度のことは無量寿院の言い分も分からぬでもない。されど末寺とその民が飢えようとしておった時に、織田と話をしておけばよかったのだ。それもせずに救いの手を差し伸べなんだのは大きな間違いであろう。


 己らの言い分を曲げずに勅願寺という権威を笠に着る無量寿院には、ほとほと愛想が尽きた。


 久遠内匠助殿は数年ともたず音を上げると言うておったな。かような寺など勝手に潰れるがいいわ。




Side:久遠一馬


 どうやらリンメイが妊娠したみたい。なんか次々と子供が出来るなぁ。


 それと美濃に造っていた牧場が、ほぼ完成したらしい。牛や馬の餌となる牧草はすでに育ててサイロに貯めているから、すぐにでも使えるみたい。


 リリーの提案で孤児院出身の子供たちを何人か送ることにした。ウチの牧場で下働きとして今も働いてくれているから、オレの家臣として召し抱えて送ることになる。


 当人たちが一番びっくりしているらしいが、確かな身分がない年少者だと見下されて言うこと聞いてくれない人もいるんだよね。


 美濃には指導者として送るけど、尾張で生まれ育った子たちだから落ち着いたら戻すと言ってある。彼らの知識と経験は貴重だからね。あっちでも経験を積んで無事に戻ってきてほしい。


 それと益氏さんの婚礼の儀がもうすぐだ。ウチだと若い家臣が多いから婚礼も多いしね。あと織田一族の冠婚葬祭にも出席する必要がある。意外とそういうのが大変なんだよね。


 さすがに元の世界のように結婚式や葬式が多くても出費に困るほどじゃないから、贅沢は言えないけどね。


「祭りを一から考えることが、これほど面白いとはの」


 学校帰りに岩竜丸君が一緒にやってきた。もうすぐ夕方で、今日は来るのが遅いなと思ったら、文化祭の準備をしていたらしい。


 いろんな人が関わっていてまとめるのも大変らしいけど、案外うまくいくってギーゼラが言っていたっけ。ていうかギーゼラが騒ぎを大きくしているような気がしてならないけど。


 文化祭は三日間の予定で進めているけど、学校を知ってもらうことを一番の目的にしている。岩竜丸君もそれを望んでいて、子供を通わせている親御さんばかりでなく、各地の国人衆にも招待状を出してある。文化祭を見て子供を通わせようと考える人も増えるといいしね。


 儀礼的に今回初めて武田晴信にも招待状を出したけど、まあ常識的には来られないよね。今川との戦に忙しいらしいし。


「熱田や津島に負けぬ祭りになるぞ。アーシャ殿とジュリア殿は来られそうか?」


 岩竜丸君、生き生きしているな。


「ええ、楽しみにしていますよ」


「皆、ふたりにも見せたいと張り切っておってな」


 戦国時代なんだけどな。岩竜丸君を見ていると太平の世にでもなったような、そんな錯覚を受ける。


 みんなで知恵や技を持ち寄って祭りをつくる。この時代だとあんまりないんだよね。身分の違いがあるし、余裕がないというのが一番大きい。


 信秀さんも資金は出すけど基本的に口は出さないしね。それはオレも同じだ。ギーゼラとかすずとチェリーとか春たちとか、奥さんたちはいろいろと手伝っているみたいだけど。


「そういえば祭りの詳しい中身は教えてくれないんですよね」


「皆でそう決めたのだ。そなたに驚いてもらいたいとな。父上が以前、子らに授業をしたことがあってな。その時に仰っておったのだ。そなたのおかげで学校があって学べるのだ。感謝を忘れてはならぬとな」


 義統さん、いつの間に子供たちに講義なんてしたんだ。ていうか、文化祭の詳細を教えてくれないのは、オレを驚かせたいという子供たちの希望なのか。


 そこは知らなかったな。ギーゼラが楽しみにしてって言っていたからさ。


 岩竜丸君は斯波家のこととか近頃はあまり言わなくなった。別に考えてないわけではないんだろうけどね。その分、領内のこととか統治に関してよく学んでいるみたい。


 男子三日会わざれば刮目して見よって言うけど、本当に子供ってちょっと見ない間に成長しているな。将来が頼もしい限りだね。




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