第1142話・外の世界

Side:久遠一馬


 暦は十月に入っている。


 東三河では一部で織田臣従に反発した者もいたようだが、それぞれの家で始末を付けたようだ。反発の理由は主に領地整理だ。国人の城と本領は一部残されるが、その家臣となると等しく領地を召し上げになっているからね。


 それと義元の妹を正室に迎えている鵜殿本家は史実と同じく追放されたようだ。


 奥三河。史実ではごたごたしたところのひとつだが、ここも多少の騒ぎはあったがすでに終わったようだ。臣従する国人も必死だ。家をまとめられないとそれだけで評価が下がることは誰でも分かることだからね。


 それと無量寿院の一件で怒っているのは、他ならぬ領内の寺社の関係者だった。いかに相手が勅願寺とはいえ、引いては駄目だと怒っている人が結構いるんだ。


 時代的に敵か味方かの二者択一で考える人が多く、必要のない妥協をしたと受け取った人が多いようだ。筋を通すことも信義を重んじることも大切だけど、安易な妥協をすれば今後際限なく図に乗ると苦言を呈する人もいた。


 というかウチの屋敷まで来て、そんな意見を言うお坊さんが何人もいたんだよね。


 道理としては寺領を返すほうが筋があるとも言える。だけど末寺が望んでなかった返還をして見捨てたと考えた人が多いんだ。


 適当にあしらうことも出来なくはない。とはいえ相手も織田家重臣である今のオレに意見をするということは相応の覚悟をして来ているんだ。正面から受け止めてあげる必要があるんだよね。


 変わったのはお坊さんたちも同じということだ。みんなそれぞれにオレたちが伝えたことを考えて変わっている。


 織田家で寺社を抑える側に回っているんだよね。


「殿、無量寿院との商いでございますが、このようなところでいかがでございましょうか」


 ひとつの仕事が終わると、湊屋さんが無量寿院との商いに関する提言書を持ってきた。


 基本的に織田家は無量寿院との商いを全面禁止とする。ウチの品物は特に無量寿院への転売も禁止にすると領内の商人に厳命するものだ。


 また無量寿院向けの荷物は、今までの五倍の税を関所でかけることも明記してある。これは各地の末寺からの上納する品物や銭が、安濃津に運ばれてくることを考慮してのことだろう。


「それとこちらも念のためご用意いたしました」


 もうひとつ、正規の提言書ではないものも湊屋さんは用意してくれた。


「売り値が今川の五倍か」


「いくつかの寺社を通して無量寿院に届くように手配いたします。あちらに届くころにはその五倍にはなると思われまするが、いずこも喜んで引き受けましょう」


 金色酒を筆頭にしたウチの品を、わざと無量寿院に高値で売りつける計画も用意してくれた。大湊や安濃津の商人を介して、途中で寺社を複数挟むことにより、それ以前との縁が切れるというこの時代の慣例を悪用した密売だ。


 五倍というのも近隣で一番高い今川の価格の五倍であり、伊勢に売る値と比べるともっと高くなる値段だ。少しぼったくり過ぎな気もするけど。


「良いのではないでしょうか」


「そうでございますな。あそこに銭を残せば良からぬことを企みますゆえ」


 エルと資清さんは賛成か。


 金色酒・砂糖・絹織物・綿織物・香辛料など、まあよく買うんだよね。無量寿院も。ウチは直接商いをしていないから主に大湊から買っているらしいけどね。


 織田の品物は基本的に売らないということになるので、迂回して買うにしても他から買うにしても今までの比じゃない値段になるだろう。


「そうだね。評定に上げてみるか」


 独断であまり勝手なことをすると家中の皆さんに余計な疑念を抱かれても困るから、事前に評定で伝えておく必要があるんだよね。


「ウチの戦いはこれからだ。無量寿院に目にもの見せてやろう」


「はっ」


 浄土真宗高田派か。史実と反対に織田が本願寺と誼を通じた時点で、この対立は避けられなかったのかもしれないな。




Side:尭慧


 清洲城にて深々と頭を下げる。


 本音を言えば、今でも思うところはある。されど兄上や北畠家にこれほどご迷惑をおかけして、頭を下げぬわけにはいかぬのは当然のことか。


 思えば無量寿院は伊勢の者と関東の専修寺からやってきた者の対立、先代の応真様と真智殿の対立など争いばかりであった。なんとかまとめようとしたものの、このような失態を演じてしまうとはの。


「弟まで助けてもらい、世話になってばかりで済まぬの。主上には吾からありのままにお伝えしておく」


 兄上は安堵した様子で武衛殿や内匠頭殿と話を始めた。


 知らぬ話も多い。末寺が戻ることなど心から望んでおらぬなどとは聞いておらぬ。


「せっかく寺を出られたのだ。しばし俗世を見聞されると良かろう。還俗して別の道を生きるもよし、仏の道に戻るもよし。無量寿院がいかなる路を歩むのか見届けてから決めても遅くはあるまい」


「ありがとうございます。……されどひとつお伺いいたします。無量寿院がいかがなるとお考えなのでございますか?」


 兄上と話しておられた武衛殿はわしの今後についても触れられた。驚くべきは無量寿院のことだ。此度の仲裁で事を収めたのではないのか?


「今後我らは無量寿院と一切の関わりを持たぬ。今までは随分と配慮しておったのを理解してくれなんだようだが、我らが治める地からの品は一切売らぬことにした。これからはすべて他所から買い求めることとなろう」


 それがいかがしたのだ? 必要なものはいずこかの商人が売りに来るであろうに。


「すまぬの。弟は少し世情に疎くての。尭慧よ。そなたが飲んでおった金色酒は久遠内匠助にしか造れぬ酒よ。さらにお主が着ておる着物も尾張物じゃ。食事の塩や米や雑穀ですら、尾張では織田殿が領内において安値に抑えるように配慮をしておる。領内ではない無量寿院にも相応の配慮をされておったのじゃぞ。今後はそれら尾張の品がすべて手に入らぬのじゃ。無量寿院がいずこからか別の品を買わねばならぬが、いずれも恐ろしく高い値になろう。織田殿に皆が気を使うのでな」


 聞いておらぬ。そのような話、一切聞いておらぬぞ!!


「末寺においても、寺を離れた僧侶が多い。寺領など土地を多く持つ者と年寄りしかおらぬ村もある。僅かな人手で来年の田植えをいかがするのであろうな?」


 誰も驚いておらぬ。兄上も内匠頭殿も織田の者らも誰もが当然のような顔で頷いておる。わしだけが知らなんだのか? なんという……。なんということだ。


「主上はお怒りになられような。昔からあることとは言え、堕落し勝手をする寺に思うところもあらせられよう。吾ももう庇いきれぬわ」


「流れのままに。直に天が裁きを下すであろう」


 なんと、兄上と武衛殿は無量寿院を見限られたのか。


 わしは……、わしに寺を託してくれた応真様になんと詫びればよいのだ。


 お許しを。お許しを……。






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